駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

勘が働く

2013年01月11日 | 医療

       

  私は大槻先生ほどではないが、再現性のない検証できない超**現象に特別な意味や価値を認めない。分からないことは分からない。どこがどう分からないかを明らかにして、次の展開を待つのが正解と考えている。

 しかし勘はあるし第六感もあるようにと思っている。勘というのは言葉でうまく表現できない一塊の推理と感覚で日常診療で自分自身も経験している。それは一瞬で閃くものだ。

 シャワーを浴びていたら頭が痛くなったんですよと歩いてきた患者をくも膜下出血ではないかと紹介すると、「先生よくわかりましたね、どうしてくも膜下出血と思ったんですか」。と紹介先の専門医が聞いてくる。「なんだか、そう思ったんだよ」。とわけのわからない返事をすることになる。

 診察の場合には勘のほかに第六感も働いているように思う。患者から何か重大なことが起きていると言葉と違う信号が出ているように思うからだ。表情というか身体の動きというか、どこかに日常と違う感じが出ていると言えばよいのだろうか。これは一般に重症感と呼ばれるものに通じていると思う。

 一昨日、前期高齢者のMさん(女性)が数日前からお腹が痛いとやってきた。又嘔吐下痢症かと思うと下痢はしていない便秘気味で、吐き気はないという。自覚的には痛みの場所をはっきり特定できない。触診では臍の右に圧痛とやや硬いゴムまりのような抵抗がある。筋性防御や反跳性疼痛はない。白血球数は9400とやや多い程度だ。虫垂炎かもしれないがそれほどはっきりした所見はない。しかし、Mさんにいつもと違うものを感じて、総合病院に送った。今はCTという素晴らしい画像診断装置がある。虫垂膿瘍穿孔という返事が返ってきた。何でも周りの組織に包まれて腹膜炎が局所に留まっているとのこと。

 女を診たら妊娠と思え、腹痛を診たらアッぺを忘れるなということのようだ。 

コメント (2)
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