細田暁の日々の思い

土木工学の研究者・大学教員のブログです。

下町ロケット

2014-02-11 16:02:05 | 趣味のこと

日本出張中の2/7にお会いした、共同研究先の飛島建設のKさんに、池井戸潤の「下町ロケット」を紹介してもらい、成田空港の本屋で文庫のベストセラーになっていたので購入し、機内で一気に読みました。

半沢直樹のことも噂では知っていますが、昨年の前半はテレビを見る余裕など全くなく、また、奥さんも池井戸さんの本は何冊か読んでいましたが、私が本を手に取ったのは今回が初めてでした。

あまりにも面白く、また感動して何度も機内で涙を流しました。私自身も大学の研究室の運営は小企業の社長のようなものだと思っているので、大企業と闘う人間ドラマには心底共鳴し、かっこいい男たちの魂の触れ合いがあまりにも心地よかったです。

Kさんとじっくりと酒を飲むのも今回が初めてでした。今回は、私から研究の打ち合わせ+懇親をすることのお声掛けをしましたが、とても喜んでくださっていました。やはり、直接会って、本気でコミュニケーションすることからしか、何事も生まれません。今回も、いろいろなアイディアが出てきて、お互いの信頼関係も増し、次へつながるよい時間だったと思います。

下町ロケットの主人公の佃の生き様は、私自身の今後の生き方にも示唆を与えてくれるもので、とても勇気づけられました。

夢を持つことって、とても大切なことですね。もちろん、私にはたくさんの夢があります。たくさんの夢に向かって、チャレンジを続けよう、決意を強めてくれる素晴らしい良書でした。 


大雪

2014-02-09 15:49:54 | 職場のこと

まあすごい雪でした。首都圏であのような暴風+大雪を体験したことがありません。なかなかにすごい経緯でしたので、まとめておきます。

2/8(土)に神奈川県の三崎口にて恒例の冬合宿。朝10時から大型民宿の会議室にてゼミで、夕方までびっしりと研究の議論をして、夜は食事会、という合宿です。

天気予報では大雪が予想されていたので、大変なことになるかもしれない、とは思いましたが、合宿は決行。私も久しぶりの研究室ゼミでしたが、OBの大先輩も二名参加され、非常によい議論ができたかと思います。17:00ごろにゼミが終了し、私はタクシーで電車が動いている駅まで移動することを決意。しかし、なかなかタクシーがつかまらず、結局は夕食会にも参加し、19時に民宿をタクシーで出発。私とあと2名が同行しました。

しかし、三崎口近辺の大雪の状態はひどく、幹線道路以外では車が立ち往生しているような状況。私が車を降りて交通整理したりもしながら、21時前に何とか久里浜駅に到着。

しかし、東京電力の電力供給が不安定な状況にあり、京急もJRも運休。どうしようもなくなり、三人で魚民へ。スマートフォンで運行情報等を確認していましたが、結局、電車は動かず、私は瓶ビール一本で結局朝の5時近くまで魚民で過ごしました。もちろん、寝ました。

朝、4時59分発の京急の快特で都心へ。品川でJRに乗り換え、浦和へ。バスを使って実家にたどり着いたのが、2/9(日)の7:15ごろ。母親がわかしてくれていたお風呂に入り、母親が用意してくれた和食を食べ(鯛も焼いてくれた、昨夜の残りらしい天ぷらも出してくれた)、10分程度でスーツケース二個をパッキングして、7:50ごろにタクシーを呼んで出陣。

タクシーの運転手さんがすごく良い人(元体操選手)で、成田空港まで向かうことに。ありとあらゆる手段を事前に調べましたが、タクシーで直接向かうことが最善と判断し、結果的にはその通りでした。

カーナビ、私のスマートフォンナビも駆使して、ベストと思われる道を選びながら行きましたが、何度も車やトラックが立ち往生したり、対面通行が不能になったり。そのたびに私はタクシーを降りて、交通整理したり、みんなと雪かきしたり、車を押したり。

大ピンチを何回か切り抜け、11:50に成田空港に何とか到着。27,000円くらいかかりましたが、大変にお世話になった運転手さんに30,000円をお支払して、がっちりと握手をして、「先生、お気をつけて行ってらっしゃいませ」と、私の父より一歳年上の運転手さんに言われ、ダッシュでチェックインカウンターへ。あの運転手さんは、私の実家のすぐ近くに住んでおられるそうなので、また会うことがあろうかと思います。

そのまま12:55発のエールフランスに飛び乗れば、武勇伝になるところが、なんと乗務員たちも成田に来れないようで、すでに3時間以上、予定の出発時刻から経過しましたが、まだ飛びそうにありません。長期戦だな。

