ルターの発作を、生物学的に「内因性の病」と位置付けることは、その発作の原因をルター個人に由来するものにしてしまいます。言葉を換えて、敢えて突き詰めて申し上げるならば、発作を起こしたのは「ルターが悪い」のであって、家族のせいでも、社会のせいでも、時代のせいでもない、そういう一切の関わりから断絶した、個別化されたものに、その発作を位置付けてしまうことになります。そうなれば、周りの人たちは、その発作に対して「関係ない」と言い張る余地が出てきてしまいます。
ライターは、私どもが一番関心を持つ、ルターが22才から30才にかけての数年間について、長期のKrankheitphaseの1つ、つまり、長期にわたる神経症の1症状と、考えました。この症状は36才まで続きましたが、その次に来たのが、「熱狂的に」創造的な時期でして、さらにその次は、40台の深刻な神経衰弱の時期です。実際、ライターが感じたことと言えば、ルターのこの数年間の中で、この宗教改革者には有名な「いつでも力強い状態」である、と本当に特色付けられる時は、ほとんどありませんでした。つまりそれは、ルターがルターらしかったのは、非常にレアケースのことであり、しかも、短期間のことだった、ということです。ライターが考えたのは、少なくともルターは20代の時には、精神病の時代とか、緊張の時代とか言うよりかは、神経症の時代であった、ということでしたし、また、ライターが認めていたのは、この時期の危機は、ルターが人生の価値を探すことが、ルターの心理的な葛藤と意義深く結びついていた唯一の時期だった、ということです。つまり、ルターの創造性が、ルターの心理的破壊過程と調和していた時期であるということですし、同時に、ある程度の「限定的ではあっても知的なバランス」が取れていた時期でもあった、ということです。
ライターは、ルターの20台を「不安の時代」と位置づけ、次に来る創造性豊かな時期の前触れ、準備期間としたのでした。また、世間で流布しているルターの「いつでも力強い」という感じは、むしろ例外的な状態であったことを暴露しています。