皆様、私はね。ものすごく忙しいのです。それでね、ちゃんとした長い文章を書いている暇がありません。で、下記はある長い文章の一部分です。第9節です。それ以外は、まだ、公開ができません。でも、この短い部分でも、自分の驚きと、疑問を提示しています。 心から驚いたことを書いています。
ちょうど、ニュースとして、女性検察官のセクハラ、問題をNHKが取り上げていたので、ここで、書いている様な動画も、その手の事件を誘発するだろうと思って、取り上げています。
実は、私がいまだ生きていますよと、いう存在証明のための、文章でもあります。短か、すぎますが、ほかの人の投稿を見ていると、皆さん短いのですね。以下の文章が、それらに比較して、短すぎるという事はありません。と、自慢しちゃったりして、ごめんなさい。
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・・・・・・ わたくしは一ノ瀬智恵子さんをよく批判をするのだけれど、葉山の美術館の片岡球子展の、オープニングに豊重さんのお付き添いとして訪問をしてきたのは、2005年・・・・・イコール鈴木紗綾ちゃんが、7~8歳ぐらいだったと思う。
だけど、彼女の実年齢から考えて、もっと年上のお子様だと思っていたので、『何を遊んでいるのだ。それも私を急にいじめる=====酒井忠康氏の差し金だったと、今では確信をしている=====豊重さんの、家来としての出歩きである。自分の個展で、夜の八時ごろ吉祥寺に帰宅をするのは、まだ、許せる。だけど、豊重さんのアクセサリーになるために、高校生ぐらいの子供を放っておいてはいけない。だって、母親のいない放課後、吉祥寺の古本屋で、子供が見てはいけないとされている種類の貸本をたちよみするかもしれないではないか・・・・・といっている。しかし、お子様はわたくしの想像よりもずっと年下だったのでした。
三鷹ストーカー殺人事件が起きた時、ヘリの乱舞を見ていて、『あれ、一ノ瀬さんの家の近所だなあ』と思った。一ノ瀬さんの家を訪問をしたことはないが、私は個展の案内状を出す関係で、彼女の住所を知っている。 また、昼間だと、地図の読める女なので、ヘリの乱舞で、地図上の位置がわかるのだった。
でも被害者少女は、一ノ瀬という名字ではなかったし、一ノ瀬さんの実年齢から考えると、もっと年上のお子様の筈だから、そのヘリが、一ノ瀬さんの家の上を舞っているなどとは、夢にも知らなかった。一か月後、ふとした縁で、その事実を知って、その時点で問題のリベンジポルノというのを探したが、もう削除をされていた。ただし、今まで、見たこともない別の動画を見つけた。
一番印象に残っているのは、20代の女性(数学の教師だという説明付き)を、裸にして、8人ぐらいの男性が、胸の高さで、彼女の両足と、両手を、別の人間、特に円形の対面に当たる位置にたつ人間が、もって円形に回していくという動画だった。動画は小さいサイズであって、はっきりとは見えないのだが、明らかに、男性陣も数学教師という女性も、アジア人だった。しかも、ベトナムとかインドネシア系の肌色ではなくて、白い肌で、黒い髪だった。驚いて、驚いて、声も出ないという感じだった。
だが、「どこかの大学の演劇部が、試作品として制作したポルノ動画だ」と言われたら、納得ができる。が、普通の日本人男性たちが(ただし、高校生ではない)が、こういう動画を撮影する行為をしているとしたら、どこでできるのだ?と、ただ、ただ、おどろく。
ただし、今は、その手の画像にはたどり着けない。あの時は特別だったのだ。今は、せいぜい、妻の不倫を嘆く文章系、サイトに到着できるぐらいだ。猫についての動画を追いかけていくと、そういうサイトにたどり着ける。
(蛇足1)
渡辺豊重さんのいじめがなぜ、酒井忠康氏、源泉かというと、2023年の鶴岡八幡宮様への献灯で、酒井氏は、珍しく、絵を描いているのです。普段は流麗な漢字・カナ交じり文(書道)で、有名な短歌や、俳句や、詩が多いです。
