銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

少女コンクリート詰め殺人事件を、メアリ―ベル事件と比較する。・・・・ 森瑤子 ・・・・橋田寿賀子△

2020-11-17 22:33:11 | 政治

 今は、18日の午後三時です。本日の真夜中から、早朝にかけて、初稿を書いた、以下の文章を、途中で加筆し、推敲し、完成へと、もっていきました。で、7千字程度ですが、この一章は、ここで、完成とさせていただきます。しかし、テーマとしては、前半の導入部分しか、書き得ていないので、総タイトルを、この時点で、訂正をいたします。矯正が、難しい理由は、別の章で、述べます。

副題1、『少年法を、改正するべきか、しないべきか、長い年月にわたって、討議の対象になっている。私は、検察側が、歴史上、最悪の犯罪だと、言う、少女コンクリート詰め殺人事件の場合、その犯罪は、親の責任だと、思うので、もし、少年法の、実名秘匿年齢が、19歳より下になった場合、それは、親が、責任を問われることなので、その点で、その方がいいと、思って居る・・・・・』

 4日前、=2020-11-13日に、wikipediaで、【少女コンクリート詰め殺人事件】を、やっと引いてみました。私は、ものを書く場合、誰かの、意見に左右されたくないので、ネット検索は、しないことにしているのです。が、事件生起の日時がわからないときは、wikipedia を調べます。

 でね、その頁から飛んで、画像検索というところにも入りました。すると、主犯の少年は、想像通りの、知的な顔です。父親が、証券会社勤務で、母親が、ピアノ教師だと、言うのは、1989年にすでに私は知って居ました。で、そう言う家庭に生まれて、事件が発覚して、警察が、実家を訪ねたら、母親が「うちの子に限って」と言ったのも、当時から知って居ます。

 私は、30年以上、銀座の画廊街を回って居て、美大出身の人の生活スタイルに、二つの傾向があることを知って居ます。

 其れは、実家が裕福だから、それなりの家格があって、お見合いを世話してくれる人が多く、したがってあっさりと、お見合いで、結婚するケース(これは、女子美には、特に多い傾向です。)と、自分が大学で、学んだ、トレンド(哲学や、心理学的、流行)を大切にして、お見合いとか、入籍結婚を拒否するタイプに分かれます。後者は、生活に困窮したり、離婚に陥ったりするケースが多いけれど、ご本人は、プライド高く生きて居ます。前者の代表例は、だれだれ、後者の代表例は、だれだれと、実名表記で、代表的な例を挙げることができますが、この一文は、犯罪から、解明する、人間とはなにか? なので、女性・芸術家の実名は、抑えましょう。

 これが、音大は、どうかというと、同じく、二つのケースに分かれます。ただ、お見合いで、結婚する人のパーセンテージは美大よりも多いと、思います。一方、反対に、自主独立の精神を重んじて、独身で過ごすとか、結婚についても、恋愛で相手を選ぶ人のパーセンテージは、美大と比較すると低いでしょう。ただ、そちらも、美大のケースと同じくお見合い結婚をした同期生よりも、はるかに高いプライドを持って居る筈です。その上、実際に、演奏家として活躍している人が多いと、思いますよ。

~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題2、『この事件の主犯格の母親について、唯一書き残したことをここで上げれば、彼女は、シロガネーゼとして、そうなっていないない、同期生(小学校、中学校、高校、大学)には、勝ったと、思いこんでいるが、音大の、同期生で、もし、演奏家として、舞台に立っている人が居たら、其の人には負けることとなる。自分の長男が、グループのリーダーシップをとるぐらいだから、彼女も当然勝気な人であるはずで、

 その、・・・・一般人には、勝っているが、音楽性、もしくは演奏能力、演奏技術で、自分の上を行く同僚には勝てないと、思って居るはずで、そこにアンビヴァ―レンツは、有る筈だ。

