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●ニッポンは民主主義国家? 《明白な事実や数字を権力者が都合のいいように変え、信じ込ませようと》…

2018年04月09日 00時00分11秒 | Weblog

[※ 東京「ト」迷惑防止条例壊悪案 (『サンデーモーニング』2018年3月25日)↑]



ニッカンスポーツのコラム【政界地獄耳/改ざんも隠ぺいも税金の無駄遣い】(https://www.nikkansports.com/general/column/jigokumimi/news/201804040000137.html)。
今日の東京新聞』(http://a-tabikarasu.hatenadiary.com/)から、再びすいません、コピペ・マゴビキさせて頂きました。【論壇時評「思考を奪う言葉の操作」中島岳志】(http://a-tabikarasu.hatenadiary.com/entry/2018/03/30/080159)。

 《だが、いずれも国民の税金だ。さらに、前国税庁長官が就任後、記者会見も開かず、雲隠れし続けた。税金の無駄遣いの議論で言うならば、前国税庁長官も同罪だろう。公文書改ざんは、他に議論すべき大事なことの後回しにされるべき事柄ではない民主主義の根幹を揺るがし、決済後の文章が改ざんされる事態は歴史の修正であり、民主主義国家がやることではない》。
 《安倍内閣で次々に起きているのは、何者かによって恣意(しい)的に言葉が書き換えられ、消去されるという事態である。ここに現在の政治や行政の本質が現れていると思った時、真っ先に手に取った本がある。ジョージ・オーウェル 『1984年』だ。これは1949年に出版された近未来小説で、高度な全体主義が張り巡らされたディストピア(反ユートピア)がテーマとなっている》。

 《言葉が書き換えられ、消去されるという事態》…ニッポンは民主主義国家なのか?
 《後回しにされるべき事柄ではない》…《断固反対》だったはずのTPPの方が大事なんていう方・財務相もいましたけれどね。東京新聞の記事【「TPPより森友、重要か」 麻生氏が日本の新聞報道を批判】、でっ、デマ三連発の赤っ恥。

   『●『東京番外地』読了
   『●キケンすぎるキケンと選挙制度上の欠陥
   『●「沖縄の怒り」 『週刊金曜日』
       (2014年1月17日号、975号)についてのつぶやき
    「【佐々木実の経済私考/安倍政権の“ニュー・スピーク”浸透する
     官製の物語】、「「政治と言葉」といえば、ジョージ・オーウェル
     小説『1984年』が思い起こされる。“ビッグ・ブラザー”が統治する
     全体主義社会…」」

   『●『自然と人間』(2014年8月号、Vol.218)についてのつぶやき
   『●アベ様のデンデン王国ニッポンこそ、
       既にオーウェルが描いた『一九八四年』の「世界」へと
    《ジョージ・オーウェルの『一九八四年』…「“もう一つの事実”を示したのだ」
     ▼明白な事実や数字を権力者が都合のいいように変え、
     信じ込ませようとする。それこそオーウェルが描いた世界ではないか》

   『●「平成の治安維持法」…「先輩たちが歌うことすら制限する米軍に抗い、
                                勝ち取った自由が危機にある」
   『●当局の解釈次第で恣意的に内心を罰し、
       お互いを監視・密告しあう社会…「平成の治安維持法」の完成
   『●「誰が見ても安倍政権による政治的弾圧」…
          山城博治さん「沖縄の大衆運動を潰す政府の方策」
   『●斎藤貴男さん「人間が人間であるために、最後まで抗おう」
              と呼びかけ…コンナ「裸の王様」に負けたくない
    《暴政に右も左もない。かつ現代日本の監視社会において民衆は、
     ジョージ・オーウェル『一九八四年』式の「ビッグ・ブラザー」による
     支配に加え、これに相乗りする民間企業のダイレクト・マーケティングの
     海に漬からざるを得ないのだ》

