皆様、私は元気です。で、本当はブログを書かないといけないのですが、実は、泥棒被害対策に右往左往していて、なかなか、落ち着いて、ブログを書いて居られません。
本日も秋葉原に行って、最近壊された二台のパソコンの補充として一台の中古パソコンを買ってきました。また、3週前ぐらいに盗まれていた、スマホも、中古ですが、買ってきました。
すみません、本日はこれだけで、ただ、論考は、あすおこないま
皆様、私は元気です。で、本当はブログを書かないといけないのですが、実は、泥棒被害対策に右往左往していて、なかなか、落ち着いて、ブログを書いて居られません。
本日も秋葉原に行って、最近壊された二台のパソコンの補充として一台の中古パソコンを買ってきました。また、3週前ぐらいに盗まれていた、スマホも、中古ですが、買ってきました。
すみません、本日はこれだけで、ただ、論考は、あすおこないま
2024-7-8 21:00から下の文を加筆しています。しかし、本日は、9日であり、この文章でも、実質的な主人公である伊藤玄二郎氏の、雪の下カソリック教会での、講演の日が近づいています。後4日の後なのでご準備もあるでしょう。しかし、もしですが、「もう入室制限数を超えました」とか、「今回は、非常に人気が高く、この教会のメンバーだけで、既に会場が埋まっております」と、いうお断りを受けられたら、黙っておかえりくださいませ。私自身は、ものすごく意地悪をされておりますので、そういう口実で、断られることもあるやと、思っております。
「南蛮屏風下張り文書修復から潜伏キリシタン・天正遣欧少年使節へ」
〜人は人によって支えられる〜
【日時】7月13日(土)13:30~15:00(受付 13:00〜)
【場所】カトリック雪ノ下教会 大聖堂(鎌倉市小町2-14-4)
【定員】310名(定員オーバーの場合は信徒会館にてパネル視聴していただけます。)
【参加費】無料(事前申し込みは不要です。どなたでも参加できます。)
【主催】カトリック雪ノ下教会
講師:伊藤玄二郎 先生
・日本鎌倉ポルトガル協会会長
・鎌倉ペンクラブ会長、かまくら春秋社代表
関東学院大学教授、早稲田大学客員教授、国立リスボン工科大学客員教授など務めた。文学を軸にした国際文化交流の仕事も多い。
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これは、二日間総タイトルを【カムカムエブリボディを、地で行く益山前夫人の米軍将校とのアメリカ逐電が、益山氏を、国家とか公というものを敬わない人物へと変えた?】としておりました。だが、今、上の物へと、変更したところです。
これは、100%前報(下のリンク先)の続きです。非常に大きなテーマに取り組んでいます。で、前報に書いた杉本俊一、元横須賀市副市長(昔の語彙は、助役)とは、人物としてキーパーソンの一人であると、言えます。横須賀では、大実力者でしょうが、一般の人は、知らない名前であり、かつ事件が、複雑なので、前報をきちんとお読みいただいていないとすれば、残念です。
ただし、あまりにも深い真実なので、例えば、鶴岡八幡宮様が、使用中のパソコンには、はいってこないという措置が取られているかもしれません。というわけで、もしあなた様のパソコンのも、以下のリンク先が、入っていなかったら、ほかの方法をお試しください。その技法は、お教えしたいのですが、お教えすると、二度と私でさえ、使えなくなる可能性があるので、やり方を開示するのを、抑えさせてくださいませ。どうか、知恵の限りを尽くして、探してみてください。
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副題1、『第一回目に登場した、人物たちをここで整理しておこう。彼らについては、第一章以降で、わかることもここで、記載をしておく・・・・・主犯側(企画者側)たち』
益山重夫・・・・
もと、海軍士官学校卒だと思われ、次に陸軍中野学校にも学ぶ、諜報に強い戦略家。戦時中は、海軍参謀だった。1977年当時、70~75歳。最初の妻との間に、フェリス出身のお嬢様が居て、1977年当時、ジーンズを(1970年当時は、まだ、珍しい商品だった)を、結婚相手とともに扱っていて、父親の家の外に、高さ5m、横10m 倉庫の中の幅1.8mの倉庫を作ってもらい、そこに、棚卸商品を入れたり出したりで、トラックで良く訪れていた。
その倉庫とは、地積変更届という大悪事を行う、目隠しのために作られたものだった。
しかし、父・重夫氏が、1977年10月11日に急死した時には、まだ、水道山が不動産として手に入っておらず、したがって、彼女は北久里浜に不動産はもっていない。金融資産もさほど分けてもらっていないはず。生存中なら、現在85歳程度。
益山氏の最初の妻=上にあげたフェリス出身のジーンズ販売業の女性=の母は、夫が、パージ中(戦時中に、軍関係に、所属していた者は、一定期間、公職につけなかった)米軍基地で、働いていた。お見合い結婚で、上流階級同志での結婚の筈なので、私立、または、国立の女学校出身であろうし、女子大ぐらい卒業している女性かもしれない。ので、1930年代生まれの女性としては、珍しく英語が、堪能だったと思われる。
で、将校クラブで、ウエイトレスなど、おもてなし業をするか、PX(アメリカ製の商品を置いている、一種のスーパー・・・・東京には、山王にあると、いわれていた。当時は、珍しかったブルーチーズなどを、自由に買えるので、そこに出入りできるのは、特権階級の証でもあった。・・・・の、店員をしているうちに、米軍将校(むろん、白人であろう)とできてしまい、夫と子供を置いてアメリカに蓄電してしまった。
ところでパージに出会った益山氏は横須賀中央駅 徒歩三分圏内に不動作屋を開いていたので、この件は大きな噂になったらしい。で、益山氏はアメリカに二度負けたということになる。
しかも、この地積変更届で、私をみくびりすぎたので、私に法的には、完敗する結果になる。もし彼が、私の態度や考え方が国際キリスト教大学の教育のせいだと誤解したら、彼はアメリカに三度負けた事になる。しかし私の考え方や態度を決定したものは私の家庭教育にある。私は両親から、男に生まれれば、よかったのにと、
