この一章は、最初の総タイトルを、【会社四季報などには、情報が一切乗っていない、その工場が、核燃料棒製造工場だと、なぜ、私に分かったのか?】 としておりました。しかし、変えました。なぜかというと、一種の寓意性を感じたからです。
この章の主要な登場人物は、三人います。常に観察者であり、語り部でもある私が、一人目、
次にこの章で、初めて登場する、政府の復興予算(税金、働く壮年者、一人頭150万円以上を負担している)をかすめ取って、大金を余剰金的、もうけとして、私有化し、他人からは、まったく見えない形の、大別荘を、鎌倉に、建てた、東北の建設会社の社長です。
その人はさすがに後ろめたいのか、他人からは中が全く見えない形で、大別荘を建てています。私は、建築途中で、訪ねたので、建設予定看板等を見て、その広さを知り、大工さんに、「どういう内装なのか?」をも聞いているので、その別荘が、一見すると地味目だが、大金がかかっている建築だと、知っているのです。
その家が、どうして外からは、見えないかというと東側に川が流れていて、その対岸は林であり、人家が皆無です。違う道からもっと高いところまで登ると、養老先生のご自宅でしょう。だけど、二つの家は、お互いには、目視は、利きません。西側は高い、しかも立派な塀(25mぐらい)を作ってありますので、中が見えません。北側は、別の家の敷地のはずで、そちら側からも、中は、見えません。南側は、お客用ベンツが、4代ぐらい停車できる、広い車寄せになっていて、お屋敷は、門と、塀の向こうなので、中は、まったく見えません。
しかし、その車寄せの部分は、昔は、富沢家という慶応大学の教授の家だったはずです。その一部だったはずです。
そちらの家は、昔から鎌倉の住民ではなくて、仙台伊達藩の、重臣だったはずです。私は、この地域=雪ノ下二丁目の、小さな谷戸では、人間関係が複雑で、難しいということを、引っ越してくる前から、聞いているので、誰にも、自分の出自について、語っていません。だけど、長州藩の重臣の末裔です。私は、富沢夫人を、この山で、一番育ちがいい人だと、言っています。富沢夫人の、出身地、及び、卒業大学は知りません。
しかし、家のカラーとして、あちらは、戦国時代から、続くさむらいの家、こちらは、鎌倉時代から、続くさむらいの家と、知っていて、カラーが似通っているのです。それで、大変安心して付き合っていました。
ところが、2016年9月26日、ものすごい裏切りを受けます。個人的な喧嘩ではなくて、むろん政治的なものです。私はある堰を超えると、あっという間に、すべての真実を書き表します。それが今、五年後になって、関本家を、富沢家の、位置において再現されています。で、リンク先を開示しないと、いけなくなっているのですが、気が重くて、いつも開示していません。それは、ミスター富沢が、歩けないほど、重篤な状態になっていると、奥様から、聞いたからです。しかも、普通の病気ではなくて、放射線障害でしょう。だから、リンク先を、開陳しにくくなっています。
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一方で、わたくしは、常に、趣味を、持っていて、それを楽しんでいます。ブログを書くこと、本を製作し、工業的出版へもっていくこと、油絵を描くこと、版画を制作することなどは、趣味ではありません。趣味とは、だれかに関係がなく、自分一人で、楽しめるもの、しかも、就業時間が、自由に設定できるものを指します。最近では、もし宝くじが当たったら、三度目の普請として、建てたいと、思っている家の設計図を、書くことが、短い時間で、できる楽しみの一つです。で、ネット検索、及び、不動産やの店頭で、駅から徒歩6分以内で、到着する物件を、見つけては、その売地の形状に沿った、家の間取り図を、描くことが、趣味の一つとなっているのです。
で、鎌倉駅から、徒歩6分以内の売り物は、すべて、頭に入っています。富沢氏が幼いころから、結婚する前まで、住んでいた家が、この章では、物件としての主役です。こまち二丁目というのは、鎌倉に住んでいる人なら、どれほど、環境がいいお屋敷街かは、知っています。一方で、雪ノ下二丁目というのは、小町二丁目よりも、有名です。一般社会に、向けては、有名です。で、雪ノ下二丁目、特に我が家近辺では、結構、騒音もあり(山の下を通る暴走族のオートバイの音など)そちらよりも、知名度は、高いものの格が低いです。
その二つが、このブログの、登場テーマとなるのは、ミスター富沢が、その両方に関与しているからでした。グーグルの地図でいえば、ほぼ、500mの距離でしょう。不思議な、寓意性を感じます。
