道新カップに向けての練習というわけではないが、ここのところワンパターンな練習が多かったので、今までやったことのない練習をやってみた。それは、台上に上がってアタックを打ち、それをレシーブするというよくある練習である。ところが、子どもからまたやってみたいという要求があった。2グループに分かれて、一人一人が5本ずつ台上からアタックを打つのが楽しかったのかもしれない。レシーブばかりやっている子にとっては、ネットの少し上から打つという感覚は経験したことがないだけに新鮮だったのだろう。
私は、小学生の段階では、身長の高低は関係なく、いろいろなポジションができるようになってほしいと思っている。背が低いからレシーバーとか、背が高いからアタッカーとか、とりあえずセッターとかではなく、全員がアタッカーであり、レシーバーであり、セッターであってほしい。理想ではなく、そういう練習をしていく必要があると考えて、いろいろと取り組んでいる。ただ、大会が頻繁にあるため、じっくりとやっていくことがなかなか難しい面はある。ただ、3、4、5年生のうちは固定的なことはせずにどんなところでも抵抗なくできることが中学校、高校へと上がっていくと生きてくるのではないかと考える。子ども達の可能性は無限大である。どこかで自分に限界を作ってしまうとそこでもう伸びしろはないのではないだろうか。案外、指導者の指導の限界が子どもに限界を感じさせているのかもしれない。そうはならないように破壊と創造を繰り返し、一隅を照らす指導者になりたい。日々努力。
道新カップという大会がきょうから始まった。きょうが予選グループ戦、3、4日が決勝トーナメント戦が行われる。女子は、第5代表まで道東大会に出場できる。6年生にとっては、全道につながる最後の大会が始まったことになる。
先週が、少年団大会、きょう、来週と大会が続く。私自身、学校の仕事や研究大会の仕事、その他抱えている仕事などで、ゆっくり休みたいところだがそうもいかない。老体にむち打って家を出た。
会場に着くと競技委員長としての仕事で大会の準備に追われる。今までは、役員の方々が一生懸命準備等をしていただいて大会が成り立っているということを理解はしていても自分がその仕事をすると本当にたいへんだということがわかる。いろいろな仕事をやってみるもんだとつくづく感じる。そして、私がどれだけ人の役に立てるかということを試されていると思って、目配り、心配りをしていかなければならないと思っている。
さて、うちのチームの試合だが、予選をすんなり勝ち上がることはできず、敗者復活戦で勝ち上がり、何とか決勝トーナメントに進出することができた。今までの私だったら、一戦目が終わって子ども達を集めて、厳しくいろいろなことを言っていたように思う。ところが、きょうはとにかくそんなことは言わずに気持ちを切り替えることを短く話した。 子ども達がのびのび、楽しく、バレーボールができるようにするには何をしなければならないのか。また、ものの考え方や行動の仕方をどう身につけてもらうかを私自身がまだまだ足りない。試合に勝つことは大事だが、もっと大切なことがたくさんあることをバレーボールを通じて、子ども達、指導者達と考えていきたいと思う。日々努力。
我を捨てる。我が強いと、他人の忠告をきかないから、その人は少しも変わらず、人格的な成長がない。我を捨てて、他人の言うことを聞いてみると、自分の気がついていないことに気がついて、人格精神が変化していき、成長していく。
相田みつをさんは、「負ける練習、失敗の練習、恥をさらす練習をたっぷりさせておくこと」といっている。これも、「我を捨てる」ことにつながる。負けても、失敗しても、なるべく、すぐ捨てて、後に尾をひかないようにする。
人のため、人に尽くすという考えで行動すると自分自身を客観的にみられるし、気持ちのバランスもちょうどよくなるように感じる。自分が自分がと我を強く出すと、よくも悪くも自分しかみえていないので、ちょっとしたことで一喜一憂し、非常に気持ちのバランスを整えるのが難しいのではないだろうか。人が気持ちよく、楽しく、笑顔になるには自分はどういう立ち位置でものごとを考え、行動すればいいのかということを意識すると今までと違った見方や考え方ができるのではないだろうか。
仕事柄、人と接することが多いので、いろいろと考えさせられることも多い。ただ、自分自身がどう意識するかで自分自身の生き方も変わってくるのでないかと考える。
いずれにしても、自分一人の力で生きているのではなく、多くの人、多くの力にささえられている自分を自覚して、謙虚で、前向きに生きていきたいものである。日々努力。
コーチのもともとの語源は、馬車、または馬車を操る易者である。
英語で書くと、「coach」。馬車は、大切な人を、その人が行きたい所に送り届ける役割を果す。
スポーツのコーチは、選手が成し遂げたいことを達成させるために存在する。