しかし、その年だけ、絵が描いてあったのです。小さい絵ですが、「豊重さんが亡くなって、残念だ」という添え書き付きで、人物像が描かれているのです。で、それを見ているうちに、酒井先生は、当然、その献灯を、わたくしが見に来ること(だって、目の前の山に住んでいて、八幡宮様とは地境地主ですよ)を予測していらして、対わたくしへのメッセージとして、そのぼんぼりを、おつくりになったのでしょうと、理解しました。
酒井先生は、その2023年は、世田谷美術館の館長でいらっしゃったでしょう。だから、給料が入る美術評論家で、べつに私をいじめる必要がないのです。
しかし、私はね。ネットを利用して、美術作品に対する感想を述べていたのです。自分では、美術評論などとは思っていません。それほど、自分を大人物とは見なしていないのです。ただ、私は、自分が本当に、心打たれた作品についてしか文章を書かないし、または、本当に、controvertial (斬新な)作品についてしか書かないしで、しかも英語で書いて、ニューヨークの有名画廊のメルアドに送っていたりして、それが反応として現れたりして、ぐんぐん、有名な、かつ、人気のある美術評論家となっていったのです。
すると、美術館や大学に勤務していない美術評論家たちから怨嗟の的となっていったのでした。お金を取らないことが大問題になったのです。でね。わたくしをつぶせという大音頭がとられたのですが、
どうも、その中心が酒井先生だったらしいのです。酒井先生は、住まいが鎌倉だし、近代美術館の館長職も長かったので、私に対する影響力が強いと思われているのでしょう。
で、針生一郎、瀬木真一、秋山祐徳太子、ワシオトシヒコなどは、目の前で、(言葉で)または、文書で、または、ファックスで、いじめてきたのです。と、同時に針生一郎氏が、ほめてくれている何枚ものはがき(二ミリぐらいの小さな字で書かれている)も盗まれています。それが、我が家にあると、針生氏が、裏切り者だという証拠になるからです。
そして酒井先生は、渡辺豊重さんにも、私をいじめる様に命令したと思われます。そのバーター取引が、横浜のサッカー場エントランスの天井画を描くことだったのでしょう。
渡辺豊重さんは、1994年のわたくしの銀座での二回目の個展にも来てくれて、「すごいオープニングですね」と、驚いてくれたのです。それ以来、30年間の面識があるのに、突然に横須賀線の車内で、一ノ瀬さんと二人して、いじめてきたので、ただ、ただ、口をあんぐりです。
でもね。彼は、美大を出ていません。普通の大学も出ていません。でも、色が明快です。美しいです。で、トップ画家に上り詰めたのですが、それだけ、弱いところがあって、人の嫉妬を招いたりしていたのでしょう。それを防ぐため、または、補うために、常に女性と二人で、銀座を歩いていたのでした。
葉山の美術館へはたまたま一ノ瀬さんを連れて行ったところでした。その行きも帰りも、私は、同じバスで、同じ電車だったでしょう。で、私が、母親でもあり画家でもあるというセールスポイントで、活動している一ノ瀬さんからいじめられて、びっくりして、それ以来、内心で、批判をしていたら、あの通りの大事件が起きたでしょう。彼女は、母親としては、2005ねんからすでに、ダメな人だったのです。
それを私は、普段は口外はしないが、事件が起きるとピタピタッと、分析しますので、今まで、私をいじめてきた人は覚悟をしておいてくださいね。(苦笑)
ところで、世の中の人を見ていて考えるに、わたくしも面の皮を厚くして、自分の文章を美術評論と名乗って、それにお金をもらえばよかったのかなあと、思っています。1990年代に、一文字100円だと、いう方が居ました。じゃあ、2000年代に始めた私は、一文字、70円を取ったら、どうだったでしょうねえ? そうすると一本、21000円ぐらいになります。とても安い方ですね。そして、平易な文章で書くので、一般の人に向けて、その画家を紹介するのにふさわしい文章となったでしょうし。今となっては試し様もない話ですが。
ここに、山口みつ子さんが、殺された話が引っ付いてきます。彼女は、自殺ではありませんよ。で、そのほか、膨大な、リンク先を引っ付けないといけないのですが、今日は、できないのです。どうか、お許しくださいませ。
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