 その様に、自らの才能と、芸大という、ブランドとの葛藤に悩んだ人として、森遙子がいる。森瑤子という小説家は、芸大出身だ。音楽部で、ヴァイオリン専攻。しかし、彼女は、その他の音楽部の同期生に比較をすると、自分は才能が無い方だと、自認していた模様だ。その結果、ものすごい事をした。

 私の、主人側の親戚の、お嬢さんの旦那を、寝取っちゃったのだ。不倫というのではない。秘書、又は、執事と、言う名目を与えたが、自宅内に住まわせ、事実上の愛人にした。100%の支配をした。坊やは、一流企業の社長のおぼっちゃまで、超美形。森瑤子とは、外車の、セールスを仕事にしていたので、知り合ったらしい。

 これは、残されたお嬢さんの方にしては、とてもつらいことだ。で、アメリカに行ってしまった。特に森瑤子は、マスコミに登場する。それを読んだら、たまらない筈で、それを、読まないで済むためだけでも、アメリカに住む方がよかった模様だ。

 これは、週刊文春で読んだのか、それ以外で、読んだのかは、忘れたが、森瑤子が書いて居る事として「京都旅行に、友達を誘った。必ず、美形の青年を連れて来ること。それが、条件として」と、あった。それを読んだときは、ドキッとした。森瑤子のものは、東京への行き返りに、無聊を慰めるものとして、週刊誌を買った時代があって、時々は読んだ。40代であって、今から、ほぼ、35年以上は前の時期。だが、嫌悪感が激しい。

 其れをちらっと、ICU同期のお友達に電話内で言ったら、『夜ごとの揺り籠、舟、あるいは戦場』を紹介されて、もちろん読んだ。友達は、「評価を変えなさい。彼女は、すごいわよ。いい作家よ」と言いたかったのだと、思う。ただ、電話だけの対話だったので、親戚のお嬢さんの結婚相手を寝取って、支配しきっていることは、とても言えなくて、自分の本意を、説明しにくかったが、森瑤子への評価(非常に大きなマイナスポイントをつけている)が変化することは、一切なかった。お嬢さんは、日本には、徹底的に、寄り付かない。

 今、東出昌大、とか、近藤真彦の不倫が、世間をにぎわわせているが、それよりも、森瑤子の方がたたかれるべき悪どさがある。ただ、彼女は、このことを、マスコミから、一切隠しただけに、より悪辣さが、強いと、思う。

 被害者側が、中流の上、又は、上流の下の階層だから、一切、騒がない。週刊誌に、事情を漏らしたりしない。だから、森瑤子は、ミスターブラッキンと、お子さんなどと、組んでいる正式な家族と、その美形の執事は、ずっと、一緒に暮らした。もし執事の仕事が、ビジネスだけのものだったら、毎晩、お嫁さんのもとへ、帰って来るだろう。そして、この三角関係において、美形のお婿さんは、お嫁さんと、密着をして、外されている方は、森瑤子になり、毎晩、「これは、世間には、晒らせない話なのだけれど、実はね」と、お婿さんは、閨の語らいをして、お嫁さんは、「へえー。そうなの。人は見かけによらないものね」と、言って、にこにこして、二人の間には、子供もできただろうし、孫もできただろう。

 この三角関係の話は、今、現在私が、取り組んでいる【少女コンクリート詰め殺人事件】にも当てはまり、主犯の少年とその愛人(当時は、16歳だった)飯島愛との密着と、そこから、外れて居て、奴隷状態(=生きたダッチワイフとして、さらわれてきた)であった少女との、三角関係が、被害少女へ対する、日本社会では、史上例もないほどの、忌まわしいリンチ状態を引き起こした。三角関係というのは、とても恐ろしいものだ。

 私は、こういう事を内心に、しまったまま、表面には出さない。しかし、違和感を持ったことは、とことん、考察を重ね、分析し、統合して行って、血肉にする。そう言う頭で、ご近所関係も、銀座でのごたごたも、分析している。

