以下の文章、23日の21時20分にやっと完成しました。お読みいただければ幸いです。
昨日=2024年11月21日は、6日の事を書きました。その日、午後3時過ぎの鎌倉・雪の下二丁目の、安野夫人の行動で、「あれ、私すさまじい危険な目に出会わされている。近々殺される予定があるらしい。大変だ」と気が付いたと語っています。
しかし、本日は、5日の内田クリニックでの、診察室、待合室、レントゲン撮影室での出来事に戻ります。だって、安野夫人の行動の解釈にしろ、私が5日のうちに、(内田先生が、見せてくださった)
レントゲン写真が、(私の肺を15分前に、撮影したものではなくて)、偽物だと、気が付いていたという前提条件がないと、そこまで、はっきりとは、わからないはずです?
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副題1、『内田先生に申し上げたい。絶対に医者の方が、上であり、偽物の肺病写真を見せても、見破られる筈がない・・・・・と、思って、見せられたとしたら、そりゃあ、間違いですよ・・・・と。私はそれを見た途端に、嘘写真だと、わかっていました・・・・とも』
宇崎竜童・阿木曜子夫妻の大ヒット曲、の歌詞ではないが、「ばかにしないでよー」と、言いたいです。誰に対してかと言うと、内田竜生先生に対してでもですが、以下の五人の医師に対してもです。
内田先生に、この詐欺・または、詐病・による暗殺未遂事案を頼んだ人は、以下の七人の中にいるでしょう。
*1)、関東労災病院院長、*2)、湘南鎌倉総合病院院長(徳洲会の基幹病院で、私に対して各種のいじめを過去に既に行っているので、伊藤玄二郎達と通々であることを、私が知っている医師)*3)、神奈川県医師会・会長、*4)、神奈川県・整形外科医師会・会長、*5)、内田先生が、卒業した大学の現在の学長(内田先生の恩師は、とっくに亡くなっている筈だから)、
ま、この五人の中にいる筈で、後、何人か、可能性がありますが、個人名は今のところ、分かりません。内田先生しか、分かりません。
また、これらの医師の背後に、*イ)、伊藤玄二郎、*ロ)、写真の制作者(もしかするとスクエアエニックスの社員とか、東工大のAI教室・・・・・ともかく、私の小学生時代の友人で、歌舞伎座でのいじめに関して大活躍をした市瀬紀美子さんの夫君とか子息・・・・達====か、警察庁のIT技術者)・・・・とか、*ハ)いまだ鎌倉の山の中2000坪のお屋敷の中で、ひそかに、生きている、井上ひさし、
そして、警察関係者、そのトップは今のところ、*二)、露木警察庁長官(京都大学卒)ですが、
ともかく、医師の中の一人(*1~*5の中にいる筈)、と、そのまた後ろにいる人間たち(*イ~ハ)までの中の一人、そして、究極の責任者、露木長官に対して、「馬鹿にしないでよー」と、言いたくて、常に頭の中で、宇崎竜童の歌のリフレインが、鳴っているのです。繰り返し鳴っているのです。
私はね。最近の10年間は、この鎌倉市雪ノ下二丁目で、安野夫人と仲良くしている人は、東大卒であろうと、慶応卒であろうと、(神奈川県一の進学率を誇る、栄光学園卒であろう)と。全員バカ化する。とブログで言い続けてきています。または、違う言葉、「あほ化」するを使って、説明をし続けてきています。
それが、2005年ごろから、銀座(京橋を含む)の画廊街をも覆うのですが、この2024年11月から武蔵小杉をも、覆う事となったのです。
武蔵小杉って、50年前は、工場街だったのです。恵比寿と、同じです。大型の敷地があるので、大型の敷地が必要なタワマン林立地帯となって、所謂パワーカップルの住む、上等な街となったのでした。
