荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

収穫近し

2016年09月02日 | 散文
山里の実りの風景です。
もうここまで来れば大丈夫です。

今年もおめでとう!!
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大使館を訪ねてー39(ブラジル、ベトナム、コートジボワール)

2016年09月02日 | 散文
「ブラジル連邦共和国大使館?」
ブリガリア大使公邸の近くの閑静な住宅街に「ブラジル連邦共和国」の名前が見えます。


ブラジル連邦共和国大使館は港区北青山へ訪ねて行きました。


こちらは人けがありません。




庭も掃除が行き届いていません。
今は使用していない施設だと思います。

さあ、パラリンピックも盛り上げましょう!
頑張れ日本!!


「ベトナム社会主義共和国大使館」
元代々木の丘の上の新しい建物のプレートが輝いています。
ベトナム社会主義共和国大使館です。


緑が多い建物のデザインが国のイメージと繋がります。

失礼ですが、思ったより立派な建物です。
経験上、施設の大きさや豪華さはその国の経済力に比例しています。
新興国の勢いを感じます。

東南アジアのインドシナ半島東部に位置する社会主義共和制国家です。
首都はハノイで、ASEAN加盟国です。
国土は南北に細長く、北は中華人民共和国、西はラオス、南西はカンボジアと国境を接しています。
東は南シナ海に面し、フィリピンと対しています。


南シナ海の領有権問題を整理しておきます。
1988年には人民解放軍によるスプラトリー海戦によって、駐留していたベトナム人民海軍部隊を撃破され、ジョンソン南礁を占拠されます。
九段線(通称:牛の舌)の主張に基づき、中華人民共和国が南沙諸島と西沙諸島を含む南シナ海の島嶼部を『三沙市』として成立させたことに対して、ベトナム外務省は猛烈に抗議をし、ベトナム社会主義共和国は、領有するに十分な歴史的証拠と法的根拠を持っているという見解を示し、中華人民共和国の三沙市設置はベトナムの主権を侵害することであり、両国間合意に違反するとともに、中越両国が海洋領有問題解決を目指し開始した交渉を妨害するものである、と抗議しました。


2012年6月21日、ベトナムの国会は、南シナ海の南沙諸島・西沙諸島の領有権を定めた「ベトナム海洋法」を可決、これに対し中華人民共和国政府は強い抗議声明を発表、ベトナム社会主義共和国もまた、中華人民共和国外交部の抗議に対して「中華人民共和国の道理に反した批判は強く拒絶する」と非難する声明を発表しました。
ベトナムにとって、中国からの独立は、国家としてのアイデンティティーでもあります。

更に、2012年5月から中華人民共和国で新規発行されたパスポートの査証ページ上に南シナ海の三沙市の行政区画が印刷されており、ベトナム社会主義共和国の領土主権を主張し実効支配している西沙諸島・南沙諸島を否定する図となっていることが発覚しました。
ベトナム外務省は中華人民共和国に対して猛烈に抗議をし、新パスポート所持者に対しては、入国審査官が入国・出国スタンプの捺印を拒否、ベトナム政府が用意した別紙にて入国・出国スタンプを捺印することで、新しい中華人民共和国のパスポート上に捺印することを拒否しています。

2014年には、ベトナムが主張する排他的経済水域において、中華人民共和国が石油掘削リグを設置したとして、中国海警がベトナム沿岸警備隊に、南シナ海で衝突されたことをベトナム政府が公表したことから、ベトナム国内で2014年ベトナム反中デモが起きました。
毎週日曜日にハノイにある、駐ベトナム中華人民共和国大使館前にて、ベトナム人民が抗議のデモ活動をしています。
(ウキィペディアより)

先般フィリピンの提訴に対して、国際的な仲裁裁判所が中国の主張を退ける判断をしましたが、中国はマレイシア等近隣の自国に対する経済依存が高い国々を取り込みつつアメリカの干渉を排除(当事国同士で解決する)して、対抗体制を構築しています。
これを許してしまうと、世界中に取ったものが勝ちの戦争が拡大してしまいます。


「コートジボワール共和国大使館」
東京大学駒場キャンパスの北側に来ました。
住宅街の一角に国旗が揺れています。
西アフリカに位置する共和制国家です。

東にガーナ、北にブルキナファソ、マリ、西にギニア、リベリアと国境を接し、南は大西洋に面しています。
首都はヤムスクロ(ただし、実質上の首都機能は旧首都のアビジャンが担っている)です。
かつて日本では「象牙海岸共和国」と呼ばれていました。

海岸部は高温多湿の熱帯性気候、内陸部のサバンナはサバナ気候に属しています。
1年の平均気温は25度C~33度Cで、11月~3月が暖かく乾燥、3月~5月が暑く乾燥、6月~10月が暑く湿潤と分けられます。
海岸には多数の川が注ぎ、ラグーンと熱帯雨林が発達しており、最北部の500mへ徐々に高度を上げます。
最高地点は西部国境のニンバ山で標高は1752mです。

天然港が無く、高波と雨季の洪水が自然災害です。

15世紀にポルトガル、イギリス、オランダなどヨーロッパの貿易船が奴隷と象牙の売買に来航しました。
黄金海岸、胡椒海岸、奴隷海岸などとともに、この地には象牙の海岸という名が付けられました。
17世紀半ばにフランスが西アフリカ経営に乗り出しました。


シャルル・ド・ゴール仏大統領の植民地放棄の流れの中で、1958年12月4日にフランス共同体自治国となり、1960年8月7日に正式独立しました。
(ウキィペディアより)


大使館を訪ねる散策はまだまだ続きます。


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