銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

奈良美智も、赤瀬川原平も、手相占いをして貰ったことがある。

2015-06-29 13:33:27 | 政治

 今回もツィッター方式で書き、総タイトルは、変更していく予定があります。なお、初稿を、曝すのは、或る考察が、頭から指先を伝わって外へ出た途端に行います。そうしないと、はっきりとは、または、最後まで、書けないという、過去の事例があって、そういう風にさせていただいています。で、初稿後、3日目ぐらいに、誤変換も無くなり、文章の推移も整ってきます。で、今章も、総タイトル右横に、△印が付く前は、読みにくいと、思いますが、どうか、お許しくださいませ。

 できれば、前報(後注3・・・・・ここを長時間、注1と間違えた番号を入れておりました。失礼をいたしました。前報が正しかったのです。それは、『国展と新制作では、どっちが上ですか?』と言うタイトルのものです)を、読んでおいてくださると、助かります。そちらは、完成へともっていってあります。さて、最初に、『早稲田大学理工学部も、改名をしたのですね』としておりました。今は、二回目のもの『奈良美智も、赤瀬川原平も、若い日に、手相を見てもらっていたのですよ』と変更し、さらに、30日の午後1時に三度目のものへと、変更しております。そして、今は、さらに時間が過ぎて、29日の夜11時ですが、加筆と推敲を始めています。その最先端は、@@@@罫線で示します。

副題1、『都立大学だけではなくて、早稲田にも改名が起こりました』

 2015年6月28日に、NHKニュースを見ていた時です。早稲田大学理工系学術院の教授と言う紳士が登場しました。最初は、それを、政治には関係のないニュースだとみていたので、録画番組もすぐさま削除をしてしまいました。ので、なんという名前の学者だったかを、忘れています。し、何の学問だったかも忘れてしまいました。台湾の、爆発について、粉じん爆発について解説をされたのかもしれません。が、異常気象の解説だったかもしれません。

 しかし、私がひどく驚いたのが、早稲田大学理工学部と言う一般的な名称が消えていて、画面に、早稲田大学理工学術院となっていたことです。とっても古臭いな目で、まるで、清朝時代の北京の学問所みたいな名前で、驚きました。

 今、念のために、早稲田大学理工学部で、グーグル検索をかけてみると、どうも、早稲田大学の理工系の学部、大学院、および、その他を全部含んだ名称と、なっている模様です。

 都立大学が、いつの間にか首都大学と言う風に、改名をされて居ました。これは、ご近所の前田祝一・清子夫妻が、その大学院を卒業したので、私のブログに、たびたび、出てきます。だから、名前が変更をされたと思っております。名前が変更をされると、10年後に若い人が、私のブログ文を読んでも、チンプンカンプンに、成るでしょう。それが狙いだと、思っております。

 で、早稲田大学の理工学部と言う名称が消えてしまった、のは、スタップ細胞疑惑が原因だと思います。私は相当に初期から、徹底的に、あれは、嘘で、こういう目的で行われていると、書き続けています。で、何度も早稲田大学理工学部と言う名前が出てきていますので、こういう改名が行われたのでしょう。

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副題2、『小保方晴子さんは、手相を、好んでいて、信じていると聞いたが、そこだけは、私が、共感する部分だった』

 小保方晴子さんの、2014年度いっぱい続いた大騒ぎには、ずっとさめる目で見ていた私ですが、テレビ画面で、高校の同級生が、「彼女は、本当は、トラブルメイカーとして嫌われていたのに。思い込みが激しくて、愛されてもいないのに、彼氏を作ってしまって外部に吹聴しまくったので、相手は大迷惑をした」と言ったとたんに、急に興味を持ちました。その学友の実際の言葉は、現代風に、「イタ子と呼ばれていた」と言うものでしたが、『ほー!』っと言う思いで、ひきつけられ、急に小保方さんに、興味を抱いたのです。そして、小保方さんを≪手相を好きだ≫というポイントで、取り上げております。古いもので、今、それを読んでいただく必要もないのですが、実証的に積み重ねる必要があるとすれば・・・・と言う思いで、そのリンク先をさらします。(後注1)その後、彼女は実際に笹井芳樹さんにとって、超ド級のイタ子さんとなっていくのですが、それはさておき、手相について、ここで、再び、語らないといけなくなっています。それは、前報の最後で、明日、この続きを書きますと言っていますね。そのために、手相占いに、入って行かないとなりません。

