銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

MJピレシュの美しい演奏を、自覚的に聴く幸せ。そこに、小さいけれど確かな、天の采配を感じる私

2015-06-07 11:24:30 | 政治

 この章もツィッター方式で書かせていただき、書けた内容に応じて、総タイトルを変更する可能性はあります。『最初は、『今、ブレンデルの40年前の録音を聴いているのだが』でしたが、二回目のもの『MJピレシュについて偶然の一致に驚く』へと変更をし、さらに三回目のもの『フジコヘミングが今荒れた演奏をするのは、夫が悪いのだろう。愛着障害があるので、・・・・・』とし、一時間だけ、『極端な睡魔に襲われ、五時間も寝た。なぜだろう』にしています。また、それを、三回目のものへと戻して、一時間がたった後で、五回目のもの『錦織圭や、福原愛の成功の裏に、敗戦ショックが無かった可能性を感じる』へと、変更をしています。で、7日の午前4時に最後のものへと変更をしました。

副題1、『鎌倉は、天気晴朗にして波静かだ。ホッとする。2015年6月7日よ』

 今朝は、午前2時半に寝て、午前7時半に起きました。五時間の睡眠です。頭脳は晴朗に働く感じがあり、外を見ても天気は良いです。昨日は、土曜日でしかも、大安だったので、鶴岡八幡宮で、結婚式を行っている気配があり、その音曲が聞こえてきました。先週の土曜日ですが、同じく結婚式があり、その後の披露宴を駅前のレストランで、行っていて、花嫁さんがお色直し後の、カラフルな打掛姿で、レストランの入り口で、お客様をお見送りしていました。しかも、同じカップルだと思うのですが、二次会には、友人だけを招いて、別のレストランで行い、そのお客様だと思われるブラックスーツのイケメンが、小町通りをたむろしていました。それを見ていると、今は、40代である、私の子供たちが結婚式を行ったころを思い出します。娘の方など、三次会まで、行って、夜の12時ごろまで、皆様とお付き合いをしていて、大変だったでしょう。

 「それを、私が、自分で言ってはおしまいかな?」と言うほど、ぶっちゃけて言ってしまえば、先に東京で行った娘もきれいだったし、次に横浜でそれを行った息子の花嫁さんも、きれいでした。親の援助は何も請わずに、立派な、結婚式と披露宴を挙げてくれました。両方とも有名な会場で、しかも、200人近い(または、越えた?)出席者のある披露宴でした。

 その時の写真をここに添付すれば、皆様も、「あっ」とおっしゃるだろうと、言えるほどのレベルで、二人の花嫁さんは、きれいでした。そして、それから、数年後の今、孫にも四人恵まれています。だから、ある側面だけを取り上げれば、私は恵まれているのです。父に感謝しないといけません。父があの頃言いたかったことを意訳すると、「女として、お前は、それほどの、上玉ではないから、=美人ではないから= 若いうちに結婚をしないとだめだ。絶対に処女のうちに」と言うことでした。そこまで、具体的な言葉ではありませんが、そういうことです。

 しかし、今の親は、そういう言葉を娘に対して、吐くことができません。社会の文化がまるで、変わってきていて、処女であることなど、結婚の条件でもないし、また、適齢期もありません。だから、かえって、女性が守られていないと感じます。今では、ちょっとしたお宅だと、女の子も大学へ行かせます。東京圏のちょっとした住宅街に住んでいると、小学4年からお受験態勢が始まり、中学一年の時に、有名私学へ進学すると、あとはところてん状態で、有名大学まで進学します。そして、当然の事、就活も競争原理の中の一つだから、挑戦することとなり、有名なところを目指します。一部上場の大手企業などにお勤めすると、もったいなくて、なかなか、辞められないとなりますね。それは、結婚をしていてもいなくても女性にとっては、ヘビーデューティであり、50年前は、それが、当たり前だった女性の生活スタイルとは、まるで、異なってきています。

