昨日=2024年11月21日は、6日、午後3時過ぎの鎌倉・雪の下二丁目の、安野夫人の行動で、「あれ、私すさまじい危険な目に出会わされている。近々殺される予定があるらしい。大変だ」と気が付いたと語っています。
しかし、本日は、5日の内田クリニックでの、診察室、待合室、レントゲン撮影室での出来事に戻ります。だって、安野夫人の行動の解釈にしろ、私が5日のうちに、(内田先生が、見せてくださった)
レントゲン写真が、(私の肺を15分前に、撮影したものではなくて)、偽物だと、気が付いていたという前提条件がないと、そこまで、はっきりとは、わからないはずです?
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副題1、『内田先生に申し上げたい。絶対に医者の方が、上であり、偽物の肺病写真を見せても、見破られる筈がない・・・・・と、思って、見せられたと、したら、そりゃあ、間違いですよ・・・・と。私はそれを見た途端に、嘘写真だと、わかっていました・・・・とも』
宇崎竜童・阿木曜子夫妻の大ヒット曲、の歌詞ではないが、「ばかにしないでよー」と、言いたいです。誰に対してかと言うと、内田竜生先生に対してでもですが、以下の五人の医師に対してもです。
内田先生に、この詐欺・または、詐病・による暗殺未遂事案を頼んだ人は、以下の七人の中にいるでしょう。
*1)、関東労災病院院長、*2)、湘南鎌倉総合病院院長(徳洲会の基幹病院で、私に対して各種のいじめを過去に既に行っているので、伊藤玄二郎達と通々であることを、私が知っている医師)*3)、神奈川県医師会・会長、*4)、神奈川県・整形外科医師会・会長、*5)、内田先生が、卒業した大学の現在の学長(内田先生の恩師は、とっくに亡くなっている筈だから)、
ま、この五人の中にいる筈で、後、何人か、可能性がありますが、個人名は今のところ、分かりません。内田先生しか、分かりません。
また、これらの医師の背後に、*イ)、伊藤玄二郎、*ロ)、写真の制作者(もしかするとスクエアエニックスの社員とか、東工大のAI教室・・・・・ともかく、私の小学生時代の友人で、歌舞伎座でのいじめに関して大活躍をした市瀬紀美子さんの夫君とか子息・・・・達====か、警察庁のIT技術者)・・・・とか、*ハ)いまだ鎌倉の山の中2000坪のお屋敷の中で、ひそかに、生きている、井上ひさし、
そして、警察関係者、そのトップは今のところ、*二)、露木警察庁長官(京都大学卒)ですが、
ともかく、医師の中の一人(*1~*5の中にいる筈)、と、そのまた後ろにいる人間たち(*イ~ハ)までの中の一人、そして、究極の責任者、露木長官に対して、「馬鹿にしないでよー」と、言いたくて、常に頭の中で、宇崎竜童の歌のリフレインが、鳴っているのです。繰り返し鳴っているのです。
私はね。最近の10年間は、この鎌倉市雪ノ下二丁目で、安野夫人と仲良くしている人は、東大卒であろうと、慶応卒であろうと、(神奈川県一の進学率を誇る、栄光学園卒であろう)と。全員バカ化する。とブログで言い続けてきています。または、違う言葉、「あほ化」するを使って、説明をし続けてきています。
それが、2005年ごろから、銀座(京橋を含む)の画廊街をも覆うのですが、この2024年11月から武蔵小杉をも、覆う事となったのです。
武蔵小杉って、50年前は、工場街だったのです。恵比寿と、同じです。大型の敷地があるので、大型の敷地が必要なタワマン林立地帯となって、所謂パワーカップルの住む、上等な街となったのでした。
私がよく武蔵小杉に行き、そこで、個人クリニックを選ぶのは、別におしゃれな街を好んでいるわけではなくて、40年間住んでいる鎌倉よりも、武蔵小杉の方が、72年間よく知っている街だからです。特に関東労災病院が出来てからでした。東横線日吉に、住んでいたし、結婚してからも、よく行くからでした。日吉の住民にとっては、最近リフォームをされた井田病院(昔は、結核病棟だった)を、利用する人が増えたみたいですが、そこのリフォームがなされる前までは、関東労災が、もっともよい病院だったからです。
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副題2、『なんで、内田竜生先生が、この詐欺・・・そして殺人未遂事件でもある・・・に、加担をしたかと言うと、清川病院での、第一回目の詐病事件を、私がブログで、書いているからでしょう。その病院は、鎌倉一古い病院です。現在の院長、まどかさんは、三代目か、四代目です。隣のビルに、伊藤玄二郎の会社が、引っ越してきたし、
