昨日の続きです。
円久寺へ行く前に、八幡神宮前にある案内板の端っこにあった、蓮丸霊神をお参りします。

何の神様かよくわかりません。
さて、円久寺です。

由緒(本報告に都合のいい要旨抜粋)
「霊仙山城主中川山城守親武は、伊予の国を守っていた河野十八家の一族で松山の藤原村(今の伊予鉄市駅付近)に居住していたのであるが、河野本家の河野道直(道後湯築城主)の命により霊仙山城主として派遣されたのである。

親武が亡くなった後、弟の常陸介道任が後を継ぎ、霊仙山を守っていたのであるが、天正13年に来島通総の為に激戦回を重ね遂に落城され、逃げて讃岐に隠れており、30年後に大阪夏の陣で討ち死にした。

その墓所は当地になく所在不明である。」
「当時の戦いに参加した家来は、麻生・世良・渡辺・秋山・石丸・加藤・村上・長井家があり(この近隣の苗字ばかりです)、これらの家は後年戦火により荒れた寺の再建に尽くしたのである。」


尚、親武の娘は天正7年に亡くなられ、お姫さんとして南山腹にまつられている。」
境内の梅が満開です。

上記由緒を彷彿とさせる、矢竹が植えられています。

お堂に歩いて行きます。

中川山城守親武をまつる「山城堂」です。

上記家来の家の墓群の坂を上って行きます。

麻生家の墓です。

由緒
「城主親武の妹の墓

麻生大炊介は城主の家来(家老)である。その妻は城主中山山城守親武の妹であり、麻生家の元祖となる。」
一度墓地群に出て、違う道を上って行きます。

この奥です。

「十二社さん」です。

薬師如来の眷属である12神将をまつっています。
こんな山中に祀る訳がやがて分かります。
更に奥へ進みます。

途中、砂防ダムがあります。

道を間違えたかと思った頃に、家が見えました。
民家のように見えます。

ありました、「お姫堂」です。

平成16年に建て替えられたもののようです。
由緒
「中川山城守の息女をまつる
天正7年7月8日、敵に攻められこの地において奮戦するも力尽き自決すると伝えられる。」
中を拝観します。

学業成就・病気平癒のご利益があると言われているそうです。

お堂の前です。

展望所として市民の憩いの場となっています。

お姫様の最期の場所で憩うのが供養なのでしょうね。

靄っていて眺望が利きませんでした。
円久寺へ行く前に、八幡神宮前にある案内板の端っこにあった、蓮丸霊神をお参りします。

何の神様かよくわかりません。
さて、円久寺です。

由緒(本報告に都合のいい要旨抜粋)
「霊仙山城主中川山城守親武は、伊予の国を守っていた河野十八家の一族で松山の藤原村(今の伊予鉄市駅付近)に居住していたのであるが、河野本家の河野道直(道後湯築城主)の命により霊仙山城主として派遣されたのである。

親武が亡くなった後、弟の常陸介道任が後を継ぎ、霊仙山を守っていたのであるが、天正13年に来島通総の為に激戦回を重ね遂に落城され、逃げて讃岐に隠れており、30年後に大阪夏の陣で討ち死にした。

その墓所は当地になく所在不明である。」
「当時の戦いに参加した家来は、麻生・世良・渡辺・秋山・石丸・加藤・村上・長井家があり(この近隣の苗字ばかりです)、これらの家は後年戦火により荒れた寺の再建に尽くしたのである。」


尚、親武の娘は天正7年に亡くなられ、お姫さんとして南山腹にまつられている。」
境内の梅が満開です。

上記由緒を彷彿とさせる、矢竹が植えられています。

お堂に歩いて行きます。

中川山城守親武をまつる「山城堂」です。

上記家来の家の墓群の坂を上って行きます。

麻生家の墓です。

由緒
「城主親武の妹の墓

麻生大炊介は城主の家来(家老)である。その妻は城主中山山城守親武の妹であり、麻生家の元祖となる。」
一度墓地群に出て、違う道を上って行きます。

この奥です。

「十二社さん」です。

薬師如来の眷属である12神将をまつっています。
こんな山中に祀る訳がやがて分かります。
更に奥へ進みます。

途中、砂防ダムがあります。

道を間違えたかと思った頃に、家が見えました。
民家のように見えます。

ありました、「お姫堂」です。

平成16年に建て替えられたもののようです。
由緒
「中川山城守の息女をまつる
天正7年7月8日、敵に攻められこの地において奮戦するも力尽き自決すると伝えられる。」
中を拝観します。

学業成就・病気平癒のご利益があると言われているそうです。

お堂の前です。

展望所として市民の憩いの場となっています。

お姫様の最期の場所で憩うのが供養なのでしょうね。

靄っていて眺望が利きませんでした。