おにぎり2個の里みち歩き 農山漁村の今昔物語

おにぎりを2個持って農村・山村・漁村を歩き、撮り、聞き、調べて紹介。身辺事象もとりあげます。写真・文章等の無断転載禁止

掘下げ宅地2 クサブキを台風から護る

2015年01月08日 00時00分00秒 | 施設等

写真1 道路から少し低い庭・宅地のS家 掘り下げてある 瓦型トタンを被せたクサブキ屋根


写真2 道路から下ると門、庭・宅地へ 写真1の門前


写真3 道路から望む門前の下りアプローチ、庭・宅地へ(写真1・写真2)


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 2014年12月19日
 さいたま市見沼区膝子(ひざこ)を歩く
 M氏宅の掘下げ宅地を見撮(弊ブログ2015年01月05日
 その後、掘下げ宅地を探して歩く

 温室で作業中の男性独り
 シクラメンを宅配用箱に梱包中
 種々伺っていると、タカヒロ花園の経営者K氏と判る(注1)
 筆者と同年齢、団塊世代

 次のようにK氏はご教示
   K氏が就農した1967年頃、当地の主農作物は米と麦
   高度経済成長の波に乗り、花卉と植木の栽培が盛んとなり現在に至る

   当地の東方に広がる低地(サトバと呼ばれる。)を南下するのは綾瀬川
   1967年頃、同川の両岸は東京外環自動車道まで見渡す限り水田だった
   浦和⇒川口⇒越谷⇒草加⇒外環道の辺りまで

   転機はJR武蔵野線開通(1973年)と東川口駅開業(1973年)
   綾瀬川両岸域の様相は一変、都市化進展
   さらに、埼玉スタジアム開場(2001年)、埼玉高速鉄道開通(2001年)が促進
   1ヵ月行かないと周りがわからなくなっていたほどだった

   掘下げ宅地は南風から、台風から家屋を護るため
   分家を本家の南側に出す農家もあった
   掘下げ宅地はM氏宅とS氏宅の2戸
   当地にはジセンゾ・地先祖と呼ばれる7戸ほどの農家がある
   ジセンゾの中には小字名と同じ姓がある

   K氏宅やS氏宅があり、日光御成街道走る片柳支台
   この台地はノガタと呼ばれる、低地のサトバに対して
   綾瀬川を挟んだ岩槻支台もノガタと呼ばれる   

 K氏から教えられたS氏宅を目指す
 花卉温室から帰ったS氏に運よく門前で遇える
 次のようにS氏はご教示
   母屋はクサブキ、カヤブキ・茅葺き(写真1~写真3)
   瓦型トタン(薄い鋼板)を被せてある
   台風でクサブキが持ち上げられ壊されるので宅地を掘り下げた
   S氏もK氏と同じ花卉栽培

 注1:筆者はシクラメンを購入(弊ブログ2014年12月07日)。若い花園主の父親
 執筆・撮影者:有馬洋太郎 撮影日:2014年12月19日
 撮影地:さいたま市見沼区膝子
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