銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

画家・岸田淳平氏逝去 + 八幡宮内喫茶店店長として80万円を取った傲慢女性とは誰なのか?

2025-02-20 02:15:10 | 政治

 あらかわ画廊とか、画廊香月で、重要な作家として扱われていた、岸田淳平さんが亡くなりました。

 なお、google 検索で、岸田淳平と引くと、たくさんの画像が出てきます。

月刊ギャラリーでも、取材をされていました。胃を全摘されたと、ご本人から聞いているのです。とても痩せていらっしゃいました。

 ただ、教養が高くて、ご近所住民として、丁寧な、雰囲気の言葉を短くですが、交わしたのです。が、いつも、・・・・・人間が出来ている人だなあと、感じていました。・・・・・・

 私がスケープゴートとして苛めらる前は、藤本禎子さんが、ご近所中の総すかんを食っていたわけですが、藤本夫人によると、「井上さんだけは、挨拶をして下さるのよ」とのことです。

 岸田淳平(本名、井上さん・・下の名まえはあとで入れます。)の、住所は、郵便番号248-0005 雪ノ下2-4ー▽です。後で、三角のところを埋めます。

 2025年2月12日とのこと。

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しかし、これは、・・・・・簡単に、終わる事が、出来ない課題が、・・・・急に、うまれたと・・・・言う事でもあるのです。【山間の煙】と言うエッセイに、書いた事の最終章に、当たる部分を書かないといけなくなったからです。ここから、次の矢印へ続く。間は、実際に本日起きている被害なので、数入された悪事 ⇒⇒ ⇒⇒

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  この山の、主婦軍団を、支配している、前田、安野達の、驚くべき、傲慢に、四分五裂された、ご夫妻が、井上家であり、その真相を丁寧に、書いて置かないと、、私が、悪者に、されてしまいます。そのサインは、すでに、表れていて、我が家の門内に、侵入した泥棒が、さっそく、カンナの苗をいじめていました。移植中だったそれを、植木鉢から出して、道に置き、水分欠如にさせて、枯れさせてしまおうという悪意を示しました。

 まあ、鎌倉市の植木職、ボランティアを行っているし、我が家のアジサイ畑を、コンクリート打ちにして、40年間使えない様にさせた上に、北側に新たに、20坪を開墾した、安野家のやった事でしょう。そこを(マネー)ロンダリングするために、平成の八墓村事件を起こしてもらって、(あれは、警察の特殊部隊が・真・犯人ですよ。保美ではありません)安野夫妻が助けられたのですが、その安野夫妻が、2024の秋からほぼ、毎日というか、毎週やっている悪事です。そこから、25年の、本日まで、50回以上発見をしている、悪意の発露です。2,3年前から特に強めになっていてチューリップの球根など、大きいのが、10個以上掘り起こされて、ダメになっています。

 井上さん(ご主人の方)が、亡くなったことを利用する、間髪を入れぬ、泥棒行為ですね。つまり、私がこの件で、弱体化した筈だから、それに乗じて、さらに、弱体化させようとする案件です。これを発見したのが、午前11時ごろで、次に午後四時に、

 太陽がまだ、赤々と前田家を照らしている時間帯から、玄関灯を点けていました。これは、最高レベルの攻撃サインで、彼女が勝った、勝ったと思っている証拠です。

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 特に、石井秀樹 あづさ夫妻、関本夫妻、白井夫妻、などは、まだ転入してきて居ない頃のはなしですから。彼らは、前田清子さんの、言葉を信じて、私を悪者にしていく可能性が高いです。

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 しかし、2025年2月20日の今、、すぐこれに、かかる(=リンク先などを探して、詳細に、書く)のは、やめます。

 結局は例の軍団の悪意の、表象の一つとして、書く話なので、今書いている、吉田茂穂宮司様が、鶴岡八幡宮を私物化・・・・・(結局は、鎌倉エージェントと私が称する、伊藤玄二郎+、まだ、生きていて地下潜航をしている、井上ひさしの、私物化でもあるのですが)。。。なさっている話の続きを書く方が先です。それは、海老蔵(現在は、団十郎)を、松竹が奴隷化状態においていく話にもつながるし、