今回の大雪で、首都圏がどのようなパニックになるのか、実体験を通してよく理解できました。高速道路はほぼ全滅。電車がどれだけありがたく、たくましいものか改めて理解しました。

また、成田空港が完全に陸の孤島になることも完璧に理解できました。成田に向かうことも至難のわざでしたが、 成田から脱出することが不可能。これが恐ろしい。タクシーの供給量が全く足りないので、大半の人にとっては、本当に何の手段も無いのです。成田では寝袋などが配られていました。すごい光景です。

まあ、私は何とかパリには戻れるでしょうからいいようなものの、乗り継ぎのある人たちは大変そうです。

二週間の日本出張は波乱万丈でした。今回の出張の総括は別の記事に改めますが、出張を締めくくる最後の成田行きも、あまりにもエキサイティングでした。

人生は面白いね。 


本気

2014-02-02 19:21:18 | 教育のこと

「マネジメント」に関する講演を依頼され、ある会合での講演で話した時に、「マネジメントとは本気でやることである。本気で問題を解決することである。」と話したことがあり、今でもそう思っています。

常に「本気」でやってはいるのですが、今日は学生との研究ミーティングが連続し、特に地域防災の研究をやっている学生たちに対しては、「本気」でやることの重要性をいろんな観点から説明しました。本気でやっていない防災授業など何の効果もないし、本気でメッセージを伝えようとしないと何事も動かない。何事も本気でやる必要はありますが、特に人が関与する問題については本気度が非常に重要になります。

昨日、2/1の示方書勉強会はいわゆるプロの勉強会でしたが、そこでももちろん本気です。プロであれば、本気について説明するまでもなく、皆本気になります。

今日は学生が相手です。本気にさせることも私の仕事の一つです。本気になる必要もないしょーもない研究テーマであれば別ですが、私はすべてのテーマに対して本気でやっている。人間は本気になればとんでもない能力を発揮します。いかに人間のやる気を引き出すか、がマネジメントの重要なポイントであり、引き出す手法はいろいろあるとは思いますが、私はとにかく相手に本気で対峙するしかないと思っています。

さすがに私も学生との年齢は開いてきていますが、結局は本気で直球勝負で行くしかない。相手が響いてくれない場合は、どちらのせいかは知りませんが、響かない相手にケアする余裕はこちらにはありません。まだまだ多くの学生が響いてくれるので、響いてくれる学生を伸ばしていくしかない。

今日は、久しぶりの大学での時間で、学生と接することの難しさを感じました。今日で感覚を取り戻したので、明日以降、問題はないと思います。ですが、やはり若者、子どもたちを育てるということは大変な仕事であり、通常とは異なる感性が必要だな、と改めて感じました。答えは「本気」なのですが、8名の学生たち(2名の留学生含む)に本気に接するのは、容易なことではありませんでした。

明日は、300人の大人を相手に、本気で行きますよー。


日本出張、序盤戦、無事終了

2014-02-01 08:42:26 | 研究のこと

まさに、予定された通りにスケジュールをこなしていっております。両立が不可能と思われた、1/30の鞆小学校の防災授業と、高松でのNEXCO西日本の研修も、奇跡的に両立させることができ、人生でもあまり経験の無い移動経路となりましたが、やはり日本のインフラは素晴らしい。まだまだインフラの整備が必要な地域がたくさん残っています。日本中が生き生きとし、大災害時等における強靭性を我が国が持つためにも、我が国の血管であるインフラの整備、維持管理が強力に推進されていくことを強く願います。そして、私にもできることはたくさんあるので、頑張りたいと思います。

1/28(火)の徳山高専での官学共同研究のミーティングは素晴らしかった。山口県のシステムも山口県らしく前進しており、議論のレベルもどんどんと向上していることに毎回驚きます。たくさんのことを勉強させていただきました。そして、その研究に関わっているM2の高柳君の指導も徳山でできてよかったです。夜の意見交換会も最高でした。

1/29(水)は岩城先生のレンタカーで鞆の浦に移動し、予想外に時間がかかりましたが、車中でもたくさんお話しができて幸せでした。鞆の浦へ岩城先生、林先生をご案内し、さくらホームの羽田冨美江さんとお会いし、鞆小学校、鞆中学校にもお連れし、濃厚な鞆弾丸ツアーでした。岩城先生が帰られた後も、お好み焼き屋ののむら、仙酔島で鞆を味わった後、夕食は羽田ご夫妻と一緒に楽しい団らんをすることができ、家具固定を普及させるための様々なアイディアもたくさん出てきました。その後、翌朝の鞆小学校での防災授業の準備を、卒論生2名ともじっくり議論しながらすることができました。研究指導です。

