打越通信

日記ふういろいろ

一心行の大桜

2011-04-17 15:56:00 | 桜前線
駐車場にクルマをとりに行って帰って朝飯を食っていると
「熊本城の桜はもう遅いね、一心行の桜は11日が満開だって、まだ良いんじゃない」
と妻が言う。
出張の疲れを取るのにゆっくりと過ごしたかったが、熊本に住んでいて「一心行の大桜」はまだ見たことが無いので出かけることにした。
阿蘇への道は大津から4車線工事を行っていて、立野付近から4車線になっていた。
立野から57号線から右折して国道325号線を快調に走る。
天気は薄曇りで霞がかかり、阿蘇五岳もかすんで見える。
しばらく走っていると「一心行のさくら」の看板が見えた。
右折して駐車場に着くと福岡や長崎など県外ナンバーのクルマ、その中に帯広ナンバーも見かけた。



桜は満開を過ぎ、かなり散っていた。



それでもこの大桜は人気のようだ、日本人にとって桜はやはり特別な花なのだろう。
散り行く桜もまたひとつ心を揺さぶられる。



風が吹くと花びらがはらはらと桜吹雪に、皆から歓声が上がる。



ゆっくりと見て回っていたら、どこからかカメラ女子が寄ってきてクーの写真を撮っていた。
クーの写真がどこそこのblogに載るようだ。
公園内の事務所のようなところにクーと座っていると、男の子と女の子がやってきて、クーと遊んでいた。



クーもこのあたりは心得ていて、すぐに友達になった。
男の子は6歳だという、ピカピカの一年生だった。
そして女の子は6年生だという、話をしていると、どうも両親が桜祭りで屋台を出しているようだ。
だからこの子達はこの事務所で遊んでいたのだ。
女の子の両親は焼き鳥をしているというので、そこで焼き鳥を買ってクーと食った。
植木のブースもあったので見てみると、ハナミズキ、八重桜などがあった。
お店の人と妻が話をしている。
妻はしだれ桜に心が動いている、私は庭のどこに植えようか一生懸命に考えていた。
思い切って一心行の大桜の初拝見の記念に買った。

早朝の散歩

2011-04-17 07:11:17 | 熊本の風景
先週も月曜日は県南へ、木曜から週末は博多だった。
金曜は早めに事務所を出て駅に向かっているとメールが来た。
博多駅で9時過ぎまで飲んで帰った。
それでも自宅に帰りついたのは10時前、つまり9時台だったのだ、新幹線の恩恵だ。
そういうわけでクルマは駐車場に置いたままだった。
休みの日にかぎって早起きをしてしまう。
6時半過ぎ、クーを連れて駐車場までクルマをとりに出た。
空を見上げると、薄曇りに太陽がぽつんと出ていた。



並木坂あたりも人通りも無くがらんとしていた。







上通り、下通りも人影も少なく、これが早朝のアーケードの風景なのだ。



そんな閑散とした街中をてくてく歩いて駐車場までたどり着いた。
家から約6kmの道のりをクーのヤツ、黙々と歩いたのだった。

インフラ

2011-04-16 17:54:02 | 日記ふう
首都圏の交通マヒの状況は地震と津波の報道と一緒に流れた。
なかなか復旧しない交通インフラ、そして聞きなれない計画停電など・・・。
そして次には福島第一原発の被災状況が伝えられた。
ここでも聞きなれないマイクロシーベルトやミニシーベルトなどの言葉だった。
当初は被害の状況が分からず、そんなたいした事は無いだろうと思っていたが、つい最近レベル7のランクがつけられた。
原子力発電所については東京電力は過去にも隠ぺい工作などあり、一般の私たちには理解しにくい事柄が多すぎる。
しかし国際社会はレベル7をつきつけた。
東京電力からの情報が少なすぎるし、安全委員会なる組織はいったいどういう組織なのか不思議でならない。
震災から1ヶ月が過ぎたが、いまだに原発が原因で手をつけられない状況。。
地震災害に津波災害、おまけに放射能拡散といった状態なのに、「当面は住めないだろう」といった国の長の言葉にがっかりした。
電気、水道、ガスといったインフラに、今では情報といったインフラも含まれる。
情報機器関係の製造工場も富山や福島、茨城などに集中している。
サーバ関連機器の納期に一事はどうなることかと思ったが、今では何とか遅れ気味ではあるが入って来ている状況だ。
今後、夏場にかけて首都圏で計画停電など実施されれば電子機器への対応はどうするのだろう。
自家発電やUPS、ネットワークの迂回などさまざまな対応を迫られるだろう。