 ジョージ・オーウェルの小説『1984年』の《ディストピア(反ユートピア)》…そして、「ビッグ・ブラザー」。
 ニッポンではとっくに、斎藤貴男さんの言う《明白な事実や数字を権力者が都合のいいように変え、信じ込ませようとする》社会に。

 いつもタイミングよく(?)、アベ様を救って(?)くださる某国では…日刊ゲンダイの記事【北が取材制限謝罪 “報道自由度”日本が金正恩に抜かれる日】(https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/226375)によると、《「南側記者を北に招待したからには、自由に取材活動や撮影ができるようにする義務が我々にはある」「取材活動を制約して自由に撮影をできなくするのは間違っている。北側当局を代表してこうしたことは間違っていたと謝罪したい」 ナント! 取材活動を制限したのは間違っていたと頭を下げたというのだ…少なくとも「自由な取材活動の保障」が重要という認識はあるようだ。 ■一方の安倍政権は締め付け強化》。
 報道の自由度ランキング72位のニッポンと(調査国中の最下位)180位の某国(2017年のランキングはコチラ)。その差はもっと縮むかもね。

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https://www.nikkansports.com/general/column/jigokumimi/news/201804040000137.html

政界地獄耳
2018年4月4日9時35分
改ざんも隠ぺいも税金の無駄遣い

 ★森友学園の問題は、たかだか8億円の値引きの話。国会が1年以上かけて議論するようなものではない。国会には、もっと大切で議論すべき問題が山積みする。こういう声をよく耳にする。また、この8億円のいきさつについて調べるため、国会議員の給料や調査費、官僚の資料作成など、8億円以上の費用がかかっているとの指摘もある。なるほど、そういう視点の当て方もあるのかと、考えさせられる。

 ★だが、いずれも国民の税金だ。さらに、前国税庁長官が就任後、記者会見も開かず、雲隠れし続けた。税金の無駄遣いの議論で言うならば、前国税庁長官も同罪だろう。公文書改ざんは、他に議論すべき大事なことの後回しにされるべき事柄ではない民主主義の根幹を揺るがし、決済後の文章が改ざんされる事態は歴史の修正であり、民主主義国家がやることではない。それをエリート中のエリート財務省の官僚が、組織ぐるみで行っている実態の解明よりも、やるべきこととは何か。その審議内容すら改ざんされる恐れがあるのに先に進めろということだろうか。また、趣旨が同じだから問題ないという議論にも、くみしかねる。

 ★政治家の関与があろうがなかろうが、改ざんすることを良しとする文化が中央官庁にあることに、重大な不安を覚えている。まだ開示請求や国会での議論の最中に、公文書や資料が紛失した、または破棄したという。ほとぼりが冷めたころ、「見つかりました」と言いだす中央官庁の“手口”にもあきれる。最近も同様の事態が続くが、これも文書改ざんと同罪ではないか。大臣がぶら下がりで「おわび」を言う程度で、国会での審議や追及の時間の無駄はどうなるのか。8億円の追及が無駄と言うのなら文書隠しも相当の無駄だと思うが。うっかりや勘違いが横行する国会は、中央官庁になめられっぱなしだ。(K)※敬称略
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http://a-tabikarasu.hatenadiary.com/entry/2018/03/30/080159

2018-03-30
論壇時評「思考を奪う言葉の操作」 中島岳志

 南スーダンPKOの現地部隊の「日報」破棄問題、そして、学校法人「森友学園」ヘの国有地売却に関する決裁文書改ざん問題。安倍内閣で次々に起きているのは、何者かによって恣意(しい)的に言葉が書き換えられ、消去されるという事態である。

 ここに現在の政治や行政の本質が現れていると思った時、真っ先に手に取った本がある。ジョージ・オーウェル 『1984年』だ。これは1949年に出版された近未来小説で、高度な全体主義が張り巡らされたディストピア(反ユートピア)がテーマとなっている。