 私達は、夫婦そろって、それが危ないと、感じている存在です。だが、たまたま、自分たちだけは、子供たちが結婚するまでの通過儀礼を無事に果しえました。だから、その面では、恵まれているのです。しかし、私にも不幸と言うものもあって、それは、人並みに感じてきています。そして、特に、2007年ごろから、顕著になったパソコンの異常を、メルマガ、または、ブログで書くことによって、どんどん事態は悪い方へ発展をして来て、とんでもないところに到達しています。

 6月6日の土曜日に秋篠宮・佳子様が、山口県をご公務として、訪問をされたというNHKニュースを見ながら、『また、この件で、一文を書かないとならないなあ。やれやれ』と思っているのですが、2007年ごろから、2011年ごろまで毎日これは、【<殺されるに等しい事ですね。それほどの、労働が防衛上必要です>と言うほどの、防衛策を講じないと生きていかれないほどのひどいこと】が連続して起こりました。

 それに対して、少しずつ、少しずつ、戦ってきて、今日があるわけです。彼ら、敵さんたちは、決して休むことはないから、今も遠くで、何かが準備されている事でしょう。だが、鎌倉の我が家近辺は静かです。午前中にケルヒャー(高圧水で、家の壁などを洗うもの)を使っている音が聞こえましたが、それ以外は、静かです。その中で、ウォームアップを兼ねた園芸作業をして、終わって、さて、と、落ち着いた気分で、アマゾンから届いたブレンデルを聞いているところです。テンポは好ましいと思っております。

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副題2、『NHKクラシック倶楽部の中に発見をした偶然の、一致・・・・・MJピレシュを、初めて自覚的に発見する』

 さて、これから先ですが、政治に向かう文章として進むこともできるし、音楽に特化する文章として書くこともできるのですが、最初の部分では、音楽と、政治を混在した書き方にしておいて、後で、政治に向かっていきます。お付き合いくださいませ。私は6月1日のスティーヴン・オズボーンと言うイギリス生まれの若手ピアニストが武蔵野市民文化会館で、演奏した物を放映するNHKクラシック倶楽部で、かれが、冒頭に、シューベルトの即興曲142番の第三曲を弾いたので、感動して、すぐさま下の後注1の文章の、特に副題1の部分を書きました。その次の日、『それの校正をしましょう』と思いながら、『でもこの文章は短いし、政治的なものでもないから、軽い仕事ですね。じゃあ、今日のクラシック倶楽部を聴きながら、校正をしましょう』とDVDレコーダーを開くとマレー・ペライアのサントリーホールでの独奏でした。これは、既視感があるので、何回も、再放送をするのですね。でも、再放送に耐える良い演奏でした。ただ、音楽の専門家ではない私はペライアが、現代を代表する有名ピアニストであることを知らず、したがって、これも、仕事をしながら聞いていたので、不注意にもその最終曲が、シューベルトの、即興曲90番の第2曲であることを、その時以前までは、見逃しておりました。しかし、二度目として聞くので、前よりは入魂の度合いが強かったらしくて、文章を推敲しながら聞いていても、それが、シューベルトの即興曲であることは、わかり、慌てて画面の右上の白抜きのテロップ(曲目が演奏中にも出ている)を見ると、確かに、シューベルトのそれであることが解りました。なんという偶然の一致だろうと、喜んで、副題2以降を、後柱一の文章の中に書き加えることとなりました。

 しかし、本日取り上げる問題は、別の事、MJピレシュに関する偶然の一致です。それにもひどく驚いたということを申し上げないといけません。6月3日の水曜日に、もし、クンウーパイクのシューベルト、特集凸版ホールの再放送があったとしたら、『クラシック倶楽部でさえ政治的に利用をされているとなるのですが、さすがに、三連続で、シューベルトの放映は無くて、3日は、メネゼスと、ピレシュの、チェロ協奏曲でした。