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前報
Global Nuclear Fuel Japan に勤務していたと私が推察しているご近所紳士=栄光→慶応→三菱重工=が、今重篤だと、奥様は言う△
に、11日の早朝、午前4時に、いろいろ、付け加えます。
なぜ、情報が一切外へ漏れていない、核燃料棒製造工場が、横須賀市、平作地域にあり、なぜ、その立ち上げに、富沢氏が、関与しているであろうと、わたくしが考えたかです。
副題1、『横須賀にある平作川が、氾濫をしたのを、実際に目にしたことがある』
横須賀市って、意外と、平野が、ない街なのです。日産自動車とか、DENAの第二球場があるあたりは、埋め立て地だと、思います。工場用地として、唯一向いている地は、埋め立て地以外だと、平作川の、両岸にあたる 平作と、舟倉という地域しかないのです。
わたくしは、その平作川の、東側の、丘の上に、前に住んでいた家をいまだに持っているので、しょっちゅう、そこへ行きます。その際に、JR横須賀線、久里浜駅で、降りて、バスに乗り、三つ目のバス停【舟倉】のそばにある、大きなホーム・センターで、土、25リットル袋を、4っつ買い、花の苗とか野菜の苗も買って、タクシーで、丘の上にある、その家に向かいます。タクシーがだいたい、1100円ぐらいの距離です。
その際に、バスの窓から、西側を見るのが好きなのです。
そこに問題の、核燃料棒製造工場があるのです。私は、その工場を、合計50回は目視しています。JR横須賀線に、乗っている際にも見えるし、バスからも見えるからです。
以前から、何か、不思議な点がある工場だと、思っていました。それは、窓が、一つもないことです。また、工場が所属する会社名が、看板都として、出ていないのです。線路から、看板が見える工場としては、武田製薬とか、紀文があります。
現在の工場では、通勤する社員が、たいてい、車で通ってくるので、工場自体は、白で、あっても、その周辺は、カラフルです。
しかし、その工場には、それらのスペースが見当たりません。つまり、自動化されており、勤務している人間が、きわめて少ないことを示唆しています。
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副題2、『1975~83年の間のどこかで、親戚の人が、「そこに、立教大学の原子炉があるのです。それを借りて、実験をしたいので、泊まりたい、いいかなあ?」と言ってきました。当時は、横須賀には、良いホテルなんかないし、普通は、出張時には、親戚に泊まるものだったし、了承して、泊まってもらった」
彼は、東大卒ですが、正式な地名は言わず、かつ、実験の内容も言いませんでした。
で、それから、40年近くが過ぎて、子育ても終わり、北久里浜の家に行くのは、夫にとっても、私にとっても、余裕のある行動なので、車窓は、よく見るわけです。で、『どこにあるのかしら? 立教大学の原子炉って?』 と、いつも考えるのですが、どこにも、それらしいものはありません。むろん、福島第一などと比較すると、各段に小さいものだとは、思いますが、それにしても、ようとして、行方が分からないので、
わたくしは、すでに、撤収されていると、考えています。
特に、第五福竜丸事件とか、東海村事故などで、放射線被害は、恐れられていたからです。だから、そこに原子炉があったことなど、横須賀市民は誰も知らず、また、撤収をされたことも誰も知らない模様です。立教大学そのものも、もう、核物質関連の、研究をやっていないと、思いますよ。
ここですが、福島県浜通りの、首長さんと、住民は、相当に、東電と、アメリカの軍産共同体から、馬鹿にされていたと、考えないといけません。田舎者だから、知識がないだろうと、みなされて、ただただ、お金をやればいいのだと、思われていたのです。
しかも、それらのお金は、立派なホールなどの箱もの建設に使ってしまって、事故が起きた後での、対応費用としては、残っていなかったのです。
そして、事故後です。これまた、お金をじゃぶじゃぶと注いで、住民たちを、慰藉しています。34兆円も、注ぎ込まれていて、それは国民一人頭25万円の出費に当たるそうです。
東京圏で、車の中で、生活しないといけない人が、多数出ている中で、仙台では、ベンツがバカ売れしているそうです。また、今は、新コロナ禍で、職を失い、露頭に、迷っている人が多いというのに、住む人もいない、街を、かさ上げするのに、何十億円もかけているそうです。そして将来いつ、襲来するかは、わからない大地震に備えて堤防もかさ上げするとか?
