銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

ななつぼしは、北海道まで、直行すれば、いいのですよ。

2017-07-12 22:46:42 | 政治

 これは、前報(後注1)の続きです。ずっと、外出が続いていて、何となく、不十分な書き方になっていましたが、いよいよ、腰を落ち着けて、と思って居たら、また新たな任務が起きたので、外出が続きそうです。が、ともかく、頑張って書きましょう。

 私は前報で、三つの、私に言わせると悪辣な事が重なっているので、九州に災禍が、続いていると、言っています。で、そのうちの一つ、もっとも、改良が、易しいと、思われるものについて、私見を述べたいと、思います。

 ところで、今、自分の文章を書く前に、一応、豪華列車と言うものを、ネットで、調べてみました。すると、日経トレンディと言うサイトが、丁寧に解説してあって、技術的に、私が総タイトルで、提案していることは難しそうですね。機関車等が、違うらしい。

 しかし、ひるまず、提案し続け、総タイトルに示した案について、考え続けていきたいです。

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副題1、『鎌倉駅頭の、私が使うバス停に、夜行バスが、2本停まるのだ。そこから発想を得たのだが・・・・・』

 我が家って、駅から歩けるはずなのです。鶴岡八幡宮様の乗用車用駐車場と、境界を接しているのですから。不動産会社に言わせると、公称8分です。しかし、私は夜は、昔はタクシー、今はバスを常用しています。そのバスの、夜9時半の、便が無くなってしまいました。これが、どうして無くなったかと言うと、私がもっとも使う便だったからでしょう。主人が、夕食を一緒に採らないと、機嫌が悪いのです。それで、夕食後の、夜の五時半に出立することになるので、鎌倉近辺、および、北久里浜に行って帰って来ても、だいたい、9時半のバスを常用して居たのですね。それが、無くなりました。薬が買えなくなった(後注2)とか、JRの、スイカ利用時の割引が、私が使う、鎌倉ー新橋間は、たった、一円なのに、有楽町と、新橋間は、7円も割引されるとか、微に入り、細に入り、いじめられております。

 なお、今、突然気が付いたのですが、前報の、分類が歌舞伎になっておりました。分類が間違っております。それも政治ですし、こちらも政治です。

 という前置きを置いて、夜行バスに入ります。自分は使うつもりはないのです。暗殺を狙われている私が、バスなどと言う、小さな密室に入ってしまったら、一番危ないですから、使うつもりはありません。

 ところで、前報に、九州に住んでいる偉い人として、野見山暁次さんが居て、そのひとが、またまた、問題があってと、書いて居ます。私のブログを連続してお読みいただいていない方には、ちんぷんかんぷんだったと、思いますが、

 大久保忠春さんという現代アート系作家が、九州で、野見山さんと、大変親しくしていたのですが、高齢女性の無謀運転で、亡くなりました。これが、私は不自然な事だと、思って居て、縷々、書いて居ます(後注3)。で、野見山さん周辺にも怪しい煙が立っていると、言う感じです。

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副題2、『大口病院が、入院患者を、再度、受け付けるというニュースが、本日、17-7-12に出て来た・・・・・これも私のブログ・・・・高木きよ子さんは、他殺であろう・・・・・と、書いて居るものと、関連をしていると、思われる』

 ここで、挿入的に発想が横へずれますが、交通事故も謀略として、使われるし、ビルから飛び降りたという形の自殺も謀略として使われるのですが、私が、それを見破って、ブログに書くと、必ず、フォローの現象が起きて、それを、NHKが報道をいたします。

 大久保忠春さんの、交通事故死が変だと、思って、ブログに書く前に、大久保さんが教授をしていた大学の関係者とか、野見山さんの秘書の、山口千里さんとか、中学が、大久保さんと、私と、たった、100人で、一緒だった、高田弘子さんに、電話を掛けると、・・・・・・上大岡で、88歳の老人が、小学一年生を、轢き殺しました。無罪放免らしいけれど、徹底的に謀略でしょう。ブログにまだ書いて居ないのに、『あいつめ、気が付いたな。じゃあ、似たような事件を起こして数多い自然な現象だと、言う事にしてやれ』と、成るわけです。

