そのかみまゐり仕うまつりける慣ひに、世を遁れて後も、賀茂にまゐりけり。とし高くなりて、四国の方へ修行しけるに、また帰りまゐらぬこともやとて、仁安二年十月十日の夜まゐり、幣をまゐらせけり。内へも入らぬことなれば、棚尾の社にとりつきて、まゐらせ給へとて、心ざしけるに、木の間の月のほのぼのに、常よりも神さび、あはれにおぼえて、詠みける
1095かしこまる 四手に涙の かかるかな またいつかはと 思ふあはれに
その昔、若かりし頃より参詣し申し上げた習慣から、出家したのちも賀茂の社にお参りしました。歳とってから四国の方面に巡礼する折に、ふたたび帰り来てお参りすることもないかもしれないと思い、仁安二年十月十日の夜にお参りし、幣を献上しました。僧侶の身の上で本殿の内にも入れませんから、棚尾の社に、幣をおそなえしてくださるようお取次をお願いして、お手向けしたときに、木立の間に月がほんのりと、いつもよりも神々しく浮かんでいました。しみじみと心動かされて詠みました。
1095かしこまる 四手に涙の かかるかな またいつかはと 思ふあはれに
畏れ多くもたてまつる 幣に涙が 落ちかかります またいつの日にかお参りすることもあるだろうかと 思うつらさに
播磨の書写へまゐるとて
播磨の書写へまゐるとて、野中の清水を見けること、一昔になりにけり。年経て後、修行すとて通りけるに、同じ様にて変わらざりければ
1096昔見し 野中の清水 かはらねば わが影をもや 思ひ出づらん
播磨国の書写山円教寺に参拝するときに、印南野に野中の清水を見たのは、もう一昔のことになってしまいました。歳月を経てふたたび巡礼するために今そこを通りかかったところ、野中の清水はその姿も昔と変わりなかったので
1096昔見し 野中の清水 かはらねば わが影をもや 思ひ出づらん
昔に見た野中の清水ですが その様子に少しも変わりがなかったので私の面影をそこに写しても きっと私のことを思い出してくれることでしょう
上賀茂神社境内の棚尾神社(諸国神社めぐり) https://is.gd/9AxnVE
20180331
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