小京都・中村にある一條神社
みんなから「一條さん」と呼ばれ親しまれている
商店街側から見る一條神社の1つ目の鳥居は直線的で額束のない神明鳥居
2つ目の鳥居は笠木、島木の両端が反り返っている明神鳥居だとか
みんなから「一條さん」と呼ばれ親しまれている
商店街側から見る一條神社の1つ目の鳥居は直線的で額束のない神明鳥居
2つ目の鳥居は笠木、島木の両端が反り返っている明神鳥居だとか
石段を上った正面にある一條神社の拝殿
入母屋造に向拝は曲線が美しい唐破風となっており、一条家ならではの優雅さと品格が感じられる
右側にあった手水舎
ここで手を清めて
コロナ禍の時はコロナ対応で柄杓(ひしゃく)は置いていなかったが今は復活
手水舎の隅っこにあった置物
見ているだけで自然とにんまりと(笑)
天神社/仮殿とあったが、『天神社』は修理中?
ここにかけられていた能面
絵馬の数々が
「合格」の文字
願いが叶って志望校に受かって報告に来たんだろうか?
新たな願い事を託す人も
一条神社の拝殿が開いている時に来た時がなかったような気がする
ちょっと、得したような気分に
ここにも七夕飾りが掲げられていた
なんかすっきりとしていると思って、昔の写真を見てみると
ここにあったはずの『天神社』の拝殿がなかった
2021年7月に撮影した風景
※左側にあった『天神社』を建て替えをしているようです
土佐の小京都・中村
「小京都」とは古い街並みや景観が京都に似ていることから名付けられた街の愛称のこと
起源は室町時代
応仁の乱の戦火を避けるため、関白一條教房公はここ中村(現・四万十市)に中村御所を構えた(現在の一條神社)
都を懐かしんだ一條公は、京都を模した碁盤の目状の街づくりを
昭和21年の南海大地震で昔ながらの街並みはほとんど残されていない
「小京都」とは古い街並みや景観が京都に似ていることから名付けられた街の愛称のこと
起源は室町時代
応仁の乱の戦火を避けるため、関白一條教房公はここ中村(現・四万十市)に中村御所を構えた(現在の一條神社)
都を懐かしんだ一條公は、京都を模した碁盤の目状の街づくりを
昭和21年の南海大地震で昔ながらの街並みはほとんど残されていない
看板猫の「チビ」の姿を見かけんかったが・・
前回、行った時の看板猫「チビ」の写真だけど元気なんだろうか??
町中をちょっと歩くだけで汗が噴き出す
盆地に広がった市街地なので、海辺の町とは暑さが格段に違う
盆地に広がった市街地なので、海辺の町とは暑さが格段に違う
この暑さだと確実に中村は猛暑日(35℃以上)だな・・
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