すべて、原発は、悪くないのだと、被害者たちを、洗脳していくための、お金です。
でも、菅直人内閣時代は、良かったのですよ。原発に関する資料が、大量に出てきました。国民が賢くなるチャンスだったのです。
しかし、安倍晋三内閣に代わると、その、国民を馬鹿化の、法へ洗脳していく、慰撫のバラマキ政策は、さらに、拍車をかける様になりました。
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副題3、『わたくしは、立教大学の原子炉があった場所に、現在の、三菱重工傘下の、グローバル ニュークリア フュエル ジャパンが、できたのではないかと、見ている。それにしても、あまりにも堂々とした名前で、驚き入っているのだが、横須賀市民は、問題にもしていない模様だ』
わたくしの場合は、英語が自由自在であることも、役に立ったのです。カタカナで、グローバル ニュークリア フュエル ジャパンと、グーグルの地図が言う工場が、『核燃料の工場? あ、そうか?、核燃料棒を作っている工場ですね』と、即座に、判断をするからです。別に自慢をしているわけでもないし、普段英語の勉強は一切やっていないのですよ。でも、身についているから、そういう風に謎を解いていきます。
特に、英語の直訳だと、核燃料工場と、なるわけですが、常に、原発について、情報を探り、研究を続けている私だから、「あ、核燃料棒の製造工場ですね」と、わかって来ることなのです。
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副題4、『ミスター富沢は、微量な、放射線を浴びたわけで、お子様には、被害が出ていない。お子様が、生まれたのちに転勤になったのかもしれないし。しかし、この堂々たる命名を見ると、三菱重工の幹部は、福島県、浜通りの人と同じく、・・・・・原発は、いいものだ・・・・・と、信じていたのかもしれない。東電の幹部もその様に感じているらしい。
そして、それは、CIAの、意向でもある。したがって、伊藤玄二郎は、鎌倉に住んでいるのにもかかわらず、国家、神奈川県、鎌倉市の公金を、自分のためにじゃぶじゃぶ使う。それは、東北に住んでいて、この復興予算を、使役できる、建設業者も、同じである』
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副題5、『最近、見かけ上は、目立たないが、かけたお金の、総額は目玉が、飛び出るほどだと、言う木造平屋建ての別荘ができた。東北の建設会社の社長と、言うことだけれど、もしかして、例の復興予算の、対象物件、例えば、土地のかさ上げを、6市町村で、請け負えば、軽く、100億円の、売上高となる。相手は、国家予算だから、査察も、手薄というか、甘いはずで、請求書を水増しすれば、20億円ぐらいの、想定外のもうけが出るだろう。それを東北の地元で使うと、人々の批判を受ける。だから、鎌倉に、いかにも隠れ家みたいな別荘を作った。しかし、かけたお金は、10億円だろうと、わたくしは、推察している』
東北の建設会社の社長だと、言う人が、鎌倉市、小町二丁目という、最高ランクの住宅街(ただし、売り物件が少ないので、意外と、質素な昔風の、建設のお宅も、いまだ多いのだけれど)
の滑川(なめりかわ)そばに、それこそ、言葉通りの、豪邸を立てた。別荘だと、言う話である。それを、知った時期から、一年以上たってしまったので、正式な敷地の坪数も、建物の坪数も、うろ覚えで、不確かなのだが、敷地は、300坪で、建物が、平屋で、100坪だと、覚えている。しかも、建物が、そう・数寄屋造り・で、昔風の建築様式(例えば、土壁は、篠竹で、組んだ素地を使うとか)を用いて、建設されているそうだ。その種の建築ができる専門店は、今は、とても少ないのだが、横浜に一件ほどあるそうで、そこが、引き受けていると、言うことだった。土地が、まだ、安かったころに手に入れたと仮定すると、二億円。今だったら、五億円だろう。