伊藤玄二郎は、鎌倉医師会の雑誌【神庫】の編集発行人として、鎌倉医師会を牛耳っていますので、頼んだのでしょう。でもね。瞬時に写真を嘘だと見破ったし、たまたま、6か月の経過を経た写真と元の写真が、全く同じだったので、最初に「あなたは、結核です」と宣言してしまったまどか先生も、大いに戸惑い、フリーズしちゃったのです。私より40歳は若いまどかさんをかわいいなあと、思い、丁寧に経過を書いています。まどか先生を悪者には、しては、いません。悪者伊藤玄二郎に利用をされた犠牲者として、文章を書いています。
だけど、まどか先生は、お若いです。あの時、49歳ぐらいだっただろうか? その上、お嬢様として、小さい時からちやほやされているので、勝気でもあって、下手に出ることができません。
自分がミスをしたなどとは認めたくなくて、必死になって、「あなたは、、結核にこれから、なる、前期の病です。何とか、何とか病です。で、痰がでたら、これに入れて持ってきてください」と、おしゃって、プラスチック製の容器を三本渡されました。ラベルにカタカナで、「カワサキ チエコ」と書いたのは、看護師でしょうが、二年以上経過しているのに、一回も痰を入れる必要を感じたことはありません。ここに写真を置いたのは、ともかく、私が嘘を言っていないと、言う事を証明する為です。
だから、この内田先生を使った復讐事案もとんでもないのです。だけど、ずるいずるいCIA連中(伊藤玄二郎と、警察庁混合一派)は、自分たちが、表舞台に立たず、医療現場を使う事を、素晴らしいアイデアだと、思いつき、二回目を、実行したのでした。かわいそうな内田先生は、第二の犠牲者です。悪者、伊藤玄二郎と、すべてをあほ化し、死屍累々たる犠牲者にしていく、モンスター安野智紗夫人の、悪意の犠牲者です。
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副題3、『さて、この第二の嘘写真を作った連中は、一応、私の第一の文章を、参照し、そこで、「これが、嘘だから」と言っている部分を訂正してきました。だけど、それでもだめなんですが、そのダメな理由は副題5で書くとして、ここでは、まどか先生の写真のどこが、だめなのかを語りましょう』
まどか、先生の写真の絶対にダメな理由は、右肺の下部に、ほぼ円を描く形で、真っ白な病巣が浮かんでいるのです。私はカエルの解剖をしたことがあります。結構大きなカエルでした。肺胞が、小さな真っ赤な粒の集まりである事を知っています。でね、結核菌に侵されて、崩れた肺胞と、隣の健康な肺胞の境目が、こんなにくっきりとしている筈はないと、言いきっています。
そこを二度目の今度は訂正してきたのですが、それでも、アホ極まりない偽造写真であることは次の節、または、副題6か、7で、語りますが、
粟粒結核と言う言葉をまどか先生も知らない模様だし、上の*1~*5まで職名を上げた先生も知らないらしいですが、肺胞と言うのは、小さな風船なのです。赤いのは、その風船のゴムにあたる部分に赤血球が集まっているからでしょう。そして、風船の中に、新鮮な酸素を入れて、ゴム部分にあたる赤血球に酸素を送り込むのです。今ね。goo blog 管理者から、その写真を使用させないと言う命令が来たので、そのURLだけを、ここに付記します。でもね、次の段階として、URLも、使用させないと出てきました。で、皆様ご自身で、粟粒結核の病巣写真をご覧いただきたく存じます。
だから、私は、中学時代から、肺とは、どういうものかを知っていたし、肺結核の病巣写真が、どういう風にレントゲン内で、映るかも想像することが容易にできました。で、その65年後、清川病院のまどか先生の診察室で、それを見せられた時も瞬時に違うでしょう。偽物でしょうと、分かったおです。時制の間違いで、まどか先生が、嘘写真だと、お気づきになる、数秒前に、分かっていたのです。中学の先生はただ、カエルの解剖を命令されただけで、結核がどうなるかなどと、何にも教えてもらっていません。その後の、高校の授業、大学の講義でも、教えてもらったことはありません。だけど、分かるのです。で、1965年以来、私がずっと弾圧を受けていて、7回ぐらい殺されそうになっているのは、ひとえに、頭がいいからだけなのです。
