Activated Sludge ブログ ~日々読学~

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●(侵略)「軍の正体」と「不戦の誓い」: 先の戦争でもそれが身に染みていない人々

2013年11月29日 00時00分19秒 | Weblog


魚住昭さんの『魚の目』(http://uonome.jp/に出ていた記事【わき道をゆく第39回 女子大生に伝える"倒錯"】(http://uonome.jp/article/uozumi-wakimichi/2801)。

 戦争できる国の軍隊(http://blog.goo.ne.jp/activated-sludge/e/7408a0a5477439ac334576823e23618c)の姿は、例えば、以下の通り。

   『●「人道なんてなかった」頃の「戦争できる国」の現実

 自公議員の目指す壊憲にしろ、憲法もヘッタクレもなくなる特定秘密保護法案にしろ、戦争がしたくてしょうがない「ウソをつく人達」が「戦争できる国」に変えるための懸命な努力をしている訳で、そういう動きを許容し、その種の議員に無批判・無関心に投票する国民は(侵略)「軍の正体」も知らず、知ろうともせずに無関心で、「先の戦争で身に染みた」からこその「不戦の誓い」を足蹴にすることに足や手を貸している。「倒錯」した社会の「倒錯」した国民。

   『●『沈黙のファイル ― 「瀬島龍三」とは何だったのか ―』読了(1/5)
   『●『沈黙のファイル ― 「瀬島龍三」とは何だったのか ―』読了(2/5)
   『●『沈黙のファイル ― 「瀬島龍三」とは何だったのか ―』読了(3/5)
   『●『沈黙のファイル ― 「瀬島龍三」とは何だったのか ―』読了(4/5)
   『●『沈黙のファイル ― 「瀬島龍三」とは何だったのか ―』読了(5/5)

 魚住さんの本記事には:
  
   「当時の関東軍幹部に理由を聞いたらこんな答えが返ってきた。
    「横綱が土俵で戦っている時、観客に病人が出ても、相撲をやめ観客を
    救うようなことはしませんよ。それと同じで強大なソ連軍と戦っている時に
    居留民保護に向かうわけにはいかないんだ」 軍が「横綱」で国民は単なる「観客」。
    軍の正体をこれほど示す言葉はない。どんな軍隊も一皮めくれば、この論理の倒錯の
    上に成り立っている。私たちは先の戦争でそれが身にしみたからこそ不戦の誓いを
    立てたのではないか。もし参院選で改憲勢力が3分の2を占めれば、96条の改正を
    踏み台に日本は戦争への坂道を転げ落ちていくだろう
  
・・・・・・とある。また、澤地久枝さんが言うように:

   『●「「秘密」は秘密」: 「国家の秘密はときに悲劇を生」んでいた時代に逆戻り
   
    「それほど悪い法律で、憲法を変えなくても何でもできる。憲法九条や九六条を
     変えると言えば反論できるが、特定秘密の内容には反論できない
   
・・・・・・ようなとんでもない法案にもろ手を上げて喜ぶマスコミや国民が存在することに寒気を覚える。翼賛与党もどきの翼賛野党の修正協議を喜んで報じているようでは、自公の思う壺であり、この「毒薬」「猛毒」法案を回避することは難しい。

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http://uonome.jp/article/uozumi-wakimichi/2801

わき道をゆく第39回 女子大生に伝える"倒錯"
2013 年 11 月 7 日魚住 昭

 4月から東京女子大で週一度ジャーナリズムの話をしてきた。授業を始める前はキャピキャピの女の子たちを相手に話すのだろうと思っていたら、ちがった。
 みな恐ろしく真面目である。出欠をとってないのにちゃんと授業に出てくる。こんなうだつの上がらぬオッサンの話を聴いてるふりをしてるのかと思い、質問してみると、ちゃんと理解している。
 へーっ、なんでそんなに真面目なの?おかげで私はいい加減な話ができなくなった。毎回、この連載以上に気を遣い(失敬!)、時に優れたドキュメンタリーを観てもらいながら、ジャーナリズムについての思いの丈を語った。
 それがこの4カ月で彼女たちの心に響いたかどうかは知らぬ。ただ、今週末の最終授業では、彼女たちの胸を目がけてど真ん中の直球を投げ、いちばん大事なことを伝えたいと思っている。


 68年前の1945年8月、満州(現中国東北部)で実際にあった出来事である。
 8月9日、満州開拓団の一員だった大畑とめさんは満州国境の町・饒河でソ連参戦の知らせを聞いた。ウスリー川の向こうからソ連軍が攻めてくるというので、開拓団の女性と子供約100人が約80㌔南にある日本の関東軍陣地へ逃避行をはじめた。
 男手は軍に召集され、国境警察隊員しか残っていなかった。その隊員らに先導されながら、大畑さんは3女の幸子ちゃん(1歳)を背負い、長女の協子ちゃん(5歳)と2女の裕子ちゃん(4歳)の手を引いて徹夜で歩いた。
 雨で全身ぐしょぬれ。ちょっとでも休むと、おいて行かれるか ら小便は垂れ流した。ズック靴の爪先が破れ、足の爪がはがれた。
 ようやく陣地にたどり着くと関東軍はいなかった。早々と南に撤退していたのである。取り残された人々は広大な原野をさまよった。やがて大畑さんの三女・幸子ちゃんが背中で冷たくなった。
 大畑さんの回想。