 これも、既視感がある演奏会で、以前放映をしたものを再放送するという形だったと思います。以前聞いた時もよい演奏だという自覚はありました。どちらかと言うと、チェロのアントニオ・メネゼスを、主役扱いをした演奏会だったと思います。それは彼がピレシュよりも7歳年上だということもあり、また、各種コンクールで、優勝をしているという履歴上の華やかさがあるからだと思います。一方のピレシュの方ですが、コンクールの優勝歴はありません。

 ピレシュは、1944年生まれですから、2013年で、3月13日で、すでに70歳を超えております。でも、老人とはとても見えない美しい面立ちで、品が良くて、ピアノ演奏も、静なかがら、惹き込まれるほどの魅力がありました。後でトリフォニー・ホールに電話をかけて、それを知ることとなるのですが、ピレシュさんは、人気があり、このホールで、3階ですが、最前列が取れたので、楽しみです。当日行って、『当日売りを買いましょう』と言う様な準備では、とても取れない切符らしいです。

 そして、大変人気がありますと聞いてから改めて録画を見直すと、彼女が登場する際(第二曲目として登場)大きな拍手が沸き起こりました。普通、終わった後に拍手が起きるものですが、登場する際にもこれほど、大きな拍手が起きるとは、本当に人気が高いのだと知ります。

 彼女は、白人で、しかも70歳を超えている女性としては、太からず、やせすぎでもない見事に美しい体型の持ち主ですが、・・・・・あ、そう言えば、フジコ・ヘミングは、太りすぎですね・・・・・衣装も、本人の人柄と、自信を示す様に、驚くほど地味目のものでした。まず、薄い絹地らしいTシャツ(グレー)を着ていて、肩を隠しています。見せても、美しい方だと、推察できますが、高齢であることを自覚した、つつましい姿です。そのうえに、厚手の黒い生地でできたジャンパースカート風のものを着て、しかも、メガネをかけての演奏です。髪は、ベリーショートで、3cmぐらい。

 この演奏会は、2013年3月13日に録画されています。で、何度も放映をされていて、私には、既視感があるのですが、『よい演奏だった』と言うだけで、すぐ番組を消去してあります。それは、音楽の専門家ではないので、それほど、こだわらないからです。その時(=前回聴いた時)も、ピレシュの名前を憶えなかったほどです。

 でも、久しぶりにテレビ録画で聞いた、シューベルトの即興曲ですから、自分が持って常に聞いているレオンスカヤや、るぷーのものではなくて、他の演奏家のものも探してみたいなと思って、久しぶりにアマゾンを開いたのです。

 その時、マリー・ジョアン・ピレシュ(または、ピリス)に対する評価が高いのを知りました。しかし、上で言っている墨田トリフォニーホールの演奏会の録画をすでに昔に聞いていて、いい演奏だなと思っているのに、その演奏家の名前を憶えていなかったので、買うのをやめて、ブレンデルと、内田光子を買ったのでした。ところが、3日のBSプレミアムを見て、びっくり仰天します。そこに、ピレシュが出てきたからです。

 しかも、ピレシュのCDを高く評価する中に、フジコ・ヘミングの生演奏と比較をしたものがあって、フジコの即興曲はたどたどしくて、良くないと書いたものさえありました。それは、そうでしょうと思いますが、ともかく、昨日と、一昨日にネットで高い評価を受けていた女性が、テレビに登場したので、偶然の一致に驚いたのです。と言うのも、放送の予定は、私のブログに関係なく、以前から決まっていたと思うので、これこそ、一種のチャネリングでした。今、チャネリングと言う言葉はあまり使われなくなっていて、シンクロとか言われていますが、偶然の一致を指します。しかも、とても意味のある形での偶然の一致を指します。

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副題3、『フジコヘミングの演奏が、今荒れているのは、現在の夫の金づるとして、酷使をされているからだと、私は見ている。彼女には、愛着障害があると思われるので、夫からは、逃げられないのだ。気の毒に。それは、内田光子と比較をすると、気の毒な限りだ』