1/30(木)の午前は、鞆小学校での防災授業。2年連続2回目。全校生徒が相手ですが、1~3年生の低学年と、4~6年生の高学年の2グループに分け、それぞれに対して25分程度の授業を体育館でする、というハードルの高い設定でした。現在提供できる最良の内容を準備しましたが、家具固定の話に加え、大地震時に命を守るための逃げ方「ダンゴ虫ポーズ」を授業に取り入れ、かなり良かったようです。新聞記者も二名来られ、とても興味深く取材しておられました。早速、中国新聞で記事になりました。

午後は、高松での林先生の講演の応援に駆けつけました。福山から岡山経由で高松へ電車で移動。予想外に便利でした。13:37分に福山を出発して、15:05分に高松到着。林先生も出迎えてくれて、NEXCO西日本の車で事務所へ。所長ともご挨拶して雑談に花が咲き、ドタバタと15:30から講演開始。山口システム、復興道路の品質確保への展開の経緯を私が35分程度話しました。我が国の置かれている状況と、進むべき方向性についてメッセージを全力で発信しました。16:10に高松駅へ向けて出発。林先生がその後、山口システムの各論を紹介しました。

16:40に高松駅を出発して、岡山経由で品川に20:56に到着。改札でキムタクとすれ違う。21:40発の高速バスで岩手県の宮古へ出発。思ったよりも快適でしたが、少しシートの形と私の背中の相性が良くなく、完全リラックスとはいきませんでしたが、宮古駅に到着しました。

1/31(金)の朝7:15ごろに宮古駅に到着。同じバスに、指導学生のM2の佐藤君も乗っており、宮古駅でめかぶそばを一緒に食べました。寒い中での立ち食いだったからか、ものすごくおいしく、力がみなぎる感じでした。駅には、私が卒業研究を指導した西松建設の八巻さんがお迎えに来てくれ、田老トンネルの現場へ移動。復興道路の田老トンネルで、覆工コンクリートの品質確保に共同研究でチャレンジしており、相当にすごいです。私の研究室の学生たちが、主担当の佐藤君を中心に入れ替わり現場に入って、宿舎に泊まり込んで、研究を行っています。ですが、やはり現場に来ないと本当の情報が分からない。八巻さんとじっくりと議論することができて、私も100%状況を把握することができました。そしてもちろん、いろいろと議論して研究も大きく推進したと思います。ここでも、佐藤君の指導をすることができました。今回学んだことは、もちろん、2/3(月)の仙台での品質確保の研修会での講演にフィードバックします。

田老トンネルの業務終了後、宮古駅から山田線で盛岡へ。予想よりも早く業務が終了したので、盛岡駅に18:05分に到着。ホテルにチェックインした後、2012年8月に一度訪れた居酒屋に一人で向かいました。大変に食事がおいしかったのを覚えていたからです。岩手の料理と、南部美人の純米吟醸に舌鼓を打ちました。そして、全くの偶然なのですが、隣の席に座られた年配の男性が、私の住んでいた神奈川県の自宅の至近距離の方で、しかもその日の行先も同じ田老(傾聴ボランティアをされていた)、しかもしかも兵庫県の高砂に4年半住まれていた(私の生まれ育った明石の至近)、と単なる偶然と思えないご縁を感じ、話が異様に盛り上がり、3時間くらいお話ししていました。今後も必ずどこかでお会いできるかと思います。

幸せな気分で久しぶりにぐっすり寝ました。

2/1(土)。5時ごろに起床。ゆっくりといろんなことをしながら準備をし、7:57発のはやて号にて首都圏へ。このブログの記事を書いています。共同研究の報告書の作成等、急ぎの仕事もいくつかあるのですが、まあゆったり構えて参りましょう。浦和の実家に立ち寄って、昼食を食べて、午後は東大で示方書勉強会。ごくごく少人数ですが、各自が最前線の研究の発表をして、濃厚に議論したいと思います。私も、自分自身の研究の紹介やフランスで見てきた建築物、構造物の紹介などもしたいと思います。

さて、二週間の日本出張の中盤にさしかかっています。

二週間の日本出張は、もちろん研究三昧ではあるのですが、私の大切な方々に会う旅なのだな、と改めて感じます。もちろん、今回の出張でお会いできない方々もおられるのですが、とてもたくさんの大切な方々とお会いして、たくさんお話しして、私も元気になり、皆さんも元気になります。その結果、いろんなプロジェクトがぐいぐいと前進すれば幸いです。