 ある時に、銀座の福屋書店(ここの二階で、良く、ベストセラーのサイン会が行われていた処、今は、無くなっている)の一階の、平台で、アンアンの別冊を見つけました。中には、小さい図版で、手相を並べた占い特集号(特に手相号)だったのですが、その中に、初めて、自分の手相とそっくりなものを見つけました。驚きました。それ以前は、複雑極まりない、自分の手相は、悪いものだと、思い込んでいて、手相占いと言うものを嫌っておりました。だが、生涯で、初めてそのムックを見た時に、『自分は、もしかしたら、良い手相を持っているのかもしれない』と、思う事ができました。これは、日傘雅水さんと言う、芸術家や、芸能人に、多くの顧客を持つ、手相観の方の著書だったので、太陽線と言うものへの解説が、充実していたのです。私は、芸術の分野に進むにふさわしい手相の持ち主でした。

 非常に喜んで、マガジンハウスに電話をかけて、その著者=日傘雅水さんの、連絡先を聞いて、連絡を入れたのです。その話を、一つ次の節で、展開するつもりです。が、その手相観の先生を、信頼して、何回も通ううちに、やがて、感じが悪くなってきました。(後注2)

 これは、むろんの事、電話が盗聴をされていて、裏から鎌倉エージェントが手をまわしていて、「クライアントとして、川崎千恵子を、引き受けるな」と、言われていたのだと、思います。で、それも、大きな人権侵害です。電話が盗聴をされていることの証明にあたるからです。その手相観の方=日傘雅水女史は、大変な人気者なので、電話予約をしないと、見ていただけないから、どうしても彼女のオフィスへ電話を掛けます。そのうえで、行きますが、最初っから、そのオフィスが盗聴をされていた可能性は大です。それは、夜のうちに合いかぎか、ピッキングで、そのオフィスへ侵入して、盗聴装置を仕掛けて置けばいいでしょう。

 でも、彼女は、最初のうちも、二回目も三回目も、コンサルティングを、してくれている間中は、失礼なことは、一豪もなかったのですよ。しかし、彼女の心が、離れてしまっているというのは、なんと、表参道の交差点で、分かったのでした。お昼を食べにレストランに行った帰りだったか、または、お昼を買いに、紀の国屋へでも行った帰りだったのか、又は、誰か、彼女にとって、その人には、従わないといけない誰か(これは、今では、赤瀬川原平さんだったと確信をしていますが、もしかすると坂本龍一氏だったかもしれません。そのどちらかでしょう)と、会食でもして、対私に対する特殊な命令と言うか、教唆を受けた、その当日だったのかもしれません。が、ともかく彼女と偶然に交差点であったのです。その時に、オフィス内とは違って、ひどく迷惑気な顔をされました。

 それは、三回目の相談に向かう時の偶然の出会いの時だったのですが、その急激な変化も、私の方では、薄々、例の連中が絡んでいるだろうと、思ったので、知らんぷりをして、その日の予約の、相談をキャンセルをしませんでした。オフィス内での、相談中は、先ほども言った様に、彼女は冷静に、コンサルタントとして、対応をしてくれましたが、交差点での、そっけなさは忘れようにも忘れられません。上にあげた赤瀬川原平さんや、坂本龍一さんが、どうして、そういう命令を彼女にするかと言う顛末につては、あと注2に、詳細に、書いてあると、思います。で、彼女の様に、温和で、抵抗性のすくないひとなら、それに従わないといけないのは、十分に、察知できるので、仕方がないので、別の手相見を探し始めました。

 どうして、そういうことをしたかと言うと、自分では、どうも天才的な画家と成れそうな(苦笑)気がするが、自分の運命がどれほど、大きいのかを、確認したいと言う思いがあったからです。

 後注2も、現在、お読みいただいても、お読みいただかなくてもいいのですが、結局はそれも、鎌倉エージェント(=CIA)の暗躍について、触れている文章となっています。しかも、今、CIAと言う言葉を、ここに入れた途端に、パソコンがポンと飛んで、異常性を発したので、又もや、その文言が大切なものであったことが解りました。

 で、ともかく、非常に婉曲で、礼儀正しくでしたが、根本的なところをしっかり見つめれば、日傘さんに【お断り】を受けたので、別の人を探したのです。

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副題3、『奈良美智さんも、手相を見てもらったことがあるのですよ』

