2012年1月に投稿した記事
懐かしく、またこの人形の事を多くの人に知ってほしくて再投稿です
「ミス高知」と呼ばれる日本人形(市松人形)をご存知でしょうか?
アメリカのカーネギー自然歴史博物館に一体の日本人形があります
名前は「ミス高知」1927年(昭和2年)10月3日生まれ、身長85cm
1927年(昭和2年)
日本とアメリカの子供たちの間で友情の人形交換が行われたことがありました
日米間で移民労働力をめぐって摩擦が生じ、国家間の対立へと発展しようとした事が・・
その時、アメリカの子供たちから約一万二千体の「青い目の人形」が日本の子供たちに送られてきて
「青い目の人形」はいずれも「ひな祭りの仲間に入れてやってください」との友情の手紙を携えていました
これにこたえて、日本の子供たちからお礼の人形・五十八体がアメリカに渡りました
しかし、1941年(昭和16年)
日米開戦により子供たちの人形に託した友好の人形交換のメッセージは砕かれました
その後、戦争の激化により日本では「青い目の人形」は「敵性の人形」として
踏みつけられたり、焼かれたりしました
その中でも「人形に罪はない」と大切に守られてきた人形もありました
高知では室戸市の佐喜浜小学校の「エミリー・キャサリン」など
カーネギー自然歴史博物館にある「ミス高知」は数少ない人形の一つです
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人形大使「ミス高知」関係年表より(抜粋)
1927年(昭和2年)
1月4日「青い目の人形」167体がサオベリア丸でサンフランシスコを出発
1月17日 サイベリア丸横浜入港 以後、続々と「青い目の人形」が送られてくる
10月3日「ミス高知」完成、お披露目
11月10日「ミス高知」など58体の「答礼人形」が天洋丸で横浜港から旅立つ
1941年(昭和16年)
12月8日 日本軍、ハワイ真珠湾を奇襲 米英に宣戦布告
1943年(昭和18年)
2月「青い目の人形は憎い敵だ」の新聞記事がでる
このころ、各地で「青い目の人形」は敵性人形として処分される
1945年(昭和20年)
7月4日 高知市大空襲を受ける
時を経て・・
1975年(昭和50年)
10月 室戸市・佐喜浜小学校の教具室で「エミリー」発見!
1992年(平成4年)
4月4日 人形大使「ミス高知」里帰り推進会議結成
1993年(平成5年)
3月3日 「ミス高知」 歓迎レセプション
4月29日 「ミス高知」さよなら展示(5月4日)まで
66年ぶりに里帰りした「ミス高知」を振り返る雑誌
1993年(平成5年)2月24日 高知新聞社より発行された
海を越え、時を越えてーおかえりなさい「ミス高知」より写真&文献を引用
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今年、92才となる「ミス高知」(亡き両親と同い年)
遠い地で今の日本をどのような想いで見つめていることだろう
日本人はこのような人形を単なる「おもちゃ」とは考えない特別な感情で接してきた
以前はお互い見知らぬ他人でも、昔からの友人のように接してきたはずです
久々にこの雑誌にふれて、人形は何も語らない
でも何かを訴えているような気がして・・
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おかえりなさい「ミス高知」の雑誌の中より
土佐の海から船にのり、遠いお国へ旅立った
つぶらな瞳は何を見た ちいさな胸は何おもた
人形は何も言わないで、静かに心に語りかける
* * * * * * *
遠いお国でくらす日は 雨のふる日があるかもしれぬ
故郷を想う日もあるかもしれぬ
けれど黒髪濡らさぬように けれど瞳を濡らさぬように
* * * * * * *
海のむこうへ行ったなら お人形さんは何して遊ぶ
青い目をした友達と ひとめ、ふためと羽根をつく
今、各地でB級グルメや地産地消などの取り組みがなされている
それはそれで大切な事だとは思うが・・
先人達が遺してくれた大切なものを今一度みつめなおすのも
今の時代だからこそ意味があるように思う
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