 高木きよ子先生は、ご立派なご家庭(父君が文化勲章受章者)に生まれ、立派な方と結婚をなさったのです。だから、学者と言っても、ユーモアも解するし、闊達で、明朗な方でした。で、85歳を過ぎてもご自分自身と同年齢の友達とかと、活発に交流をなさっておられました。姓が、高木なのは、ご主人様が、若くして、一種の戦死をなさったからでした。で、婚家先が『再婚をなさいね』と言う形で、実家に戻るようにおっしゃったのでしょう。ところで、一種の戦死と言うのは、商船・大洋丸を、アメリカが、撃沈させたのですね。民間人として、大連沖で、亡くなったのでした。

 その後、スタンフォード大学が、日本国内で、作った、日本文化研究所の教授などをなさって、たまたま、ICUで、研究生活を送られた時期もあるそうです。私はお茶大付属高校の同窓会の中に在るサブ組織、OPCの縁で、たいへんかわいがっていただいたという記憶があります。そして、亡くなる、一年以内に、電話をかけています。「先生、斎藤敏江さんの、消息をご存知ですか?」と。斎藤敏江さんもご主人を大洋丸事件で亡くされて居て、高木先生とは親しかったのです。そして、私と斎藤さんも、これまた、非常に親しくて、磯子のプリンスホテルで、二回、お食事を一緒にして、11時間も、一緒に過ごしたほどでした。電話もしょっちゅう交わしていました。斎藤敏江さんも、アメリカ大使館勤務と言う事で、アメリカと言う国家は、自分が、殺してしまった遺族様の中の、優秀な方には、それぞれ、良き働き場所を与えて、厚遇をしたみたいです。

 ところで、私の、母が、93歳で、眠る様に、亡くなって居て、死因を大往生と、お医者さんに、書いてもらいました。そのあとで、高木先生が、亡くなったのですが、通夜や、葬儀に参列して一緒に、帰宅した、先生の、最近の親しいお友達の話では、ベッドの中で、眠る様に亡くなっていたという話なのです。しかし、本当のことを言うと、友人たちと一緒に会食の予定があって、その集合場所に、高木先生がなかなか、現れないので、不審に思った友人たちが、ご親戚に電話をかけて、先生が亡くなっていることが発見をされたのでした。

 先生の最近の、友人たち(私も知っている人たちだけれど)とは、新宿駅で別れたのです。私は、その人達には、何も言いませんでした。しかし、新宿駅から、鎌倉まで、帰る道すがら、こういう風に考えていたのです。

 ・・・・・母は、すでに、3年以上、車いすだった。それから、亡くなる、3か月前に、自然に、ご飯を食べなくなった。認知症と言うわけでもなくて、手も動くのだけれど食べなくなった。エリザべス一世も亡くなる前は、食事をおとりにならなかったそうで、比叡山で、修業しているお坊さんと、似た形となって行く。子供たちは相談をした。父の場合は、まだ、60代だったので、母が最新の治療をお願いして、パイプだらけになっていたが、尿が出なくなってから、一週間しか生きていなかった。それで、母の場合は、人工的な事は止めることにして、胃ろうも行わないし、点滴による栄養補給も行わないこととした。それで、母は、どんどん痩せて行って、肌の色も黄色くなり、いわゆるソクラテス顔貌と言うモノにもなって行って、比叡山の高僧の最後ととても似ていた。違うのは、体の姿勢だけだった。比叡山の、高僧たちは、座禅を組んだ形で、亡くなっているが、母はベッドの上で、あおむけに寝たまま、亡くなっていたという点だけだ・・・・・

 という状況を思い出すと、高木先生の死は、変である。あの明るい元気な声。友人たちが、どうしたのかしら? どうして現れないのかしらと、不審がったのは、どこにも病の兆しがないから、だし、これから、一緒においしいところに行きましょうねと、言う約束があった人が老衰で、自然死(=大往生)になるなど、私の経験からはあり得ない事だから。・・・・・

