
写真1 道路から少し低い庭・宅地のS家 掘り下げてある 瓦型トタンを被せたクサブキ屋根

写真2 道路から下ると門、庭・宅地へ 写真1の門前

写真3 道路から望む門前の下りアプローチ、庭・宅地へ(写真1・写真2)

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2014年12月19日
さいたま市見沼区膝子(ひざこ)を歩く
M氏宅の掘下げ宅地を見撮(弊ブログ2015年01月05日)
その後、掘下げ宅地を探して歩く
温室で作業中の男性独り
シクラメンを宅配用箱に梱包中
種々伺っていると、タカヒロ花園の経営者K氏と判る(注1)
筆者と同年齢、団塊世代
次のようにK氏はご教示
K氏が就農した1967年頃、当地の主農作物は米と麦
高度経済成長の波に乗り、花卉と植木の栽培が盛んとなり現在に至る
当地の東方に広がる低地(サトバと呼ばれる。)を南下するのは綾瀬川
1967年頃、同川の両岸は東京外環自動車道まで見渡す限り水田だった
浦和⇒川口⇒越谷⇒草加⇒外環道の辺りまで
転機はJR武蔵野線開通(1973年)と東川口駅開業(1973年)
綾瀬川両岸域の様相は一変、都市化進展
さらに、埼玉スタジアム開場(2001年)、埼玉高速鉄道開通(2001年)が促進
1ヵ月行かないと周りがわからなくなっていたほどだった
掘下げ宅地は南風から、台風から家屋を護るため
分家を本家の南側に出す農家もあった
掘下げ宅地はM氏宅とS氏宅の2戸
当地にはジセンゾ・地先祖と呼ばれる7戸ほどの農家がある
ジセンゾの中には小字名と同じ姓がある
K氏宅やS氏宅があり、日光御成街道走る片柳支台
この台地はノガタと呼ばれる、低地のサトバに対して
綾瀬川を挟んだ岩槻支台もノガタと呼ばれる
K氏から教えられたS氏宅を目指す
花卉温室から帰ったS氏に運よく門前で遇える
次のようにS氏はご教示
母屋はクサブキ、カヤブキ・茅葺き(写真1~写真3)
瓦型トタン(薄い鋼板)を被せてある
台風でクサブキが持ち上げられ壊されるので宅地を掘り下げた
S氏もK氏と同じ花卉栽培
注1:筆者はシクラメンを購入(弊ブログ2014年12月07日)。若い花園主の父親
執筆・撮影者:有馬洋太郎 撮影日:2014年12月19日
撮影地:さいたま市見沼区膝子