桔梗おぢのブラブラJournal

突然やる気を起こしたり、なくしたり。桔梗の花をこよなく愛する「おぢ」の見たまま、聞いたまま、感じたままの徒然草です。

相模台公園から胡禄神社へ

2010年06月30日 07時25分04秒 | のんびり散策

 昨日二十九日は雇用保険受給の認定日でした。
 体調がどうであろうと、何がなんでも行かねばならぬので、前日はできるだけ静かに過ごしておりましたら、幸いなことに可もなし不可もなしという体調で朝を迎えることができました。

 朝のうちは雨だったのに、いつの間にか陽射しが出たのでゆっくりと構えていたら、すぐに曇り空。雨に降られないうちに、と思って出かけました。
 先週、社会保険事務所に頼んでおいた年金記録が届いたので、ハローワークの前に松戸市役所に寄りました。

 市役所は根本城という城趾に建っています。松戸駅からはちょっとした坂を上らなければなりません。それほど急でもなく、それほどの長さでもないので、息の切れ具合がどんなものか、私の体調を測るバロメーターになります。まあまあ心臓に負担がかかるこ
ともなく上り切ることができました。

 


 市役所からハローワークへ行くために、常磐線を跨線橋で越えて行くと、ちょうど市役所の反対側に伽藍と墓地が見えたので、寄り道をしてみました。吉祥寺というお寺でした。
 ここも真言宗豊山派のお寺です。
 ここも……というのは、私がときどき行く北小金の大勝院、先日行ったばかりの松戸七福神のうち恵比寿神を祀る金蔵院(こんぞういん)、同じく寿老人を祀る日暮(ひぐらし)の徳蔵院……みなみな奈良の長谷寺を総本山とする豊山派のお寺なのです。
 松戸ではなく流山ですが、無患子(ムクロジ)の樹がある観音寺も豊山派のお寺です。

 千葉県学事課の宗教法人名簿を調べてみると、松戸市内には豊山派のお寺が二十三か寺もあって、松戸の仏教系法人では一番多い。千葉県が本場といってもいい日蓮宗のお寺より多いのです。
 市川市だけは中山法華経寺のお膝元のせいか、日蓮宗の寺院が圧倒していますが、近隣の船橋(二十五か寺)、柏(二十七か寺)とも豊山派寺院が多い。よほど熱心に教化に歩いたお坊さんがおられたのでしょう。

 吉祥寺についてはお寺の来歴を説明するものが何もなかったので、家に帰ったあと、インターネットで調べましたが、「松戸&吉祥寺」で検索すると、伊勢丹がヒットするばかりで、はかばかしくありません。
 結局、いまのところは何もわからずじまいです。

 ハローワークは何事もなく、短時間で無事終了。今日は求職活動ではなかったのですが、それでも一時間近く待たされました。これでまた一か月なんとか食い繋ぐことができます。



 空は厚い雲に覆われていましたが、まだ雨になる気配は感じられませんでした。再度跨線橋で常磐線を越えて反対側にある相模台公園へ。

 前回訪ねたとき(六月四日)、ここにも野良の猫殿がおりました。
 今日はミオを持ってきていたので、いてくれれば友誼を深めんものと上ってみましたが、午前中の雨で土が濡れていたせいか、姿を現わしませんでした。



 相模台城があった時代の登城口そのままと思えるような、急で曲がった坂道です。

 


 坂を上り切ると、左手に松戸中央公園がありました。
 ここは戦中まで陸軍の工兵学校があったところです。当時そのままの煉瓦造りの正門の門柱が遺されています。大正九年に造られたものです。
 画像下は歩哨哨舎跡。コンクリート造りですが、最初は木造だったようです。ここに剣付き鉄砲を持った歩哨が立っていたのです。

 もともとは中山競馬場の前身・松戸競馬場があったところです。官が接収して工兵学校を設置したのですが、その名残はいまも遺っていて、千葉地裁、千葉地検、最高裁松戸宿舎、松戸拘置支所などがあります。



 公園の花壇は色とりどりの花盛りでした。

 園内を突き抜けて松戸駅方面に歩くと、イトーヨーカドーの五階に直結しています。
 五階には生活用品売場がありました。ここでフライパンカバーをしげしげと眺めました。いま、私が使っているのは30センチ用のカバーです。ところが最近は20センチのフライパンを使うことが多いので、ひと回りも大きいカバーはどうにも大き過ぎて使い勝手が悪い。火にかけている間にズルッとずれたり、下手をすると床に落っことしたりします。
 引っ越しを控えている身で、否、それ以前に、これ以上モノは増やさないと心している身で、買うか買うまいかと逡巡した挙げ句、後ろ髪を引かれるような思いで踵を返しました。

 まだ雨にはなりそうもありませんでした。
 もう少し足を伸ばすことにして、また松戸中央公園を横切って国道6号線を突っ切り、岩瀬胡禄(ころく)神社を訪ねました。公園からは徒歩十分。



 この石段を上ると、台地を半周しながら上って行く形で参道があり、結構広い境内でしたが、ここも由緒書きのたぐいが見当たらず、社務所はあったものの、無人だったので何もわかりません。

 祭神は面足尊(おもだるのみこと)と惶根尊(あやかしこねのみこと)。
 本社は東京・南千住にある胡禄神社らしいので、調べてみると、名前の由来は胡粉という顔料のようです。
 現在の南千住ではとても貝などが採れるとは思えませんが、かつては直前が江戸湾であり、そこで採れた蛤や牡蠣の殻を石臼で挽いて人形の上塗り塗料として使っていたようです。
 それ以外には、「よくわからん」というブログが見つかっただけで、よくわからない。

 


 対になった左側、吽形の狛犬です。
 前から見たとき(画像上)は特段変わっているとも思えませんでしたが、横に廻ってみると、丸めた背中が愛嬌があって可愛いかったので、カメラに収めました。

 インターネットをさまよっていたら、狛犬には江戸型、出雲型、佐賀型、浪花型などといろいろな型があるのを知りました。それぞれの型にどのような特徴があるのか、知ったばかりなので、まだ把握し切れていませんが、この神社の狛犬は江戸型なのだそうです。玉取り、子取りという用語があるのも知りました。
 この狛犬は右前脚で玉を抑えています。これが玉取り。

 近場ばかりではありますが、二日か三日に一度は出歩く気になって、それも一万歩以上歩いている自分を振り返って、愕いています。
 ブログをつづけられぬかもしれぬと思った数週間前は非常に体調が悪く、本当に命も終わるかもしれないと思ったのです。
 ただ、瀕死の病人がある瞬間だけ、突然治癒したようにピンシャンする小康状態を迎えることがあるのを知っているので、だからといって安堵はできませんが……。

コメント (2)
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