&&&&&&&&ここからは、8日に書く部分です。
言われ続けて来た。非常に勇敢な女性なのだ。元海軍参謀だろうが、陸軍参謀だろう(これは、伊藤忠のトップだった、瀬島龍三の方の話・彼も、この事案に、からんでくるのだった)が、相手が悪をなしているとわかってくると、一歩も引かないのである。
ただ、1970年代に書いた、前夫人の、アメリカへの逐電も、50年経って見ると、いささか違って見えるところがある。どっちもどっちだったのではないか? 重夫さんは、コキュと言うみじめさを味わっただけではなくて、幸福感を新しい女性を相手に、すでに、味わっていたとも推察されるのだった。不動産屋(商売人)という屈辱的立場ながら、すでに、雇っていて、ビジネスパートナーとなっていた、二度目の奥様と、一緒に仕事をするのを大いに楽しんでいたとも考えられる。と言うのも彼の小規模開発デヴェロッパー事業は、北久里浜は、無論の事だが、その前の池子弾薬庫近辺の開発も、いささか、私の方は、怪しいポイントを、感じ取っているからだ。
と言う事は二度目の夫人、智恵子さんは、若い女性であるのにも、かかわらず、悪や詐欺を普通にできる物分かりの良い女であると言う事。悪事を、共有すると、キズナが深まる。良家の子女であり、英語はできるが、お金儲けは、できない前夫人よりも、重夫さんにとっては、都合の良い女であったからだ。だが、エリートとしての矜持を、結婚や、恋愛の面ではキープしていたとも、私が、推察する重夫さんである。で、重夫氏と、二度目の奥さん、智恵子さんとの間は、前夫人逐電のころは、まだ、プラトニックラヴだったと、考えたい。
つまり、米軍基地内での、前夫人と、米軍将校との恋愛は、目力で、合意に達してからあっという間にペニスの挿入とワギナの受容にまで、到達していたであろうが、重夫さんと、智恵子さんの間は、相当期間、そこまで、行かなかったと、推察している。重夫さんは、30歳以上若い智恵子さんが、自分の年齢とふさわしい相手と結ばれることがあるやもしれず、と考え、智恵子さんに手を出すのは、慎重の上にも慎重であったと、考えられるからだ。
あの山の本当の、地主、特に水道山近辺は、原家、辻家、石井家、石渡家の、四軒なのだが、辻家のご主人が、益山重夫氏に向かって、「ねえ、お爺さん」と、呼びかけたそうだ。辻さんは、郵便局で、保険の勧誘を担っていたので、庶民相手の、セールスマン気質が、つい、表に出て、そう呼んでしまったらしい。最近でも、テレビ画面内で、芸人が、一般人に向かって、「ねえ、おかあさん」とか「ねえ。お父さん」と、呼ぶのを見るが、その種の呼びかけの、バリエーションとして、益山氏を「ねえ、お爺さん」と、呼んだらしい。すると、益山氏が、慇懃無礼ながら、断固とした姿勢で、「そういう呼び方は、しないでください。家内は、御覧の通り若いですから、家内に申し訳ないです。そういう呼び方を、あなたから、されてしまうと」と、言ったらしい。
辻家と、我が家は、玄関と玄関の間が40mぐらい離れているし、お互いの家は見えないし、そちらの家族の誰とも、私は、付き合いがないのに、このうわさ話が、私の耳まで入ってくると言う事は、どれほど、ミスター辻が驚いたかを、示している。つまり、白髪頭の、日本のおじいちゃんが LOVEの、問題で、純愛を、妻にささげていると、言う事に、辻老人(彼は、益山氏より、10歳は若いかなあ?)は心底驚いた風であった。
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副題2、『益山智恵子、第二の主人公。第一の主人公の後妻。1992~1996年に、鎌倉の我が家に向かって、脅かし満載の、電話をかけて来た女性。、その1970年代から、1990年代にかけての、豹変ぶりに驚く。また、ヒステリーがあったと、心底気が付く。彼女に、1977年10月13日か、11日に、車で、轢き殺されそうになった私は、彼女を研究するにつれて、ヒステリー性格についても学習を重ね、
それが、その後、40年にわたって住み着く、新しい居住地、こちら、鎌倉市雪の下二丁目の、うぐいすが谷(やつ)内の、人間関係においても、大きく役に立っている。誰が、ヒステリー性格であり、そのレベルが、どの程度かは、逐一わかっている。今、国庫金が、旧中谷家の、遺児二人に、2000万円ほど渡り、前田家の長男は、一銭も出していないのにもかかわらず、「僕が買いました、シェアハウスを経営します」との大宣伝を行った。彼の事は、それほど、よくは知らないが、母親の前田清子さんの、事は、よくわかっている。強烈なヒステリー性格がある。それで、私が、大被害を被っている。待てば海路の日より在りとは、よく言ったものだ。
静岡大学法学部卒の‥・・清子さんが、息子に、「買った家の移転登記をちゃんとして置きしなさいね」と、言っておらず、まだ、済ませていないのは、実際は彼は、一円も支払っていないからだ。ただ、只息子の収入が高い(一時期朝日新聞の専売所を経営していたと思われる、彼が、いつの間にか、本社の社員になっている模様で月給は、高額なはずである。
だから、彼が、実際に、1970万円+手数料+取得税を支払ったのだと、私は考えていた。二年間も騙されていたのだった。この山全戸に、大宣伝をかけて、彼が取得したと、思わせられたのだが(こういうのを法律用語で欺罔と言うのだが)、
最初それを信じて、シュミレーションをしてみた。一戸当たり7万5千円の賃料で、五室ある。光熱費と管理会社への謝礼、及び税金を除くと純益6万円の筈で、全戸満室になると、一年で、360万円の利益が上がる。6年で、2000万円の購入費用を、清算できる事となる。今長男は、52歳の筈で、6年後は、58歳で定年前である。それ以降は、年金の足しになる計算だ。うまい理財方法だと、他人ながら、考えた。それは、結局のところ、日大農獣医学部時代に、学生結婚をして、すでに、子供が出来ていたので、就職には甘い態度で終始し(奥さんの実家が、ペットクリニックでも開業していると仮定すると、彼の一家の生活費ぐらい、彼、及び妻の診療の、お手伝いで、十分稼ぎ出すことができるので、甘い就活となった模様。でも、妻の実家は、出て、・・・・そう、マスオさん生活は、うっとおしいからね。朝日新聞専売所を経営していたと、私は考えている。