私がよく武蔵小杉に行き、そこで、個人クリニックを選ぶのは、別におしゃれな街を好んでいるわけではなくて、40年間住んでいる鎌倉よりも、武蔵小杉の方が、72年間よく知っている街だからです。特に関東労災病院が出来てからでした。東横線日吉に、住んでいたし、結婚してからも、よく行くからでした。日吉の住民にとっては、最近リフォームをされた井田病院(川崎市立 昔は、結核病棟だった)を、利用する人が増えたみたいですが、そこのリフォームがなされる前までは、関東労災が、もっともよい病院だったからです。
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副題2、『なんで、内田竜生先生が、この詐欺・・・そして殺人未遂事件でもある・・・に、加担をしたかと言うと、清川病院での、第一回目の詐病事件を、私がブログで、書いているからでしょう。その病院は、鎌倉一古い病院です。現在の院長、まどかさんは、三代目か、四代目です。隣のビルに、伊藤玄二郎の会社が、引っ越してきたし、
伊藤玄二郎は、鎌倉医師会の雑誌【神庫】の編集発行人として、鎌倉医師会を牛耳っていますので、この件を頼んだのでしょう。でもね。瞬時に写真を嘘だと見破ったし、たまたま、6か月の経過を経た写真と元の写真が、全く同じだったので、最初に「あなたは、結核です」と宣言してしまったまどか先生も、大いに戸惑い、フリーズしちゃったのです。私より40歳は若いまどかさんをかわいいなあと、思い、丁寧に経過を書いています。まどか先生を悪者には、してはいません。悪者伊藤玄二郎に利用をされた犠牲者として、文章を書いています。
だけど、まどか先生は、お若いです。あの時、49歳ぐらいだっただろうか? その上、お嬢様として、小さい時からちやほやされているので、勝気でもあって、下手に出ることができません。
自分がミスをしたなどとは認めたくなくて、必死になって、「あなたは、、結核にこれからなる、前期の病です。何とか、何とか病です。で、痰がでたら、これに入れて持ってきてください」と、おしゃって、プラスチック製の容器を三本渡されました。ラベルにカタカナで、「カワサキ チエコ(雨宮舜の本名)」と書いたのは、看護師でしょうが、二年以上経過しているのに、一回も痰を入れる必要を感じたことはありません。ここに写真を置いたのは、ともかく、私が嘘を言っていないと、言う事を証明する為です。
だから、この内田先生を使った復讐事案もとんでもないのです。だけど、ずるいずるいCIA連中(伊藤玄二郎と、警察庁混合一派)は、自分たちが、表舞台に立たず、医療現場を使う事を、素晴らしいアイデアだと、思いつき、二回目を、実行したのでした。かわいそうな内田先生は、第二の犠牲者です。悪者、伊藤玄二郎と、すべてをあほ化し、死屍累々たる犠牲者にしていく、モンスター安野智紗夫人の、悪意の犠牲者です。
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副題3、『さて、この第二の嘘写真を作った連中は、一応、私の第一の文章を、参照し、そこで、「これが、嘘だから」と言っている部分を訂正してきました。だけど、それでもだめなんですが、そのダメな理由は副題5で書くとして、ここでは、まどか先生の写真のどこが、だめなのかを語りましょう』
まどか、先生の写真の絶対にダメな理由は、右肺の下部に、ほぼ円を描く形で、真っ白な病巣が浮かんでいるのです。私はカエルの解剖をしたことがあります。結構大きなカエルでした。肺胞が、小さな真っ赤な粒の集まりである事を知っています。でね、結核菌に侵されて、崩れた肺胞と、隣の健康な肺胞の境目が、こんなにくっきりとしている筈はないと、言いきっています。
そこを二度目の今度は訂正してきたのですが、それでも、アホ極まりない偽造写真であることは次の節、または、副題6か、7で、語りますが、