 吉田茂穂宮司様の、お勉強が足りなくて、フランス・ランスの大聖堂の中で、そばにいた、フランス在住の、日本人が赤面をするほど、ランス側聖職者に、こばかにされてしまったのに、そばに随行していた女性コーディネーターの、フランス語能力が低くて、正しいことを伝えない、彼女のために、吉田茂穂宮司様、一行は、ご自分たちが、嘲笑をされ、苦笑をされているのに、気が付かなかったと、言う話にもつながります。

 その女性が傲慢極まりないので、吉田茂穂宮司様と傍にいた権禰宜は、フランス側が苦笑をしているのを、まったく、理解せず、したがって、私たち夫婦の恥ずかしさは、頂点に達した・・・・と書いてありました。これは、最近読んだものではなくて、海老蔵の、源氏物語に、オペラが、挿入されていて、それが、鶴岡八幡宮様で、公演をされたオペラと、曲目も歌い手も同じはずで、(私の耳は正確ですよ)・・・・・しかし、歌舞伎座のプログラムには、何も、人物名が記されていないので、私は、必死で、調べました。ネットも利用して、その際に、見つけたブログです。私は、ニュースそースを守るために、自分の考察に役立つブログは、わざとコピペしません。脳内に、記憶をして、後程、利用をします。

 2017年に把握をした事実ですが、吉田茂穂宮司が、ランスの大聖堂を訪問されたのは、そのずっと前の話だったと、推察しています。

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 ここから先は、見てきた様な嘘を言いの類ですが、そのランスの、大聖堂に、吉田茂穂宮司一行と、同行をした日本人女性とは、誰かが問題となってきます。

 ここから先は、まったくもって、私の想像です。新聞でもテレビでも明らかになっていないところです。

 その女性が、ホテルのロビーで、吉田茂穂宮司と歓談をしている時に、吉田宮司から、「ところで、あなたが、NHK(一チャンネル)の午前中の主婦向け教養講座の、司会者をしていたころ、NHK側の謝礼は、いくらでしたか?」と質問をしたと仮定しましょう。するとその女性が、「週に一回の謝礼が、20万円で、月に四回出演するので、80万円でした」と答えたと仮定しましょう。すると、吉田茂穂宮司は、「ああ、そうですか? わたくしたち、八幡宮は、今度新しい喫茶店を、旧美術館傍、太鼓橋側入り口よりに開きます。それは、美術館本館とは、別の建物を新しく作ります。平屋ですが、有名なデザイナーに、諸事を頼んであって、とてもモダンなものを作ります。どうか、そこの店長を引き受けてくださいませんか?」と頼んだと、推察しましょう。すると、彼女は、「はい。OKです」と答えたと仮定します。

 この店長の高給が八幡宮内部でも、批判をされて、70万円に引き下げられたという記事も読んだのですが、そういう投稿の中には、・・・・・その女性は、吉田宮司の愛人だから、それほど、高額なお手当てが出ている・・・・と、書いているものもありました。しかし、私の推論では、吉田茂穂宮司様に愛人がいたら、絶対に表に出るでしょう。まだ出ていないです。だから、その店長とは愛人ではなくて、テレビの世界に生きている有名人なので、吉田茂穂宮司様が、彼女の普段の収入をおもんぱかって高給を保証したのだと、推論しています。

 さあて、誰でしょう。ここで、私は、一つの仮定として星野知子さんだったのではないか?と、思っています。まず、テレビに出ていた私は、有名人なのよ」という発想が根底になりますね。ところが、彼女をランスの大聖堂で、初めて見た、日本人夫妻は、日本にいる時から、テレビなど、見ないご家庭で育っていたので、星野知子を知らなかったと、仮定すると、テレビに出ている人間固有の、傲慢を感じ取った可能性が強いのです。

 もう一つあります。そのブログを書いたご夫妻の、ご主人の方も、中高一貫有名私学出身で、奥様も、白百合、双葉、聖心、フェリス、学習院などのお嬢様傾向の強い私立中高一貫校をでいると、仮定すると、

 都立、または、県立の男女共学校を出ていて、県内で、偏差値優秀校として、有名で、大学進学率が、高い高校を出ている人の、・・・・・自分では普通のつもりでも、他人を見下した、傲慢ぶりに、へきえきをするものなのです。