 で、深見東州という人と、それから、別の人、M(仮名である。ただし、Mは、単なる記号であって、Mで始まる苗字ではない)さんと、二人の人を探しました。たぶん、Mさんの方へ先に行ったのだったろうか? 記憶は確かではありませんが、Mさんの方が、奈良美智に発展していく話になるので、より話が大きいので、そのと人の出会いを、深見東州より、先に語ります。その人(Mさん)は、日傘さんに比較すると、内容が、単純だと思ったので、今では、名前も憶えてはおりません。

 ただ、私より、10歳ぐらい若い男性で、美形な人ではありました。いろいろ、見てもらいましたが、その時点では、私の方は、数冊の本をすでに、買って読んでいたので、・・・・・Mさんが、言うことは、自分の方では、全部既に知っている・・・・・という感じでした。こういう占い師は、一種の洗脳を行う人なので、占ってもらう人(=クライアント側の事で、この場合は私である)が、先生の事を、赤ちゃんのごとく、100%、信頼しないといけないのでしょう。

 が、私は、何となく、自分の方が、手相について、よりたくさん知っているというか、なんというか、相手と対等か、それ以上な感じを受けました。それで、下手には出ないで、でも、例のごとく、喧嘩も売らないで、ただ、淡々と、聞いていました。そして、周辺を注意深く見まわし、そこと、日傘さんのオフィスを比較して、抜群の違いがあるのを発見し、日傘さんが、いかに、上等な、お客を保持しているのか、または、マガジンハウス社の、重要なライターとして、著述料もたくさん入る人であるかを、改めて感じ入りました。日傘さんのオフィスとは、決して贅沢ではないのですが、静かで上品なインテリアのお部屋で、お庭も樹木に満ちた、美しい環境です。しかも、表参道です。

 そういう私の気配は、言わず語らずのうちに相手に伝わるものですね。相手は内心で、『失礼だな』とか、『尊敬されていないので、悔しいな』と思ったのでしょう。悪い人ではないのです。上品極まりないところはある人物でした。でも、内心で、『悔しいから、ここで、自分が偉い人間だと示したい』と思ったのでしょうね。「僕は、昔、井之頭公園内で、手相見をしていたのです」と、言い出しました。で、黙って、続きを促す感じで、聞いていると、「その時に、奈良美智が、来たのですよ。芸術家って繊細なのですね。頼るものがほしいのですね」と言ったのです。それにこたえて、私は、「ええ、そうですよ。絵を描いていても、それは、1足す1は、2と言う世界ではないので、不安はいっぱいあるのです」と答えておきました。

 それは、たぶんですが、2000年から、2005年の間だったと思います。日傘さんのところはへ、1998年、1999年、2000年と三回行っています。過去ブログの中で、6回行っているといっていますが、それは間違いでした。2003年以降の訪問は、ただ、単に、自分が一人で、作り上げた本を届けに行ったのでした。それを、相談もしたと、自分の方が、勘違いしているのでしょう。

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副題4、『私が、信頼する相手には、めっぽう、おしゃべりになることを利用して、頭が良くて、呑み込みが早いと見込まれた知人を選び出し、彼女たちに、私とデートをする様に、悪人たちが、命令をしていた可能性が高い。それは、2003年から始まっていたのだ。既に、12年も前から、私は尊敬する年上の知人から、実質上、裏切られていたのだった。悲しいが、これは、事実である』

 私は、袋口と言うタイプで、おしゃべりをするのが好きです。そして、信頼をする相手に対しては、究極のレベルで、打ち解け、なんでも、打ち明けます。一方で、信頼をしていない相手には、本心を見せません。

 それが、ブログとかメルマガで、どういう風に表れるかと言うと、ときどき、ちらちらっと、深い真実に触れます。だけど、全体には、軽いところで、仕上げます。渡辺幸子さんについて、書いているエピソード(後注3)も、非常に温和なところで、終わらせておいています。実際は温和でもなんでもないのですよ。ひどい修羅場が始まるのですが、それについてはまだ触れていないというわけです。

 そして、・・・・絶歌が、井上ひさしの代筆である。しかも、土師淳君の首から下の遺体を水道山へ置いたことからわかるのは、酒鬼薔薇聖斗は、あの事件を実際には行っていないのだ・・・・・と言うようなリスキーな文章を書くときは、自分に復讐の斧が、ただちに、帰ってくるので、防衛をしたくて、「本日は、ここまでで、口にチャックといたします」とか、「これで、終わらせておきます。35%までしか書きません」と言っているわけです。

