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通い慣れた道から比叡山を望む(20171102)
嵯峨に住みける頃、隣の坊に申すべきことありて、まかりけるに、道もなく葎の茂りければ
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たちよりて 隣とふべき 垣に添ひて
ひまなく這へる 八重葎かな
嵯峨に住んでいた頃、お隣の僧坊にお伝えすることがあって、行きましたが、道も消え失せるほどに、葎が生い繁っていましたので
たちよりて 隣とふべき 垣に添ひて ひまなく這へる 八重葎かな
立ち寄って、お隣をお尋ねしなければならないのに、進むべき道も分からないほどに、垣根に沿って葎が生い繁っていました。
隣にどんな人が住んでいて、どんな用事があって西行が訪れようとしたのかもわかりません。西行が嵯峨に住んでいたのは、出家してまだ二、三年も経っていない二五、六歳の青年の頃だといいます。ただわかるのは、庭の手入れもされず、雑草も生え放題になったままだから、僧坊に住んでいるらしいその出家者のところへは、訪れるものも誰もいないほどに侘び住いしていたのかもしれません。
いずれにしも、この和歌の主題は八重葎で、八重葎は万葉の昔から、雑草の生い茂ったままになっているあれた屋敷や庭を形容するものだったようです。
西行も、万葉集で次のような歌を知っていて、八重葎を見て和歌を思い出して読んだのかもしれません。
思ふ人 来むと知りせば 八重むぐら
覆へる庭に 玉敷かましを
(巻11・2824番歌)
玉敷ける 家も何せむ 八重むぐら
覆へる小屋も 妹と居りてば
(巻11・2825番歌)
新潮社版の山家集の注によると、西行は出家してさほど年月も経っていない二五、六歳の頃に嵯峨に移り住んだそうです。小倉山の二尊院の手前に今も庵の跡があるそうです。
今日も朝から時雨れていました。紅葉もいっそう濃く染められたはずです。時間があれば二尊院の紅葉を眺めにゆきたいものです。
題知らず
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いつよりか 紅葉の色は 染むべきと
時雨にくもる 空にとはばや
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