先日開かれた南幌でのバレー塾に参加させてもらった。今回参加させてもらって、自分自身が元気と意欲をもらった。そして、これからもっと自分を高めていきたい、子ども達と成長したいと思うようなバレー塾だった。
「勉強するということは、今まで知らないということを新しく知るということ」
草野塾頭からの冒頭の語りかけである。最初から人間学で子ども達の心に灯をともしているようだった。
続けて
「ちゃんと打つためには足のつま先はどうするんですか」
「ジャンプするときの足の形は」
「ジャンプし終わったときの足の形は」
「スパイク打ったときの右手はどこに置けばいいの」
「左手はどうやって使えばいいの」
「顔はどこを向けばいいの」
「そういうことがバラバラだったら、いくら練習しても悪いクセがつくだけでうまくならない」
今回バレー塾の重点の一つとしてのスパイクのポイントについて、実技に入る前の問いかけだった。最初に子ども達に語りかけるように問いかけをする。ぐっとこちらまで引き込まれてしまう。
「自然な動きは気持ちがいい」
「周りから見たら美しい」
「未熟な選手ほど強く打ちたい」
「上達した選手ほどやさしく打てる」
「やさしく打てればすぐに強く打てる」
「 強く打つことで自分のできないことをごまかす」
「強く打つということは自分を強く見せたい」
「だから、自分の力をごまかす」
「やさしく打てれば、いくらでも強く打てる」
「人間も一緒、人に対してやさしくできる人は、いざとなったら強い人です」
ぎこちない動きをどのように正しい動きに導くか。その視点として、美しさややさしさが根底にあることを感じた。
「指導者は、名医でなければならない」
「ここをこうしたらすぐ治る」「ひとことで治る」「見ただけでわかる」
今回バレー塾に参加して、心に響いた言葉である。まだ駆け出しのペーペーであるが、少しでも近づけるように勉強、勉強である。
「質問しても答えられない」「質問もできない」「それでは、あなたたちは何ですか」
「そういう人はおしゃべりな人です」「小学生でも質問できる人になってください」「こういう教育は小学校の低学年からやるんです」
質問力、問いかけのできる子ども、自己表現のできる子どもに育てることが教育であることをつくづく痛感させられた。
「余分なところに動くから大事なところに動けない」
ディグの問いかけのときに言われた大事な視点だと感じた。いわゆるばたばたした感じというのはこういうことがあるからなのかもしれない。
ディグの時の2つのポイント
「スパイクが手に当たったときに、両足をつけていること」「両足をつけているということは、右にも左にもいけるということ」
「自分の手にボールが当たったときは、手を動かさないということ」
塾頭も言われたが、どの本にも書いていないポイントである。改めて、運動は物理であること、理系であることを感じさせられた。
まだまだ、学んだことがたくさんある。これからも復習をかねてじっくり整理していきたい。日々努力。