昨日テレビを観ていると、水泳の平泳ぎの選手で中学生の渡部香生子さんのことが特集されていた。渡辺さんは、岩崎恭子2世と呼ばれるほどで、2011年ジャパン・オープン、50m、100m、200mの平泳ぎで優勝している。彼女は、平泳ぎは苦手だと松岡修造のインタビューで答えていた。もともとは、個人メドレーの選手だったそうだ。ところが、肩を痛めて、麻績隆二コーチが「肩の可動域が小さくて負担をかけずに練習できるから」と平泳ぎをやらせたそうである。そのときの足のキックがイカやたこのように非常にスムーズな足の運びだったそうである。それをコーチは従来のキックのやり方に変えなかった。
私は、北島選手の平井コーチにしろ、この麻績コーチにしろ、とても素晴らしいコーチだと思う。とかく、指導者は選手のフォームが違うからと修正をすることが多いと思われる。ところが、選手一人一人の体のつくりは違う。理にかなった動きをしているか、無駄のない動きをしているかが大事なのだと思う。コーチは、選手が成し遂げたいことを達成させるために何ができるかを考える存在である。
普通平泳ぎを200m泳ぐとプールから上がるのもやっとというくらい体力を消耗するそうである。ところが、渡辺選手は、200mを泳いでもまだ100mを同じ速さで泳げるという。それくらい、体に負担が少なく、かつ速い泳ぎができるということはきっと今までの常識を覆すくらい理にかなった体の動きをしているのだと思う。
塾頭は、バレー塾で大半の時間を理にかなったスパイクフォームの指導にさいていると感じる。それは、あまりにも故障者が多い現実があるからだと思う。何本打っても、体に負担のない、そして体力の消耗の少ない、故障しないフォームがある。ところが、バレーの指導書にはそういうことは書かれておらず、従来通りのことが書かれていることが多い。
指導者は、体のつくり、筋肉の動きなど人間の体のことと、心のことを常に勉強していかなければならないと感じる。また、そいいう勉強は本当におもしろいし、楽しい。日々努力。
私の家には小さいながらも庭があり、芝生を植えている。ここ4、5年忙しさにかまけて手入れを怠っていたので、すっかりダメにしてしまっていた。そこで、春先に業者の方に夫実際に診てもらった。私は、芝生の入れ替えを考えていたが、業者の方はまだ十分大丈夫という答えだった。ただし、注意する点をいくつか教えてもらった。偶数月に肥料を渡すのでそれを蒔くこと。それから、1週間に1度の割合で芝生を刈ること。そのときにあまり刈りすぎないこと。というのも刈りすぎると芝生が広がっていかないし、雑草が生えやすいということだった。そのことを守って、4月から手入れをしてきた。途中、芝刈り機の刈り高を間違えて刈りすぎてしまうことがあったが、それ以降あまり刈りすぎないようにして、こまめに刈っていると昨年までとうってかわって、芝生がびっしりと隙間なく生えて、本来の芝生になっている。
草木、作物を育てることと、人を育てることは同じではないかと思う。バレーの指導に置き換えてみると、子ども同士のいろいろなトラブルなどをこまめに芽を摘み取るようにしていく。しかし、時間が経つとまた雑草が生えるように同じようなことが起きる。すると、小さいうちに芽を摘み取る。怒って、練習のやり過ぎは、伸びようとする意欲を阻害するので、子どもはいつも気持ちが枯れてしまうのではないかと思う。その都度、子どもに合ったメニュー、ドリルを与えることが更なる成長、伸びにつながると考える。そして、いつも目配り、気配りをして成長を確かめながら、気持ちがうわつかないよう、乱れないよう心の成長を促すことが必要だと思う。
いずれにしてもしっかり心と体を管理しながら、後は子どもがぐんぐん成長をしていくのを待つこと、そして、我がままや悪いところは自分で気づけるよう待つことが大切だと思う。やっぱり、日々努力、日々勉強、日々成長だと改めて感じる。
きょうは、少年団大会が行われた。私は、競技委員長として大会運営のために、朝からバタバタと準備に追われ、全く子ども達にかかわることなく、試合に入った。
試合では、1セット目を13点で落とした。立ち上がりが悪く、常に後手後手の試合運びだった。2セット目は、1セット目と違って、前半のリードをそのまま最後まで保つことができ、終始笑顔の試合運びで21対16だった。3セット目は、前半は一進一退の攻防が続いたが、徐々に相手のミスにも助けられて、21対10で何とか勝つことができた。うちのチームはアタッカーの決定率も悪く、レシーブもはじくことが多い。また、サーブもそれほどいいわけでもない。それでも何とか勝つことができたのは、一人一人のつながりだったり、カバーし合う気持ち、あきらめない気持ちがあったからかもしれない。
私は記録をつけながら、じっと子ども達を見ていた。試合中はナイスプレーをした子やミスをした子にも笑顔でいることが多かった。ナイスプレーもミスプレーも子ども達のがんばりであり、練習でやってきた結果である。試合の結果が勝っても負けても、子ども達はがんばりの結果である。だから、私にできることはあたたかく見守るだけである。私だけでなく、ベンチ全体がそういう雰囲気だった。すると、不思議と子ども達も力が抜けた無理のないプレーをしているように見えた。