 :::::::::::ところで、これは、二日(=30日)に入ってからの挿入ですが、なんと、この上にあげた緑色の字の部分を書いている最中に、NHKニュースウォッチでは、又もや、絶歌について、・・・・・日本図書館協会が、否定すべき本ではないと、判断をした・・・・・・というニュースを流しました。これこそ、復讐用ニュースの典型であり、私は、したがってなおさら、絶歌は、井上ひさしの代筆によるものだと、言う確信を深めています。特に月曜日は、必ず、銀座で画廊巡りをしていますので、それを狙った、鬼の居ぬ間の洗濯としてのニュースの典型例です。で、元へ戻ります。::::::::::

 これは、どうも、私を弾圧している敵方にとっては、怖くて、怖くて仕方がない事だったらしいのです。それで、袋口である私をめがけて、全部しゃべらせ様として、古い友人や、知人や、または、新しく近づいてきた友人を使って、彼女たちに、私を誘う様に依頼し、私と、デートの約束をさせ、そのデートの際に、盗聴装置を、尾行者によって、しかるべきところにおいて、盗聴をするわけです。

 そういう存在として、メンターとして仰ぎ見ていた先輩(カソリックの信者なので、関口台のカテドラル関係者)を、井上ひさしが籠絡した結果、そういうことになったのだろうが、彼女の方から、たびたび、デートにお誘いくださったのですが、彼女とデートをするたびに、袋口である私は、いろいろなことを喋り捲るわけです。

 だが、ある日、銀座で出会ったのちに、信濃町の能楽会館まで、一緒についていったら、なんとそのそばに四人の、いつも見かけるサラリーマンが居たのでした。2003年3月27日に、新潮社ないのロビーへ居たり、別の機会に、千石山アネックスの弁護士事務所のある廊下にいた連中と同じ連中だったのです。

 彼らは、専門の尾行者でありましょう。で、何故、私に、たいして、わざと見せつける様に、あらわれたかですが、そこが、『トカゲの、脳みそだ』という点なのです。自分たちを異常に頭が良い人間だと、誇り高く思い込み、ばれていないと思っているのか、ばれていても、平気だと思っていたのか、どちらかはわかりませんが、この間、

 秋篠宮さまに関するにチャンネルまとめサイトに出ていた、警察内部にいる殺人別働隊と言う連中だと思います。ただ、殺人・別働隊にもホワイトカラーと、ブルーカラーがあって、この新潮社ロビー内とか、信濃町の能楽会館前にいた連中は、偏差値の高い大学を出た警察内部でもエリートなのでしょう。つまり、東大卒であって、自らは汚い事=殺人の実行などはやらないタイプでしょう。そして、警視庁(東京)所属と言うことになっていると思います。同じ様な働きをする神奈川県内のエリートはこれも白面の美青年で、神経質そうな、連中でした。こちらは、夜の12時前後に、誰もいない鶴岡八幡宮近辺で、数人で、現れたのです。携帯で話し合っている内容から、私目当ての尾行者だということはわかりました。

 しかし、一方で、実際に殺人を実行するブルーカラーとしての、警察別働隊もいるわけで、そのうちの一人(特に東京都内で現れる人物)は、ぎょろめで、背が高い男性です。40代だと思われます。そして、2007年の9月27日の早朝に渋谷郵便局の二階ロビーに現れ、大音響を鳴らして、もし、私が彼に、『変な男がしますね』とでも問い合わせたら、幻聴を理由にして、拉致し、強制的に精神病院へ入院をさせてしまおうと、していたのでした。同じ人物が、2013年の10月10日には、秋葉原ワシントンホテルに、あらわれました。

 ところで、こちらは警視庁所属だと思われますが、別に神奈川県警察本部所属らしい、殺人別働隊の人間も2014年6月12日に保土ヶ谷のネットカフェで、目の前に、現れました。

 すべて、瞬時に、分かるので、罠に引っかかることは無くて、無事です。だけど、皆様、もし、このブログの手当てを、私が、4日程度、お断り無く休んだら、ついに私は罠にひっかけられて、拉致され暗黙裡に殺されたと、お考えをいただきたいです。私は、決して悪人ではないのですよ。ただ、悪人連中が過去に行った悪事を、全部知っているという点に問題があるのです。

 で、彼ら悪人連中は、間接的に私を殺そうとしているわけですが、必ず、自分ではない人間に、それをやらせようとしています。銀座では、ガレリアグラフィカのオーナー、栗田玲子さんや、野見山暁じ氏は、その殺人に能動的に、関与しているということになります。