 卑近な例を挙げると、前田清子さんです。彼女は、静岡大学の法学部を出ているそうですが、私としては、ぞっとするほどの、傲慢ぶりです。静岡でも、中高一貫教育の私立女子高があるのですが、そういうところの卒業生だったら、静岡大学は選ばないと思います。

 この山のケースですと、西隣の白井夫人もその典型ですね。東大に入学する前までは、公立男女共学の偏差値優秀高校に学んでいたはずです。早世した井上夫人とか、現在生きていて、モンスター級の無礼を示す渡辺みかさんも、公立男女共学校(しかも、偏差値優秀)な学校を出ていると思います。

 一方で、小、中、高、大学のどこかで女子だけの学園に学んでいた人は、その種の傲慢さは示しません。この山では、富沢夫人、平木夫人、関本夫人、大原夫人、などです。私は政治的問題は別として、こういう女性と接すると、ほっとします。礼儀作法、特に他人との、正しい接し方を、男女共学、かつ、偏差値、優秀な公立高校では教えないと、見えます。星野知子さんは、新潟県立長岡高校卒ですって。なるほど、なるほど。そのうえ、大バック、NHKと、テレビ朝日に大切にしてもらっているという判断があれば、傲慢度が、三重になります。日本だとそれが、当たり前に通るけれど、ランスの大聖堂で、同席した日本人が、学者系統の人または、翻訳家系統の人で、日本のテレビなど、まったくみて居ない人だったら、星野さんの、「自分は威張っても当然だ」は通らないのですよね。

 ただ、ここまでは、徹底的に、私の推察にしかすぎません。で、ランスの大聖堂で、吉田茂穂様の随行員をした、女性が星野知子さんではなくて、単純ないばりんぼうであり、単純な出しゃばりであり、

 しかも、吉田茂穂宮司が、彼女の大口にころっと騙されて「今度開く新しい喫茶店の店長をしてください。報酬は、どれくらいで ご了承をいただけますか?」と、お話をすると、彼女の方が、「そうですね。80万円ぐらいで、どうでしょうか?」と答えたと、仮定すると、醜い醜い女性像が浮かびます。

 それにもう一つの可能性があります。ランスの大聖堂で、コーオーディネーターをしてもらったので、吉田茂穂宮司がぞっこんになった女性では無くて、ただ、ただ、日本国内で、知り合っただけの女性に、「毎月80万円の報酬を出しますので、店長をやってください」と頼んだとすると、愛人説も捨てられなくなります。困ったことです。

 そして、この話は、吉田茂穂宮司様の、音楽に対する、知識の欠如を明らかにする話でもあるし、それ故に、鶴岡八幡宮様を自分の格上げに、利用しきっている

 音楽プロデューサー武部聡志のずるいずるい生き方にもつながっていくし、・・・・・この資本主義社会(行き詰っていますがね)の、最悪の例としての、吉田茂穂宮司様の、八幡宮私物化の話に入っていくわけです。それの方が先に書きたい重要な事ですから。

 ので、前報の続きを、書いた方が良いのです。

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 しかし、井上夫妻が、両方亡くなったとすると、この【山間の煙】のエッセーに登場する、真実の悪人のことも書き表さないと、いけません。そのにんげんは、山の下、現在の、鶯吟亭の、直前の持ち主です。その前は、白井老婦人で、この方は、川口順子元外務大臣の母君です。、

  私が、法務局に、行くのは、その、大量の煙を出した人間と会いたいからでした。しかも大量の油煙(すす)を含むので、洗濯ものが汚れるから、私が出していると誤解をされて、叱られたわけです。井上夫人に叱られたわけだけれど、その裏に、むろん、前田清子さんをはじめとする、この山の主流派主婦軍団がいるわけです。

 下に、最近よく使っている、同じ写真を使いますが、その理由は、この【山間の煙】に書いたころの、我が家の写真がないからです。だから、その20年後の我が家近辺ですが、自然の地形は、変わっていないので、これを使います。

