自戒をこめて。また、後輩たちの参考になればと思い。
よく講演、研修での講義、防災授業等の出張講義をする機会があります。20代であったJR東日本勤務時代からコンクリート製品会社の協会の勉強会で招待講演のようなものをさせられたこともありましたし、大学教員になってからはその機会も増え、特に東日本大震災以降は相当に機会が増え、私にとっては自分自身の考えを伝える貴重な場にもなっています。
これらの講演は私にとっては「実戦」であり、スポーツで言えば公式試合に相当します。
大学での講義も「実戦」であり、私はそのつもりで日々取り組んできました。
講演、講義する、ということは聴講者との真剣なコミュニケーションです。最近、「コミュニケーション」について考えたり、勉強したりする機会が増えてきました。これまでは感覚でやってきましたが、「コミュニケーション学」なるものもあるようなので、そのうち勉強してみたいとも思っています。
真剣にコミュニケーションする、ということは、自分の世界から相手の世界に一歩、数歩、踏み込んで対話をする、ということです。講演、講義の場合は多数の聴講者を相手に行うコミュニケーションなので、その場の空気を読むのがさらに難しくなります。場の空気をつかめば講演は成功するし、つかみ損ねれば皆にとって無駄な時間になります。
「俺の話を聞け」的な態度は論外ですが、まずは聴講者の皆様が非常に貴重な時間を割いてその場に集まっておられることに敬意を表し、その場を最大限に活用し、有意義な時間としたいと思っていることを表明。表明するからには、そのためのベストを尽くすことになります。
そして、何のための講演なのか、を講演者が十分に承知し、その目的を達成するために手段を選ばずにいろんな角度から情報を提供します。例えば、2/3の仙台での復興道路の品質確保の研修会では、私の講演は、「産官学の真の協働で、コンクリート構造物の品質確保にチャレンジすることは、本当にやりがいのある、重要な取組みである。実践するための種々のツールや、仕組みも整いつつある。後は、関係者のマインドの問題である。スキルは後から自然に付いてくる。動き出せば、世界最高レベルのプロジェクトになる。」ということを伝えることが目的でした。
上記のメッセージを伝えるためには、とにかく聴衆に「共感」してもらう必要があります。自分のメッセージを押し付けるのではなく、聴講者に当事者意識を持ってもらい、心を奮わせてもらい、大きなうねりを創り出す必要があります。 感覚的にではありますが、私は聴衆の視線や雰囲気を肌で感じながら、緩急を付けながらいろんな情報を発信しているつもりです。
以上のような実戦感覚は、練習ではなかなか身に付かず、公式試合でないと身に付きにくいと感じます。真の緊張感の中で養われる感覚だからです。
ふりかえってみると、私の場合は、高校のバスケットボール部の公式試合(私はポイントゲッターだった。ディフェンスとの至近距離での空気の読み合いは今でも体の芯に染みついています)や、日常の講義での鍛錬、そして自分の子どもたちや、その友達たちとのコミュニケーション(子どもとのコミュニケーションが一番鍛えられる)等によって培われた感覚なのだろうと思っています。
もちろん、コミュニケーションは上記のようなものだけではなく、日常のほぼすべてと言ってもよいと思うので、それらのコミュニケーションを真剣に行うことで、場の空気を読む感覚や、必要に応じて場の空気を支配する能力は、どんどんと研ぎ澄まされていきます。
今の私は、フランスで生活しているので、フランス人とのコミュニケーションの場も増えていますが、基本は同じ。もともと、外国人とのコミュニケーションは得意な方ではありましたが、フランス人とのコミュニケーションは容易ではない場合も多く、何度もぶつかっていますが、そのたびに学習し、結果的には良好な関係を築けています。これも毎回が実戦であり、大変に貴重な経験をしているのだな、とこの記事を書きながら認識しました。
結局はいつもの結論になるのですが、日々を真剣に生きるしかありません。真剣に生きていれば、その過程から常に学ぶことができ、それらの集積により「勘」が養われます。
余計なお世話かと思いますが、聴衆の「共感」を呼べない講演、場の空気を読めない講演、をされる方は多々おられますので、後輩たちの参考になればと思い、記しておきました。