明日も私は運営などで忙しいし、子ども達のがんばりを見守ることにしようと思う。コートもベンチも焦らず、力まず、自然体でいきたいと思う。日々努力。
明日から2学期が始まる。そして、きょうは久しぶりの練習である。久しぶりにもかかわらず子ども達は、連続50本オーバーや連続100本アンダーなどにも以前よりも時間をかけずに達成していた。
きょうのレシーブ練習でのポイントは、うまくいかなくても目線は上げたい方向に向けるということ。なかなか今までの習慣が抜けずについボールを見てしまう子や小手先で上げようとしている子がいたが、子ども達は意識をしようと努めていた。そのため、ときどききれいに上げられるようにもなっているし、そういうときの目線は上げたい方向を向いている。
それから、クロス打ちにも挑戦させてみた。繰り返し行っていくうちにきれいなクロス打ちをしている子も見られるようになっていった。まだまだ練習が必要であるが、上記のレシーブのように正しい動きを脳にインプットさせるには時間はかかるだろうと思う。それでもやらないよりは、やっていくうちに少しずつであるが体が反応をしてくるのだと思われるので、じっくり取り組んでいきたい。日々努力。
中1になる息子が勉強をしているときに時々教えてほしいと私のところに来る。そして、教えるのだが、理解をするのに時間がかかることが多い。基礎・基本ができていないこともあるだろうし、興味のある教科とそうではない教科とでは理解の具合が極端に違う。苦手と思っている教科は、最初から脳が思考を停止しているかのように1分前に覚えたことを忘れている。なかなか脳にインプットすることができないようである。入力が不確定なので、出力も不確定のようである。それにしても、苦手な教科を克服するにはどうしたらいいのだろうかと考えてしまう。やはりこれは繰り返しの練習しかないのかもしれない。時間はかかるかもしれないが、地道にこつこつとやっていくしかないのだろう。
バレーボールも同じことのように感じる。間違いを指摘しても、なんで?と言ってもわからないだろう。わかるようにていねいに教えること。基礎・基本、原理原則を教えることが必要なのだろう。考え方、解き方を身につけさせることが必要なのだろう。
身近にいる人からでもいろいろなことを教えてもらうことができる。つい自分の子どもだと感情が入ってしまいやすいが、そこはぐっとこらえて一緒に考える、学ぶという姿勢が大切なのだと思う。日々努力。
昨日からしばらく練習は休みとなった。子ども達も残り少ない夏休みを楽しんでほしいと同時に事故等に遭わずに次回の練習に全員が笑顔でそろうことを願う。
私は、この夏休みは大きな仕事を抱えているため、こまごまとした仕事をやらなければいけない。頭の中のバレーへの比重よりも仕事への比重が大きくなっている。かといって、それだけでは煮詰まってしまうため、人間学の本などを読んだりしている。
先日、致知出版社の人間力メルマガの登録を行った。毎日のように送られてくる。それを読んでいるだけでも、はっとさせられることがあり、気持ちが引き締まる思いである。そして、自分自身まだまだ磨きが足りないなと感じる。
話は変わって、中1になる息子は野球部に入って、連日猛暑の中朝早くから夕方まで練習に励んでいる。その息子が、グラウンドなどに落ちていたプラゴミやペットボトルを拾っているという話をしてきた。少年団経験のない息子でまだまだ上手ではないが、人間としては確実に成長していることに親としては一安心である。このまま素直に育ってほしいと願うばかりである。私も息子に負けずに自分を磨くことを怠らないようにしていきたいものである。日々努力。
きょうは、練習試合(ローカルな大会でもある)をさせてもらった。暑い体育館の中での試合で子ども達はがんばっていた。しかし、集中力に欠けるプレーも多く、日頃の練習の成果を発揮できないでいた。ということは、いかに練習で力がついていないということでもある。それは、指導者の責任である。身につけさせていないことになる。子ども達をよく見ていると、言われた時はできているが、しばらくすると今まで通りのプレーに戻ってしまうことが多い。楽な姿勢、行動が身についてしまっているようにも感じた。この前も感じたが、やさしいボールをいかに厳しい、しんどい姿勢で扱うか、いつでも同じ形、リズムでバレーボールに向き合うかだと感じる。これは、バレーに限ったことではなく、日常生活においても同じである。自らが躾の三原則、自分のことは自分でやっているかによるのではないかと感じる。こうして考えると、バレーのプレーはその人の人生、生き方を表しているかもしれないと感じる。だからこそ、バレーを通じて、人間力を高めることが必要であると思う。
いずれにしても、指導の徹底がされていない結果が随所に試合に表れていたので、これからの練習でもう一度徹底を図りたいと思う。日々努力。