これは、私の中学時代の同級生・飯田隆君が、週刊朝日編集長ののち、朝日新聞社を引退して、子会社の社長をしていたりしていたので、彼のあっせんで十分に可能なことだと考えていた。または、朝日新聞社顧問である、酒井忠康氏のあっせんでも可能であろう。だが、このシェアハウス騒動の時の彼の宣伝ビラを読むと、勝どき(マンションが多いが、浜の手といって高級住宅街となっている)が現在の住所であり、かつ、その宣伝の仕方の威張ったらしいことがあって、それらから、新しい状況になっていると、次のステージを、勘案すると、一足飛びに、本社社員に、なっていることが分かった。
妹(前田清子さんの長女)が、明治大学の教授になったので、それと釣り合う必要があると、言う形で、表門からではないが、朝日新聞社の正社員になったと、推察できた。専売所では、カッコウが付かないと言う事であろう。しかし、あの威張ったらしい大宣伝を、よくよく考えてみると・・・・・今般、登記していないことが分かったので、お金は、国庫金(官房機密費)から出ており、・・・・・彼は、ただ、川崎千恵子に、前田清子があらゆる部分で、優越していると、言う事にする為に、あの家の持ち主だと、言う嘘が、成立し、親子ともどもに、威張りまくったと言うわけだった。
今、官房長官は、林氏である。二代目のおぼっちゃまなのだけれど、彼を誑し込んでいる人材は誰だ? 党派は、違うが、千葉景子さんだったりして。彼女は、伊藤玄二郎に大きく協力しているので、前田君の、物件の元の持ち主、中谷兄弟に、2000万円を支払う様に、林長官に、依頼(実際には命令)を、したのかもしれない。どうしてそう考えるかと言うと、死刑場公開に際して、伊藤玄二郎に協力をしているが、安倍晋三氏殺しに関しても、実行者、山上てつやの伯父に、連絡を取って、言う事を聞かせたのは、彼女である可能性が高いからだ。
そして、私がそれを書いている、となると、千葉景子さんの悪辣ぶりもすさまじいとなる。元、国会議員で、法相を務めた人が安倍晋三殺しの端緒を開いたとなるからだ。こういう風に書かれてしまうと、彼女も、つらいであろう。で、さらに、私をいじめる方向で、動く可能性が高い。彼女は、現在75歳の筈(横浜国大附属中学校が、私と六期違いの同窓なので、年齢や私宅の住所が正確にわかっている。最初は、全く気が付かなかったが、ある時期から、彼女のwikipedia が充実してきて、いろいろ、わかって来た)
ただ、この緑色のフォントで、書いた部分は、まだ、検証が、済んでいない。で、正確な物かどうかはわからない。で、引き続き、官房機密費を出して、伊藤玄二郎に渡す(または、直接受取人に渡す)役目は、安倍晋三氏が、生きていた当時と同じく、谷垣禎一氏かもしれない。
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、ともかく、ここで、伊藤玄二郎の会社の社屋、鎌倉春秋社本社ビル、四階建てで、賃貸収入があるも、非登記だったのだ。驚いたなあ。彼は、まず、自分自身を権威づけるお金を出してもらっているのだった。そのうえで、工作費を、ひねり出す自由ももらっているのだった。
だけど、前田家長男が、どうして、二千万円分の、名誉だけを、お金を一銭も支払っていないのに、もらえるのですか? これって、おかしいでしょう。処で、こういう案件をすべて采配しているのは、現在のところ、アイデアは、井上ひさしで、連絡実行者は、伊藤玄二郎です。
やまゆり園事件、以前の、数々の殺人事件を、井上ひさしと企画している伊藤玄二郎が、まあ、なんと、カソリック雪ノ下協会で、講演をするのですって。まあ、シャーシャーと、している事。驚きます。
わたくしはね、伊藤玄二郎が、国庫金を使って、政治を行っている(つまり、味方にする人間に、大金を渡すが、それは、官房機密費である)と、いうことを、わかってしまいました。
これの前哨戦として、横須賀市で、あれこれを調査したことが役に立っています。
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杉本俊一・元横須賀市副市長と、その妻、正子さんが、1970年代に住んでいた家は、ただで、CIAエージェントたちから、提供されたもので、実質的なわいろだったと思います。これが、わかったのは、登記がしていなかったからです。
これは、鎌倉でも使われている手口で、かまくら春秋社のビルは、土地も建物も登記してありません。
鎌倉市雪の下、二丁目、4-X(後で、正確な数値を入れます)の、旧中谷邸は、前田清子さんの長男が買ったことになっていて、1970 万円は、中谷家の遺児二人====一雄氏と、睦氏(次男の方の名前は不正確)に東急リヴァブルを通じて、渡ったのでしょうが、前田清子さんの、静岡大学法学部卒の資格を考えると、たとえ、借金をしていなくて、抵当権設定がないとしても、所有権移転登記をしていないのは、変です。つまり、前田(長男)君は、お金を払っていないのです。伊藤玄二郎の仲介で、谷垣禎一氏かほかの、自民党代議士を通じて、2000万円の官房機密費を出してもらい、私より金持ちだと、する嘘のために、国家のお金を出させたのです。これは、さらに複雑ですが、将来鎌倉雪の下黒物語、前田家篇、で、詳細を語ります。
元へ戻ります。横須賀の話は、50年は前なので、あまり、動きませんので、語るのに楽です。
横須賀市の公共用地を、地積変更届という仕組みは、利用するものの、実際には。1200坪もタダで、杉本氏は、益山夫妻にあげるのですよ。それを公務員として、見逃すことへの、対価として、家賃を支払わなければならない家をただで使っていたのでした。
彼は、日大理工学部建築科(または、土木工学科)の出身で、当時土木課長をしていたのです。
今、あの一家が住んでいる宮大工仕様の豪邸から、道路一本隔てた、東北の角地の家で、当時で、土地は、50坪、建物は、26坪ぐらいの平凡な家でした。
