綿井健陽さんの『逆視逆考PRESS』(http://watai.blog.so-net.ne.jp/)の記事(http://watai.blog.so-net.ne.jp/2012-02-19)。シリーズの一つ。
綿井健陽さんは、『創』誌上などで光市母子殺害事件の被告・死刑囚との係りを記事にしてこられた。
『●『ふたたび、時事ネタ』読了』
『●『創(2009年12月号)』読了(1/2)』
マスコミには無い〝逆視逆考〟視点・思考による「光市母子殺害事件」最高裁判決に関するシリーズの一部を引用。
ハシズム元大阪〝ト〟知事による安田好弘さんらへのバッシングのトンデモなさもマスコミによる〝世論(ヨロン、セロン)〟操作に加担し、さらに、安田さんの不当逮捕という当時からの特捜検察のトンデモぶりをマスコミのほとんど誰も批判しなかったことも、この一連裁判の行方を大きく左右していたと思います。
『●『冤罪ファイル(2010年10月号)』読了』
『●『A3(エー・スリー)』読了』
『●『創(2010年9・10月号)』読了』
『●『ドキュメント死刑囚』読了(1/2)』
『●『創(2009年12月号)』読了(1/2)』
『●『創(2009年11月号)』読了』
『●『抵抗人名録 私が選んだ77人』読了(1/2)』
『●『創(2009年4月号)』(1/2)』
『●『創(2009年4月号)』(2/2)』
『●『月刊誌3冊』読了(3/5)』
『●『死刑弁護人~生きるという権利~』読了(1/4)』
『●『死刑弁護人~生きるという権利~』読了(2/4)』
『●『死刑弁護人~生きるという権利~』読了(3/4)』
『●『死刑弁護人~生きるという権利~』読了(4/4)』
『●『特捜検察の闇』読了(1/3)』
『●『だまされることの責任』読了(1/3)』
『●『テレビ救急箱』読了(2/2)』
『●『誘拐』読了(3/3)』
『●『死刑』読了』
(つづく)
(つづき)
本当に最高裁の判決はこれでよかったのでしょうか? 何が起ったかの事実を明らかにすること、たとえそれが無理でも、それに向けての努力を続けようとしたのか・・・、私にはそうは見えません。検察やマスコミの〝安田憎し?〟(〝小沢憎し〟と同様)・〝安田抹殺〟に裁判所が流されてしまった側面はないでしょうか。
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【http://watai.blog.so-net.ne.jp/2012-02-19】
「光市母子殺害事件」最高裁判決(その3
昨日(19日)は夕方から2つの催しがバッティング。一つはNHK/ETV特集「放射能汚染地図」の受賞祝賀会。以前何度か番組制作でお世話になっている七沢潔・大森淳郎ディレクターらがつくったこの番組は、福島第一原発事故における報道の中では金字塔のような存在となった。
それを途中で抜けて向かったのが、通称「安田裁判」と呼ばれる裁判の“終結”報告集会。20日(月)に最高裁で判決が言い渡される「光市母子殺害事件」被告人の弁護人を務める安田好弘弁護士が、刑事被告人にされた事件だ。
当時オウム真理教の主任弁護人を務めていた安田弁護士が、強制執行妨害容疑で逮捕されたのは98年12月のことだった。その後、296日間も拘束されている。
ちょうど先日は、小沢一郎裁判の立証が崩れたと報道されているが、この安田裁判は、当時取材・傍聴していたノンフィクションライター・魚住昭によると、「私は過去に何百件かの事件を取材したが、これほど検察側立証が総崩れになる事件を見たことが無い」(『特捜検察の闇』文春文庫から)というレベルだった。
http://www.amazon.co.jp/%E7%89%B9%E6%8D%9C%E6%A4%9C%E5%AF%9F%E3%81%AE%E9%97%87-%E6%96%87%E6%98%A5%E6%96%87%E5%BA%AB-%E9%AD%9A%E4%BD%8F-%E6%98%AD/dp/4167656655
一審は「検察の立件そのものがアンフェア」とまで判断された完全無罪の判決で、冤罪が証明されたかに見えた。ところが検察側は控訴。2審では逆転有罪の罰金刑となり、検察・弁護側双方が上告したが、そのまま最高裁で確定した。この裁判には一審当時で1250人、2審では2100人の弁護団が結成されている。弁護士を狙った逮捕・起訴・身柄拘束に対して、当時多くの弁護士が危機感と恐怖感を抱いた。
安田弁護士逮捕から判決確定(2011年12月)まで13年。光市母子殺害事件も事件発生から今年で13年。
この二つの裁判は、2007年に広島高裁で光市母子殺害が差し戻し控訴審、同時期に東京高裁で安田裁判の控訴審が行われていた。安田はある日は広島高裁で弁護側の席、その翌日は東京高裁で被告人席という日もあった。そして、判決は光市母子殺害の方が08年4月22日、安田裁判が翌日23日だった。個人的に生涯忘れない日付というものは誰しもあると思うが、私にとっては、「3・11」や「9・11」、イラク戦争開始の「3・20」同様、この「4・22」「4・23」の2つの日付も、私自身の身体の中に深く刻まれている。
この2つの判決当時についての記述は、以下の原稿「権力から狙われたとき」を参照。
http://www1.odn.ne.jp/watai/CCF20120219_00000.pdf
そして、昨日2月18日と来る20日だ。人には逃れられない何かの縁がある。
この2つの裁判にはもう一つ興味深い“縁”が存在する。
「光市母子殺害事件」裁判の最高裁第一小法廷の裁判官・白木勇は、安田裁判での控訴審の最初の裁判長だった。安田有罪判決の道筋をつくったのが白木とされている。その後、光市母子殺害裁判の差し戻し控訴審が広島高裁で07年に始まると、弁論終了後に広島高裁長官に。そして翌年、東京高裁での安田裁判控訴審判決後には東京高裁長官。さらに、光母子殺害裁判が最高裁に上告されると、任期途中で亡くなった最高裁判事の後任に抜擢される(2010年)。それは、光市母子殺害裁判の最高裁審理を行う第一小法廷だった。もっとさかのぼると、安田が経験した最初の死刑判決事件、1980年に起きた名古屋女子大生誘拐事件のときの一審裁判官(名古屋地裁)の一人が白木だったという(安田は最高裁からの被告弁護人)。
http://www.courts.go.jp/saikosai/about/saibankan/shiraki.html
弁護士・安田好弘の背中を追うように、亡霊のようにつきまとう裁判官・白木勇の影。これは偶然や人事の巡り合わせではなく、もはや司法権力の怨念とでもいうべきだろうか。
20日(月)の最高裁第一小法廷は午後3時に開廷する。安田は弁護側の席に座る。その前には、安田をあたかも見下ろすような高い位置の裁判官席に、白木勇が座っている。(敬称略)
【関連原稿】
『AERA』現代の肖像 弁護士・安田好弘「悪魔の弁護人と呼ばれて」(08年4月28日掲載)
http://www1.odn.ne.jp/watai/CCF20120218_00000a.pdf
「権力から狙われたとき」(月刊創08年7月号掲載)
http://www1.odn.ne.jp/watai/tsukuru200807.pdf
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