映画「母と暮らせば」 祈り永久革命のためのパレーシア半蔵門右手の桜田濠 「パレーシア」がレトリックと対立する伝統 パレーシアの主なやり方が、対話であることがハッキリしまし........
電通の新人職員が、過労死で殺されました。「東大出てても、過労死するんだぁ」、「電通じゃあなくて、良かった」「あんな大手でも、過労死するんだぁ」…いろんな感想、感触を持たれた方が多いでしょう。
沖縄県北部の東村高江(ひがしそん たかえ)で、米軍のヘリコプターの発着場を、ヤンバルの森をなぎ倒して、建設しています。その建設のために必要な重機を、自衛隊が運んだのは、果たして憲法違反ではなかったのか? という議論はあまり聞きません。また、機動隊が、建設に反対する市民、高江に住んでいる人やその支援者に、暴力を加え、差別語でもって、侮蔑しているのは、アベ・詐欺師ちゃんと悪魔の仲間たちの悪魔性、暴力性が露骨に表れていると感じますね。でも、なかには、「おらがんちの近くでなくて、よかった」(谷保弁[やぼべん]ですみません)、「遠いところの話でしょ」『そんな話があるの?」…とあくまでも(悪魔でも?)他人事と、無意識に決め込んでいる人も多いのではないでしょうか?
しかし、いつまで、他人事でいられるでしょうか? 明日は我が身なんですからね。
第二次世界大戦の時に、ナチスとヒットラーと闘った、マルティン・ニーメラーの次の言葉を、私どもは肝に銘じておきたいものですね。
ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった
私は共産主義者ではなかったから
社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった
私は社会民主主義ではなかったから
彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった
私は労働組合員ではなかったから
そして、彼らが私を攻撃したとき
私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった
私どもは、今すぐに、NOの声を上げて、行動するべきです!