何に対する謝礼かというと横須賀市の元水道山1200坪を無償で、益山重夫(と、その会社である大建産業)に渡す謝礼でした。
しかし、彼ら一味は、私を見くびり切っていたので、私が土地を買うときには、一切それを知らされていなかった青地(という国有地)が、自宅西側に、90㎝幅で、はいっているという
測量図付きの地積変更届けを見せられて、びっくり仰天し、調査に乗り出すのでした。たまたま、母が、「その書類は、おかしいですよ。誰か、あなたではない別の人(実際には、益山氏)が、土地を横須賀市に寄付する際に、あなたが、地境地主などといっても、実印を押す必要はないはずです」と、いったので、調査し始め、彼らの悪辣極まりない、計画を全部知ることとなるのでした。
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益山重夫は、陸軍中野学校出身で、戦時中は海軍参謀でした。で、謀略の専門家です。しかも、戦後最大の、CIAエージェント、瀬島隆三とも親友だと、いう触れ込みでした。当時から、我が家、および、西隣の原正芳家の、室内会話の盗聴、および、電話の盗聴をしていたのでした。わたくしの主人は、理工学部出身で、単純なのです。で、人を疑いません。で、その書類(一通だけを、11人に回す)を、もらって、
「あなたの家の東南の道路(それは、益山家の私有地なのですが、それ)を、横須賀市に寄付します。つきましては、あなた=川崎英二の実印が必要で、ここにそれを押して下さい」といわれて、はいはい、と押したみたいです。
ところがね。常にわたくしには、神様が付いている。で、ここでは、我が家の敷地、60坪の、西半分が、母が買ってくれたもので、したがって、そこの地境の私道部分の土地については、母の実印をもらわないといけなかったのです。
そして、母の父は、旧制商業中学(柳井商業)の校長でした。40年間。それで、母は、遺伝上、理財に明るいのです。で、母も、株を趣味とするという形で、世間の常識については、よく知っており、並みの専業主婦ではなかったことです。で、「他人である、益山氏が、自分の土地を、横須賀市に、寄付するのに、どうして、我が家(=母)が、実印を押さないといけないの? 納得できない」といいます。
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わたくしは、最初は、抵抗しました。「お母さん、どうして、そんな固いことをいうのよ。益山夫人って、戦時中の人手不足はあったでしょうが、都立大学の土木課を出ているインテリなのよ。お顔も原節子似の、美人でね。ひなには、まれな教養の高さと品の良さがあるの。わたくしは、仲良しのつもりで幼稚園バザー用に手芸セットを五組くらい、ご寄付をいただいているから、喧嘩したくないなあ」と、答えました。
母は、「じゃあ、日吉に来るのね。一緒に見て、検討しましょう」と、いいました。で、明日行くと、答えて、食卓に座り、一応、予習をするつもりで、厚い書類を開きました。
この時、日産自動車が、夏休みで、主人は、子供を連れて呉へ帰っていました。で、私は家の中で、一人でした。九月から、学士入学で、三鷹のICUで、再び勉学しようとしていたので、掃除、勉強など、一人で、やりたいことがいっぱいあったのでした。
この時、益山夫妻は、私が一人であることを知っていて、しかも夜持ってきたので、絶対に、真実は、わからないだろうと思っていた模様です。つまり、見くびっていたのね。
ただね。わたくしは、深い弾圧を受けているのは、頭が良いことをベイカーさんという金髪碧眼のイエール大学から来た、学生(多分スパイ)に、すでに見つけられていたから始まったことで、CIAが、「彼女を殺さないと、日本および、日本人の奴隷化はできない」と、考えるほど、頭が良いのです。だって、彼が「僕は三鷹警察署の署長と親しいから、CS君がやりたがっていたことを警察署から、許可を取ってあげるよ」というのです。すぐ変だと、わかります。だって、CS君がやりたがっていたことって、学生相手ではなくて、一般市民相手に、ビラを撒くという事で、その許可を取ってあげるというのです。わたくしは、ベイカーさんとは、3mは、離れた場所に座っていたのですが、「変な人だなあ。アメリカ人の、エリート学生が、どうして三鷹警察署の署長と親しいの?」と思いました。その表情だけで、頭が良い人だと、考えられてしまったのです。
皆様、これが、1965年の話で、そのころから、日本の警察って、CIAと密着をしているのです。私は、その後、ベイカーさんに後ろから、首を絞められて、殺されそうになります。だが、助かります。常に、助かるのが、私です。
益山夫妻が計画している詐欺事件に、だまされそうになるのが、1977年で、この時も益山夫人に車で、ひき殺されそうになるのでした。だけど、子供二人を置いて、三鷹まで、勉強に行っていたのだから、三時から、時には、7時まで、子供だけで、家に置いて出かけていたのだから、益山夫妻を、悪人だとは、思っていなかったという事になるのでしょう。まあ、まあ、その詳細は、次の節から。
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益山夫人が、夜9時過ぎに書類を持ってきたのは、そのころ、実印を押すのは、我が家だけなのですね。母の分が急に表れたからです。で、どうも、すべてを秘密にしたいと、考えているとは、感じました。
さて、頭の良い母を説得しないといけないわけで、丁寧に書類を読むと、・・・・・変だぞ。「寄付をします」などとは、どこにも書いていない。地積変更届ってなあに? 今、益山さんの所有分が、2.73平米しかないのに、どうして、それ=地積変更届=を終えると、4200平米になるの?・・・・・これは、明日は、日吉に行かれない。大倉山の青山敦子さんを訪ねないと。と、決意しました。青山敦子さんは、高校時代の、同期生で、昼休みの古文(それこそ、大鏡も去来抄もの)の輪読を、四人で、行った仲間です。四人のうち二人は、東大へ、一人は教育大学へ、一人は、私で、ICUへ入学しました。青山敦子さんは、東大卒で、弁護士になりました。正真正銘の佐田寅子さんの後輩です。