 見なさまは、フジコヘミングが、小田急の線路のそばの大きな家で、猫に囲まれて、静かなそして恵まれない生活を送っているNHKのドキュメンタリーをご覧になったことがあるでしょう。私はNHKの、誰かが、下北沢に住んでいるのか、または、NHKの特に音楽分野に影響力を持つ、事物が下北沢に住んでいるのではないかと思っています。

  すみませんが、ここまで書いたところで、午後の4時でした。普通は、そんな時間帯に眠くなることがないのですが、本日はどうしてか、極端な睡魔に襲われ、五時間も寝ないといけませんでした。どうしてこうなるのかは、次の章で、語るとして、ともかく、一時間ほど、家事をして、食事をさせてくださいませ。そのあとで、夜10時から再開をいたします。

 で、フジコヘミングに戻ります。下北沢の自宅で、猫に囲まれて、とつとつと、しかも、きつい物言いで、きっぱりとして、自らの人生と、人間について語るフジコの姿は、大勢の人間に感動を与え、劇的な再デビューが果たされました。彼女は子供時代にすでにデビューを果たした後で、東京芸大にも学び、ベルリン音大にも留学しているので、若い時期にデビューを果たしているのです。ただ、節目節目で、思いがけない不幸や、不運が重なっている劇的な人生なのでした。今、wikipedia を見ると、年齢が不詳となっていますが、75歳を超えていることは確かです。戦争の影響で、白人であった父の保護が無くなり、かつ母が、単純な形での、ニッポンのおかあちゃんではなかったので、フジコは、一種の愛着障害を持って育ちあがっていると思われます。

 演奏家として、一芸に秀でるためには、小さいころから訓練を課さないといけないので、親が、たいていはきつい人が多いのです。婉曲に命令しても、どうしても親優位で育つのでした。親の方に理想があるのはいいのですが、それで、子供が幸せとは限らないケースがあるのです。森麻季さんなど、幸いに結婚にも至り、幸せそうですが、一時期楽器演奏者としては行き詰った時期もあったのですよね。幸い、方向転換した先のお歌が楽しかったので、救われたみたいですが。

 五嶋みどりさんも、NYデビューを果たすために、父との交流が小さいころから奪われ、かつ、お母さんは、別の男性と再婚をしてしまったので、かわいそうで、見ていられない部分があります。こういう母親たちは、自らのDNAおよび、子供のDNAの優秀さを信じていることは確かですが、と、ともに、明治維新と、第二次大戦での敗戦と言う二度の、革命(?それは、歴史学上では、革命とは呼ばれていないが、階級間シャッフルが行われたという意味では革命であった)を通じて、階級間移動が可能になったことも大きいでしょう。女性にとって、舞台上で、ソリストとして、演奏するというのは、最高の名誉と成功のあかしの如く見えます。一般的に、少女とは、子供のころ、お姫様の、絵をノートの余白などに描くのが好きです。お姫様の制度は、日本では、皇室を除いて事実上なくなったのですが、舞台上で、華やかなドレスを身にまとい、1000人以上の注目と称賛を浴びながら独走をするというのは、お姫様の代替スタイルと言っていいでしょう。

 しかも、子供の頃なら、ご近所でレッスンを受けるとすると、5000円から10000円で、レッスンが受けられます。これは、ちゃんとした会社に安定的に努めている父親がいる家庭なら、出費可能な金額です。だから、誰にでもとっつきやすい目標となります。フジコヘミングや、五嶋みどりは、そういうレッスンから始まったとしても、突出して才能があったわけで、成功したソリストとなれたわけですが、

 フジコが結婚をしたと、聞いた時から、ちょっと心配はしていたのです。内田光子が結婚をしたのは、それにふさわしいお正として輝いていた時期であり、相手は、外交官で、自分の立場や、収入がある人でした。こういう人と結婚をするのが、芸術家には最もふさわしい形ですが、