 主人公のウィンストン・スミスは、真理省の役人で、過去の記録の改ざん作業を行うことが仕事だった。「過去は現在の情況に合致するように変えられる」。党が発表する内容がすべて正しくなるように文書が改ざんされ、破棄される過去が刻々と改変され、破壊されるのだ

 権力者は、国民の論理的思考能力を低下させ、国家への反対を抑えるために、「ニュースピーク」という言語体系を導入する。これは語彙(ごい)を制限・消去し、単語の意味を書き換え、文法を極度にシンプルにした言語で、普及の暁には反体制的な思考そのものが不可能になるという。言葉をコントロールすることによって、政府にとって不都合な現実を、存在しないものにしてしまうのだ。

 確かに、安倍内閣は言葉の操作によって、問題が解消されるかのように振る舞うことがある。WEBサイト LITERA(1月22日)に掲載された編集部による記事「安倍首相の空疎すぎる施政方針演説!『非正規という言葉を一掃する』は真っ赤な嘘、裏に格差温存のカラクリ」では、通常国会冒頭の安倍首相の施政方針演説が取り上げられ、批判されている。

 演説の目玉に据えられた「働き方改革」の中で、安倍首相は「『非正規』という言葉を、この国から一掃してまいります」と述べた。しかし、2012年から16年までの4年間、非正規雇用者は207万人も増加する一方で、正規雇用者は22万人増加でしかなく、「雇用者数の9割が非正規というのが実態」である。就業者数が増え、雇用が改善したと言っても、不安定な非正規雇用者を増加させた結果でしかない。「騙(だま)されてはいけないのは、安倍首相はけっして『非正規雇用をなくす』あるいは『正規と非正規の格差をなくす』と言っているわけではない、ということ。たんに『非正規』という言葉を使わないというだけの話なのである」

 この指摘は重要だが、問題はさらに深刻である。安倍首相は『非正規』という言葉を一掃することで不安定雇用問題の存在自体を消去しようとする意図があるように思えるからだ。そもそも「言葉を一掃する」という言葉の中に、安倍内閣の本質が現れていると見るべきである。これはまさに「ニュースピーク」の世界。言葉の操作によって、現実を操作する手法だ

 2014年から15年にかけて安保法制が大きな話題となったが、その際、集団的自衛権の行使容認の要件として閣議決定されたものに「我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があること」という文言がある。具体的な武力行使については、かなり高いハードルが設けられているので、よほどのことが起こらない限り集団的自衛権は発動されないと強調されたが、どうしても「明白な危険」という言葉が気になる。どのような事態を「危険」と見なすのかについては、はっきりとした定義が存在しない。最終的に、「危険」の基準は、為政者の主観に依拠する。要するに、いくらでも操作可能な文言が、武力行使についての決定的な箇所に導入されているのである。

 安倍内閣の本質は、言葉の支配と操作にある。人間は言葉の動物だ。言葉によって存在や認識が規定されている。言葉が世界を作り、構成する。その言葉を権力者が恣意的にコントロールすると、私たちは世界を奪われる

 作家の星野智幸は3月12日のツイッターで、公文書改ざんを「国家が言論を独占しようとする行為にほかならない」と警告する。「国家が言葉を独占したら、法律は骨抜きに成り、機能しなくなるおそれがある。なぜなら、法律は言葉で書かれているから。そして、最も厳密な意味の使用を求めているから。つまり、意味の運用の範囲を決める司法も機能しなくなるということ」

 星野の作品に『夜は終わらない』という小説がある。ここでは、言葉を支配しようとする人間に対して、豊穣(ほうじょう)な物語を奪還するダイナミズムが描かれている。小説が現実以上の現実を描き出している。

 私たちは言葉を奪われてはならない。この世界を「ニュースピーク」が支配するディストピアにしてはならない。公文書改ざん問題をめぐる論争は、言葉をめぐる為政者との闘いにほかならない。(なかじま・たけし=東京工業大学教授)
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