今は、違うマンション(都心)に住んでいるのですが、当時は、小さいお子様(懐妊が、遅かった)三人を育てている最中で、大倉山の、樹木に囲まれた、庭が広いマンションに住んでいたのでした。もう、びっくりしたのは、おひるが、100%の和食でね。のちに「三代続けて、東大(にわたくしの子供を入れるの)は無理だったわ、父と私と夫は、東大卒なのに」という彼女が、その時は、煮豆まで、自分で、煮ているという家事優先の母親だった事でした。
玄関に近い一室が応接室で、そこで、相談しました。が、よくわからないという事でした。「どうか、ご主人に代わって。今は、オフィスでしょうが、ご主人に、頼みたい」と、のどから手が出るほど、望みました。
しかし、青山さんの本音が、「これは、大きすぎる案件だから、かかわりたくない」というところにあったのかもしれません。そこを勘案して、とても、手の込んだお昼をごちそうになりながら、以下の様に言いました。「私はね。あなたに迷惑をかけたくないから、自分でやる。だけど、どういうことをやっていいのか、やったらいけないのかだけは、教えて」と、頼みました。それで、登記所の利用方法を教えてもらったのです。
それが、今般も役立ちました。
ところで、それ以上の調査もしました。
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測量士は、中島進です。今は、土地家屋調査士というのだそうですが、1970年代は、測量士でした。
最後のころ、彼が、原簿閲覧室に現れ、かつ、私の目の前で、担当吏員から、名前を呼ばれていたので、わかりました。ところで、彼が、現れたからと言って、私が、「あなたが、益山重夫の、地積変更届の書類を作ったのですね。すごいウソですね。567平米買って、我が家他、30坪単位の売り家(我が家と、その北と、さらにその北は、二区画ずつ買っている。我が家が、60坪、北が、50坪、さらに北が、45坪で、それ以外の一戸建てが、30坪ずつ、10戸作ってある。道路も、作っていて自分のうち、それから、自分用の大駐車場も作っている。つまり、実際には、1977年の地積変更届が起きた時に、すでに、700坪か、800(2700平米以上)坪消費しているのだった。
どういうことかというと、その時点で、すでに、水道山に、蚕食しているのだった。650坪も入り込んでいるのだった。そのうえでさらに、残りの水道山・山桜が何本もある里山、は、1945ねんから1960年ごろまでは、元山林地主たちは、自由に出入りして、薪用の粗朶を拾っていたのだと思われる。
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ところが、益山重夫が、この企画を始めてから、水道山に人が自由に入れない様にしていった。閉鎖の門もできているが、何しろ、効果的だと、連中が考え出したのは、神戸の酒鬼薔薇聖斗事件だった。
首がない遺体が、水道山のタンク下に置いてあったと、聞けば、自動的に、北久里浜でも、人が恐れると、考えたらしい。それが、いわゆるCIA案件で、酒鬼薔薇聖斗は、むろん、土師淳君の頭を、校門に乗せるなどという恐ろしいことはしていないだろう。で、むろん、首から下の遺体を山の上まで運ぶなどという事はしていない。闇の舞台(警察の別動隊)が行ったと、考えている。
酒鬼薔薇聖斗の声明文とは、井上ひさしが案出し、左手で、書いたかな釘流で、インクの成分などを調べれば、同時期の原稿と同じインクを使っているはずだと、書いたので、神戸地裁から、データが、廃棄されてしまった。
その後、【絶歌】なる書物が大宣伝を持って、店頭の平台に並んだが、これも、井上ひさしの代筆であろう。連中は、嘘のウソを平気で言うのだった。
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わたくしがひどく怒って、この事件を文章化しようとしているのは、杉本俊一・正子夫妻の長女が、小町通りを、友達と歩いていたことがある。わたくしが見るところ、子供時代の面影が残っていて、「あら、何子ちゃん、鎌倉へ来たの?」と、何の邪念もなく、話しかけたら、
彼女は、挨拶もせず、隣の友達に、ひそひそ声で、あたかも、わたくしが悪人のごとく、告げ口をしていた。なあるほどと、思う。杉本正子さんは、悪女の典型だ。北村充子さんや、稲田恭子さんを使ってやること、やること。恐ろしいことを平気でする。また、1976年には、幼稚園のPTA会長をしている我が家にしょっちゅう訪問をしてきたのに、1979年には、根岸小学校のPTA広報委員長の大沼嘉津江さんにしたいよる。大沼さんが、島田章三の実妹だからだ。
で、2005年ごろ東工大卒だという中島進とは、違う測量師が、電話をかけてきて、・・・・・杉本家の長男が、不良になった・・・・・というのを知っていますか? という、それが、引っ掛けで、それを書くと、誹謗中傷に当たると思うので、書いていないが、高校も大学も卒業していないのではないかなあ。天は、本当にちゃんとご覧になっている。あの母親では。まともな、少年は、育たない。でも、ある人に聞いたら、「昔の話でしょう」という事だった。さすがに、40を過ぎると落ち着いてきて、どこかの私企業(土建業)などの重役になっていたりして。だって、その子を雇えば、父親の杉本俊一氏は、横須賀市の事業(埋めたて)などをその会社に回すでしょう。公共事業は、濡れ手で粟のところがあるからぼろもうけだしね。
その杉本雅子さんに、命令された、私を引っ掻き回す役目を担っている稲田恭子さんだが、お嬢さんが、八分の一ぐらい白系ロシア人の血が入っているのではないかと、思われるほど、かわいい。で、おお嬢さんが、静岡県の海運業者に嫁いだと、聞いている。この間、カンブリア宮殿で、『鈴与』という海運業者を紹介していた。恭子さんのお嬢さんの嫁ぎ先は、一部が、海運業だと、聞いた。そこかもしれない。