そんな甥っ子からの報告だったけど、入社してやっと1年目を迎える頃の出来事、がんばれ淳!
インフラの復旧には時間がかかる、しかし早くしないと復興が遅れてしまう。
だから今からが本当に大変なんだ。

仕事と震災と

2011-04-15 22:49:26 | 淳の不定期日記
どうも。甥っ子の淳です。
お久しぶりでございます。

つい最近まで、仕事に追われていたので日記(?)を書く余裕がありませんでした。

大きな震災がありましたが、なんとか生きてます。
今日はそんな震災のおはなし。


3月11日は、都内大崎の本社には出社しておらず
埼玉の県民活動総合センターで宿泊研修でした。

研修も終盤に差し掛かった頃に、グラーン・・・グラーンと
「なんかユサユサ揺れてる?」
位の小さな揺れがあって、その後ゴゴゴゴゴ・・・とすごい音がして
窓ガラスや椅子が大きく揺れだしました。

幸い全員広場に避難して無事でしたが研修は当然中止。
30分ほど外で待機して、ロビーのTVで信じられない光景が
映っていました。
「ああ・・・ちょっと大きな地震だったな」くらいにしか皆思ってなかったので
NHKの上空からの生放送は衝撃的でした。


関東全域の交通網は全てストップし、
全国からグループ会社の社員が集まっていた研修で
地方参加組は、活動総合センターで一泊ということに。

会社の寮は埼玉県内で、活動総合センターからは20km
寮に住む社員は帰宅指示が出て徒歩で帰宅することになりました。

帰宅途中、一部地域では停電で完全に渋滞しており、タクシーも捕まらない。
道路は、会社員が自宅を目指して、まるで祭りの帰りみたいな状態に。

関東圏の脆さが現れていました。

5時間近くかけて家に帰宅し、幸い部屋や家財に損害はありませんでした。


次の週の月曜日は交通網が麻痺していたので、出社できず自宅待機。

そして火曜からが仕事が地獄に。

コールセンターのアラームが鳴り響き、
お客さんからはサーバやルータの障害の復旧要請、
そして私のような営業マンは1件1件お客様先を回り、
対応策と謝罪ひたすらこなしていました。

コールセンターからのエスカレーションで営業が
客先のサーバ機器類の復旧作業にも駆り出され
徹夜で復旧作業を行ったいの毎日でした。

インフラの片翼を担う会社でもあるので
エンジニアは緊急復旧のため東北地方に回され
残されたのはコールセンター要員と僅かなエンジニア
そして営業、総務などの中枢機能だけ。結果として、
関東圏内のサーバ機器類に復旧は営業たちも駆り出される事態となりました。

それも1週間で落ち着きましたが、関東では物資が足りず、そして連日の徹夜や夜間作業で
疲弊していました。

その後は、現在にいたるまで、大規模震災に備えての
機器の冗長化やUPS手配の要請など、電話が鳴りっ放しで
連日夜中までの仕事でした。

ようやくそれも落ち着き、22時には帰宅できるくらいまでになりました。

辛いけど、震災に遭われた方の苦労を考えると
一社会人としての社会責任を果たすためにも
がんばらないといけないなと、思います。

アクセス

2011-04-15 07:54:04 | 日記ふう
娘のアパートを8時頃出て博多駅に向かう。
次の列車は8時27分発の「みずほ」だった、妻と乗り込み久しぶりの熊本だ。



700系のツバメはケータイやパソコン用の電源が用意されていて、バッテリーの残りを気にせず使用できる。



妻は駅で新聞を買って読んでいる。
約40分足らずの時間なのだが写真の加工、動画の加工など出来る。
当然、文書も書けるわけで約40分の時間を有効に使える。



熊本に近くなると金峰山が見えてくる。
9時熊本駅に到着、連絡通路を通り4番線ホームに着く。
上熊本駅方面への上りは9時20分発、約20分の連絡待ちだった。
しかたなくタバコを吸いにホームの一番端の喫煙所まで行こうとしたら「SL人吉」が入線していた。



新幹線の駅とバックにSLを撮った。



上り列車は約3分で上熊本駅に到着。
そこからタクシーで自宅へ到着、9時半には自宅に着いた。
娘のアパートを8時に出て9時半には自宅でくつろげる。
今までは考えられないことだが、それを実感したのだった。
しかし熊本駅までのアクセス、これが良くなればまだまだいいのだけど・・・。