   「空き家の土間に腰を下ろして亀さん(亀の甲型の背負い布)をほどいたら
    息をしてなかった。翌朝、幸子の体に亀さんを掛け、そのまま置いてきた。
    昼には裕子もぐったりして動かなくなった。『ごめんね』って草むらに残していったの」

 8月13日夕、ソ連の戦車隊が峠を越えて近づいてきた。大畑さんは協子ちゃんと道ばたの茂みに駆け込んだ。そのとき、警察隊員が「子供が泣くと見つかってしまうだろっ」と、大畑さんの手から協子ちゃんをもぎ取った。

   「協子を連れて行かれても、何も言えなかっただよ。その前から『私たちを殺して、
    殺して』って何度も(隊員に)頼んでたから…」

と大畑さんは言う。
 隊員は協子ちゃんを暗がりに連れ込み、刀を喉に突き刺した。

   「その後、協子と呼んでも返事がなかっただよ。泣き声もしないし死んだと思って。
    それに怖いのも先立つから、そこから逃げたの」

 大畑さんは仲間の沖田まさみさんらと一緒にアシの茂みの中をはった。所々に紫のキキョウや黄色のオミナエシが咲いていた。
 そのうち沖田さんの背中の子が泣き出した。途中ではぐれた知人の娘、和子ちゃん(2歳)だった。

   「タオルで首を絞めろ」

と隊員が言った。沖田さんは崩れるように座り込んだ。2歳の息子を背負った女友だちもへたり込んだ。
 まもなく戦車隊が遠ざかり、沖田さんと女友だちは暗闇に取り残された。大畑さんや警察隊員らは先に進んで見えなくなった。
 沖田さんの回想。

   「もう駄目だとあきらめたのよ。先に子供を死なせようと、ふたりとも
    背負っていた子供を下ろし、首に手をかけたの。『おばちゃんもすぐ行くから
    待っててね』『おかあちゃんも行くから』『ごめんね。ごめんね』って言いながら」

 柔らかい首に親指が食い込んだ。子供たちは声も立てなかった。

   「どれぐらい時間がたったのか。はっと気づいたら、子供たちはぐったり
    としていた。その後ふたりで呆然として…。星がよう見えてね。
    満天の星空だった。戦車の音も何もしなくなっていた」

 沖田さんらはナイフで自分たちの首を切ろうとした。

   「だけどやっぱりできないの。死ななきゃって焦るけど、できなかった。
    しーんと静まりかえった真っ暗闇の荒野で涙も出なかった」

 ふたりは子供たちの遺体のそばを数日離れなかった。その後、無人になった開拓村に行った。井戸を探していると、背後から「おばちゃん」と、か細い声がした。
 死んだはずの協子ちゃん(大畑さんの長女)だった。彼女の喉には5㎝ほどの刀傷があったが、血は止まっていた。水を飲ませると、ゴッゴッと音がして傷口から水が流れ出た。空き家にあった布団に寝かせると、安心したのかすぐに寝入った。

   「いい人に拾われて」

沖田さんらはそうお祈りして、協子ちゃんを残して家を出た。
 それから38 年の歳月が過ぎ、沖田さんは再び協子ちゃんと会うことになる。83年春、中国残留孤児の肉親探しの記事を読んだのがきっかけだった。沖田さんは大畑さんに連絡を取り、ふたりで協子さんの滞在先の国立青少年総合センターに駆けつけた。
 喉に傷跡を残した協子さんは母親の大畑さんの顔を見るなり、胸にすがって泣きじゃくった。

   「マーマ(お母さん)」


 これは18年前、私たち共同通信の取材班(当時)に大畑さんと沖田さんが語ってくれた出来事だ。関東軍はなぜ国境地帯の開拓民を見捨てて逃げたのか。当時の関東軍幹部に理由を聞いたらこんな答えが返ってきた。

   「横綱が土俵で戦っている時、観客に病人が出ても、相撲をやめ観客を
    救うようなことはしませんよ。それと同じで強大な ソ連軍と戦っている時に
    居留民保護に向かうわけにはいかないんだ」

 軍が「横綱」で国民は単なる「観客」。軍の正体をこれほど示す言葉はないどんな軍隊も一皮めくれば、この論理の倒錯の上に成り立っている私たちは先の戦争でそれが身にしみたからこそ不戦の誓いを立てたのではないか

 もし参院選で改憲勢力が3分の2を占めれば、96条の改正を踏み台に日本は戦争への坂道を転げ落ちていくだろう。

 東女での授業の最後に私は次の条文を黒板に書き、学生たちに読み返してもらおうと思う。

   憲法第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
            国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
            国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
         二 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、
            これを保持しない。国の交戦権はこれを認めない。(了)

(編集者注・これは週刊現代連載『わき道を行く』の再録です。原文は七月の参院選前に書かれたものです。なお、文中の大畑さんらの回想は、『沈黙のファイル─「瀬島龍三」とは何だったのか』(新潮文庫)に収録されています)
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