平安と安心(peace)を!
空気読めない で良いじゃんよ 金森俊朗さんのNHKのコラムに「“空気がよめない”って、悪いこと?」があります。ここで金森さんは、いつもながら、大......
「エフェソ人への手紙」という『新約聖書』の中の手紙、第2章16節に、
「十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。 」(新共同訳)
というくだりがあります。
前田護郎先生の翻訳では、
「16十字架によってふたりを神に対してひとつ体に和解させて敵意をお殺しでした。」
となります。
私が好きな聖句なんです。
十字架には、すごい力があんですね。
なぜだと思いますか?
この「和解」を心理学的、文化人類学的に言ったのが、エリクソンでしたね。エリクソンは、人類は1つ、人類皆兄弟と実感していました。理屈ではありませんからね。実感です。
それとは異なる立場は「ウソ」、「偽り」、と言いましたね。解かりやすい翻訳で言いますと、「人類を上下2つに分けるウソ」となります。激しい怒りと殺してしまいたいくらいの憎しみ、そこから生まれる敵意が、「人類を上下2つに分けるウソ」には、背景に必ずあります。
十字架によって、私どもは、「欠点が多い存在」であっても、心からの許し、心からの自由を体験することができます。その許された悦び、自由にされた悦びこそが、まさに光、温もりのある明るさ、なんですね。
ですから、人を自分よりも、「上」に見たり、「下」に見たりする必要が、全くありません。対等に感じて、いつでも、その相手の懐に、相手の世界に、許されれば、入っていけるんです。普通は、他人からその人の世界、その人の言い分を押し付けられている人にとって、自分の世界に歩み寄ってもらったら、その嬉しさって、ひとしおでしょ。そこから、その相手の本当の課題が見つかりますし、その関わりから、相手が自分の本当の課題を解決する道を、自分で見つけるのです。
実にうまく出来てますね。ですから、「とても良かった」と神様はいつでもいう訳ですね。