まだ命があります。
六月二十日日曜日、柏まで行ってプリンタのインクカートリッジを買って帰り、しばらくしたらまた胸焼けのような重苦しい気分に襲われました。
柏駅(東口)はいつも人が多く、雑然としていて、好んで行きたいところではありません。人気(ひとけ)に中てられたのかもしれません。
横になっていたら、やがて治まりましたが、朝が早かった(椋鳥の大群がねぐらへ帰るころでしたから、多分四時半)ので、そのままウトウト……。
履歴書はインクカートリッジさえ取り替えれば、ものの数分で出来上がると思ったので、午睡から目覚めたあとも、履歴書のプリントにはかからず、ぼんやりして過ごしました。
すぐ取りかかっておけばよかったのに、私はいつも打つ手が一手遅れて、あとで吠え面をかくことになるのです。
翌月曜の朝、椋鳥たちの渡りより早く目覚めました。前日は午睡を取ったとはいえ、空がようよう白むころに起きてしまったので、寝不足気味でした。
それにこのところ、右眼がおかしい。
春に二度つづけて物貰いを患ったあと、目脂が多量に出るようになったのです。こびりついたようになっていて、さっと顔を洗う程度では取れません。ひどいときには目覚めた瞬間、眼が開かないことがあります。ところが顔を洗ったあと、鏡で念入りに見たつもりですが、腫れなどがあるわけでもなく、とくに異常は認められないのです。
日中はなんの前触れもなしに突然痛みが襲ってきて、ボロボロと涙が出ることがあります。右眼だけです。右眼だけが泣いている。ひとしきり泣き終わると、とくになんでもない。
入院した病院に通院していれば、眼科があったので、診てもらったかもしれません。しかし、新しく通院を始めたところは循環器だけの専門病院なのです。
もう一つ厄介なのが、持って生まれた畸形の右足小指です。齢を重ねるのに連れて痛みが増すように思ってきましたが、去年までは気温の低い冬の間のことだけでした。
冬場は靴の革が硬いことと関係があるのではないか、と独り合点していましたのに、今年はこの季節になっても靴に当たって痛いのです。
毎日の痛みを記録しているわけではないので、確かなことはいえないけれども、去年のいまごろは城跡やお寺を巡ってズカズカと歩いていたことを振り返ると、痛みに悩まされていたとは思えません。
去年初冬に入院したとき、血液関係の数値があまりにも低いと知らされ、医師からは最低二週間の入院が必要といわれましたが、自覚症状がひどく、二週間で退院できるとは思えませんでした。そのとき、ふと考えたのは、ついでだから入院中に足の小指を切除してもらうかということでした。
若いころはほとんど気にならなかったのに、四十になるころから少しずつ違和感を覚えるようになりました。
ちょうどそのころ、仕事で形成外科医にインタビューすることがありました。たまたまその医師とは酒を酌み交わすような仲になったので、相談を持ちかけてみたら、レントゲンを撮る、というところまで行きました。
レントゲン撮影の結果、骨と神経には異常が見られないので、肉を削ぎ取って人並みの足に戻すのは簡単だろうという診断でした。ただ問題は、手術後は当然ギプスを当てなくてはならず、数週間は靴も履けず、松葉杖が必須ということです。
その当時の私は人生で一番の働き盛りを迎えていました。
テーマに最適な人を見つけ出してはインタビューにインタビューを重ねて行くという仕事をしていましたから、歩くのが仕事と言い換えてもよかった。
それなので、わずか数週間とはいえ、自由気ままに歩けなくなるというのは致命的だと考えてしまったのです。
結果、先送りにすることにして……そのままズルズルと現在に到っている、というわけです。
私が入院した病院は丸い建物になっていて、一階と二階の中央が待合室、それを取り囲んで、各科の診療室がありました。ある日、注意深く見てみましたが、形成外科はないようでした。
なぜ関係者に訊ねなかったのだろうと思います。長いこと雑誌でインタビューをして、その都度初めての人に会う、という毎日を過ごしながら、私は人と口を利くのが得手ではありません。