 鎌倉では、伊藤玄二郎、酒井忠康氏、そして、まだ生きている、井上ひさし、そして、安野忠彦、前田祝一、柳沢昇などが、その同じ位置に、立っていると、言わせてくださいませ。そして、東京では、石塚雅彦氏、古村浩三氏、そして、私が、その現住所を知らない、成岡庸司君、秋山豊寛氏、ベイカーさんや、ロックフェラー四世などが、全員関与しているのだと、お考えをいただきたく。

 そういう敵に利用される友人として、接触してきたのが安藤てる子さんです。ただ、この人だけは、警察官(または、刑事)の変装だと、分かっています。これは、古い事ではなくて、本日も、ある銀座の画廊の対応がおかしかったのですが、安藤てる子さんが、そこを、訪問をしたか、または、電話で、どうの工の、新しい対応を命令したのだと、推察しています。で、異常なことが起こり続け、やがて、どういう形でか、彼女(=関口台のカテドラルを拠点とするカソリック信者)との交流は沙汰やみになりました。でも、関口台と言うキーワードで、考えると、井上ひさしが、この計画にも関与しているのは見え見えでした。彼は、徹底的に警察と連動をしています。

 私は何度もいう様に、何も悪いことはしていないのですよ。単なる被害者に過ぎないのです。ただ、あまりにも頭が良いので、瀬島龍三や、ベイカーさんが行っている悪が見え見えに判るのです。だまされることが毛頭ないのです。で、こういう人間は、この国に置いておくと、悪人たちに不都合だと、成るから、暗黙裡に殺したいと言う連中がこの世にいるというわけです。そして、警察とは、CIAの手先だから、瀬島龍三の敵は、警察の敵となるのでしょう。

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副題6、『私以外、誰もいないラゾーナ(川崎の商業ビル)の屋上に不思議なおじさんが、あらわれ、私のそばに座り、にやにやしながら、脇の硬い金属ケースを、意味ありげにさすったので、映画アフタースクールを、即座に思い出した』

 2007年ごろから、目に見えて、目の前で、パソコンがシステム的に壊される様になりました。それで、1999年から始まった、私のパソコンを利用したライター生活も新品と中古を取り混ぜて、18台もパソコンを買い続けて、やっと持続をしている有様です。それでもなお、自宅で仕事ができないなあと、思う時がありました。それは、アドビイラストレーターとか、フォトショップを使っている際に、めちゃくちゃな、行動をソフト(=アプリ)が取るから、仕事にならないのです。本の中に、写真を、ちゃんとした位置に入れたはずなのに、試し刷りをしてみると、さかさまに図版が入っているとか。

 これも重大な、損失の一つです。私はたった一人で、しかも素人ながら、深い集中をして勉強をするので、たちまち、プロの出版社並みの美麗な本を作ることができる様になり、それを見た人たちから、「原稿が手元にあるので、私の本も作ってください」と、頼まれました。ところが、自分の本を作っている最中に、こういう風にデータがめちゃくちゃに壊されるのですから、他人のデータなど、怖くてあずかれません。で、私は絶好の発展のチャンスを失っているのです。こういうことも、このミステリーが完成して、主犯が誰か、が、分かったら、その人間に賠償をして貰おうと思っております。

 で、その破壊行動の一部ですが、・・・・・ICUの同期で、英語のクラス(23人と言う少人数だが)が同じだった古村浩三君がやっているらしい・・・・・というのが解ったのが、2012年の、第一次フェイスブック時代でした。赤い版画のアイコンを使って、FBを、行っていた時期のことです。ただし、この部分は、これ以上は触れません。また、別の機会に触れていきます。

 で、ともかく、自宅では、本の編集ができないのです。それは、Kamakura Cottageという旧石井邸に、大型のルーターまたは、サーバーが置かれていて、それを中継基地にして、特殊な電磁波で、私のパソコンの液晶画面内の破壊工作を遠方から行うことができるのだと、推察しています。そういう事実は、庶民には、公開をされていませんが、警察とか、CIAなどと言う部門は、すでに、駆使しているはずです。

