今日は母ちゃんの誕生日だ。
職場の朝の会で「今日は何の日?」という話があるのだけど、思わず「母の誕生日です。元気なら99歳です。皆様、親孝行してね」と話しました。
すると、なんと、H係長のお母さんも今日だという。嬉しいね。
そして、かつて同じ職場にいて今も懇意にしているAHさんも今日だ。
お誕生日メールを送る。喜んでくださった。
今、母が守ってくれていると思う。
いろんな出会いと、そして、いいことがあると、母が守ってくれていると思うのだ。
つい数日前に次女が話した。
「私が高校生の17歳のときに、お母さんが新聞記事を切り取ってテーブルの上においていたでしょ」
そういうこともあったかもね。
「その新聞記事を読んで、お年寄りに笑顔をと、今の仕事をやりたいと思ったんだ。その記事が今お世話になっているKさんの会社だったの」
あのときの新聞って朝日新聞だったのかなあ。
「ふう~ん、すごいねえ」
その記事の社長のKさんと10年後の今、全く偶然に出会えたのだ。
昨日の大村妹子さんの弟さんのご紹介である。
指宿会の砂蒸し温泉塾でHさんに会って、大村さんと会って、Kさんとのご縁ができた。
あの頃、Kさんの会社はメディアに頻繁に取り上げられていたそうだ。
今、全国展開しているとても素敵な会社だ。
高齢者の笑顔が多くなる会社だ。
もうそういういいことがあると「ああ、母ちゃんが守ってくれている」と思う。
昔、川内の(私の妹のところ)母のデイサービスの施設に行って母と話をして、福祉の仕事を思った次女。
具体的にはKさんの記事で方向性を決めたということ。
ロサンゼルスに勉強に行き、いろんな資格をとり、今。
守られている、ついている、運がいいと思う。
Hさんにも言われたという。
だから、母に感謝だ。
仕事帰りに母の好きだったお寿司を買う。
それをお供えした。
「作らなくてごめんね」と言いながら。
そして、明日がバレンタインデーということで私にまで焼きショコラのお菓子を下さった目の前のTさんとMさん。ありがとう。
「母にお供えしますね」とありがたくいただく。
今、お供えしてあります。
母の誕生日。
1915年、大正4年の2月13日である。
いつもありがとう。
言葉の意味を問えば辞書を引いて「こうして調べる」ということを教えてくれた。
そして、褒めて育てられた。
注意はされたかもしれないけど、覚えていない。
叱られた記憶がない。
「牛や馬じゃないから叩かないよ。人間だから、言葉がわかるものね」ということを言われた気もする。
仕事をしながら私のノートを見てくれた。
1年生になる前だった。
名前ばかりをノートのますいっぱいに書いた。
男子附属小から二高女、鹿児島女子師範に学び、教師になった。
スポーツはバレー、テニス、卓球、水泳…何でもござれだった。
それからの人生は…たいへんだったかもしれない…
今も母のように強く生きなきゃ、負けてたまるかと思うことがある。
学んだものを泥棒は盗めないと言った。
勉強をせよと。
それは勉強もスポーツも技術もだと思う。
母ちゃん、誕生日おめでとう。
みんなが喜んだね。
ありがとう。
子どもたちもTちゃんもCちゃんもKIDもYさんも元気だよ

職場の朝の会で「今日は何の日?」という話があるのだけど、思わず「母の誕生日です。元気なら99歳です。皆様、親孝行してね」と話しました。
すると、なんと、H係長のお母さんも今日だという。嬉しいね。
そして、かつて同じ職場にいて今も懇意にしているAHさんも今日だ。
お誕生日メールを送る。喜んでくださった。
今、母が守ってくれていると思う。
いろんな出会いと、そして、いいことがあると、母が守ってくれていると思うのだ。
つい数日前に次女が話した。
「私が高校生の17歳のときに、お母さんが新聞記事を切り取ってテーブルの上においていたでしょ」
そういうこともあったかもね。
「その新聞記事を読んで、お年寄りに笑顔をと、今の仕事をやりたいと思ったんだ。その記事が今お世話になっているKさんの会社だったの」
あのときの新聞って朝日新聞だったのかなあ。
「ふう~ん、すごいねえ」
その記事の社長のKさんと10年後の今、全く偶然に出会えたのだ。
昨日の大村妹子さんの弟さんのご紹介である。
指宿会の砂蒸し温泉塾でHさんに会って、大村さんと会って、Kさんとのご縁ができた。
あの頃、Kさんの会社はメディアに頻繁に取り上げられていたそうだ。
今、全国展開しているとても素敵な会社だ。
高齢者の笑顔が多くなる会社だ。
もうそういういいことがあると「ああ、母ちゃんが守ってくれている」と思う。
昔、川内の(私の妹のところ)母のデイサービスの施設に行って母と話をして、福祉の仕事を思った次女。
具体的にはKさんの記事で方向性を決めたということ。
ロサンゼルスに勉強に行き、いろんな資格をとり、今。
守られている、ついている、運がいいと思う。
Hさんにも言われたという。
だから、母に感謝だ。
仕事帰りに母の好きだったお寿司を買う。
それをお供えした。
「作らなくてごめんね」と言いながら。
そして、明日がバレンタインデーということで私にまで焼きショコラのお菓子を下さった目の前のTさんとMさん。ありがとう。
「母にお供えしますね」とありがたくいただく。
今、お供えしてあります。
母の誕生日。
1915年、大正4年の2月13日である。
いつもありがとう。
言葉の意味を問えば辞書を引いて「こうして調べる」ということを教えてくれた。
そして、褒めて育てられた。
注意はされたかもしれないけど、覚えていない。
叱られた記憶がない。
「牛や馬じゃないから叩かないよ。人間だから、言葉がわかるものね」ということを言われた気もする。
仕事をしながら私のノートを見てくれた。
1年生になる前だった。
名前ばかりをノートのますいっぱいに書いた。
男子附属小から二高女、鹿児島女子師範に学び、教師になった。
スポーツはバレー、テニス、卓球、水泳…何でもござれだった。
それからの人生は…たいへんだったかもしれない…
今も母のように強く生きなきゃ、負けてたまるかと思うことがある。
学んだものを泥棒は盗めないと言った。
勉強をせよと。
それは勉強もスポーツも技術もだと思う。
母ちゃん、誕生日おめでとう。
みんなが喜んだね。
ありがとう。
子どもたちもTちゃんもCちゃんもKIDもYさんも元気だよ