 と、ずっと思って居たのです。しかし、それをブログに書くことは致しませんでした。今般は、たまたま山口みつ子さんの、死を描いたので、その流れで、書き表しただけなのです。山口みつ子さんが、亡くなったのは、65歳の時でした。高木先生は、88歳を超えておられたと、思うけれど、それでも、私は納得ができないのです。先生なら、お体の不調が有ったりしたら、必ず、友人にメールや電話で、お断りになるから、ピッキングによって、侵入してきたプロのアッサシンによって、筋弛緩剤で、殺されたのではないかと、思うのです。

 なぜかと言う理由はとても書けません。

 ただ、本日、横浜・大口病院が、点滴に入れられた、界面活性剤の、影響で、二名の死者を出した後で、ずっと入院患者を、受け入れていなかったのに、今度、受け入れる方向で、準備を始めたと、報道されました。看護師もすべて退職したそうです。

 しかし、この大口病院事件こそ、謀略であったと、信じています。そして、それをブログで書いたとたんに、後続として、類似事件が次々と、起きて、今度は、界面活性剤ではなくて、筋弛緩剤が使われたと、言う事となっています。結局界面活性剤と言うのは竹本油脂(私の同期生、館野君が、元、社長・会長である)が、製造している化学薬品であるので、私を脅かすために使われたし、事件そのものも私を脅かすために作り上げられたと、おもっております。元、グリークラブ所属の紳士が、最初の犠牲者になりました。まさか、卒業後も活発にグリークラブ運動が、展開されている、ICUの卒業生ではないでしょうね。もし、そうだったら、本当にいやだなあ。まだ、確認をしていないけれど・・・・・?????

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副題3、『・・・・・<10日前、歌舞伎座の、一等席、しかも前から五列目の16番と言う、とてもいい席が、突然に、手に入ったのは、やはり、鎌倉エージェントが関与した罠だったのだろうね>・・・・・と、ここでは、言う事となる私だった』

 このICUの卒業後の、合唱運動は、OGCと言います。その中で、同期の男の子・N君・が、未だ、活発に歌っています。その男の子は、私の高校時代の、友人YK女史(女性)を、「著書を出版してあげます」と言って、自分たち側に、寝とった(比喩的表現ですよ)可能性があるのですが、・・・・・だから、鎌倉エージェントの一人なのです。

 が、なんと、この間、歌舞伎座の、一階の、一等席、5列の16番が突然に、手に入った時に、そのN君が登場するのです。海老蔵の坊ちゃんが、宙乗りをした7月の、歌舞伎座の夜の部の事です。

 後注5に挙げる、その日の感想を書いたブログでは、「海老蔵ご一家の悲しみに、敬意を払って、政治的な事には触れません」と、言っております。しかし、歌舞伎座内から、私は、ずっと、『変だなあ』と、思って居たのです。だって、テレビも何もかも、完売だと、言うのに、とても良い席が、突然、その日だけ、一席だけ空いていて、しかも左隣の人が、N君と関係があるのですよね。

 N君夫妻と、その女性X女史・夫妻は、駐在員時代に、ロンドンと、ベルリンだかに、駐在地は、別れているのに、休みを取って、一台の車で、ヨーロッパじゅうを一緒に旅行したほどに親しいのだそうです。しかもX女史は、逗子に住んでいるので、「一緒に帰りましょう」と、言います。それって、六本木のホテルで、大内順子さんと、出会って、二子玉川まで、一緒に帰った日と、そっくりです。

 大内さんの時は、こっちに、いろいろ、知りたいことがあって、しかも長年来、あこがれて来た美女なので、入れ込んで会話をしましたが、今般は、『これは、久しぶりに仕掛けられた罠・かもしれないなあ』と、思って、相当に、用心をしました。ただ、X女史が話したことの中身には、嘘は含まれていないと、思います。そこは安藤てる子さんとは、違います。

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副題4、『ときえだひろこさんと言う素敵な女性が、どうも、井上ひさしと、親しいみたいなのですね。東京カテドラルの、神父様を通じてですが・・・・・』

