銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

電車内での喧嘩を目撃して、考えたこと

2009-03-29 10:33:34 | Weblog
・・・・・日本人が、威嚇とか、敵意と言う暴力を使い始めたとき、未来は、どうなるか・・・・・

 今日のは大変長い話です。そして、暗い、しかも込み入った話となるでしょう。しかし、私がこういうものを書くのは、人間とはどういうものであるかを追求したいからです。ひとえに、そこが目的です。考えることの原動力として、人間存在の根本にたどり着きたいとの願いは、捨てた事がありません。

 東京を夜の十時台に出る東海道線は、横浜で急に混んできます。朝のラッシュアワー並みになります。そのとき先頭車両の、一番後ろのドアー付近にいた私は、車内に、突然、異常な気配が漂うのに気がつきました。みんなが一方向を眺めます。次から次へとそれが、連鎖反応を起こします。しかし、誰も声を上げません。そして、みんなが見つめる方向を見ても、何も聞こえず見えません。電車が走る音が聞こえる以外の音は、何も無いのです。車内の誰も声を出しませんが、それが緊迫感をさらに強めます。

 東戸塚から、戸塚まで6分ぐらいその異様な緊迫感が続き、私は戸塚で横須賀線に乗り換えるのですが、ちょうど、電車が、まだ入線していなかったのを幸いと、前の方へ移動して、何事が起こっているのか確かめようとしました。すると、ドアー傍の座席に、眼鏡をかけて、色浅黒い四十代前半の男性が座っていて、その前に、色白で、目がギョロッとしている美形の三十代の男性が立っています。

その二人の視線が、『殺してやる』と言いながら絡み合っていて、しかも立っている男性の足が、がっちりと、その座っている男性を、囲い込み、一種の囚われ人としていて、彼の方が強くなっていて、座っている年上の男性が逃げられない状態になっていて、それが、なんとも言いようのない不気味さをあたりに与えているのでした。

その瞬間、私はさまざまなことを考え抜いたのですが、それは、後回しにして、実際に取った行動を述べましょう。私は、すぐさま、ホームを走って後ろへ向かい駅員さんを探しました。そして、「大変です。喧嘩をしています。今のところ、にらみ合っているだけですが、どうも異様な雰囲気で、暴力沙汰が起こりそうです」といいました。

 すると駅員さんは、すぐ、どれかの柱に近寄りました。そこにマイクがあったのです。「お客様に申し上げます。今、東海道線の車内で、お客様同士のトラブルがありました。少しの間、発車をお待ちくださいませ」と彼は二回繰り返しました。私は、その言い方にびっくりしたり感心したりしました。ちゃんとマニュアルがあるみたいです。あわてて現場に駆けつけるよりも、15両ですか? 小田原行きの長い長い車両に、ほぼ満員状態で乗っているお客様が優先で、そちらに説明をするのが先なのです。

そして、先ほどの現場に駅員さんと私が到着すると、何と、二人とも消えていました。二人はサラリーマンで理性のある人間で、恥を知るタイプだったのです。この放送だけで、いや、車掌さんが車内放送もしたのかもしれませんが、ともかく、この注意と言うか警告だけで、自分たちの事が言われている事を察して、あわてて、身を隠したのでした。たとえばちょうど反対側のホームに入線してきた横須賀線に一人が飛び乗ってしまったとか、そして、二人目は、後ろの方の東海道線に、乗りなおしたとか、判りませんが、駅員さんと私が到着する、二、三分の間に解決をしていたのでした。よかった。

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 しかし、私が、考えたことはもっと、もっと複雑です。まず、二人が何を原因として喧嘩が始まったかですが、電車が揺れて、ひざがぶつかる程度のことだったと思います。それは、不可抗力でしたが、座っている人間が邪険に、押し返したのでしょう。それを、立っているほうが怒ったのです。
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 その気持ちは、私も鎌倉市内のバスで経験しているのでよく判ります。霊園に向かうバスが、「わかれ道」と言うバス停辺りで90度曲がるところがあって、大きく揺れます。そのとき満員だったために、態勢を保てなかった私が目の前に座っている婦人のひざにぶつかったら、邪険にも手で払いのけられたのです。私はそのときに、すぐ、『不可抗力なのに、そういうことをするのは、よくない』と言う趣旨の事を柔らかめに言いました。