 フジコが再デビューを果たした時に、すでに、60歳を超えていました。そこに有能なマネージャーとして、ドイツ人の青年が近づいてきたのです。ドイツで演奏会を催した時などに、知り合った男性だと思われます。フジコは、ドイツ語が自由自在でしょうし、外人は愛情表現が派手なので、恋愛を、仕掛けられると、ぽんと参ってしまって、乗ってしまったのだと思います。だけど、こういう有名女性の、結婚って、目的が、高く、美しくないと、お金儲けに、堕落しがちです。結婚の目的の最大のものは、子孫を残すことです。しかし、フジコと現在の夫が出会った時に、年齢差が大きく、また、忙しいフジコが、子育て(養子をもらったとしてもですが)に入るわけはないので、それがありません。しかも、家は下北沢にあり、かつ、演奏会を行い世界中を旅するわけですから、ホテル住まいは、長期にわたり、家を建てるとか、家を買うという目的もそれほど、大きくないでしょう。

 すると、現在の夫に、遺産相続として残す資産を形成するという目的で、演奏活動を行うことに移行する可能性は生まれるのですね。誰が考えても、有能なドイツ人で、現在40代である男性が、現在70代の妻が80代になった時に、かの女と、一緒に暮らして、その老後を、静かにスイス等の、避暑地で、過ごすとは、考えられないです。

 さきほど、wikipedia を見ていて、彼女は今、梶本などの音楽事務所には所属しておらず、個人事務所を立ち上げているみたいです。つまり、辣腕の夫が社長をしている会社です。そして、日本で、年間10~20回、海外で、年間10回~20回の演奏をこなして荒稼ぎをしている最中ではないかなあ?

 フジコが、NHKドキュメンタリーに出てきた時より、二倍くらいに太ってしまったのも、精神的に安定管を得たからともいえます。夫が居て、初めて愛されることを知り、孤独をいやされたからだとも言えます。だけど、反対に、極論を言えば、金の卵を産む、アヒルとして、フォアグラ生産用に肥え太らされているとも、思われるのです。つまり、ホテルで、美食三昧を続けている。つまり、甘やかされている。そういう生活だと思われるのです。

 これが、本当に愛情ある夫婦で、しかも対等の関係だったら、「少し、体重制限をしようね」とかいう筈なのですが、フジコのきっぱりとした断言としての物言いは、あれほど太ってしまうと、ただふてぶてしいという事となってしまいます八代亜紀が、結婚を発表し相手はマネージャーでした。しかし、その相手は、昔から彼女を支えてきた人間です。しかも、八代亜紀は、老後におむつを取り替えてもらう相手として、彼なら恥ずかしくないと、思って結婚をしたと言っています。それは、子供のいない夫婦としては、とても、素晴らしい目的です。だから、これは、安心です。

 私は、予知能力が強いのでフジコの結婚を聞いて、相手がまだ、30代のドイツ人マネージャーだとも聞いて、ひどく心配したのですが、演奏があれてきていると聞いて、やはり当たって来たなと思っている次第です。一方で、フジコがマスメディアに乗った成功者なので、傲慢になっているという側面もあるとは、思います。だが、ここで、私が取り上げている結婚生活の中で、夫婦単位で向かう目的が、真に正しくないということも、一部として寄与しているでしょう。

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副題4、『本物を志向する私にとっても、あのフジコの手芸を多用した衣装の意味が解るがゆえに、演奏があれてきたのが残念だ』

 副題3、で、フジコの演奏があれてきたことを心配しています。墨田トリフォニーホールと言う独自路線を貫くホールを愛好する、真の音楽好きに、評判が高く、人気が高いMJピレシュが、黒とグレーと言う地味極まりない(だけど、買うとしたら高いものであろう)ドレスで、メガネをかけて演奏をしたのに比べると、真の音楽好きにはだめだよ。フジコ』と言われてしまう最近のフジコが、手芸を多用した一種のロリータファッションで、舞台に立っているのを見ていると、、また、これも、かわいそうで、たまりません。