 だから、一ノ瀬智恵子さんが渡辺豊重さんのアクセサリーとして、トンマで、無駄な時間を5,6時間過ごし、娘の沙彩ちゃんを、放課後3,4時間放ったらかしにして、いる事の恐ろしさにもすぐ、気が付く。だって、吉祥寺に住んでいるのですよ。アダルトビデオを借りてきて、見るかもしれないではないですか。母親は、子供に対して、愛情を持って見守らないといけません。その上、子供の上を行く主役を張ってはいけません。子供は母親を愛しません。で、母親の為に、身を守ると、言う発想がわかないのです。だから、ずぶずぶの、セックスに浸って行きます。私は一ノ瀬智恵子さんと、その上司(?)の渡辺豊重さんが、組んだ三角関係から外された人として、電車内ですが、2005年に既に、したたかないじめを受けたので、ここまで、はっきりと、語ります。

 そして、鎌倉雪ノ下の方の、ご近所で、トラブルが頻発し、私の土地が盗まれてしまったのも、その原因については、・・・・・ああ、不倫の略奪婚をしている人は、強欲だなあ・・・・・と、眺めて居て、そちらが、上下関係を完成させるために、私を輪に引き込むために、付き合いたいと、言う意志を示しても、絶対に付き合いませんよ・・・・・と、固く心に決める。

 都会のブランド住宅街って、そういうところでしょう。つまり、住人の価値観が、種々様々な場所です。バックグラウンドも、相当に違う。だから、あいさつ程度のお付き合いしか、しない方がいい。特に住まいとはゲマインシャフトの世界だから、心理的な自由を確保し、人間関係に余裕を残すためにも、ほどほどの、お付き合いに済ませるべきなのです。そして、違うエリアで、友人を作って付き合う。みんなそうして居ますよ。しかし、ここでは、お金と時間を掛けないで、ボスに成ろうとする、女性がいるので、大変厄介な事となるのです。

 この実動、15軒の山では、つい、この間まで、田舎めいた、べたべたしたおつきあいが盛んだった。又は、橋田寿賀子の、下町を舞台にした、人情ドラマに出てくる様な、お付き合いをしたがる、女性が、いて、その女性が、ボスだった。其れを、私が何度も書いて居るので、橋田寿賀子が、今年度の、文化勲章を授与された。「そうですか」と、言うしかない。

 主犯少年の母親については、ものすごく考えて居ることがあるけれど‥・・・ともかく、一番いけないことは、この主犯の少年が、既に絶望仕切って居て、セックスに逃避する以外の、生きる道がなかったことなのだ。

 もしかしたら、私立中学受験に失敗しましたか? その後こそ、大変だ。母親は、そこで、子供に集中をしないといけない。唯、私立中学受験をしなくても、一般的に言って、14歳で、格段と子供が変わる。特に男の子が変わる。小学校時代とは違って、そこからは、反抗を許して親が負けるという方式を取らないといけない。今までは、命令して、うまく行っていたことが、すべて、逆転する。

 命令はしない。ただ、待つという姿勢が大切だ。私はそうしたつもりだった。しかし、息子からは、「あんたは、支配的だった。それが、いやだった」と、いまだに、批判をされる。しかし、批判をしてくるのは、親との関係をまだ、息子の方が、信じて居るからだ。

 親を信じて居ないと、反抗をしない。一見しては、おとなしい、いい子みたいな外見を装うが、実際は、そのストレスを外で発散する。その上、子供の方、本人にも、親から、享受されるはずのものを、与えられないし、受け入れられない。そして、もらえないまま、育ちあがる。愛とはエネルギーで、それを、親から注がれないと、子供には、気力や意欲が生まれない。しかも、生きる技術も身につかない。