 赤い矢印が、我が家で、撮影場所は前田家の前の道路です。黄色い矢印の右側に笹が立ち上がっています。それは、撮影場所に、生えている笹です。ところで、この山間の煙事件が起きた時、この青い矢印で、示されたスレートでできた大屋根(石井秀樹邸、テレビに時間番組にも取り上げられた、360度ガラス張りの家、)も、まだ、建っていなかったし、黄色い矢印の家(横浜一高いタワマンフロントの、設計者、石井達雄・ひろこ夫妻)も、まだ、なかった時代です。それぞれの場所に、築50年以上の平屋が建っていました。屋根は、瓦製で、壁は、茶色の塗料を塗った木製です。それらの家は、この住宅団地が開発されたのちの50年間で、生い茂った樹木にすでに覆われ、前田家の前からは、ほとんど、見えませんでした。

 そこに当時では、いかにも上等な建築である左側15坪を、最高級の仕事をする工務店に増築してもらった我が家は、堂々と、目立っていたのです。その時期では、まだ、大原家も平屋で、茶色の板張りの家だったし、安野家も二階やではあるものの、茶色の塗料を塗った古い古い家だったのです。それで、我が家は、ねたまれていたかもしれません。

 一方、井上家では、ご主人の創作品の何かが当たったそうです。で、1970年代か1980年代に、7000万円の、もうけ(一時金らしい)を得たそうです。これはね、2025年の貨幣価値に直すと、一億円以上で、もしかすると、一億五千万円です。生涯にわたって、なんで、それほどの大金、しかも、一時金が手に入ったかを岸田淳平氏は、外へは明かしませんでした。

 どこかの画廊が、大量の岸田淳平の、油絵、または、版画作品を、独占して、その代金として一億数千万円を支払ったのか? ともかく、アトリエとしての別宅はあり(❓)、毎日きちんと外出する人でした。「アトリエがあるんでしょう?」と言うと、笑いながら否定していました。が、ただ、ノマド生活が好きで、喫茶店を利用するにしては、一日中外にいるのは、相当な、高い生活費が必要だし、疲労するものですよ。60を過ぎて、そういう生活を送っているのは、不思議でした。ともかくお金持ちで、お子様方も留学をさせましたしね。

 その7千万円の一時金の話を教えてくれたのは井上夫人ではなくて、今は、無理に引っ越しを迫られていえ、この山には居ない石井羊一氏の奥様でした。

 さて、問題は、上の写真の左側=東側から、樹木の間を、漂ってきた煙です。大量でした。そして、困ったことに、油煙を大量に含んでいたのです。それを、私が出していると、誤解したのが、前田夫人と、大原夫人でしょう。油煙が落ちて被害を被ったのは、布団を干すベランダがある石川和子さんもそうだっただろうし、旧森さん(現在の、平木さん)とか、生保会社の、偉い人(短期在住だったので、名前を憶えておりませんが、関本家の二代前の、住人)などです。それらの家を、糾合して、井上夫人が我が家に、恐るべき叱りの電話をかけてきたのです。

 受話器を取る早々、面罵に近い大声で、「川崎さん、焚火をするのはやめなさい」というのが耳に入りました。井上夫人からだというのは、彼女が最初に名乗ったので、わかったのだったかな?

 驚きました。私は焚火をしていません。非常に失礼な誤解でした。私の母は、良く、「七たび尋ねて、人を疑え」と言っていました。まず、「お宅の庭を見せてください」というのが一番最初に井上夫人のなすべきことで、その次の、だんかいとして、焚火をしていない庭で、私に対して、ものをいうべきです。

 母は、他人から、聡明な人だと、認識をされていました。実際に、86歳まで、パソコンで株価のチャートを見ていましたし。

 大昔、そうですね。60年ぐらい前に、渋谷駅で、ご近所紳士水谷さん(毎日新聞で、NHK音楽コンクールなどを創設した人物)に言われたのですが、「あんたはばかだけど、あんたの母親は聡明だよ」と、・・・・。

 母の実父は、養子だったのです。いわゆるとりこ、採り嫁という形。だが、義理の両親(私にとっては、母方の、そう祖父母)と彼の折り合いが悪くて、出奔をしてしまい。当時は、大卒(山口高等商業卒)が、少なかったので、すぐ、秋山家から、懇望をされ、そちらの、お婿さんとなり、両家で、合計9人の子をなした人です。が、私が、大人になってから、日吉の家にも訪問をしてきたほどで、若い日には、秋山家と、母を養育していた家(中野家)に隠れて、高等女学校の校長室に、母を訪ねてきていたほどだそうです。母を愛してくれていた人です。母の兄(私にとっての叔父)も、愛されていた模様です。