 ピレシュの私生活は知りません。だが、カップルで活動をするケースが多い、欧米で、独身であるのは、マイナスなので、当然の事、誰かと結婚をしていると考えられます。今、初めてwikipedia を見て、NHKのスーパーピアノレッスンに出ていたそうです。残念、それは見ておりません。だが、ソプラノのそれを見ていて、おもしろかったので、ピレシュのそれも、好評だったのでしょう。しかも、親日家なのですって。だから、大人気なのですね。ピレシュに対して、充実したwikipedia gが立っていたので驚きました。たとえばホロストフスキーなど、立っていないでしょう。きっと。と、言って念のために調べてみたら立っていました。だが、NHKで、スーパーオペラレッスンをやった(たまたま、それは、私も見ていた)バーバラボニーについては、充実したwikipedia が立っていないことと比較をしてみても、驚くべき内容の詳しいwikipedia であって、ピレシュが、人気があることが解ります。でも、私もその一人ですが、一般の日本人の中における知名度を比較すると圧倒的に、フジコの方が上でしょう。

 で、ピレシュが落ち着いた衣装で、しかも眼鏡をかけて舞台に立っていたのと比較をすると、フジコは、手芸作品風の手作り衣装で舞台に立っています。たぶんですが、フジコ自らが作っていますね。私も手芸が好きで、ちょっとした時間に、刺しゅうなどをして、服を、レベルアップすることをやっています。特に最近のものは天然素材のものが少ないので、昔買ったウールと木綿の服に手を加えて、ちょっと今風にして愛用をしています。洋裁が自分でできるとブランド物など、高すぎることが解りますし。そのうえ、何か別の事(私の場合は本作りと現代アート)をやろうと思ったら何かの部分で節約しないとだめですから。

  で、フジコは、下北沢で逼塞をしていた時代に、アクセサリーを作ったり、こういうドレスを作ったり、絵を描いていたりして自分を慰めていたのです。創作とは、最も大きな快楽だそうです。それがあれば、一人で孤独であっても生きて行かれるのです。もちろんのことお金は必要だから芸大での彼女はピアノのレッスンはしていたと思います。そして、美術系の才能は、父親譲りでしょう。そして、太ってしまったフジコにとっても、そういう手作りロリータ風ファッションは体型をカバーしてくれる良いものです。だけど、地味目な服で、メガネをかけて演奏しても大拍手を受けるピレシュに比較すると、そのファッションは、気の毒と言う風に見える服装になってしまっています。と言うのも倹約したいというつつましい心から発生したファッションが、今では、セールスポイントになっている悲しさを感じるからです。ちょっと、方向性が違ってしまっているので。

 演奏が良ければいいのですよ。だけど荒れていると聞けば、なるほど、いろいろなことが悪い循環に入っているのですねと、思われ、それには、梶本などを離れて、個人事務所を立ち上げたことと、30歳も年下である夫がマネージャーであることの弊害が、発生していると感じるので、残念でもあり、かわいそうでもあります。愛着障害とは、現代の様に高度に発展をした日本社会では誰だって、多少は持っているものですが、フジコが夫に対して、「もっと、演奏会の数を減らして」と、言えない雰囲気に陥っていると、推察され、かわいそうに思います。私の方がフジコより年下ですが、真実、可哀想に思います。

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副題5、『錦織圭や、福原愛の成功の裏に、敗戦ショックが無かった可能性を感じる』