やかんを求めて

2011-04-14 06:33:27 | 日記ふう
結局、週末は娘のアパートにお世話になった。
お世話になったといっても彼女らは京都にいるのだ。
こんな休日の日にかぎって早起きなのだ。
今朝6時頃に目が覚めた、朝飯食ってテレビを見ているとマスターズゴルフがあっていた。
石川遼が予選を突破した。
世界3大メジャーのひとつで1アンダーでの突破、同じ年のアマチアの松山英樹も1オーバーで予選突破だった。
ゴルフが終わりNHKにチャンネルを回すとやはり東日本震災の状況が写されていた。
震災から1ヶ月が経つがいまだに復興の兆しが見えない。
そんなテレビを見ながらゆっくりと過ごした。

 

京都から次々に写メが送られてきた。
昼前からアパートを出ててくてくとと天神方面へ歩き出した。
そうビッグカメラにEOS5Dの価格をチェックしに行った、しかし状況は変わらず、まだまだのようだ。



昨日の福岡シティといい、この天神といい何処にこんなに人がいるのだろうといった感じだ。
天神をあとにして、知人が送ってくれたやかんを求めて川端方面に歩き出した。
博多座の前に来た、確かこのあたりだろうと細い路地をぐるぐると歩いた。
路地を北に南にぐるぐると、そうローラー作戦だった。
しかし見つからない、それで知人に電話した
「近くに公園があって、○○ホテルというのがあります」
と言っている。



川端商店街の近くに公園を発見、公園は花見の人たちで賑わっていた。



博多小学校の門の前についに発見、玄関の前にやかんがあった。
中に入ってみると割りと狭い店だった、しかし奥にも2階にも席があるのだろう。
気のいい40代のオヤジに何がお勧めですか?と聞くとあれやこれやと言っている。
これくださいとカウンターにぶら下がっているやかんをを指差す。
ビールを飲みながら待っているとほんとにやかんでうどんが出てきた。



そのうどんの麺もそばのような色が入っていて腰の強い麺だった。
釜揚げうどんならず、やかん揚げうどんだ、受け汁には納豆が入っていた。
食っていると客の一人が、近所の人なのだろうPTA関係の話をしていた。
この気さくのいいオヤジ、この地域活動をしているようだ。



そうこうしていると娘から写メが来た、「つるとんたん」だった、あいつらもうどんを食っているのだ。
blogのために行動したことは無い、しかし今日はそのために行動した。
娘のアパートを出て4時間歩き回った。



美野島商店街に戻ってくると、ある酒屋にあの「赤霧島」があった。
買って帰り、午後からはゆっくろとすごした。

やかん?

2011-04-13 07:18:24 | 食事
知り合いから写メが2枚送られてきた。
どうもblogネタにということらしい。
写真をみてビックリ、やかんの写真だった。
こんなのでblogは書けないな、と思ったがせっかく送ってくれたものだ。
メールにはインターネットで「やかん うどん」で検索するように指示が出ていた。
さっそく検索してみると、博多の「博多あかちょこべ」という店で「ずぼら」という人気メニューのようだ。



秋田の「釜揚げ ずぼら」から由来している、やかんでうどんを湯がいてそのまま客に出すという意味らしい。
薬味は納豆やネギ、かつお節、しょうが、そのつけ汁で食べる。
食べ終わったらそのつけ汁にやかんの湯を注いで、蕎麦湯の要領で飲む。
580円の何とも不思議なうどんの話だった。
今度、行ってみよう。

「博多あかちょこべ」
 福岡市博多区冷泉町7
 TEL 092-271-0102


京都のさくら

2011-04-12 06:48:16 | 旅行
木曜日の5時過ぎ妻からメールが届いた。
<博多駅に着いたよ、博多シティの本屋にいるから>
といった内容だった。
仕事を終えてアミュプラ8階のマルゼンに向かう。
初めて入った博多シティのビルだった、スケルトンのエレベータが沢山の人を乗せて上下に動いてた。
8階に着くとなんとも広々とした売り場があった。
ケータイで確認をすると娘もすでに会社から歩いてすでに合流していた。
9階10階の食堂街「くうてんん」にあがってみると、人であふれていた。
行列も出来ている店もある。
娘と駅ビルから出て居酒屋でも行こう、と言うと娘もそっちが良いのだろう、すたすたと歩いてまるでビル全体が居酒屋といったビルに入った。
全国チェーンで安さが売りの白木屋という居酒屋に入った。
私と妻は生ビールを娘はウーロン茶をたのんで、とりあえず乾杯。
娘のヤツ生ビールを持ってきたオニーさんに山のように注文を出している。
妻と娘は明日からの大阪、京都旅行の打ち合わせが始まった。
妻は嵐山や庭寺に行きたいようだが、娘は祇園に行きたいと意見が分かれていた。
ビール2杯を飲み干して、娘は〆に冷やしラーメンをズルズルと・・・。
てくてく歩いて娘のアパートに、その夜は早めに就寝した。
翌朝5時頃に目覚しが鳴り出して、妻と娘は6時頃に出て行った。
私はいつものようにサンドイッチとコーヒーで朝食を食って、シャワーを浴びて仕事場に向かった。

