
写真1 M・H氏宅
2006年09月撮影航空写真
2階建て母屋の南側に樫3本。1990年頃は5本だった(注1)
旧母屋建つ宅地は4尺・1.32mほど掘り下げてある
旧母屋の北側、新母屋建つ平面はヤマと呼ばれる屋敷林だった
旧母屋の2階では、かつて蚕を飼っていた

写真2 2008年11月03日 2006年航空写真から旧母屋が無くなっている

写真3 2008年11月03日
道路から4尺ほど掘り下げて宅地、旧母屋が建っていた。乗用車停まる納屋は2006年航空写真と同じ

写真4 2008年11月03日 門から下り、新母屋に上る、いわば平皿型宅地

写真5 2014年12月19日 手前の道路からなだらかに下る

写真6 2008年11月03日
M・H氏母親がサトイモを選別しつつ近所の友達と話
母親作業中の小屋(旧藁小屋)と青色シート被る旧ビニール温室は2006年航空写真と同じ

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風、水、雪、地震など自然の猛威にさらされる我々
護る術を編み出し継承してきた
たとえば、家屋や宅地・屋敷を護る材や方法は次のよう
強風地域では屋敷林、生垣、竹垣、笹垣、石垣、土塀など
河川・湖沼地域では盛土(水塚)、石垣(舟形屋敷)、自然堤防など
宅地を上げず、掘り下げて家屋等を建てた農家もある
それは、さいたま市見沼区膝子のM家(写真1~写真6)とS家
日光御成街道や生活道路より一段低い宅地
本日はM家を紹介
2008年11月03日、門を下り、作業中のお二人に伺う(注2)
額入り航空写真(写真1)を撮らせていただく
教えていただいたのは次のよう
当地の掘下げ平皿状宅地は少なくとも江戸の昔から存在
M家は北側のヤマ・屋敷林(皆伐済)より約4尺、1.32m掘下げてある
南風(台風)や冬の季節風から家屋を護るために
ちなみに、南風を富士風、富士南と呼ぶ集落もある(注3)
注1:『大宮の郷土史 第13号』(3頁、1990年8月・大宮郷土史研究会)
注2:後に親子と判る
注3:前掲書(2-3頁、1990年8月・大宮郷土史研究会)
執筆・撮影者:有馬洋太郎 撮影日:写真に記す 撮影地:さいたま市見沼区膝子