二十二日火曜日。急な所用ができて本八幡まで行きました。ハローワーク行はまた日延べです。
所用を済ませたあと、まだ午後三時だったので、やる気さえ残っていれば、隣駅の市川からバスで松戸駅まで出て、ハローワークへ行くこともできたのですが、このところは遠近を問わず出かけて、一つ用件を済ませると、ぐったりと疲れ、心の張りも失ってしまうのです。
それに、出かける寸前の体調がやや悪でした。約束をしてしまっているので、よほどひどくない限り行かざるを得ませんでしたが、また軽いながらも偏頭痛があって、家を出て歩き出すと、胸焼けのような心臓の圧迫感に襲われました。おまけにこの日も好天で、カンカン照り。一歩家を出た途端に暑気に中てられたような感じです。
通勤していたころ、最寄りの新松戸駅までは九分で歩きました。この日は余裕を持たせたつもりで十五分前に出たのに、駅に着いたときにはちょうど電車が入ってくる時間になっていました。
自分では以前とは何も変わっていないつもりでおりますが、知らぬ間に足の運びがのろくなっているのです。
ずっと家に引きこもって、パソコンと読書しかしていなかったせいか、眼にいっそうの衰えがきているのにも気づきました。
日中の武蔵野線は十二分に一本しかありません。乗ろうと思っていた電車を逃したら遅刻ですから、走って大丈夫だろうかと危ぶみつつ、小走りに改札口を走り抜けて階段を駆け上がり、エスカレーターも駆け上ってなんとか間に合いました。
空席があって坐れたからよかったものの、心臓はドクドクと高鳴り、呼吸も大乱れです。西船橋に着く直前でやっと呼吸が整いました。
胃潰瘍で入院する直前は、とてもこんな離れ業を演じることはできませんでした。退院後は心臓が高鳴ることには変わりはなくとも、電車が次の新八柱に着くころには平静に戻りました。
それと比較してみると、やはり一度よくなった身体の具合がまた悪くなっているみたいだナァ、と実感することしきりです。
本八幡は久しぶりです。多分二年半ぶり。
前の勤め先で社宅もどきのアパートに住んでいたとき、日用品以外は本八幡まで出ないと揃えられませんでした。ことに書籍、文具のたぐいは前の住居周辺には店そのものがなかったので、ひと月に一度は本八幡に出てきたものです。
所用は二時間で済みました。
初めて訪ねるところだったので、訪問先のホームページにあった地図をプリントして持って出ていました。そこに目印の一つとして八幡社と書かれていたので、小さな社かもしれないが、見るだけ見てみようかと思って足を向けました。
うっかりしていましたが、そこは小社などではなく、下総の総鎮守・葛飾八幡宮でした。
前の勤め先で横浜港へ貨物を取りに行くとき、市川インターから湾岸道路に入るために、この八幡宮の前に出て、京成電車の踏切を渡っていたのでした。
東菅野のほうから入ってきて、ワゴン車では車体をこすらんばかりのクネクネ路地をすり抜け、90度曲がって踏切を渡るので、遮断機が上がるのを待っている間も奥のほうまで見たことがありません。
初めて正面に立って奥まで見通しました。
参道の中間に随神門があります。
その下でハウスレスの女性が坐り込んで煙草をふかしていました。
ハウスレスとホームレス……。
ハウスレスだがホームレスではない人と、ハウスはあるがホームレスの私と、心寂しいのはやはり私のほうか、などと思いながら、そのかたわらを通り過ぎました。
拝殿の写真を撮り、参拝していったん引き揚げかけましたが、拝殿脇に国の天然記念物にも指定されている千本公孫樹(正式な登録名は千本イチョウ)があるのを知って、再び戻りました。
遠くから眺めたときは樹高が高く、枝ぶりも旺盛な樹だなと感じたぐらいですが、根元が見えるところまで近づいて、愕きました。これまでの私の見聞などたいしたことはありませんけれども、恐らく一番愕いたのではないかと思います。
幹周りは10・8メートル、樹高は22メートル、樹齢は? というと、なんと千二百年以上と推定されています。
主幹は落雷によって、6メートルの高さで折れてしまっています。代わりにその主幹を取り囲んで無数の幹が立ち上がっているのです。
感動、といえば感動かもしれない。二の句が継げぬ、というのが正直な思いでした。
この八幡宮が建立されたのは九世紀末の寛平年間(889年-98年)といわれています。樹齢千二百年以上ということは、その前からここにあったということになります。
「江戸名所図会」にも、
神前右の脇に銀杏(イチョウ)の大樹あり神木とす。此樹のうつろの中に小蛇栖(す)めり、毎年八月十五日祭礼のとき、音楽を奏す。そのとき、数万の小蛇枝上に顕れ出ず。衆人見てこれを奇なりとす
と記されています。
本八幡まできたので、また弘法寺へ行こうかと思いました。
私の気に懸かっているのはお寺ではなく、裏の駐車場で出会った野良の猫・虎千代殿です。
虎千代とは私が勝手につけた名前です。私が通りかかったときに奥のほうにいたのを見つけ、足を止めると、近寄ってきてちょこんと坐ってくれました。
ドライキャットフードのミオを持っていればよかったのに、その日に限って持っていなかったのです。そのことがいまだに心残りです。
そのときに撮った画像です。出会ったのは去年の八月三十日でしたから、すでに十か月も経っています。
私にはたったの十か月ですが、猫殿にとっては六倍か七倍、五年から六年に相当する年月が経っていることになります。
むろん私のことなど憶えているはずがない。
私のほうも一度見ただけで、それも仔猫の時代ですから、毛並みは変わらないとしても、風貌が変わっていて、わからないかもしれない。
第一、まだそこにいるかどうか、保証の限りではない。
それに、最寄りの市川駅まではわずか一駅ですが、そこから弘法寺まで二十分近く歩かなくてはなりません。いまの我が身にはちょっとこたえそうな強い西日でした。
また近くまでくる機会はないかもしれないが、今日の日は諦めることに決めました。
寺西化学工業という描画材メーカーが「巨樹と花のページ」というホームページを開設しています。
http://www.guitar-mg.co.jp/title_buck/mokuji/kyoju_and_flower.htm
中に「新日本の名木100選」があって、葛飾八幡宮の千本公孫樹も選定されています。千葉県内では清澄の大杉(鴨川市)、賀恵淵の椎(君津市)と並んで三本。
大きいもの好きの私としてはいずれも見てみたいと思いますが、上記二か所は同じ県内といっても、私にとっては遠いところです。むしろ他の都県ながら行けそうなのは、影向の松(東京都江戸川区)、牛島の藤(埼玉県春日部市)、与野の大榧(同さいたま市)ぐらい。
見に行く機会に恵まれたらブログで取り上げようと思います。