桔梗おぢのブラブラJournal

突然やる気を起こしたり、なくしたり。桔梗の花をこよなく愛する「おぢ」の見たまま、聞いたまま、感じたままの徒然草です。

引っ越し

2010年06月26日 20時48分19秒 | 日録

 今日もまだ命があります。
 命があるからには、早晩引っ越さなければならなくなりました。仕事捜しが思うように任せないとなれば、もっと家賃の安いところを捜さなければならないからです。
 ちょうどそう思っていたところに、また廃品回収車がきました。相変わらず車をノロノロと走らせながら、耳障りなテープの音声を流し、ヤレヤレやっと遠ざかりおったかと思うと戻ってきおって、再びノロノロ……。
 我が庵周辺に定期的に出没する車は三台ですが、中でも一番むかつくヤツがきおったのです。♀の声で吹き込んだテープを流していますが、カマトトぶったモノの言い方で、「○○、デス、○○、デス」といちいち区切っていうのが耳障りで仕方がない。今日はなんと九時過ぎから十時半過ぎまで一時間半もうろついていやがりました。

 いまの住まいは3LDK。独り身なので、使っていないものでも置いておく余裕があります。箪笥、靴箱、テレビ台、畳一畳分もあるダイニングテーブル。
 靴箱とダイニングテーブルは部屋が広くなるからといって、新松戸に越してきたときに手に入れたものですが、わずか二年余で手放さなければならなくなりました。それからなぜか二台ある洗濯機と冷蔵庫、電子レンジ、プリンタの各一台も処分しなければなりません。

 これまでは人生の最期の時のことを考えて、少しずつ持ち物の整理を始めていたのですが、引っ越しとなると、思い切って処分しなければならないものがたくさんあります。しかし、処分は断固松戸市の粗大ごみにお願いすることにして、こいつらには出さないと心に決めています。



 これは永年愛用してきた有田焼の茶筒と清水焼の宝瓶です。高価なものではありませんが、それぞれ一応銘の入った桐箱に入っています。この種の茶筒や急須、湯飲み、ぐい呑み、抹茶道具など、まだまだたくさんあります。
 さらに、いまは亡き両親が結婚記念に贈ってくれた九谷焼の湯飲み茶碗、友人がくれた手作りのワイングラス、かつての相方(妻ではない)と旅行先で求めた会津塗の猪口、最近もらったキイロトリの縫いぐるみ、中日ドラゴンズ関連のこれまた縫いぐるみ……などなど。いずれも思い出の詰まったものなので、処分しようと考えたことはありませんでした。

 一つ一つは小さなものですが、いろいろあると、とても全部は目の届くところに置いておくわけにもいかず、だからといって、ダンボールや小物入れに整理するとなれば、他の荷物の置き場がなくなる。
 どうせあの世には持って行けないものばかり……とは思うのですが。

 引っ越し先を決めるのはこれからですが、多分植木類も処分しなければならなくなるでしょう。
 まさか打ち棄てて枯死させるわけにはいきません。近くの公園か空き地に持って行くにしても、車がないので、一鉢ずつ運ばなければなりません。そうなると、長期計画で臨まなければならなくなります。どうしようか、思案のしどころです。

 松戸市内に住みつづけることは変わらないと思います。ただ、新松戸とはお別れです。

 先日、ボランティアでハウスレスの人たちの支援をしている若い女性と知り合いになりました。余計な補足ですが、若いといっても、私と比較したら、ということです。
 話を聴いていると、そういう方面だけでなく、隣の市川市と較べても、我が松戸市はいろんな意味で遅れていると感じさせられます。市川に較べて税金が高いのにおかしなことです。
 たとえば外国人も多種多様な国の人が住んでいて、中には漢字が読めない書けないというだけではなく、日本語も満足に話せない人も多いらしい。
 そこで私の活躍する場があるかというと、せめて小学生新聞が読める程度に日本語の手ほどきをする寺子屋のようなものができないだろうかという話になりました。
 そういうことのお手伝いができたらうれしいことです。私の心もきっとハリを取り戻して、体調恢復が図れるかもしれません。