粟粒結核と言う言葉をまどか先生も知らない模様だし、上の*1~*5まで職名を上げた先生も知らないらしいですが、肺胞と言うのは、小さな風船なのです。赤いのは、その風船のゴムにあたる部分に赤血球が集まっているからでしょう。そして、風船の中に、新鮮な酸素を入れて、ゴム部分にあたる赤血球に酸素を送り込むのです。今ね。じぶんの期待以上の病巣写真が、Google検索で、みつかりました。で、コピペして、使おうとすると、goo blog 管理者から、その写真を使用させないと言う命令が来たので、そのURLだけを、ここに付記します。と、書くと、更に、つぎな段階として、そのアルファベット群ま、使っては、ダメだ と出ました。つぎ !の段階として、URLも、使用させないと出てきました。で、皆様ご自身で、粟粒結核の病巣写真をご覧いただきたく存じます。
だから、私は、中学時代から、肺とは、どういうものかを知っていたし、肺結核の病巣写真が、どういう風にレントゲン内で、映るかも想像することが容易にできました。で、その65年後、清川病院のまどか先生の診察室で、それを見せられた時も瞬時に 違うでしょう。偽物でしょう と、分かったおです。時制の間違いで、まどか先生が、嘘写真だと、お気づきになったのですが、その数秒前に、私には、分かっていたのです。中学の先生は、ただ、カエルの解剖を命令されただけで、結核がどうなるかなどと、何にも教えてもらっていません。その後の、高校の授業、大学の講義でも、教えてもらったことはありません。だけど、分かるのです。で、この件でも、軽く医者を凌駕するくらいですから、私は、あたまがいいのです。それを自分から言うのは、逆効果でしょうが、私は頭がいいのです。1965年以来、私がずっと弾圧を受けていて、7回ぐらい殺されそうになっているのは、ひとえに、頭がいいからです。それだけが、理由です。日本に頭のいい人を生かしておくと、日本を支配できないからです。日本から、日本国民が働いて作った富を収奪できなくなるからです。
現代日本では、頭のいい人間は生きていてはだめなんですって。安野智紗夫人みたいな、自分では、自信満々だけど、私から見ると、『三段階ぐらい低いなあ』と、思う人間しか、生きていては、いけない・・・・・そういう国なのです。日本って。
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副題4、『NHKが、数年前に、今、結核がはやっていますと、数日間、繰り返し流したニュースも嘘だったのでしょう。どうして、そういうニュースが生まれたかと言うと、それも、私のブログからアイデアを、井上ひさしが、拾い上げたのです。
私は、幸田文の小説、【闘】を大傑作だと思っており、英訳をされるべきだと思っています。これが結核の話なのです。実は23日の夜になって書き加えますが、トーマス・マンの魔の山よりもすごいと思っています。両方とも読了していますが、両方とも結核の話です。ただ、幸田文の方が、構成力も高いし、心理描写も巧みで、読んでいて面白いです。ただし、ハッピーエンドではない。それでも、面白いのですよ。
で、この書物の感想文を利用して、わたしを殺そうと思い始めから、まず、NHKが、ニュースとして、現在、結核が、蔓延して居ると言い始めたのでした。それは、嘘かもしれませんよ。でも、私は、彼らの計画通り、見事にそれに引っかかって、信頼して居る鶴見の女医さんに「胸のレントゲンを、撮って頂きたい」と、お願いをしたのですが、先生が、「うーん、今日は、もう、そのカメラの電源を落としちゃったのよ」と、おっしゃったので、その日は、諦めて帰ったのでした。私は、自分は、健康だと思って居るので、一年ぐらい間をあけて、今日は、レントゲンを撮って貰いたいと思って訪問したのですが、その間、敵さん達は、ちゃくちゃくと新しい罠を準備したのでした。
つまり、かかりつけ医制度推進キャンペーンですね。大病院が、必要の無い患者で溢れて居て、本当に、必要な人に、必要な治療が、行き渡らない、、、と言う大キャンペーンです。あれを、真っ当なニュースだと思って居た、私は、👉
ここで、五時間程度、何も説明も無しで、中断しました。電車が、駅に着いたからでした。再開します。
