教え子というのは教師にとって特別な存在です。
今日、横浜国立大学土木の卒業生からFacebookで連絡がありました。職場で私の話題が出たそうで、懐かしく思い、連絡をくれた、とのことです。たった二年前に卒業した女性ですが。
女性だからうれしいのではなく(本当に)、教え子から連絡をもらえば教師とはうれしいものです。その方は私の研究室の学生ではなかったので、余計にうれしく感じました。
学生と教師という関係は、簡単なようで実は結構難しいのですが、卒業して社会人になれば、皆無条件にかわいくなります。社会の荒波で闘っている同志に思えます。頑張っている様子を見たり、頑張っているという噂を聞いたりするととてもうれしいですし、心から応援したくなります。
なぜなのでしょうね。
学生と教師のときからそのような関係でありたい、とは思っていません。やはり教育の現場では厳しく対面すべきであろうし、真剣に生きる姿を通してしか真の教育はできないというのが私の信条ですので。学生からすると気軽には話しかけにくい存在かもしれませんが、学生からしても卒業すると話しやすくなるのでしょうね。社会の厳しさを知るからでしょうか。
教え子の「子」というニュアンスは、日本以外にあるのでしょうか。愛情が詰まった表現のように思います。
同じ釜の飯を食い、同じようなベクトルで夢に向かうことを心の底で誓った仲間だと思えることが、愛情につながるのでしょうか。そのような仲間がたくさん増えていくことが、以前よりももっと楽しみになってきています。