となると、我が家の西隣に住んでいて、毎日庭ごみをほうきで掃いては、我が家に捨て入れていた、遠藤家の、お嬢さん、とどっちが金持ちになりましたか? というほどだ。後者は、妙本寺に輿入れした。
これは、非常に大きな話なので、まだ、まだ、続きます。今まで、きちんと書いてこなかったのですが、最近、私の、文章を書く、ちからも上がってきたと思うので、時間をかけて、丁寧に書いていきましょう。
さて、私は、近隣の事を書くか、外国=遠くの事=を、書くか、今迷っています。唯相変わらず、時間がない。したがって、短い時間で書けるもの===天皇ご夫妻の、イギリス訪問を書いて行きます。
なお、この文章ですが、当初から、3時間以上、総タイトルを【雅子様一人勝ちですが、皇室内で秘かな批判と逆風が起きるでしょう。処で幻冬舎刊の【暗殺】ですが、flying覚悟でいえば…ghost writerが居る筈で)としておりました。だが、午前三時に、上の物へと、変更しました。少し、楽な気分で、寝たいと思ったものですから。
と言いながら二日目に入り、赤いフォントで、加筆をして、幻冬舎刊【暗殺】について、気掛かりなことを述べております。
この文章で、本当に言いたいことは相変わらずの、鎌倉エージェント批判であり、特に、いまだ生きていて、日本国内で、闇の帝王として、君臨している井上ひさしについて書いて行くのが、本当の目的です。
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雅子様、一人勝ちの英国ご訪問とは、結局裏で、動いた井上ひさしの脚色通りの展開だったからです。途中で、私が見破ったので、突然、キャサリン妃のお姿が消えたので、それで、雅子様一色となりました。雅子様も、適応障害と言う心の病が、あったと言われていて、今回もお医者さん帯同の旅行で、しかも最初の二日間は、テレビカメラの前にお姿を見せず、十分に休養をおとりになったそうです。
一方のキャサリン妃は、癌を患っておられるとの発表ですが、私は、心の病を発病しておられて、それは、実存的危機と言う様なもので、容易に治るものではないのに、嘘の発表を強いられておられ、その上、急遽、回復したとの劇的登場を演出するために、日本の、天皇・皇后両陛下の、英国訪問が、設定されたのだけれど、それも、実際は、私のブログ潰しの為であり・・・・まだ、完治とは、程遠いはずだと、書いて居たら、今度は、それを否定するために、急遽キャサリン妃を、一切、テレビカメラの前に出さないと言う事となりました。
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こうなると、私はますます、キャサリン妃が心配です。暗黙裡に、薬で、緩慢にですが、殺されてしまう可能性があって。
ところで、日本の皇室でも、三笠宮家の、彬子女王(あきこじょおう)の評判が高いです。愛子さまや、佳子様ほどの、主役級のお姫様ではない。だからこそ、発言も行動も自由でいらっしゃる。
英国王室で、似た様な存在として、アン王女の存在があり、今般は、アン王女の存在を、私は、強く感じました。自由闊達で、・・・・・私は嘘は嫌いです‥・・・という姿勢。で、今般のスケデュールの二転、三転の裏に、異様なもの・・・・・日本の、平民中の平民である、井上ひさしが、英国王室へ向かって、主上の行動の大幅変更を、求める(ただし、彼は、自分を死んだことにしていますから、駐英大使等が、お願いに上がったのだと思いますが)と言う、大・大、失礼に、おかしい。異様だ・・・・・・と、お感じになって、ご自分は、参加しないと、おっしゃったのです。お見事、お見事と、拍手喝さいを送ります。遠く、日本の鎌倉からですが。
馬術が、お上手で、有名なアン王女が、馬と接触してお怪我をなさったですって、。。。。。嘘、嘘、嘘、ただ、ただ、嘘も方便で、そういう口実で、参加しないと、言う意志をお示しになったわけです。
しかし、もし、テレビ画面を自室でご覧になっていたら、後で、いろいろな批判の発言が外へ出てくる可能性もあります。待ちましょう。
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で、今回の日本の天皇ご夫妻の、英国訪問に関して、一切の脚本を担って、提供したのが井上ひさしですが、私は、今、とても気にかかることがあるのです。
彼は、本当は生きているのですが、公の仕事は、一切なくなったわけです。
直木賞の審査員(または、委員長として)、築地の【新喜楽】に出かけることも無くなったし、日本ペンクラブ会長として、海外の有名人と逢う事も無くなったのです。暇で、暇で、仕方がないという現状です。でね、今は、本来の業務である文章書きに戻っているというところでしょう。
で、フライングを覚悟でいえば、【暗殺】に関して、出版を企画し、プロットを提供したのは、井上ひさしだと、見ています。
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でね。2009年ごろ(これは、生きている時代でしたが)から、数々の政治的事件の謀略(アイデア)を練り続けています。
*1)、大相撲壊滅作戦です。これは、白鵬を異常にいじめる案件で、この4月、5月、6月までまで、しつこく続いている策謀です。
私なんて、海外で、一人暮らしをして(180日、×三回、+、個人旅行)、日本人とは、付き合わない様にしているので、海外の人との友好関係は、とても大切で、白鵬をいじめることはモンゴルとの、外交関係に多大な損失をもたらすので、嫌でたまらないです。プーチンのロシアとの関係を言えば、モンゴルとの友好は、非常に大切です。海外で、一人暮らしをしたことがない、井上ひさしには、外交問題は、一切わかっていません。ただ、ただ、日本人が明るく元気になるものを、壊そうと言う目的しかないのです。おお相撲もその一つだし、皇室もその一つだから、皇室も、おちょくっていきます。
それが、雅子様のお馬のアレルギーです。ご成婚時のパレードで、大丈夫だったものが、どうして、伊勢神宮参拝でだめなんですか。日本人の記憶を小ばかにするではないぞ。井上ひさし目!