 で、次の世代へ移ります。結婚後、私の父が母をモダンガールにしたくて、お勤めに出したのだった。それで、横浜正金銀行(今は、馬車道の県立博物館になっている御影石づくりの堂々たる建築物)に、採用をされたのです。経歴書の、実父の欄が効いたのだと思います。ところが、母が私に思い出を語るところによると、「あーた、驚いたことに、銀行って、三時過ぎが忙しいのよ。一円でも合わないと、帰れないの。だから、主婦業とは、両立しないのよ」と。で、横浜正金銀行って、昭和初期の当時は、為替を扱う唯一の銀行で、勤務先として、格好がよく、母のモダンガール化を助けると思われたのですが、時間的に主婦業と両立が無理で、母は勤務先を日産自動車に変えたのでした。

 この写真も盗まれてしまったのですが、母は銘仙の羽織姿で、6,7人の、同僚女性と、写っています。この時、昭和11年(=1936年から)から、15(1940年)までの間だと思うので、昭和8年創業の、日産自動車の、ごく初期にお勤めをしたこととなります。父が生麦(❓)の早山石油(のちに丸善石油となっていく)に、大卒新卒時には勤めていて、新居は、生麦に構えていたと聞いています。だから、両親は横浜が好きであり、戦後一時期船橋に住んだものの、結局、日吉を買う事となります。母にとって、日産自動車勤務は、主婦として、正解だったのです。そして、たぶん当時は借家に住んでいました。が、日曜日は、ダブルインカムの、高収入を利用して、二人で、遊びまくっていたのです。だから、私は母の27歳の時の子供で、その時代では、高齢出産の方だったでしょう。

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 私が、リアルな世界では、喧嘩をしない主義なのは、この「七たび尋ねて、人を疑え」という母の教えを厳格に守っているせいもあります。人間の世の中の正邪とか、善悪など、立場が違うと、異なってくるものですから、面と向かって、論を張っても解決にはならないと思っているからです。

 私が、今、考えている複雑なことなど、この山の連中は理解が出来ないでしょう。唯一理解が、可能だった思われる、井上さん(岸田淳平)が、亡くなったのは、私にとっても、とても残念なことです。  

 ところで、井上夫人から怒鳴られた時に戻ります。私に取って井上夫人は、最もお金持ち風に見え、そして自信まんまんにも見えました。で、非常に緊張して直ぐ「違いますよ。庭に見に来て下さい」と言ったのです。いつもの様に、はい、はいと、軽く、受け流したわけでは、ないのです。

 「誤解ですから、わがや=川崎家=の庭に、見に来てください」と、頼んだのに、彼女は、来なかったのです。五分待ちました。北東と、南西という形で、十字路を挟んだ、隣同士です。玄関の直線距離は、30mいない。それでも、五分以内に来てくれない。これは、大問題でした。放っておけない大問題でした。それでね、手書きで

 (当時、ブラウン管型のパソコンは我が家にはありました。NECとか、アップルのね。だが、息子が、母親がインテリめいた風に暮らすのを嫌がっていたので、まだ使っていなかったのです)

 A4の紙に縦書きで、自分は、焚火をしていない。井上夫人は、誤解をしている。焚火は、下の、旧白井邸

・・・・・(現在鎌倉市の史跡にもなっている川合良一さんの両親の兄弟か、従兄弟の家です)・・・

 の、現在の、住民が出しているのです。その人は土建業者みたいで、最初は、木の葉とか、刈り取った草を焼いていたのですが、最近、プラスチック類を焼いているみたいです。家を新築すると、流しとかガスコンロとか透明で厚めのフィルムで、カバーをされていますね。また、段ボール箱に入っていて、黄色い頑丈な、プラスチックテープで、固定化しています。ああいうものを、燃やしているみたいなのです。それで、これほど、大量の煙が出るのです。ともかく、私は、焚火をしておらず、このすすを出していません・・・・・

 と書いて、すぐ下のコンビニに降りて行って、コピーを20枚以上取り、一番東の先端にある中谷邸から、いちいち、言葉で、状況を説明をしながら、配って歩きました。当該の井上夫人は訪ねませんでした。だけど、井上夫人に教唆命令をした、前田夫人とか、大原夫人とか、安野夫人は、石川和子さんは、彼女たちが、井上夫人と、同じ穴の狢だと、分かっていても、訪問をして、言葉で委細を説明をしました。