 この主犯少年は、高校を中退して居る。そして、町工場らしき所に勤務するが、すぐやめている。そして、家出して居る。

~~~~~~~~~~~~~~~~

副題3、『イギリスで、11歳の女の子が、3歳と、4歳の、男の子を殺した。この事件だけど、主幹の所は、こちら、日本の、少女コンクリート詰め殺人事件と同じだ』

 親の愛が、無いと、残虐な事をするのは、イギリスで、12歳の子が、3歳の男児を殺したので、それが、解明されている。黒髪で、眼のぱっちりしたその女の子は、4歳のころから、私娼として働く母の、男どもの相手をさせられていたそうだ。母親は、それをセールスポイントとしていたそうだ。

 其れは、裁判などではわからなかったことだ。たまたま、その20年後、ある女性ライターが、真実を解明しようと、身を乗りだした。その時、70代の女性ライターが、此の子(当時、既に、30代に達して居て、結婚もしていて、自分の子供もいた)を、自宅に招き、二日間泊りがけで、話をさせて、その肝心のところ、

・・・・・幼少期から、私娼としてお金を儲けている母の顧客の相手をさせられていた・・・・・という、真実の記録を残した。それは、ピュリッツァー賞を受けたと、覚えている。

::::::::銀座、福屋書店で、ハードカバーで、買ったのだけれど、今、我が家にはない。これも盗まれていますか?  そういえば、最近、漁師包丁という、小型の刺身包丁が、2本も盗まれていることを発見した。そして主人が、これが好きだから、これで、食べたいと、言ってこだわっている真円型のお匙、3本も。もう莫大な、料の、盗品を発見して居る。::::::::泥棒の話から元へ戻ろう。

  • ジッタ・セレニイ 『マリー・ベル事件―11歳の殺人犯』 林弘子訳、評論社、1978年、ISBN 4566052109 - 裁判記録。
  • ジッタ・セレニー 『魂の叫び―11歳の殺人者、メアリー・ベルの告白』 古屋美登里訳、清流出版、1999年、ISBN 4916028678 - 出所後に書かれた伝記。

 日本の場合、主犯の少年の両親は、中流の上の家庭を築いています。一方で、イギリスの方は、17歳で、未婚の母として、メアリーを生んだ、母は、無教養で、しっかりした夫も居ません。で、メアリーは、母の元ではなくて、篤志家たちがお世話をして立ち直ります。というか、成長していきます。

 ここですが、メアリーは、まだ、11歳(犯行時)か、12歳(収監時)です。だから、可塑性があります。それとイギリスには、きっと、まだ、底流に、キリスト教が残っているのです。で、キリスト教は、仏教に比較をすると、能動的です。それは、別の言葉で言うとおせっかいです。やってやろうぜ。育ててやろうぜ。大切にして、愛を味わわせて、やろうぜ。と、言う心を持った世話をする人がいたのです。まあ、キリスト教においては、父なる神のみ前では、すべてが、平等だし、神はすべてを愛してくださっているわけで、その神の愛に、潤沢に恵まれている人は、少ない人へ分け与えるべきだと、言う様な発想があるでしょう。

 ここでおせっかいではありますが、30代から、40代にかけての、すべての、お母さんに、この本を、読んでもらいたいと、思って居る。それよりも、少女コンクリート詰め殺人事件については、もっと、読んでもらいたいと、思って居る。それらは、自分とかけ離れた、遠い世界のお話ではない。特に、日本で起きた少女コンクリート詰め殺人事件は中流(もしくは、中流の上)の家庭の、両親のもとに育っているのだ。

 そちらの母親の、瑕疵とか、欠点とか、罪とかを、問いただせば、

 その母親は、

 ただ、うかつだっただけなのだ。簡単な、日本語で言うと、そうなる。なお、このブログの、2020年から、数え始めた延べ訪問回数は、6282832です。

2020-11-17の深夜、初稿を書き、18日の、午後、完成へと、もっていく。

 雨宮舜(本名、川崎千恵子)

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする