Activated Sludge ブログ ~日々読学~

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●『石原莞爾/その虚飾』読了 (1/2)

2009年04月13日 07時57分30秒 | Weblog

『石原莞爾/その虚飾』、2月に読了。佐高信著。講談社文庫。20038月刊。

 石原莞爾に対して、市川房枝さん (p.11) や藤沢周平さん (p.144) さえもが甘い評価を・・・。

 魯迅との人間性の対比。「「ああ、もはや言うべき言葉はない」/そう思って魯迅は医学の道を捨てる。・・・/・・・同じころ、仙台にいて、魯迅は一大決心をしたのに、石原は自らの逸物を描いていた。・・・あまりに激しいコントラストではないか」(p.51)

 沈黙のファイル ― 「瀬島龍三」とは何だったのか ―』に同様なことが描かれている。「・・・板垣と石原が・・・満州事変を引き起こした・・・放火行為や軍律違反が罰せられず、むしろ、論功行賞の対象となって栄進するという悪しき前例をつくった・・・「因果は廻る国軍」で、石原が中央の命令に服さぬ武藤らを懲罰する立場に立った時、石原を模範としてやっているといわれて引きさがってしまったことが軍紀を乱す要因となった・・・」(p.60)
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●『石原莞爾/その虚飾』読了 (2/2)

2009年04月13日 07時55分41秒 | Weblog

『石原莞爾/その虚飾』、佐高信著】
 「 手と足をもいだ丸太にしてかへし
     万歳とあげて行った手を大陸へおいてきた
/・・・鶴彬は、こうした刺し貫くような反戦川柳をつくって逮捕され、赤痢にかかって、手錠をかけられたまま、二十九歳で病死した」(p.78)

 「のちに筑豊の炭鉱に入った記録文学作家の上野英信 (本名、鋭之進) も建大に学んだ一人・・・/・・・上野の小伝を書いている川原一之は、・・・/上野は建大時代のことを黙して語らなかった。・・・/・・・石原は「・・・、さっさと満州を去った」・・・。残された力なき若者たちは・・・、その精神に手ひどい傷を負った」(pp.153-155)

 退官してもどこへも天下らなかった」〝異色官僚〟佐橋滋さん (pp.188-191)

 
「留学生の父」と慕われた穂積五一さん (p.261)

 
「尋問を受けたほとんど全員が「自分は戦争に反対だった」と言って責任をの免れようとする中で・・・」、ただ一人「・・・他人の戦争責任を語らず、尋ねられても「私は知らない」と詳述を拒んだ」広田弘毅、その広田の絞首刑の判決に下された時、首席検察官キーナンは「何と馬鹿げた判決か。広田の絞首刑は不当だ」 (p.305)

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