 で、ある日はラゾーナの屋上にいました。そこにはガーデンチェアと、ガーデン用テーブルが置かれているので、そこにノートパソコンを置けば、1時間半は、仕事ができるのです。誰でも無料で使える休憩場所です。で、ある日、そこを使っていた時ですが、特別に暑い時期だったのか、それとも寒い時期だったのかで、私以外には誰も、そこにはいませんでした。で、そこは、広いので、見晴らしが利くのです。また、テーブルの数もいっぱいあります。それなのに、およそラゾーナで、休憩するには、まったく似つかわしくない田舎風のおじさんが、急にコトコトやって来て、広くて、他に誰もいない、屋上で、私のすぐそばに座るのでした。そして、脇に置いた、黒い立方体の箱を見やったり、私の方を見やったりしながら、にやにやと、笑うのでした。15分ぐらい一緒にいましたが、あまりにも彼の視線が気にかかるので、破壊行動が起きる前に、移動をしました。歌詞を変えました。ラゾーナが適切だったのは、広くて、あたりを見渡せるので、40m以内にいる不審者を見つけることができるからです。

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副題7、『映画【アフタースクール】が、本当に表現しているモノ。それは、コメディでも何でもなくて、単なる警察の、辞意映画だった。これも、脚本は、ゴーストライター、井上ひさしの手によるものである可能性が強い』

 今ね、上の副題7の、二重ガッコ内を描いたら、急にまたパソコンが、おかしくなり、白閃化、して、すべてが飛び散りそうになりました。こういうときは、私が見事な真実を書いている時です。

 で、畳みかけたいのですが、・・・・書く、破壊を受ける。・・・・書く、破壊を受ける・・・・という、キャッチボールは、相当に疲れるので、ここで、長時間の休憩を入れたいと存じます。続きの開始は、ちょっと、時間については、出かけるかもしれないので、お約束ができないのですが、必ず、書きます。

 ここが、30日に、書きかけ中の最先端です。以下はメモです。

副題7、『奈良美智は、その日以来、抜群の、ブレイクを見せる様になる。たぶんだが、鎌倉エージェントがそうしたいと、思ったからだろう』

 私は何度も言っている様に、悪人でも、犯罪者デモ、罪びとでもないのですよ。ただ、頭が良すぎるために、普通の人には、分からないことが解ってしまうために、この、被植民市国家、日本で、特別に、ぜいたくなことができて、特別な権利を得ている、いわゆるエージェント(日本人の顔をしているが、国際的軍産共同体が、日本人全体から、お金を、ゆすり取り上げるために、彼らにだけ、特権を与えて、他の日本人に、正当な発言をしない様な仕組みに利用している人間たち)が支配している構造を、具体的なエピソードと、具体的な、人名を通じて語る事ができる様になっています。で、困る類の人間なのです。で、殺したいわけです。で、間接的に、心理学的ないじめ手法を駆使して殺そうとしているわけですが、そのもっとも、高度な方法は、嫉妬心を喚起させ、その次にライバルだけを出世させ、その次に、私に絶望をさせるという手法なのです。

 この、奈良美智が、ブレイク前に、お世話になったらしい、手相観(若い男性)に私が、出会う前に、私は、日傘雅水さんのところへ、三度ぐらい行っています。日傘さんは、悪気があるか、悪気が無くて、ビジネス上の手法として、それをされているのか、理由はわかりませんが、電話を、掛けないと、予約ができず、電話予約ののちに、やっとファックスで、オフィスの場所が開示されます。ですから、住所不定の人間とか、落ち着いた生活をしていない、ノマド生活の人間等は、それで、まず、ふるいにかけて排除できるわけですね。でも、わが家の電話は、逗子のアトリエにしろ、鎌倉のそれにしろ、ずっと、盗聴をされているので、日傘さんのところへ出かけるのは敵には、分かっているわけです。

 で、日傘さんのオフィスに盗聴装置が仕掛けられていたか、それとも、先ほど来言っている、彼女のクライアントであった、赤瀬川原平さんを通してか、それとも日傘さんが、その日大卒業直後の、若い日に、マネージャーとして、その下についていたYMOの一メンバーである坂本隆一氏を通じて、何を私が話したかを、告げてほしいと頼まれていたのか、どちらかは知りませんが、

 ここで、新幹線、焼身自殺事件が起きたの絵、この続きは、

山本耕一の、祖父って誰だろう。

2015-07-01 03:01:42 | 

 で、書きます。

後注1、

小保方晴子さんの、苦労、・・・・・その自己救済術のひとつであろう手相占いについて

2014-02-03 08:11:17 | Weblog

後注2、

日傘雅水が美麗オフィスを捨て、村松友視が小タウン誌に連載した、理由は、同根の筈

後注3、

2014-02-13 21:44:02 | Weblog

国展と、新制作展は、どちらが上ですか? 私と渡辺幸子さんとの確執の始まりは?△

2015-06-26 20:24:54 | 政治

 

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