👉 騙されてしまって居たのです。あれは、私を鎌倉の内科医へ導入し、次の段階へと誘って、鎌倉で、嘘の、肺結核写真を見せて、殺すつもりだったのです。
でもね、肺結核なんてはやっていないから、清川病院でも肺結核患者のデータのストックが無くて、武蔵小杉の内だ先生の上司のところにも肺結核写真のストックが無くて、偽造写真を使わざるを得なかったのでした。
逆説とはなりますが、その、自分が殺されかかっているという真実に気がつかせてくれた、安野夫人には、ありがとうと言おう。で、ここで、自分の事情から、元へ戻ります。
西洋の小説では、ロマンローランの【ジャン・クリストフ】を一番好んでいますが、
日本語の小説では、中勘助の【提婆達多】と、北畠八穂の【悪たれわらしポコ】をも、大傑作だと思い、・・・・ああ、自分が英訳してもよかったなあ・・・・と、思うほどです。闘を加えたその三冊を英訳して出版出来たら、わが生涯は満ちたれりと、言うほどの傑作です。ただし、82歳の今では、たとえブログを終了しても、その三冊を英訳できるほどの体力は残っていません。
新潮社は、自社で文庫化している【闘】をぜひ、ぜひ英訳なさいませ。又、【提婆達多】は、岩波書店で文庫化されているし、中勘助は、岩波の創設者と、帝大同級生だった筈です。だから、岩波で、総力を挙げて英訳し世界に広めてほしいです。
さあて、北畠八穂の【悪たれわらしポコ】ですが、グーグル検索では、一人だけ読後の感想として、文体が読みにくいと言っています.これは私のブログをつぶすための悪意ある文章の筈です。私は中二か、中三で、横浜では、有名な一族である、龜田病院のお嬢様から借りて読み、大感激をしました。中二の段階で、すらすらと理解が出来たのですから、文体が難しいとは、このブログの著者の世代が若いゆえの難点の一つであり、そのブログを書いている人間の能力の低さだと思いますよ。失礼ながら。北畠八穂から、攻撃を受けたわけでもないのなら、こういう書き方は、裏に、『伊藤玄二郎が居ますね』と判断をします。汚い人間だなあ!
こちらの小説は、昭和29(1954)年初版らしいです。児童小説専門出版社から出て居たと思いますが、その後、光文社とか、学習研究社とかでも、再販され、本日調べたところ、講談社で、文庫化されている模様です。
で、講談社は、図体が大きいのだから、総力を挙げて、これを英訳し、世界に広めてほしいです。主人公が中年の、メンターに救われるところは、ちょっと、ケストナーの名作・・・・【飛ぶ教室】に似ていますが、昔ですが、出版時期を丁寧に調べたところ、北畠八穂が、ケストナーの発想を利用したとは、思われない出版年度だったと、記憶しています。
主人公が、母親に家出をされてしまうのは、青森県三沢市が舞台であり、・・・・・パンパン(駐留軍相手の娼婦)であると村人から、母親が、誤解をされたからでした。・・・・・しかし、その家出中の、母親の、自分への本当の愛を知り、主人公が救われると、言う見事な小説です。尚、その愛とは、詩が主題となっています。ポコペンと言う主人公のあだ名を、【畝部片】と言う漢字名に直して、母親が、中央の出版界の懸賞に応募して、一等をとると言う・・・・それが最後に主人公にわかってくるという愛です。母親は、時々、村へ帰って、息子を常に見守っており、(父親は、戦死をしている)、物陰から、声で聴いた息子の詩を中央文壇の懸賞に応募したのです。
その詩は、一等をとった後で、合唱コンクールの課題曲となります。ポコペンの担任は、それに応募しようとして、教室で、必死に練習をしますが、ポコペンと、その仲間を教室には入れず、排除します。貧乏で、服装がみじめだからです。しかし、窓の外で、それを聞いていたポコペンは、自分の詩だと、気が付きます。で、担任の先生にそれを言いますが、先生は、「これは、畝部 片先生と言う有名な方が作った詩だから、お前なんかに関係がない」と言って、また、追い出します。