 

 

 

昼頃からケータイにメールが入って来る。
USJや京都の写メが入る。
こちらはというと、週末なので来週の仕事分を今日中に作って若手に指示しないといけない。
一生懸命に仕事をしているのにまったくもって遊びまわっているのだ。
さてさて今日は熊本に帰ろうか、娘のアパートに帰りゆっくりするか考えたのだ。

博多での食生活

2011-04-11 12:10:10 | 食事
朝は前日買ったおにぎりやサンドイッチで朝食を済ませ、シャワーを浴びて娘のアパートから会社に出る。
昼食は近くにワンコインで食べれる食堂を見つけた。
そこは日替わりでカレーやオムレツ、親子丼など出してくれる、小食の私としてはありがたい。
しかし若い連中はそれでも足りないようで680円の日替わりにするとそれにうどんやそばがつく、だから皆それにしている。
ほかにもラーメン店や中華などありその日によっていろいろだ。
そして問題は夕食なのだ。
同僚と飲みに行った時は、博多駅で飲むことが多い、電車通勤の彼らも行きつけの店を持っているのでそこになる。
腕を引かれて行く以外は真っ直ぐに娘のアパートに帰る。
帰る時に娘に電話を入れるようにしている。
すると娘が今日はどこにと言ってアパートから降りてくる。
そんなわけで外食なのだ。



先日は「モツ鍋」ということで近くにある「大石」というモツ鍋専門店へ行った。
予約もせずに行ったが、なんと人の多いこと、平日だというのに満席に近い。
何とか席を確保、オーダーは娘にまかせた、味噌味を選んでいるようだ。
しばらくして鍋が出てきた。



モツとたれが絡んで美味しいのだ。
娘も日ごろの仕事はモニターを監視したり、テロップを作ったりあまり忙しいそうではないようだが、今回の震災では、緊急地震速報や各地の震度情報などあり忙しかったようだ。
自動的に出ていると思ったが、副編集局で確認をして出しているようなのだ。
そしてあのACのコマーシャル、最後のACの音を消すのも彼女の仕事だったそうだ。



そんなバイタリティあふれる娘、翌日は焼肉。
そしてその翌日はカレー専門店。



カレーを頼むとカレーだけだった。
店員のインドの人が気にしてカレーだけなので、ほかにナンとかライスを頼まないといけないと言う。
そんなことは知らない、娘のナンを頂いての食事だ。
いくら出張手当がつくとはいえ赤字の毎日なのだ。

博多での日々

2011-04-10 06:53:30 | 日記ふう
朝6時半くらいに起きて、前日買っておいたおにぎりやインスタントの味噌汁で朝食をとり、シャワーを浴びて7時半には娘のアパートを出て事務所に向かう。



博多駅までてくてく歩いて約20分、それからさらに20分、合計40分くらい歩く。
まったくもって、熊本、博多間より遠いのだ。
しかし歩くことは嫌いではないので、さわやかな朝に軽い運動で事務所に入ると心身ともにしゃきっとなる。



仕事の方はというと、まるまる一日パソコンと向かっているかと思えば、一日中3,4人でミーティングだったりと昼食をとる以外は缶詰状態なのだ。
限られた一日といった時間の中でいかに集中力をあげるかが勝負になる。
だから夕方の6時半とか7時ころに事務所を出るとほっとする。
週のうち3,4日をこちらで過ごすわけで、当初は環境も変わりかなり疲れが溜まっていたが、少しずつ慣れて来た。