 さて、女性のクラシック演奏家、および、歌手はお姫様願望の変形として親、と、本人が一体となって形成されると、上で、私が申しています。そこには、潜在意識の中での飢餓とか、渇望感とか階級移動への希求が隠されていると思います。だから、同じ程度の、才能があってもハングリー精神がない場合、そこまでの訓練を子供に課すかどうかについて親は悩むでしょう。私の姪の場合ですが、両親が二人とも働いていて、しかも高給取りです。だから、バレリーナにしても、経済的には大丈夫だと、言う立場でした。そして本人にも運動神経もあり、何よりも体型が小さくて、柔軟なので、女性バレリーナとしてふさわしい体型だと先生にも言われていたらしいのです。母親も小さいころからバレーを習っているので、夢を実現させてもらいたいとも思っていたでしょう。だけど、大バレリーナに、もしなれなかった際の、将来を見通すと、それが幸せか、どうかについて、両親は悩んだらしいのです。で、小学校四年生ぐらいで、お受験体制に入ってしまいました。

 ハングリー精神と言うのは成功と言う意味では大切で、山口百恵などにはそれが、はっきりとあったのです。しかも、彼女は賢くて、幸せとは何かを追求するという意味で、見事な人生設計を成し遂げました。私達は最近の彼女の姿をテレビで見ることはないけれど、安心していることができます。

 ところで、アスリートの場合ですが、中にはハングリー精神があって、それで、強くなったというケースもあるでしょう。しかし、不思議なことに、今最も輝いているスターの場合、ハングリー精神が実家にはなかっただろうと思われるケースを二つ見つけてあります。それは福原愛ちゃんと錦織圭選手です。本人の意思でそれを選んだらしいのですが、非常に幼い時期から、もう訓練を重ねて、プロのなることを選び、かつ両親がそれに反対をしていません。

 たまたま、この一文を書く為にwikipedia を確認をして、愛ちゃんのお父さんが破産をしたことなどを知りました。ただし、それは、愛ちゃんをあれほどの大物にするために、腐心をした結果、事業などをまじめに行う時間がなかったとも言えるので、愛ちゃんが小さいころにも、貧乏だったとは思えません。錦織選手もそうです。中流家庭の出身です。

 愛ちゃんの方は仙台市青葉区の出身なので、実家で祖父母あたりが空襲に出会っている可能性はあります。だけど、土地は失っていないので、家を建てて復興することは、満州から引き揚げて来るよりは、楽にできたでしょう。それに、両親は、仙台氏青葉区には、成長してから移り住んだとも推察され、そうなると、ますます、空襲等の第二次大戦の敗戦による被害とは無縁です。

 松江市の方は、空襲も受けていません。また、愛ちゃんも、圭選手も祖父の代が、戦死する可能性のない年齢世代であって、それは、結局のところ曽祖父の世代も第二次大戦では、戦死する可能性の少ない世代だったということになると思います。で、一族に戦死者が居ないと、推察されます。それもまた、子供に特殊な進路を許すことにつながっていると思います。つまり、人生設計において、ビビらないわけです。慎重さが少ないわけです。それが、すべてではないけれど、10%ぐらいは寄与しているでしょう。

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副題6、『ここで、再びピレシュに戻ろう・・・・・特に、墨田トリフォニーホールの思い出と絡めて』

 この章の冒頭で、この章は、音楽と、政治を絡めて語りたいと思いますと書いています。それは、私はあるポイントでは恵まれているが、もう一つ別のポイントでは激しい攻撃を受け続けている大変な災難の人でもあるということです。その災難とは、政治が絡んでいます。現代日本とは、真実の独立国家とはいいがたく、アメリカの属国化しています。一種の植民地国家です。非常に高級で、洗練されたやり方で、それが行われているので、日本人全体にそれが見えないだけですが、実際には奴隷化されている国民でもあります。それに気が付いてそれを語っていますので、大変な困難に出会っているわけですが、具体的な人間を使ってそれをやられていますし、ニュースを使っても、それをやられていますので、疲れることおびただしいのです。が、それでも、73に喃々とするまで、無事に生きてこられたのは、すべて、神のおんみ守りのせいだと思っています。