建物の、方は、見かけは、平屋だし、木造だから、一見質素だ。しかし、実際には、坪単価が、300万円ぐらいは、かかっているそうで、3億~五億円の建物だと、推察している。ふすま絵に、日本画家への、注文絵画を使ったりしたら、5億円は、優にかかる・大・大・豪邸である。
ここで、読者の方、及び、アイリスオーヤマの社長に、お詫びをしておかないといけない。ちょうど、その建物を見たころ、かんぶりあ宮殿で、アイリスオーヤマの、特集をしていた。社長さんは、大阪の出身だそうだが、工場は東北に建設し雇用を創設したので、大変に喜ばれているそうだ。で、わたくしは、このブログのどこかで、アイリスオーヤマの社長の別荘ではないかと、書いた。断定はしていないが、憶測の一つとして、それを描いた。
建設業者というほうが正しくて、復興予算に群がって、国家予算から、利益を生み出した、社長だと、思う。アイリスオーヤマの社長、また、社員の方々にもお詫びをしておきたい。そして、原文が見つかったら、直しておく。
地元で、目立たないほうがいいと、言うのはその通りです。【おぎやはぎの愛車遍歴】に【たかのゆり】さんが出てきました。子供のころ、とても不幸だったので、お金持ちになった今は、ロールスロイスを、次から次へと、買い替えて、満足をしていると、発言をしたのです。すると社員から、デモを起こされて大反発をされたそうです。薄給で、重労働をさせていたからでしょう。で、高野百合さんは、それ以降は、マスコミには出なくなりました。会社の宣伝も、あまりしない様になりましたね。
なりあがりもの、または、田舎者は、テレビに出るのを喜びます。だけど、「王様の、耳は、ろばの耳」と、思っている人は多いでしょうね。いったん、ほころびが、見つかると、ドドドっと叩かれます。
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副題6、『鎌倉市で、新しい家を建てる際には、たいてい発掘作業をしている。それも、普通の土地売買より、金額が高くなる、一原因だが、もう一つ、縛りがあった。売り出された土地が、高額になる理由が、あった。それは、最近知ったのだけれど、100坪以上の広い敷地を売り出す場合、ほかの地域の様に、30坪✖3区画という風な分割をしてはいけないそうだ。二年間は、大きな分割で、我慢をすることというもの。
で、大きな分割だと、2億円近くなるので、建設業社が、いったん買うのだそうだ。そして、二年間、塩漬けにした後で、さらに、小さく分割して売るか。または、小さく分割して建売住宅を建てるそうです。環境の保全に役立つと考えられているのです。が、二年後は、かべを接する、住宅に変化します。ところで、小町二丁目って、大変良い地域なのです。それで、売り物件がほとんどありません。
一方で、富沢夫人から、長らく空き家だった、親の家を売る話を聞きました。ご主人の姉妹が、銅版画をやっていて、版画をする道具であるプレスが置いてあったので、なかなか処分できなかったそうです。
えっと、驚きました。そのとき、わたくしは、自分のプレスが、鎌倉の自宅へ運び上げるのは無理で、逗子のアトリエを作った話は、富沢夫人委はしませんでした。富沢家の、実家、元慶応大学の教授の家に、プレスが、有ったのなら、それを、一週間に、一回だけ借りるという形に持っていくことができたら、逗子のアトリエを作る必要はなかったのです。
しかし、その話を立ち話として、聞いたときは、わたくしは、プレスも手放し、アトリエも、大家に返却した後だったし、富沢家は、すでに、売ったのだから、どうしようもないのでした。で、「ああ、そうお」と、言う感じで、聞き流していたのですが、その別荘を見に行ったとたんに、その別荘の、300坪だと、言う敷地の一部は、旧・富沢家であろうと、推察しました。不動産やに聞くとその通りでした。