 私は、上に挙げた高木きよ子先生と、一緒だったOPCで、【ときえだひろこ】さんとも、知り合いました。そして、何度もデートをしました。二人だけで。とても、頭の良い方で、かつ、芸術の事も科学の事もわかる方で、話をして、これほどに、楽しい方もなかったです。しかも私はいくつか、生涯忘れられない智恵を、いただいていて、メンターとして尊敬しきっていました。

 しかし、2003年の、葉山の近代美術館、開館記念展で、草間彌生の初期の版画、10点程度がまとめられている展示の前で、「あなた、ここに自分の作品が展示をされて居ないことを、悔しくないの?」と、言われたときに、強烈な違和感を感じて、変だと、思い始めました。その日、「あなたのアトリエを見たい」と言われて、拒否できず、お招きしました。丁度、鎌倉の家に帰った時期で、両方をマネージングしないといけないし、本は作り始めた時で、忙しくて忙しくて片づけていないので、恥ずかしかったのですが、仕方がなかったのです。

 時枝さんに逆らうなど、その頃はできるはずもなかったのでした。時枝さんは、一歩足を踏み入れて、ひどく驚かれた様です。私としては、大金をかけている施設でしたが、カーテンもないし、無味乾燥そのものの、部屋です。そして足の踏み場もないほど、作品と道具が、いっぱいです。広いのですよ。6畳二間と、12畳、全部で、24畳あるのですが、100号のキャンバスだけでも、40枚程度あるし、12号程度のキャンバスもあるしで、3年ほどの修業時代で、どれほど、集中をしていたかを、語っている部屋ですが、・・・・・・

 しかし、私は、葉山の開館記念展に、お声一つ掛からない作家なのです。

 時枝さんは、しばし、もっとも、まじめな時に立ち返られて、「預言者は、世に容れられずだわね」とおっしゃいました。私は、表情には何も表しませんでしたが、嬉しくて、心の中で、泣きました。そして、と、同時に、『生前には、ずっと、不遇で終わるのだわ』と、覚悟を決めました。

 そして、時枝さんとは、結局はお別れしました。どうしてかと言うと、敵方との、接触ゆえの言葉が、出て来て、どうしても、だまされているというか、味方をして貰えていないというのが、判って来たからです。しかし、『時枝さんと、ずっと、交流を続けて居たら、あれは、書かなかったでありましょうと、言う文章もあります。事件とは関係が無いので、探せませんが、2014年の11月に、東京タワーの下に在る【うかい】で、開かれたクラス会で、罠が張られて居て、大いなる辱めを受けたという事を。

 あの時、【カナコ】さんの裏には、上智大学の縁で、井上ひさし(または、彼から依頼を受けた、上智大学関係者)が居て、

 【カズヨ】さんの裏には、イタリア留学の縁で、栗田玲子さんが居て、

 【きっこ】さんの裏には、出版社の社長同志と言う事で、伊藤玄二郎が居たでしょう。私は例のごとく、リアルな世界では、何も気が付かないふりをして、二次会にも出て、そして、帰宅をしました。しかし、この2014年の時に、【きっこ】さんのうらに【ときえだ裕子】さんが、居たかもしれないと、思うのですね。【ときえだひろこさん】、【きっこ】さん、【高木きよ子先生】は、短歌を作り合うサブサークルのお仲間なのです。だから、未だに、月に一度は、会う仲間なのです。そして、時枝さんの事だったら、年齢の近い同窓生を集めて、お茶のみ会を開かれるので、【きっこ】さんと、【ひろこ】さんは親しいはずなのです。

 さて、私は、その日、もっとも、大きく働いた、【カズヨ】さんに、夜になって電話を掛けました。「ね、栗田玲子さんって、知っている」と、質問をすると、彼女は、怒った様に「知らない」と、どなりました。お茶大付属高校出身で、しかも、70過ぎの淑女が、これほどの、勢いで、否定をするのは変です。で、私は、二人は、知り合いである可能性が強いと、思い到りました。