事務所を出るとたまに同僚と飲みに行ったり、歓送迎会など以外はそのまま娘のアパートに転がり込み熟睡といった生活なのだ。
だからどこそこに遊びに行ったり、アパートに帰ってきてもblogなど書く元気は無い。
書くことは山のようにあるのだけれど、今日のように精神的な余裕のあるときに書きダメするしかないようだ。
震災から1ヶ月が過ぎようとしている、遅れていた物流も正常になってきているようだ。

それと自粛していた食事の記事も生活の一部だし、そろそろ再開しようと思う。

コインロッカー

2011-04-09 09:23:13 | 日記ふう
今週も博多での泊まり込みの生活は変わらない。
今週で3週目なのか4週目なのかもわからなくなってしまった。
熊本駅を7時43分に出発する「みずほ」にもすっかり慣れてきた。
この時間帯の乗客は非常に多い、三人席の間が空いているだけで、ほぼ満席状態なのだ。
まあ、いつも自由席なので指定席やグリーン車がどうなっているかはわからない。



この日も朝食を食べる時間が無かったので駅のコンビニでおにぎりとコーヒーを買って乗り込む。



私のように車内で軽食をとっている人も多いのだ。
8時17分、博多駅に着き、生活用品のバックをコインロッカーに預ける。
預けるのだが、預け方がわからない、どこにコインを入れたらいいのか、開けようとするがどうしたらいいのかわからなかった。
横におじいさんとおばあさんがやってきて、コインロッカーの中ほどで何かを操作していた、そしてあるロッカーが自動的に開き、その中に荷物を入れていた。



その場所に行ってみると、預け入れか取り出しかの案内がある。
預け入れを選択すると、空いているロッカーの配置図が出てきた、角の覚えやすい場所を選択する。



お金を入れるとロッカーが開き、レシートのようなものが出てきた。
暗証番号のようなものだ、取り出すときはこの暗証番号を入れると、ロッカーの場所が自動的に表示されロッカーが空く仕組みだった。
だからどのロッカーに預けたかは覚えておかなくても良いわけだ、しかし場所だけは忘れてはならない、誰かさんのような方向音痴ではダメなのだ。
それとこの紙だけはしっかりと持っておかないといけないわけだ。
いやはや、田舎者にとって新しい仕組みはそれだけで目新しく移るのだ。
仕事の方は?福岡の生活はどうか?などと声が聞こえてきそうだが、今は事務所と娘のアパートを往復するだけで疲れがピークになってきているのだった。

奥武島

2011-04-08 07:04:35 | 島への便り
沖縄には3回行った事がある。
一度目は仕事で客の社長と一泊二日だった、そして2回目は社員旅行で行った。
社員旅行の時に「おきなわワールド」というところに行ったことがある、南条市だった。
奥武島まであとちょっとと言う場所だ。
そして今から4年前の今頃、ジローの引越しの手伝いで行った。



鹿児島からフェリーに乗り込み、18時に鹿児島港を出港した。
桜島を左手に見て、夕焼けに飛行機雲が綺麗だったことを思い出す。
フェリーの中では初めて会った数名の若手の連中を集めて焼酎を飲んで盛り上がった。
朝になっても大海原の中、朝からビールを飲んでもまだまだ時間はたっぷりあった。
結局、那覇港に着いたのは夜の9時半近かったと思う。
沖縄は遠いと実感した。
彼の車のナビで迷うことも無く、奥武島にかかる橋を渡って、彼の家を目指す。
家は煌々と電気が点いていて、いかにも琉球というおばちゃんが待っていてくれた。
そしてソーキ汁とおにぎりを「お腹すいたでしょう(当然沖縄の言葉だったのでわからない、だからそう理解した)」と言って差し出してくれたのだ。
家の中はいかにも沖縄の家という感じで、その夜は神を感じてあまり寝ることは出来なかった。
翌朝は5時前に目が覚めて、島の周りをブラブラとしたものだ。



朝7時になると大音量で音楽が流れた、「チクタク、チクタク、ボーン、ボーン」といった感じだ。
翌日は荷物が届き、荷物を運び込む、後片付けはジローにまかせ、私とひとみちゃんは買出しに出かけた。
ジャスコだったと思う、カーテンやマット類を買いに行った思う。
そしてスーパーに寄り夕食を買う。
駐車場ではクルマの中から三線の音色が聞こえるは、スーパーに入ると骨付きの豚肉がドーンとおいてあった。
そして焼酎はというと無いのだ、あるのは泡盛だけだった。
買って帰り、ささやかな夕食を食っていると