それとも、痛みに難渋していながら、我が身に刃物を突き立てられるということが深層心理で嫌だったのかもしれない。
退院後に通院していたとき、二階の目立たない場所に形成外科があったことを知りました。
靴は四~五足を取っ替え引っ替えして履いていますが、特定の靴だと痛む、というものでもなさそうです。
日曜日に履いたのは少し重めのホーキンスのトラベルシューズでした。柏のビックカメラへ行き、長全寺へ往復しただけですから、五千歩も歩いていません。それでもちょっと痛むことがありました。
私は二日つづけて同じ靴は履かないようにしています。
家に帰ると、明日履いて行く靴を出して、脱いだ靴にはシダーのシューキーパーか丸めた新聞紙を入れて靴箱にしまいます。何事においても、物臭で自堕落な性格ですが、これだけは律儀です。
そこで、月曜日はハローワークへ行くつもりだったので、体調が悪くなければ、同じ靴を履いて、どこか散策し、足が痛むかどうか試してみようと考えました。
ところが、です。おもむろにパソコンを開いてみると、保存しておいたはずの履歴書のシートが見つからない。顔写真も見つからない。
顔写真はどんなタイトルをつけて保存したのか憶えがありませんが、履歴書は「履歴書」とタイトルをつけて、しっかと保存したはずです。ファイル検索機能を使いましたが、「見当たりません」とのメッセージ。うっかりしていて削除してしまったのかも……。
そういえば最近ごみ箱を空にしたばかりです。
なんというボケ茄子かと、自分に肚が立って肚が立って仕方がない。
前日、インクカートリッジを買って帰ったあと、すぐやっておけばよかった、と激しく後悔しました。毎度毎度同じことを繰り返しながら、貴様はこの期に及んでもいまだに懲りぬのか、と。
新しく作り直すのにそれほど時間は取られません。顔写真は前に撮影したあと無精髭を伸ばしたままなので、髭を剃らねばならないが、これもそれほど時間を取られるわけではない。
しかし、自分の不注意さにすっかり嫌気が差してしまったので、ハローワークへ行く意欲を喪失してしまいました……。
※このときは自分でも愕くほど慌てていました。履歴書が必要になるのは、ハローワークで求人先が見つかってからのことです。求人があるかないかわからない段階では履歴書は必要ないのです。
最後を思わせるブログを書きながら、のんきに更新をつづけているようですが、実態はそれほどのんきなものではありません。
私よりずっと重い病で苦しんでいる人はたくさんおられると思いますが、しつこい偏頭痛の来襲に晒されているとき、突如眼の痛みに襲われるとき、たまさかテーブルの脚に右足の小指をぶつけてしまったとき……、こんなに辛い思いをするくらいなら、生きているのはもういいか、と気弱な虫が出てくることが多くなりました。
昨日、ひょんなことから自分はずっと前からホームレスだったのだと知りました。世間でいうホームレス(路上生活者)は、正しくはハウスレスというのだそうです。
ハウスレスだが、ホームレスではない人もいます。
天涯孤独(だ、とふんぞり返っているわけではありません)の私は棲む家はあっても、心の拠りどころである「ホーム」がない。よって、私のような者こそをホームレスというのだそうです。
月曜日は結局ハローワークには行かず、別のところへ行っていました。別のところのブログはあと回しにしますが、そこからの帰り道、新松戸駅の裏手にある野菜直売所で隠元と胡瓜、青梗菜を買いました。
これまでは、その店の前を通るとしたら日曜日しかなかったので、店が開いているのを見たことがなかったのです。
家に帰ってつくったのが豚の角煮と青梗菜炒め、高野豆腐の炊いたんと隠元の塩茹でです。胡瓜は子どものころを思い出して、冷蔵庫でギンギンに冷やしたあと、塩揉みにして食べようと思います。
何もかもおしまい。生きているのも、そろそろもういい……。
そう落ち込んで最後のブログを書きましたが、できるところまでブログの更新をつづけます。体調が悪くて思うに任せないときは「体調不良」という一行だけでも書こうと思います。