 今朝、近くのコンビニ(ローソン)へ公共料金を払いに行こうと思って、一階まで降りましたが、ふと思いついたことがあって、一旦帰宅しました。

 

 すぐ近くにある鐘の下公園という小公園です。前に通ったときに見かけた野良の猫殿がいました。一旦帰宅したのは、ここにいるかもしれぬと思って、ドライキャットフードのミオを取りに戻ったのです。
 一匹だけで生活しているようです。市川大野に棲むオフグの子どもたちとは違って、強い警戒心を持っています。植え込みの下に隠れたまま、ミオと私をじっと見較べながら食べようとはしません。

 私が立ち上がると逃げる素振りを見せました。「そうじゃないんだよ」と声をかけて少し離れると、やっと食べてくれました。
 偶然会えてよかった。帰りも通りましたが、すでにどこかへ行ってしまって姿はありませんでした。「劇団一人」と名をつけました。

 

 これも家の近くの空き地で見つけた桔梗の蕾。
 咲くまでまだしばらくかかりそうです。誰かが植えたのでしょうが、半野草化しています。もう一年も使ってきたのに、我がアザイ・パンタックスは使い勝手がよくありません。
シャッターを何度も半押ししてピントを合わせたつもりなのに、ピントは紫陽花にきてしまいます。

 

 夕方、食品の買い出しに出るとき、回り道をすることになりましたが、またミオを持って公園を覗いてみました。
 朝と同じ場所にはヌシが替わって、こんなんがいました。若草色のものは何かの蓋です。
 朝、「劇団一人」にミオを与えたとき、最初は砂地に置いたのですが、枯れ葉に紛れて食べにくそうだったので、なんだかわからないが砂場に落っこちていたのを見つけて、食器の代わりにしたのです。

 この野良殿も警戒心が強く、私が近くにいるうちは、植え込みから出てこようとはしません。
 野良殿の縄張りは厳然としてあるのでしょうから、同じ場所に出没するということは、二匹は兄弟なのかもしれません。しかし、オフグ一家が一斉に出てきて、一応は仲睦まじそうに食べてくれるのとは様子が違います。
 ともあれ、「劇団一人」は一人ではなさそうなので、最初につけた名は撤回して、別の名を考えなくてはなりません。この黒猫殿の名も……。

 猫を飼っている人が「○○(猫の名)は死ぬときに何も遺して行かないんだよ」といったことがあります。どういう話のついでにそんな話が出たのか記憶はありませんが、ほんに人間というものは持ち物が多過ぎます。
 死ぬときには旅銀といって、三途の川を渡るための小銭が少々あれば充分なのですが……。
 部屋の整理をしていて、あまりにも多くのモノがあるのに閉口しています。一つ一つ取り上げて、どうするかと思案を始めると、つい思い出に浸って、片づけの手が止まってしまいます。

 窓の外の欅の梢で、四十雀(シジュウカラ)と雀が交互に啼いています。
 そういえばこの鳥たちこそ死ぬときには何も遺して行かないのだ、としみじみと思ったりしています。



 新松戸のキョウチクトウ通りの夾竹桃です。二年前、引っ越してきて初めて見たのもいまごろの季節でした。
 この通りがユリノキ通りだと思ったものですから、これがユリノキという樹なのかと勘違いしていました。
 それぞれ樹の形を比較してみればまったく違うことは明々白々なのですが……。まだ一度二度と見る機会はあるかもしれないが、これも見納めです。

 スーパーで買い物している間はなんでもなかったのに、家に帰る途中で急に変調がきました。 甘いものが食べたくなってケーキを求めたのですが、それどころではなくなってしまいました。
 しばらく横になったうちにまた眠ってしまい、午後八時過ぎに目覚めてブログを更新しました。

コメント (3)
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