現代日本では、頭のいい人間は生きていてはだめなんですって。安野智紗夫人みたいな、自分では、自信満々だけど、私から見ると、『三段階ぐらい低いなあ』と、思う人間しか、生きていては、いけない国なのです。
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副題4、『NHKが、数年前に、今、結核がはやっていますと、数日間、繰り返し流したニュースも嘘だったのでしょう。どうして、そういうニュースが生まれたかと言うと、それも、私のブログからアイデアアを、井上ひさしが、拾い上げたのです。
私は、幸田文の小説、【闘】を大傑作だと思っており、英訳をされるべきだと思っています。
西洋の小説では、ロマンローランの【ジャン・クリストフ】を一番好んでいますが、
日本語の小説では、中勘助の【提婆達多】と、北畠八穂の【悪たれわらしポコ】を、大傑作だと思い、・・・・ああ、自分が英訳してもよかったなあ・・・・と、思うほどです。その三冊を英訳して出版出来たら、わが生涯は満ちたれりと、言うほどの傑作です。ただし、82歳の今では、たとえブログを終了しても、その三冊を英訳できるほどの体力は残っていません。
新潮社は、自社で文庫化している【闘】をぜひ、ぜひ英訳なさいませ。又、【提婆達多】は、岩波書店で文庫化されているし、中勘助は、岩波の創設者と、帝大同級生だった筈です。だから、岩波で、総力を挙げて英訳し世界に広めてほしいです。
さあて、北畠八穂の【悪たれわらしポコ】ですが、一人だけ感想として、文体が読みにくいと言っています.これは私のブログをつぶすための悪意ある文章の筈です。私は中二か、中三で、横浜では、有名な一族である、龜田病院のお嬢様から借りて読み、大感激をしました。中二の段階で、すらすらと理解が出来たのですから、文体が難しいとは、このブログの著者の若い世代の人の難点の一つであり、そのブログを書いている人間の能力の低さだと思いますよ。失礼ながら。北畠八穂から、攻撃を受けたわけでもないのなら、こういう書き方は、裏に、『伊藤玄二郎が居ますね』と判断をします。汚い人間だなあ!
こちらの小説は、昭和29(1954)年初版らしいです。児童小説専門出版社から出て居たと思いますが、その後、光文社とか、学習研究社とか、講談社で、文庫化されている模様です。
で、講談社は、図体が大きいのだから、総力を挙げて、これを英訳し、世界に広めてほしいです。主人公が中年の、メンターに救われるところは、ちょっと、ケストナーの名作・・・・【飛ぶ教室】に似ていますが、昔ですが、丁寧に調べたところ、北畠八穂が、ケストナーの発想を利用したとは、思われない出版年度だったと、記憶しています。
主人公が、・・・・・パンパン(駐留軍相手の娼婦)であると村人から誤解をされ、家出をしている・・・・・母親の、本当の愛を知り、救われると、言う見事な小説です。尚、その愛とは、ポコペンと言う主人公のあだ名を、【畝部片】と言う漢字名に直して、母親が、中央の出版界の懸賞に応募して、一等をとると言う愛です。母親は、時々、村へ帰って、息子を常に見守っており、(父親は、戦死をしている)、物陰から、声で聴いた詩を中央文壇の懸賞に応募したのです。
その詩は、一等をとった後で、合唱コンクールの課題曲となります。ポコペンの担任は、それに応募しようとして、教室で、必死に練習をしますが、ポコペンと、その仲間を教室には入れず、排除します。貧乏で、服装がみじめだからです。しかし、窓の外で、それを聞いていたポコペンは、自分の詩だと、気が付きます。で、担任の先生にそれを言いますが、先生は、「これは、畝部 片先生と言う有名な方が作った詩だから、お前なんかに関係がない」と言って、また、追い出します。
で、悲しいポコペンは、海で、時々で会う、賢いおじさんに、この悲しみや、苦しさを訴えます。するとそのおじさんは、「畝部片と言うのはお前の事だよ。ポコペンという発音を漢字に置き換えると、そうなるんだよ。きっとお母さんが、その懸賞に応募してくれたんだよ」と、言います。
@@@@@ここが書きかけ中の最先端です。
【日本3百名山ひと筆書き」の挑戦を終えた田中陽希さん】
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