「ケン、木の陰や庭のベランダのようなところで皆集まって飲んでるようだよ」
と言っていた。
ジローのヤツ、そのあたりの感覚は鋭いのだ。
俺たちも一緒に行って飲もうか、などと冗談を言ったが、彼にすれば明日からがここが住家になるわけだし、気になるのだろう。



ちょっと前置きが長くなってしまったが、私は2泊してヒコーキで帰った。
それから2年目だったか、奥武島の連中を連れて打越町の夏祭りに彼らがやってきた。
シンヤさん、キョーちゃん、ノリさんにノーリさん、ヤスさんにランナーさん、マーちゃん(合っているかな?)、皆元気なのだろうか?
あの時ジローが言っていた
「ケン、木の陰や庭のベランダのようなところで皆集まって飲んでるようだよ」
と言っていたが、ジローはその中に入っていった、そして打越町と交流が始まった。

そんな中、私のblogにも投稿してくれた「泳げない海人」さんからメールが届いた。
blogを開設されたのだ。

http://oujima.ti-da.net/

これからガンガンと奥武島の情報を期待したいと思う。

品薄

2011-04-07 07:55:03 | 日記ふう
東日本大震災の影響は福岡にも出ているようだ。
娘と近くのスーパーに買い物に行ったら、ペットボトルのミネラルウォーターが1本も無かった。
娘も飲料水はミネラルウォーターを飲んでいるようで、毎朝自分用のボトルに入れて持って行っている。
このごろは良く見るとウーロン茶やお茶を入れている。



娘が言うには博多のどこに行っても無いそうだ。
先日、実家に帰ったら、こちらもミネラルウォーターは無かった。
こんな地方都市でも、まとめ買いして被災に遭われた親戚にでも送っているのだろうか。



そしてコンビニでタバコを買おうとしたら、棚にも自動販売機にもタバコが無い。
何とかスーパーのタバコ屋で見つけて買った。
コンビニのおじさんに聞いたら、4月の10日頃から順次人気の銘柄から入荷するそうだ。



入荷が無いから売り切れているようだが、報道各社の「タバコの生産が・・・」の報道に皆さん反応しての買占めも原因しているのかも知れない。
ミネラルウォーターについては被災地区を最優先に考えるとして、自分のための買占めは、こんな時だけになんともいやな気がする。
行ったスーパーではインスタントのたまごスープも品薄だった。
パンや乾電池など、今後も品薄の商品が増えていくと思うが、あくまでも一時的なことなので慌てる必要は無いと思う。
日本は必ず復興することだし・・・。

ふたたび

2011-04-06 07:34:29 | 日記ふう
日曜日は実家から帰った、今日は朝からひさしぶりに熊本の仕事場に出た。
8時20分ころに事務所に入り、ミーティングをして日報を入力して、旅費精算をした。
時計を見ると9時10分だった。
新幹線の時刻表を調べて新水俣駅に停まる列車を探した。
9時36分に列車があった。
3月末というと会社の決算時期なのだ、それでふたたびになるのだ。
急いで事務所を出て熊本駅までの道のりを急ぐ、途中で客に電話をかけ新水俣駅着の時間を伝える。
新幹線に乗ってからでは間に合わないのだ。



白川沿いを歩いていると、工事をしていた。
サイクリングロードの整備工事のようだ。



熊本駅に着き発券機で片道分を買う、しかし領収書が出ない。
窓口に行って領収書を発行してもらうが、時間が無い。
ホームへの長い階段を小走りでかけあがる。
息を切らしながら、何とかさくら407号に間に合った。
さくらといえ、N700系と800系がある。



今日は行きも帰りも800系のさくらだった。
熊本事務所、滞在わずか1時間ということだ。
明日からまた福岡出張になる。
しばらくは熊本の情報を伝えられない事が残念だ。

日本がんばれ

2011-04-05 07:58:38 | 写真投稿
夜の7時半ごろ姪っ子がやってきた。
母の誕生会には間に合わなかったが、プレゼントを持ってやってきた。
夕食とケーキを食って宿題をするといってしばらくは参考書とノートを取り出していた。
しばらくもしないうちに硯と墨汁を取り出して筆で習字紙に向かっていた。
何のことは無い日本だとか熊本などの文字を書いている。
私が何かメッセージを書いたら言うと



なぜか水戸黄門になった。
貸してといって



私が書いた。
姪っ子がこんなメッセージを書いたので、最後にACを書いたらといったら



こんな感じになった。



表題の桜は妻が書いた。



最後は、やっぱり今回の震災復興に向けてこんなメッセージになったのだ。