 その日、短歌仲間が、あと二人いるのですが、その二人が、来ていないのを知って、それも、私の判断を、補強しました。その二人は、とても善人だから、『白ちゃん(私の高校時代のあだ名です)が、そういう憂き目に出会うのを見て居られない』として、欠席したのだと、思います。ところで、私の高校時代のあだ名は、バレー部の、先輩から付けられた、【しろちゃん】ですが、対照的に、付けられたあだなである【くろちゃん】が、付与されたのが【かずよ】さんです。【かずよ】さんて、近代的な相貌の、美女なのですよ。フィレンツェの、ダビデ像を、優しくして、女性化したら、カズヨさんになるだろうと言うほどの、知的な感じの美女なのです。

 で、もしかしたら、このあだ名の恨みが60年近くの長さで、残っていたのか? だいたい基本的につんけんして居る人なのです。だけど、この2014年の時の、クラス会では、幹事ですから、おもてなしの心を示さないといけません。

 さて、私はカズヨさんにアタックしただけで、この2014年の会は、やり過ごしました。しかし、2016年の会になって、再び異常を感じたのです。まず、必ず、開催をされて居た曜日である、土・日が、移動をしていて、月曜日になっていました。

 これは、大学のクラス会でも、用いられた嫌がらせであって、従って、2014年の、嫌がらせを、2016年の会で、私が復讐的に、追及することを恐れて、「欠席をしてほしい」と、思われているのが解りました。月曜日は、私は、必ず、銀座で画廊巡りをするので、敵さんたちから『体力のない彼女は、クラス会には、来ないだろう』と、見込まれて、月曜日を使われるのです。しかし、連絡がお互いにないはずの高校と大学の同期かい・両方で、同じことが起きるわけですから、是こそ、鎌倉エージェントの攻撃なのです。鎌倉エージェントから、攻撃をされたときは戦わないといけません。でないと、本当に殺されてしまいます。で、2016年の、会の直前に、2014年に起きたことを詳細に語りました。

 しかし、その中で、【きっこ】さんの固有名詞は出さなかったと、思います。【きっこ】さんは、昔、私をほめてくださったことがあって、しかも、出版社社長として、ご自分が、開いている、展示用スペースに私の本を置いてくださったこともあるのです。そしてお祝い金もくださったと、思います。

 しかし、鎌倉駅の地下道で、ショーウィンドーに、鎌倉のあれこれが、展示されていた際に、・・・・・【きっこ】さんが、すでに、伊藤玄二郎と、非常に親しくなっていることを証明する書物・・・・・に関する情報・・・・・が展示をされて居ました。それで、【きっこ】さんがすでに、敵方の陣営に立ったという事が解りました。そここそ、伊藤玄二郎たちのやり方なのです。事前には、彼の計画は読めないわけですから、指をくわえて、見ているほかはないのです。

 谷垣禎一さんと、まったく同じ流れです。私は、何度も谷垣さんに、同情する文章を書いて居ます。だからこそ、伊藤玄二郎は触手を伸ばしました。

 私は、本当に、もうどうしようもないのです。しかし、です。孤立無援で、弱体化しているからこそ、神様が、憐憫の情を示してくださって、あれこれ、ご援助をくださるのです。今般のご援助とは、鎌倉駅の地下道の、展示物を、丁寧に、見る様に、ご手配をくださったと言う事です。そこを、本当に丁寧に、読んだのは、この15年間に二回しかなくて、その情報を得た時が、その二回目だったのです。隅の方に、その大事な情報を見つけた時には、残念な気持ちとともに、『ああ、事前に判ってよかった。これで、安心して、対応できますね』と、思いました。まだ、書いては居なかったけれど、【きっこ】さんにも、いろいろ、いじめる方向で刺激をあたえられたのが、2014年の会でした。

 でね。防衛のために、2014年の、いじめの詳細を書いたのですよ。上の三人は、その結婚前の姓を使って、姓名ともに、実名で書いて、ただ、ただ、【きっこ】さんだけは、名前を伏せたのでした。

 ALAS! そんなに恩義を尽くしたのに、きっこさんは、2016年の会には、来ませんでした。

 すみませんが、午前三時になったので、途中ですが、切ります。寝ます。明日があるので。

 今は、次の日の午前三時過ぎです。実は、本日は、誤変換を直しただけで、終わりました。明日をお待ちいただきたく。

 なお、このブログの、2010年より、数え始めた延べ、訪問回数は、4122004です。

 

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