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 私はこちらに引っ越してくる前に、戦前、戦時中は、もっとも賢い人間だと思われていた、元、海軍参謀・益山重夫と、元陸軍参謀瀬島龍三を、文章(内容証明)の形で、蹴散らしてきた人間ですよ。彼らは神戸の土師淳君殺しまで、やって、1200坪(実際には二千坪)を、地積変更届を利用して、ただで、手に入れた悪人です。その事案で、証券取引所(=野村証券ビル)の三階に事務所を構えていた、栗原一郎弁護士から、「あなたは、見かけでは、典型的被害者像=他人に騙されたり、足蹴にされたりしてしまう弱い人間の事=に見えるけれど、実態はまるで違いますね。ものすごく頭がいいうえに勇敢です」と、言われている人間です。

 なお、ここで、10時間以上パソコンにへばりついているので、途中ですが、切ります。恐れ入りますが、切ります。

 まあ、続いて書く予定の事を簡単にメモ書きします。

 私にとっては、上の様な行動は当たり前のことだが、この山の主婦連中にとっては、予想外の出来事だったらしくて、私が、その後、いじめられることとなった。非常に怒った私は、これを数年後、または、十年以上後で、ブログに書く事となる。

 しかし、この件をブログに書く前から、ミスター井上(岸田淳平氏)の方は私の頭の良さが分かったらしくて、奥様の外出時に、山の坂に入る時点で、必ず、迎えに出て、他の主婦軍団につかまらない様に、気を付けていた。しかし、あの強い語調の井上夫人は、すっかり消えていて、何とも、委縮した姿を見ることとなり、やがて癌によって、早世してしまう。

 その後、ミスター井上の方もがんを患い、この2月12日に亡くなったそうである。二人の死の間には、15年ぐらいの時差があり、その間、ミスター井上は、必死で、ひとり身生活を守ったのだった。

 ところで、ミスター井上が、岸田淳平として、月刊ギャラリーで、特集をされたときに、私は、はっきりと、ミスター井上が、CIA軍団側の人間だと確認したのだった。

 もちろん、その取材が、岸田淳平の作品をたくさん持って居る画廊で、行われたのだったら、取材者、本夛隆彦、月刊ギャラリー編集長が、たぶん井上邸を訪問をしたのに、我が家に、寄らなかった。我が家に以前、あがったことがあるのに寄らなかった。

 吉田秀和氏の葬儀の際に、たぶん、笠松敦子さんは、来ている。だが、私に、鎌倉でお茶をしない?とは言わなかった。こういうことは枚挙にいとまがない程ある。そして、私は、そのたびに覚悟を固める。

 ところで、この案件で、私はもっとも悪いのは、前田清子さんと安野夫人と大原夫人だと思っているが、これらの夫人を助ける為に、廃棄物処理法案というのが、2013年に改正(? 改悪?)され、焚火をしてはいけないこととなった。

 この法案の改正(? 改悪)で、私は白井夫人から、井上夫人の電話での、恐るべき脅かし行為に、勝るとも劣らない、攻撃を受けた。塀越しに、「川崎さん、警察を呼びますよ」という大声で、脅迫をされた。 

 だから、私は、白井達雄氏が、傾きマンションの、大騒動のときに、旭化成建材が、使った、繰り回しグラフを、世間(特にマスコミ)に渡したのだろうと、言っている。白井達雄氏はあの、改築前の、傾きマンション、ララ、横浜を設計した人だと思う。というのは、その外観が北久里浜の門題の土地、旧水道山に立って居る、ルネ北久里浜(=そらヒルズ)にそっくりだからだ。

 白井さんは、その時、瀬島龍三に、私の悪口を散々吹き込まれ、敵として、転入してきた人なのである。上の写真の、黄色い矢印の家が白井邸である。

 さて、こういう悪の総体を、指導したのは中谷共二氏と、その遺児二人であり、この山の住民山田某氏である。

 私が出来ることは、こつこつ、コツコツと、事案に応じて、説明をして行く事しかできない。正しいことはこうですよと、説明をして行くほかはない。

 ところで、きゅう中谷共二邸は、前田達之さんが、買ったことになっていて、一部屋、7満五千円のシャアハウスとなったが、とんでもない嘘だった。前田達之さんは、お金を払っていない。中谷共二家の二人の遺児には、官房機密費から、1970万円の、東急リヴァブルの売値分の金銭が渡されたと思う。