 これは、アメリカではすぐ通用する解決策です。つまり、『言葉(論理)でコミュニケーションをとれれば、誤解が解けるはずで、そうしたら仲良くしましょうね』というのが、アメリカです。多民族国家で、普段『他人は敵であるかもしれない』という発想の元で生きているからこそ、丁寧にコミュニケーションをとろうとするのが、良識ある人間の姿です。

 服部君と言う可哀想な少年が、白いタキシードでおめかしをして、ガールフレンドを誘いにいったときに、家を間違えてしまいました。彼が向かった家の家主は、網戸の向こうから「フリーズ(止まれ)」と叫んだのですが、その意味を正しく取れなかった服部君は網戸内が外からは見えないこともあって真直ぐに進み続け、恐怖に震え上がった家主に、射殺されてしまったのです。家主は無罪になったはずで、服部君のご両親は、やるせない思いで一杯でしょうが、アメリカ人の感覚としては、『言葉で注意したのだから、そこで言うことを聞かないのなら、敵だ』と言うことになるのでしょう。

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 ところが、鎌倉のバス内の婦人は仏頂面をしたままで、謝罪をしませんでした。よく見るとものすごく、変な顔、汚い顔の人です。私は週に二回銀座に行っていて、表情がすこぶる清新な人にばかりあっています。現代アートなどと言う、お金に無縁の世界に殉じている人たちは、総じて爽やかなのです。画家も画廊の人々も。つまり美のシャワーを浴び続けているので、その意味できれいになるのです。比較するとその婦人の表情と肌の汚さ、目の汚さには、はっきりと、気がつきました。『は、はーん。この人は、最近引っ越してきたのだな。高い家を買ってしかも鎌倉夫人と言うブランドを手に入れたつもりになって、すごくレベルアップしたつもりになっている野暮天だ』と思いましたので、気が晴れましたよ。別に対抗するべき人間でもないと。確かに彼女は浄明寺と言う、大手不動産会社が最近開発した住宅地のある、バス停で降りていきました。

 だけど、私たちは女ですし、私の方は、一応言葉で説明をしたので、ガス抜きが出来たわけで、相手をにらむなどと言うことはしないし、二人の間に、あの夜の東海道線車内の男性二人ほどの、緊迫感は生まれず、満員状態のバス内の他人からも、注目を受けることもありませんでした。

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 比較すると、本当にあの夜は異常でした。多分、座っているほうが、普通のレベルからは、桁のはずれた意地悪さんだったのですが、それに対して怒った、立っている若い方が、ものすごい迫力、『それこそ、殺人光線があったら、かくあらん』と言う感じで睨んでいたので、もし、二人のどちらかが、事務用品としてのカッターなどをもっていたら、降車後、恐ろしいことになっていたかもしれないのです。おせっかいかもしれないけれど、私が駅員さんに通報したのはよかったと今では思っています。こうなると、『被害と加害の逆転現象は、あに、青少年犯罪のみならずや』と感じます。大人の間でもどっちが加害者か被害者かわからないケースがあります。

 日本は単一民族の国です。だから、銃は規制下にあり、普通の人は持っていません。だから、ちょっとぐらいの喧嘩なら、怖くないと思うその気持ちが怖いです。人々は慢心しすぎていると思いました。そして、平気で敵意を披露しあっています。それもすさまじく強いレベルで。よく女性仲間と話し合うと、今、65歳以上の人と、それ以下の人は、画然と性格やら行動に違いがあるとみんな、いいます。それ以下の、三十代、又は、四十代もまるで、また、違ってきています。

 マスコミがヒステリックなのも困るけれど、普通の人も、気をつける必要があります。誰かが、指導をするべきです。もう少し、他者に対するつつしみとか、礼儀を人々がマスターしないと、日本も危ない国になるでしょう。

 そして、『こういう現象を、もし、策略として使われたら、怖いなあ』とも思いました。ある人をわなにはめるために、あの立っていた青年のように、執拗に追い詰める存在を、ぱしりとして使ったら、落ち度のない男性を破廉恥罪(人を殴るということ)の加害者へと、仕立て上げることが出来ますので・・・・・

 最後になりましたが、誰が何のために、そういう企画を立てる可能性があるかと言う点についての考えは、ここでは、口にチャックとさせてくださいませ。

  2009年3月29日        雨宮舜 (川崎 千恵子)
コメント (2)
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