エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

現世考: アベ・詐欺師ちゃんと悪魔の仲間たちの「和解」の二枚舌(三枚?)

2016-12-28 07:22:20 | 間奏曲

 

 

 

 
うじ+α
   現代人の心は、酸欠  現代人は、本当に人を大事にする、ということを体験してないんですね。今どきの日本だけの現象では必ずしもない。 p93の第3パラ......
 

 

 いま、NHKも民放各局も、ライブで、アベ・詐欺師ちゃんと悪魔の仲間たちのパールハーバーでのスピーチを垂れ流しています。 「和解」の旅だ言います。

 アメリカ人と「和解」できる人が、なぜ、国内の沖縄の人々と沖縄県知事と仲良く出来ず、無視・イジメ・虐待を繰り返すのでしょうか?

 

 アメリカ人と「和解」できる人が、なぜ、お隣の中国の人々が、日本の島(尖閣)の近くを通ったからと言って、大目に見ず(「不寛容」)、目くじらを立てるのでしょうか?

 

 

 アベ・詐欺師ちゃんと悪魔の仲間たちの「和解」というのが、二枚舌、三枚舌のオオウソ、出鱈目で、内実は、「強い者」にオッポを振り弱い者、小さくされた者に対しては、苛烈なまでに残忍で、しかも、憎悪の塊であることを、明確に示していることに、私どもは気付いていくべきだと、警鐘に警鐘を重ねたい気持ちでいっぱいです。

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聖書の言葉: 十字架によって

2016-12-28 03:11:59 | 聖書の言葉から

 

 

 

 
平安と安心(peace)を!
   空気読めない で良いじゃんよ  金森俊朗さんのNHKのコラムに「“空気がよめない”って、悪いこと?」があります。ここで金森さんは、いつもながら、大......
 

 「エフェソ人への手紙」という『新約聖書』の中の手紙、第2章16節に、

十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。 」(新共同訳)

というくだりがあります。

 前田護郎先生の翻訳では、

16十字架によってふたりを神に対してひとつ体に和解させて敵意をお殺しでした。

 となります。

 私が好きな聖句なんです。

 十字架には、すごい力があんですね

 なぜだと思いますか?

 この「和解」を心理学的、文化人類学的に言ったのが、エリクソンでしたね。エリクソンは、人類は1つ、人類皆兄弟と実感していました。理屈ではありませんからね。実感です。

 それとは異なる立場は「ウソ」、「偽り」、と言いましたね。解かりやすい翻訳で言いますと、「人類を上下2つに分けるウソ」となります。激しい怒りと殺してしまいたいくらいの憎しみ、そこから生まれる敵意が、「人類を上下2つに分けるウソ」には、背景に必ずあります。

 十字架によって、私どもは、「欠点が多い存在」であっても、心からの許し、心からの自由を体験することができます。その許された悦び、自由にされた悦びこそが、まさに光、温もりのある明るさ、なんですね。

 ですから、人を自分よりも、「上」に見たり、「下」に見たりする必要が、全くありません。対等に感じて、いつでも、その相手の懐に、相手の世界に、許されれば、入っていけるんです。普通は、他人からその人の世界、その人の言い分を押し付けられている人にとって、自分の世界に歩み寄ってもらったら、その嬉しさって、ひとしおでしょ。そこから、その相手の本当の課題が見つかりますし、その関わりから、相手が自分の本当の課題を解決する道を、自分で見つけるのです。

 実にうまく出来てますね。ですから、「とても良かった」と神様はいつでもいう訳ですね。

 

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インターメッツォ: エリクソンの叡智 : 相手の本当の課題に応え続ける要石

2016-12-28 02:34:11 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 

 
本物は、1人では無理!
   男の世界と、女の世界は、別物  女性が、女性らしく生きることができることが、実は、男たちにとっても、子どもたちにとっても、有益なことが分かりきます......
 

  今宵のエリクソンも、Insight and responsibility p.129から。タイトルは、『本物の課題を見抜く眼と、本物の課題に応え続ける態度』という程の意味で、『…と責任』という感じじゃない。

 

 

 

 

 

 フロイトが気付いたのは、人として大人になること(genitality ジェニタリティー)だけが、知的にクリアであること、身体も許し合って満足な関係、自分と人を思いやる気持ちを併せ持つことを確かにする、ということでしたね。これを併せ持つことは、身に着けるのも難しければ、そうあり続けるのも難しいものですよね。しかし、この3つを併せ持つことこそ、相手の様々な本物の課題に応えつづけるやり取りをする上で要石なんですね。

 

 

 

 

 

 

 ここで、genitality ジェニタリティーを、「性的」とはしませんでした。それでは、日本語の「性的」とい言葉から連想する狭さが、もともとの意味を矮小化、チッポケにしてしまう嫌いがあるからです。「人として大人であること」とする方が、フロイトの気付きに遥かに近い。だって、そうでしょ、「性的に大人」だけの人が、果たして、知的にクリア、って言えます? いいえ、言えません。むしろ、知的にはバカでしょ。

 

 「人として大人であること」だからこそ、知的にクリアであること、身体も許し合って満足な関係、自分と人を思いやる気持ちを併せ持つことができるわけでしょ。

 そうだからこそ、相手の言葉にならない本物の課題を、パッと気付きて、それに応え続けることができるわけです。

 


 

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発達トラウマ障害(DTD)の子ども等は、ホッタラカシにすればするほど、お金がかかる

2016-12-28 00:34:16 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 

 
暴露療法の限界
   現代人の心は、酸欠  現代人は、本当に人を大事にする、ということを体験してないんですね。今どきの日本だけの現象では必ずしもない。 p93の第3パラ......
 

  発達トラウマ障害(DTD)=愛着障害の子ども。ヴァン・デ・コーク教授の  The body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』p.151、第10章から。最初のパラグラフから。

 

 

 

 

 

 私がこれから記そうと思っているような子ども達は、ごまんといるんです。しかも、そういう(発達トラウマ障害(DTD)の)子ども達は膨大なお金を使っているのに、確たる利益を得ていないんです。そういう子ども等は、我が国の刑務所、生活保護リスト、医療施設を満たすことにもなってしまいます。その子ども等のことを知ることと言ったら、それは統計の話になってしまいます。たくさんな教員たち、保護観察官たち、福祉従事者たち、裁判官たち、精神科の医療従事者たちが、この子ども等を、来る日も来る日も支援しようとしていますし、納税者の皆さんがその利用料を支払っている訳です。

 

 

 

 

 

 

 発達トラウマ障害(DTD)の子どもは、出来るだけ早く治療することが、本人の幸せにつながります。治療が遅れれば、それだけ子どもの苦しみも増し加わります。

 でも、ここの議論は、社会的なコストの話になっています。ここで、ヴァン・デ・コーク教授が指摘しているように、刑務所経費、生活保護費、医療費が、増大する結果になる訳です。

 私は好きな議論ではないのですが、発達トラウマ障害(DTD)の子どもをホッタラカシにする結果として生じる税金の「無駄遣い」、コストは、莫大です

 

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