gendai.netの記事(http://gendai.net/articles/view/syakai/143289)。
いよいよ参議院選。「ネジレ」を解消して、自公政権に「勝手気ままな自由な手」を与えて、本当に大丈夫でしょうか、後悔しないでしょうか?
特に、原発の推進と壊憲。未来の日本に致命的ではないでしょうか・・・。多くの市民は両方に反対していると思うのですが、その想いが政治状況につながらないのが悔しい。
『●改憲などしている場合か? ~壊憲派に勝たせてはならない~』
『●「9条が危ない! 自民党の暴走」『週刊金曜日』(2013年4月26日、941号)』
『●沖縄の「屈辱の日」を祝う神経』
『●・・・であるのならば、壊憲派を勝たせてはいけない ~「“悪魔”を阻むハードル」を下げてはならない~』
『●壊憲: 自らの鎖を解放ち、その鎖を国民に巻こうとしている』
『●壊憲: 国内問題ではなくて、もはや国際問題』
『●戦争、環境破壊の最たるもの』
『●憲法学者vs壊憲派議員、理はどちらにあるのか?』
『●「真っ当に憲法を考えている政党はどこだ?」『週刊金曜日』(2013年6月21日、948号)について』
『●壊憲派に好き放題やらせていいのか!』
『●「日本を壊す!? 自民党」『週刊金曜日』(2013年6月28日、949号)について』
『●騙されること・騙されたフリの責任: 何度でも騙される』
自覚がないのは自公政権に投票する人だけではない。「メディアは、日本の将来に対して、とてつもない罪を犯していることを自覚すべきだ」。おまけに、「品」やジャーナリストとしての「資質」もないし、「恥」という概念もない新聞や雑誌も多い。
『●田中優子さん「誰の名前を書くのか、その人の品格が問われている」』
『●映画『放射線を浴びた『X年後』』:
「こんな巨大な事件が、・・・日本人としての資質が問われる」』
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【http://gendai.net/articles/view/syakai/143289】
【高橋乗宣の日本経済一歩先の真相】
『争点を矮小化したメディアの犯罪』
2013年7月5日 掲載
権力の都合で憲法をコロコロ変えられる国にしていいのか
参院選が4日、公示された。国民が政治に対してダイレクトに意思表示できる数少ない機会だ。今回は、とりわけ重大である。ときの政権の都合によってコロコロと憲法を変えられる国にしていいのか。権力の暴走で憲法を変えられないように歯止めを残しておくべきなのか。その選択になるからだ。
現在、日本では、衆参両院で3分の2が賛成しなければ改憲を発議できない。安倍首相は、そのハードルを2分の1に引き下げようとしている。いわゆる憲法96条の見直しだ。
改憲派は、「ハードルを下げても、最後は国民投票に委ねられるのだから、簡単には変えられない」などと主張している。だが、例えば国民投票には投票率の規定がない。先日の都議選のように、有権者の4割程度しか投票しなくても、半数を超えればOKとなる公算は大だ。国家の基本となる憲法が、こんな形で決められていいわけがないだろう。
本来、憲法は権力を縛るためのものだ。その権力の側が「3分の2では不自由だから」と抜け道を探すのは、憲法を真っ向から否定する行為だ。決して許されないだろう。民主主義を守るのか、それとも放棄するのか。歴史的に見ても、大きな岐路に立たされる選挙といえるだろう。
そう考えながら新聞を広げていると、どうしても違和感を覚える。4日夕刊の見出しを拾ってみると、〈「ねじれ」解消焦点〉(読売)、〈ねじれ解消焦点に〉(日経)、「ねじれの行方は」(毎日)という具合。現状の国会は不健全な状態にあり、正常化させるかどうかが争点だと訴えているのだ。
現状が悪いという前提で、「どうしますか」と聞けば、だれもが直した方がいいと思うだろう。だが、この「ねじれ」は、自民党が長期政権にあぐらをかき、好き勝手にやったツケである。「自民党には任せていられない」「利権まみれの政治はこりごり」という有権者のバランス感覚が働いたもの。丁寧な国会審議を求める国民の意思が反映されているのだ。
そんな説明もなく「ねじれ=悪」と報じて自公与党に投票を促す。これでは単に安倍政権の応援団である。そもそも、ねじれウンヌンは選挙の争点ではないだろう。問題を矮小(わいしよう)化している。
メディアは、日本の将来に対して、とてつもない罪を犯していることを自覚すべきだ。
【高橋乗宣】
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