で、悲しいポコペンは、海で、時々出会う、賢いおじさんに、この悲しみや、苦しさを訴えます。するとそのおじさんは、「畝部片と言うのはお前の事だよ。ポコペンという発音を漢字に置き換えると、そうなるんだよ。きっとお母さんが、その懸賞に応募してくれたんだよ」と、言います。小説内では、担任の先生が反省するところまでは描かれていません。でも、ポコペンが、こころの満足を得た瞬間まで、到達すると、読んでいる私は涙滂沱と、なりました。
この小説をけなす人は、60歳以降で、日本人が貧しかった時代を知らないので、この小説のすごさを理解できないのだと思います。でも、スケールが大きいです。と言うのも背景に、青森県三沢市にある米軍基地の問題が、見え隠れするからです。子供向けの小説とは、とても言えないほど、スケールが大きいです。
:::::::::::三沢市のホーム頁から、米軍基地について、書いてある部分をここにコピペします。
三沢基地は昭和13年に旧日本海軍が建設に着手し、昭和17年2月に三沢海軍飛行隊の飛行場として開設されました。終戦後、昭和20年9月に米陸軍施設工兵隊「俗称 ワイルド・キャット・トゥループス(山猫の群れ)」に接収され、飛行場等施設の建設改修が行われました。昭和23年に米空軍第49戦闘航空群が駐留、昭和25年の朝鮮動乱により三沢基地は前線支援基地として重要性が一段と増し、滑走路等の整備拡張が急速に行われました。その後、昭和45年には在日米軍の縮小計画が発表され、翌46年3月から6月にかけて飛行部隊が韓国や米本土へ移駐し、三沢基地から飛行部隊が撤去されました。
昭和47年、米海軍西太平洋航空隊三沢分遣隊が設置され、昭和50年には米海軍三沢基地隊に改編になり、西太平洋艦隊航空隊(厚木海軍航空基地)の傘下に属することとなりました。
昭和59年まで米軍三沢基地の管理運営にあたっていた米空軍においては、第6112航空基地団から第432戦術戦闘航空団への編成に伴い、米軍三沢基地の管理運営は同航空団に引き継がれました。昭和60年から同航空団へのF-16戦闘機の配備が開始され、平成3年には同航空団は第432戦闘航空団に改編され、平成6年には第35戦闘航空団となり、現在に至っています。:::::::
なお、これから、買って読もうとする方にとっては、この副題4の部分は大迷惑だと思いますが、どうして、これほど、明快に筋を語ったかの答えを、明かしましょう。
ここで、この小説と、NHKの大人気番組だった田中陽希の【日本3百名山ひと筆書き】が関係があると思うので、北畠八穂が、特別に弾圧され、評価が低いと思うので、私も必死で、支援をしているのです。特にこの文章は、講談社か、学研に、英訳をしてほしいと願って書いているので、あらすじを公開するのを、悪いことだとはおもっておりません。この副題4は、この小説の価値が如何に高いかを説明する章だからです。
実は、日本百名山を、書物として、出版した深田久弥は北畠八穂のもと、夫だからです。年上の八穂に、近づいて行って、誑(たら)し込み、結婚をして、彼女に、小説を、書いてもらって、自分の名前で、発表をしました。それが、今、どちらの名前で、発表をされているか、それとも闇に葬られているかは、知りませんが、ともかく、八穂のおかげで、有名作家になったのに、若い女性を、次の妻として選び、八穂を捨てたのです。
山の話で、ベストセラー作家になったお金持ちの深田久弥が、どこに新しい妻との家を構えたかは知りませんが、八穂の方は鎌倉で、小さな家に住み、そこで亡くなっています。それゆえに、伊藤玄二郎が、八穂のマスコミ露出を抑えていると、私は考えています。
ところで、ここで、外出の用事があり、中断をさせてくださいませ。
医療の話から、日本語の傑作を英訳してもらいたいと、、言う話に移ってしまっていますが、帰宅したら、日曜日に、肺の偽病の話へ戻ります。
2024-11-22~23にかけて、これを書く、雨宮舜(本名、川崎千恵子)