今般イギリスを利用して、自分が考え出したアイデアが、あたかも本当であるかの如く、日本人に、飲み込ませたのです。イギリス人こそ、いい迷惑です。イギリスの一般庶民が「どうして、マスクをしているのだろう。コロナウィルスが、まだ、空気中に蔓延しているとでも思っているの? イギリスって、そんなに不潔な国だと、思っているの? と、考えて嫌がったのも、屁の河童の井上ひさしです。頭の容量が、とても、小さいのです。
その井上ひさしですが、最近では、以下の様な、謀略のアイデアを練るのを少し休んでいる模様です。しかし、私は、すでに、以下の事件が、彼のアイデアで行われたことを隠ししているのです。ところで、彼は、京アニ放火以来、こういう風な、事件のアイデアを出すのをやめて、上で、言っている通り、文章書きに戻っていると言う所でしょう。
*2)、平成の八墓村事件、(保美死刑囚がやったこととなっている)
*3)、寝屋川のアーケードで、深夜遊んでいた二人の中一児童殺し (山田浩二死刑囚がやったこととなっている)
*4)、やまゆり園事件、(植松聖死刑囚がやったこととなっている)
*5)、おおももたまきちゃん、死後轢断事件 (小林遼が、やったことになっている)
彼が考え出した、謀略の数々は、知床の観光船の沈没まで、数多くあります。ただし、能登町の大地震にかんがみて、信州大学の学生を使って、能登町と穴水町を使った謀略まで、と、ここではしておきます。それ以降に、彼が考え出した謀略は、触れないで置きます。
尚、知床の、観光船ですが、死者は、一人もいませんよ。でもね。最近、死者の遺族が、訴訟を起こしたんですって。それこそ、私のブログが、この章も含めて、井上ひさしの悪辣ぶりを正しく書いているので、また、また、新しい嘘を、したて上げたと言う所です。原告として、日本ペンクラブの会員か、こまつ座の、末端俳優か、共産党員かを、糾合して、急遽、訴訟の原告に仕立て上げて、私が言っていることを否定しようと出てきました。本当にタイミングを合わせています。それだけ、心中、深いところで、真実が外へ漏れるのを、恐れているところなのでしょう。彼は、ビビりです。だって、経験が本当に少ない人間です。だから応用力皆無です。で、光の当たるところに、自分の本性が引っ張り出されることを本当に恐れています。
と言うわけで、信州大学の学生を使った事件に戻ります。これは、私が、信州へ旅行をした時に、主人や、弟と離れて、ただ、一人、山の中にあった信州大学の博物館と言う所を訪れて、びっくりして、その感想をブログに書いているので、信州大学の学生が、殺人事件を起こしたとなると、私がほめている文章を否定することになるので、起こされたのだと思います。
女子高生は、他の事件と同じく、闇の勢力に殺されて、能登町に在る、孫が信州大学に進学したとされる廃屋で、見つかりました。この時の信州大学の学生とは、架空の人物の筈です。名前は、五日間ぐらい出てきませんでした。で、6日目ぐらいに出てきました。が、無論偽名でしょう。だけどね。信州大学が、学部長など三人が出て来て謝罪の記者会見を行いました。それって、やまゆり園事件で、重症患者が運び込まれた病院の、医師たちが記者会見をしたのと、そっくり同じで、脚本どおりに、嘘の記者会見を行ったのです。
そこまで、いろいろな、人物を動かすのですから、私が、自分を大物だと、言うのも仕方がないこととです。そして、私が描いていることは殆どが、真実です。で、六番目の井上ひさし考案の謀略、能登町での、廃屋内事件に戻ります。後で、当時描いた、文章のリンク先を見つけておきます。ここでは、馳知事の、化けの皮がはがれた事と、大地震が、上にあげた謀略に対して、天が、井上ひさしたちに制裁を加えたのだと、言うだけにとどめます。
ただし、それって、熊本県の大地震+大水害とそっくりです。そちらは、くまモンと言う人工的に作った可愛くもなんともない、ゆるキャラを、大宣伝をしたことに対する天の制裁です。くまモンは、小山薫堂が、熊本出身だそうで、彼が、主導をして作り上げました。
小山薫堂は、たまたま、私が知っていたのです。で、私が知っている人物が、アカデミー賞外国語部門賞をとる(脚本を書いた)とか、くまモンで、世界中を席巻するとなると、私より、百万倍ぐらい偉い人となりますね。で、そうすることによって、「おめえって、ちいせえーんだよ。自分を大物だなんて、言うんじゃあねえー」と言いたい、井上ひさしたちの、目的にかなうのでしょう。で、彼らは、CIAの、本部をも動かすことができますので、井上ひさしたちの、あれこれの運動によって、【おくりびと】が、アカデミー外国語部門賞をとったのでしょう。
でもね。神様っていらっしゃるのですよ。熊本県、県民にはお気の毒ですが、不自然な事(くまモンって、一つもかわいくないです。ゆるキャラ本来の性向と真逆な発想で、産まれていますので)にうつつを抜かして騒いでいて、お金を儲けてはいけません。悪いのは、それに、乗っかって、動いた小山薫堂ですが、それによって、彼が、儲けたお金も名誉も莫大ですよね。だから、天がお怒りになったのです。依然として、くまモンを使い続けるのなら,また、何か起きますよ。
ところで、小山薫堂と、私の関係ですが、対面して、会話を交わしたことはありません。だから、「知っているとは、おこがましい」と、彼は、言うかしら? そうですね。ただ、ブログを書いています。なびす画廊(今は閉鎖)と言うのが活発に活動をしていたころ、そこで、個展をしていた東北芸工大学の学生の作品がよかったのです。で、何回か、褒めて書いています。特に、東北芸工大は、地方の大学で、しかも美大としては、後発ですよね。だから、学生(受験生)は、どういう風にして、ここを知りかつ、学ぶ先として、選択したのだろうか?とか、いろいろ、不思議で、何本か、ブログを書いています。それは、多摩美とか、ムサビとは、違う特色で、したがって小山薫堂をほめると言う結果につながったのです。それを、悪利用されました。
それが、大地震とか大水害へつながるのですよ。本当に天は、偉大です。
人間が作った小細工で、ある個人が、異様にもうけるなどと言う事を、天は、お許しにはならないのです。
*6)、信州大学の学生が、能登町の祖父の家で、女子高校生を殺して、隣の穴水町で、自殺をしたと言う、事件、・・・・・今般大地震が起きました。是って、たぶん自然なことですが、天にまします、本当の神様は、井上ひさしたちCIAエージェントをおお叱りになるために、この大地震を起こされたなあと、思っています。石川県の方々は、お気の毒ですが、
馳知事は、後で、「実家にいたので、交通網がだめになってしまって、なかなか地元へは、帰れませんでした」と言いました。実家ですって。実家とは、普通は、東京ではなくて、石川県を指すものでしょう。だって、馳知事は、石川県から立候補しているのだから少年時代は、そちらで育ったのでしょう。
東京が実家ですって。語彙の使い方も知らない無教養な人間です。ただ、ただ、テレビの力を、利用してのし上がった、不適切な指導者(知事)です。