 そういう神の存在証明として、小さなことでも、いいことがあったら、それを感謝して味わい尽くすというところが、私にあります。ピレシュの演奏を、6月3日にNHKクラシック倶楽部で聴くということは、偶然です。しかも、その演奏は前にも聞いたことがあるのです。

 しかし、ピレシュと言うピアニストに対して、何ら予備知識がなかった時期には、いい演奏だなあと言うだけで、終わっていました。しかし、6月3日の前に、1日にも2日にもネットでシューベルトの即興曲のCDを探していて、MJピレシュの演奏に対する高評価があることを知りました。

 しかも、7日にトリフォニーホールに電話をかけて、トリフォニーホールでは、すでに、五回も彼女が演奏をしていることも知りました。そういう情報を得てまた、改めて聞くとメネゼスとのチェロ協奏曲もいわく言い難い名演奏でした。そういういいものに接しえるのも、神様のお恵みの一つだと信じています。感謝しています。

 ところで、墨田トリフォニーホールの舞台には、一度立ったことがあるのですよ。(笑い)それは、藤沢女声合唱団と言うところに属していた1997年か、1998年の事です。私は美術の世界の人間だと思うけれど、家庭の主婦であり母であると、どうしても本格的には取り組めないところがあって、バランスよく生きるために音楽、特に合唱には取り組んできたのでした。ただ、パリへ行かれることになった1998年5月には、合唱をやめていますので、その前だったと思います。

 その日の主役は、磯部俶先生が監修する(だから指揮者は、もっと若い人に代わっていた可能性がある)早稲田大学OB合唱団です。藤沢女声は磯部先生の奥様が指導・指揮する合唱団だったので、ゲストとして、4分の1ぐらいの時間で共演したのです。で、きっと両国駅から行ったのですね。で、橋を渡っていくので、駅から遠いというイメージがありました。ところが、錦糸町から行くと近いみたいです。でも、どうしても、イメージが違うので、もしかすると別の場所のところで出演したのでは、ないかと思って電話をかけてみたのです。で、建物の所在地に関して主に質問をしていたのですが、いつの間にかホールの出演者選びに話が飛んで、『サントリーホールや、オーチャードホールとは違う路線で出演者を選んでいる』と言うことを聞きました。

 なるほどと思います。サントリーホールで中村紘子さんが演奏をしていて、それもクラシック倶楽部で聞きましたが、『ああ、あそこは、マスコミ有名人を取り上げるのですね。それに比べると大衆には知名度の低い演奏家を取り上げているのでしょう。でも、それって、マスメディアの力で、水増しをされていない音楽家である可能性が強いので、本当の音楽愛好家に訴える選択だともいえる』と感じました。1500人以上入るホールで、三階席まであり、立派なパイプオルガンもあるのです。

 ともかく、ピレシュの美しい演奏を、自覚的に、覚醒して聴くことができてありがたかったです。本日は、ながら視聴ではなくて、相当に集中をして、ピレシュを聞きました。今から、内田光子の即興曲も聞いてみるつもりです。

 ここで、この一文を終わりとしたいと思います。実は、この1万4千字(グー側がそういう)も、政治論への導入にすぎないつもりで書き始めています。佳子様が、本日三菱重工の下の関造造船所の進水式にお出になっています。それは、前から決まっていたことでしょうが、ある意味で、私のブログと関係があります。秋篠宮の太地町いじめスピーチとか、年金機構の情報漏えいの際に、それが、商船三井のスパコンに蓄積をされていたという話などと、絡んでいます。それらもあるので、政治問題を語らないといけないのですが、この章では、ピアニストを中心にして、成功した人間のあれこれを語ることで終わりたいです。

 なお、このブログの2010根により数え始めた延べ訪問回数は、 2923608です。

 いつか将来推敲して、誤変換を直したら、署名と日付を入れます。

後注1、

シューベルトの即興曲こそ、神に近づく為に聴くべき最高の一曲だと思うが、二日連続して聞く至福よ△△△

2015-05-29 23:38:32 | 政治
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