 ああすべてのキーは、前田祝一・清子邸が、建築基準法の違法建築であることに、存在している。しかし、CIA軍団は頭の良い人を日本で生かして置いてはいけないと考えているので、

 前田清子、+ 安野智紗、白井ひろ子、わたなべみかなどに、「活躍しなさい」「活発に活躍しなさい」「特に、今は、岸田淳平が、癌で死んだ好機だ。これが、川崎千恵子のブログが原因で、癌発症をしたから、彼女が殺したも、同然だと、山の住民を煽り立てればいいのだ。頑張れ、前田清子」と、井上ひさしが思っていて、彼女を励ましているだろう。

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 ところで、私は、旧中谷家の、東側の崖の大工事が、始まった時に、

 この悪辣さを、天はお怒りになって、伊藤玄二郎が、自らの支配下に置いている、500人ぐらいの、私に過去に、関係があった(特に私が、いじめられた梨、損失を与えられた人物)、500人のうちの誰かが死ぬだろうと、預言をしていた。

 それが、岸田淳平氏だった。とても、残念だ。岸田淳平夫妻は、正しい事と、正しくないことをやっているが力が強い、軍団連中とのはざまに陥って、そのストレスで、癌を発症した。

 つまり悪人は生き延びて、悪人に使役をされていた人間は死ぬ。何とも、不条理な、現世である。私が癌発症をしないのは、ただ、ただ、この苦労に対して、神様が、ひそかに助けて下さっているからだ。

 私は、すべてを語りたい。すべてを語ってから死にたい。で、120歳まで生きたい。だから、この章が中途半端に終わり、前田清子側が正しいと、判断をする人が、出現するとしても、ここで、就眠をしたい。では、本日21日は、これで、さようなら。誤変換を直し終えたら、署名を入れます。

 

@@@@@@@@

焚き火を大量に、行う人間で、最後の段階では、鉄製の、焼却炉さえ、山の中に設置していたのです。その焼却炉設置の前には、庭で、焚火をしていました。そして、石油製品らしい物を大量に、燃やしたので、この山に、もうもうたる油煙が、上がってきて、私が、その焚火をしている、事実上の、はんにんであると誤解され、井上夫人に、電話でどなりこまれたのでした。

 

 すぐ、「誤解ですから、わがや=川崎家=の庭に、見に来てください」と、頼んだのに、彼女は、来なかったのです。五分待ちました。北東と、南西という形で、十字路を挟んだ、隣同士です。玄関の直線距離は、30mいない。それでも、五分以内に来てくれない。

 これには、わたくしはものすごく怒りました。私の母は、NHK音楽コンクールや、現代アート展を毎日新聞社で、創造したご近所紳士水谷さんから、「あんたはばかだけど、あんたの母親は聡明だよ」と言われるほど、賢い人でした。母の父が、旧制柳井商業の校長を、40年も続けた秋山某氏なので、(祖父は、母の実家の養子だったのだが、二人の子供が生まれた後、私の、そう祖父母と、喧嘩して、養家を飛び出している人物)なので、苗字が違うのだが、母とその兄の二人の子供のことは気にかけていて、新、養子先の秋山家や、母を引き取っていた、中野家に隠れて、高等女学校の校長室へ、母を訪ねてきたそうです。

 で、ここから先、書いていることが何度も消える。がんばってみよう。母は結婚後横浜生麦に新居を構えました。父がモボの一種で母をモガにしたかったので、お勤めに出すことにしたのです。二人は結婚後横浜生麦に新居を構えました。

 

@@@@@@@@@@

彼女はガンで、10年後なくなるのですが、私と前田・安野主流派主婦軍団を、天秤にかけて、そっちを上に置いたのです。

 ここが、鶴岡八幡宮の上級神官、龍村さんが、私より、安野・平木主婦グループを上に置いたことを繰り返し語ることへつながっていきます。

 

@@@@@@ここが、第二の書きかけ中の最先端です。

  しかし、私は。東大に、勤務をしていた時に、将来、必ず東大教授

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