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テレビの力を利用してのし上がったと言えば、井上ひさしです。だが、ここでは幻冬舎の【暗殺】に入る前に、まだ、種々な事を書かないといけません。安倍晋三氏が、西大寺駅前で、亡くなった直後にいろいろ書いています。もっとも、下に在るのが、一番、深い真実です。
ときえだひろこさんと言う東大大学院卒で、通産省、特許庁で、働いていた、五歳年上のお茶大付属高校の、先輩が居ます。その方を、私はメンターとして、慕い切っていました。昭和27年から、昭和36年までの、お茶大付属高校の卒業生なら、絶対に知っていると思われる、頭の良い方です。この女性は、マスコミ有名人ではありません。だけど、それは、お家柄が良くて、かつ、父親、夫、息子が、全部学者だから、テレビに出る事なんか、関心のないお宅なのです。だけど、本当に頭の良い人で、文武両道(これは、人文科学系と、理工学部系と、言う意味で言っている)の、マスター・び・と・で、かつ、カソリックの信者でした。
この彼女がカソリックの信者であると言う事が災いをしたのです。井上ひさしが、横取りをしちゃったのです。でね。特許庁に長らくお勤めだったので、画家である私よりは、上下関係を考える人です。でね。私と井上ひさしを天秤にかけて、そっちを選んじゃったのです。でもね。私は、彼女が、井上ひさしの西舘好子さんとの離婚のいきさつなど、知っていると考えて、それ一つだけをとってみても、ひどい人間であるのは確かで、まさか、私を捨てて、彼を上に立てるなどとは、夢にも思わず、井の頭線渋谷駅で、改札口まで、追いかけたりね。いろいろ、やったのです。相手は女性ですよ。でもね。生涯で、別れることが、これほど、つらい相手もいないと言うほどに、追いかけたのです。
当時すでに、尾行が付いていたと仮定するとパソコンのハッキング、電話の盗聴、プラス、井の頭線の渋谷駅までの、追っかけ(彼女は、中央線で帰る人だから、井の頭線は、吉祥寺までなのですが)たのが、尾行によって、知られて居たら、彼女との別れを再現させたら、雨宮舜(本名、川崎千恵子)は、深いダメージを受けるだろうと、考えて、策謀をされたのが安倍晋三氏殺しです。
理由は、二つあって、一つ目は、その最大のメンター【ときえだひろこ】さんの、旧姓が西大寺なのです。で、安倍さんは、その日は、長野県に行く予定だったのに、急に西大寺に行ってくださいと、言われたのでした。
二つ目の理由は、私が・・・・・闇の勢力が殺した、ひとが大勢いる・・・・・と言っています。保美死刑囚が、殺したことになっている周南市の五人の老人は闇の勢力が殺したのです。植松聖が、19人も殺したと言っていますが、これは、一人も殺していません。でね、こういう政治的謀略事件がカメラの前で,映る必要があったのです。NHKは、美人の記者を現場に配置していました。で、カメラの前で、実際に人が殺され、その殺人者が、警察の特殊部隊の人間ではないと、する必要があったのです。それが、山上てつやで、千葉景子さんなどが、リクルートをしたと、推察しています。だが、以下のリンク先特に最後の章で、真実を明かしていますので、
違う結論にもっていく必要があって、宣伝力の大きい、幻冬舎刊行で、暗殺=柴田哲孝著が、出たと思います。これは、その書物を読んでいないで、書いている文章ですから、フライングの可能性は、大いにあります。でも、今、言っておかないといけない事なのです。
ところで、私が、気になると言うのは、この書物が、対、私攻撃用、武器となっていると考えるからです。それについては、将来、過去リンク先を見つけたのちに、丁寧に語ります。
私は、自分の体力を温存しないといけないし、ものすごく忙しいので、本日は、最後まで、書いてはいないのですが
太田出版刊行の【絶歌】、および、かまくら春秋社刊行の【天国の本屋】の時に丁寧に描いた事、また、安倍晋三氏暗殺直後に丁寧に、書いている数本のブログをここに貼り付けないと、正しいことは、語れませんので。お許しください。
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ところで、フライングと言えば、【燕は、もどってこない】について言及しないといけません。本日24-7-2夜10時から最終回がありました。
このドラマ、第六回が、面白かったので、ネット検索をしてしまい、ネタバレ投稿を見てしまいました。で、結論を知って、最終回を見たわけですが、出産前後の、石橋静河の演技が、予想外に、お上手でしたね。
朝ドラ【ブギウギ】の樹里の場合は、育ちとか、自分の本当の姿が出てしまうのに、石橋静河は、未婚の筈だし、出産も未経験なはずですが、登場人物、大石理紀になり切っていました。
ちょっと、硬い感じの彼女が、いろいろ、自分の考えを述べる、(特に、雇う側への、「ちょっと、それは、待ってください。今は、まだ帝王切開の後が、痛いので、せめて、それが、治るまで。離婚のはんこを押せなんて」という)表現に切実さと、本当らしさを感じて、「おー、おー」と、感嘆しました。「幸福に育っていて、こういう状況は、実感していないはずなのに、演技として、上等にできましたね」と、祖母年齢のおんなとして、褒めてあげたい・・・・・です。
ところでね。これは、第2回を見た後での感想だったので、ブログを見つけやすくて、リンク先を提示しやすいのですが、
けっかのよそうをしたのですが、まちがえていました。で、フライングをしちゃいました。でも、悔やんでもいないし、全く平気です。以下のリンク先で、書いたことは、
主役の石橋静河は、自分の子供を代理母依頼者には渡さず、自分で育てるだろう。その時、そばにいるのは、森崎ウィンだ、と、書いているのです。第2回目を見て、その終幕の第3回目の予告編で、明るい、明るい感じの森崎ウィンを見て、そう、予測をしたのです。しかし、間違っていました。ただし、気分はめげて居ません。だってそれは、桐野夏生の、力量が、私の、頼みとしている預言力の高さを、上回っていたのです。
主人公、石橋静河が、他の男、それも二人と、排卵期近辺で、セックスをしてしまうとか、依頼者(夫側)が、それを知ったうえで、「生まれた子供の遺伝子検査をしない」と言うとか、
しかも、石橋静河に向かっては、「遺伝子検査をしました。僕の子供でした」とうそを言うとか。姑が、2000万円を出す人間だからと、言って、代理母を、下位の人間としてずっと、みなして、居たのに、ふとと言う感じで、このプロジェクト自身の、罪深さに気が付くとか(彼女は、息子を自分が生んでいますので、さらに、深く罪に、気が付いたと見えます)、
妊娠した子供の数が双子だったとか。だから、一人は、自分の本当の子供として連れ去るとか‥・・・そうですね。新しい男と、巡り合えるかどうかは、わからないわけなので、今、目の前にある赤ちゃんは、大切ですよね。・・・・・まあ、ともかく、あっちこっちで、裏切られたけれど、別に残念ではないです。「結構なお点前でした」と言っておきましょう。