私がどうして、こういうことを知っているかというと、家の設計図を描くのが趣味だからです。ただ、北久里浜の敷地のように、正確な長方形の、土地は、鎌倉では、あまり売っていないので、敷地に合わせて設計をするのは、なかなか、難しい作業なのでした。しかし、難しい課題が、大好きです。富沢家の土地で、別荘の持ち主が買って、余った部分は、すでに、別の人に、売れているそうです。が、そこも、一時期は、売り物として、地面の図が、不動産やの、ファイルに載っていました。ただ、間口五間、奥行き11間という形で、残っているので、設計図を描くとすると、なかなか、難しい土地でした。でも、しばらくの間、遊ばせてもらい、楽しみました。
今章は、下らない話だと、思う方もおありでしょう。でも、でも、現代日本社会が、抱えている大矛盾をいろいろ、多数項で、内包しているのですよ。
特に問題なのが一億二千万人の、国民一人当たり、復興予算が、25万円だと、言うことです。私の子供世代の、男性に当てはめると、一人頭100万円を、東北で、ベンツを買い、豪華すぎる別荘を建てる人に、それが、回っているということです。
「どうして、そんなバカげたことを自民党内閣が、するか?」というと、日本が、被・植民地国家だからです。そして、アメリカに住んでいる、ロックフェラー一族とか、レオスカラックス監督が、そこから出てきたデュポン家が、お金を集めていくわけです。日本人が働いて、本当は、自分のために使いたいお金が、税金、電気代、NHK視聴料などという形で、吸い上げられているわけです。
そして、ICUで、ロックフェラー四世と、親しかった、石塚雅彦さんは、日本における、CIA代理人としてわたくしを苛め抜いています。古村浩三君、佐々木来目夫君、三輪喜久代さん、大前勇介さん、そして、それを高校にまで、敷衍して、坂本喜杏さん、宇都宮和代さん、中島加奈子さんなどに、いじめられています。中学など、成岡康司君が、たぶん現在日本の、CIAエージェントのトップだから、大変です。よい友人として、ずっと信頼していた、飯田隆君にもしたたかに、裏切られているし、朝日新聞社の重鎮の彼は、田原総一郎などを利用していますね。
そして、美術界の、野見山暁次、秋山祐徳太子、栗田玲子、黒田悠子、金成悠子などなど、
そして、鎌倉えーじぇんと、伊藤玄二郎、いまだ生きている、井上ひさし、松尾崇市長、
そして、ご近所様、安野忠彦・智紗夫妻、前田清子さん、小野寺夫人、ミスター山田、など、など、ああ、わたくしは、彼らの攻撃により、子供にも孫にも会えないのです。私が接すると、彼らにも攻撃が及ぶからですし、彼らからの、ごく普通な、反抗の電話を録音して、それを糧にして、精神病院にご近所様から、強制入院をさせられそうだからです。
一方で、私を弾圧するのに、2013年7月から、明瞭に、敵方の役に立っている平木さん一家は、ご長男が、「東大に入学できますよ」と、前年の、秋から、お知らせを受けています。
私はそれ以外、友達は、去る様に、讒言が告げられるし、NHKニュースを使って、脅かされるし、パソコンとかテレビとか、スマホとか、ラジカセとか、洗濯機とか、ミシンとか、少しでも、ITチップが入っているものは、壊されるしで、
普通の人の、30倍の体力消耗と、金銭の消耗を迫られます。
でもね、2016年9月から、猛然とした勢いで、敵方に協力する富沢家の、ご主人は、今、病室内でも、歩けないそうです。
なんの病気かというと、放射線で、細胞の、内側から、壊される、核燃料被害に出会っているからです。
そういう放射能被害を生み出す、ヒロシマ型原発と、同じ被害を、いざというときには、生み出す原発というものが、それがないと、動かない核燃料棒を、三菱重工の、一下請け工場として作り続けている、グローバル ニュークリア フュエル ジャパンの、ホワイトカラー指導者として、30代から、40代を過ごしているでしょう。
自動化、が、最大程度に、進んでいる工場でしょうが、微量な放射線は、壁を通して、彼の体を壊しているのです。頭脳は明快だそうですが、ベッドから、降りて歩くことができないそうです。
なんという、矛盾だろう。その人は、2016年、私を寝かせないという形で緩慢に暗殺していく方向で、動いた人なのですよ。
雨宮舜 (本名 川崎千恵子)