荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

正岡子規/葬送の道を往く-3(最終回)

2016年09月22日 | 散文
最終回の報告です。

目印がありました。
東覚寺の赤紙仁王です。


お寺で分けて貰う赤い紙を自分の患部と同じ場所に貼って身代わりになって頂き、病気の回復と心身の安寧を祈ります。
祈願が叶ったあかつきには草鞋を奉納します。
仁王さまは日夜病人を見舞ってくださるので、草鞋が必需品なのです。

子規の生前からあるお寺です。

道路を横断して小路に入ります。


赤紙仁王通りを行きます。


道が大きく右にカーブします。


向こうに信号がある交差点が見えて来ました。


交差点を右折すると、


八幡神社があります。


その左にある大龍寺に到着しました。


「子規居士墓所」の石碑があります。
子規庵から自転車で約30分の距離ですが、葬列だと2時間くらい掛かると思います。


墓所に入ります。

余談ですが、正面には人間国宝の板谷波山のお墓があるお寺です。

子規はあの小さな竹藪の下に葬られています。


向かって右に母八重、左に正岡家のお墓があります。
お花が添えられています。


石碑の向こうに卒塔婆があります。


糸瓜忌の供養をしたのでしょう、「子規庵保存会」の字も見えます。


台風明けの曇り空の下、このようにして、葬送の道を通ってお参りに来ました。


長々とお付き合い頂きましてありがとうございました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

正岡子規/葬送の道を往く-2

2016年09月22日 | 散文
前回の続きです。
JR西日暮里駅前の信号の所からです。

左に進むと道灌山です。


道灌山下の道を行きます。




あのタバコ屋の角の道のようですが、横断する信号がありません。

当時は直接右折したのでしょうが、今日は手前の信号を渡ります。


この路地だと思います。

入って行きます。

住宅街を進みます。


当時は一面の田んぼだったようです。


この角を右折します。


ちょっと自信がありませんが、進みます。


子規庵で頂いた地図によると直進みたいです。


小さな道です。
当時はあぜ道だったのかも知れません。


目印の与楽寺に出ました。

この道で間違いないようです。

与楽坂の手前を左折します。

余談ですが、この坂を行くと芥川龍之介の旧居宅跡に行けます。

右手に銭湯がありました。
当時も在ったのかも知れません。


動坂に出ました。
右に行くとJR田端駅ですが、葬送の道は斜め前の路地です。


次回に続きます。
今回は単調で詰まらなかったと思います。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

正岡子規/葬送の道を往く-1

2016年09月22日 | 散文
9月21日は正岡子規の葬儀の日です。
114年前の事です。

葬送の道を往ってみます。
子規庵で解説していた人に教えて貰った道です。
埋葬場所は、子規が死んだ19日に、河東碧梧桐と伊藤左千夫が決めたそうです。

子規庵を出て南に行きます。


ラブホテルの間を通って三叉路に突き当たります。

当時は借家街です。

その三叉路を左に行くと、根岸2丁目の尾久橋通りに出て北上します。


尾久橋通りを東北本線高崎線沿いに、左手に進みます。


子規も漱石も食べた「羽二重団子店」沿いの道です。


日暮里駅に向かって進みます。


左手に行けば谷中銀座の「夕焼けだんだん」に通じる道を直進します。


日暮里駅前を直進します。


常磐線の踏切が見えて来ました。


踏切を渡ります。

上は京成本線です。
どちらも当時はなかった線路です。

東北本線高崎線沿いに進みます。


道灌山通りに出ました。
ここを左折します。


東北本線・高崎線の高架を潜ります。

当時は高架が在りません。
子規の葬列は踏切を渡りました。

西日暮里駅の改札前を進みます。


道灌山通りを西に行きます。
右手の丘には開成高校があります。


次回に続きます。
この話、長くなりそうです。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする