キャラバン サライ

夢は大空へ、努力は足元で、世界に目を向けながら足元から子供たちを見直していきたいと思っています。

東北のいま・これから - 中越地震から東日本大震災へ -

2011年10月24日 | Weblog
NGOのJENが開催する『東北のいま・これから - 中越地震から東日本大震災へ - 』というイベントに参加した。

JENは、国内外の紛争、災害からの復興を支援するNGOだ。
夕夏がJENのサポートスタッフという立場でこのイベントを取り纏めていたため、本番だけ参加させてもらった。

午前は、JENの国内での復興支援を紹介した写真展。
午後は、中越地震や東日本大震災での被災者や、石巻で復興支援活動を行っている方のお話を中心としたワークショップ。

以下、印象に残ったこと。


石巻出身で、ご自身が被災され、それでも復興の助けがしたいとJENのスタッフになった方の言葉。

「たまたま年が下過ぎず、上過ぎなかった。このチャンスを逃したらいけないと思った」

僕が東北へボランティアへ行こうと思った動機は、「今しかできないこと、これをチャンスとして自分の中に何か残したい」だった。
でも、そんな風に考えることが正しいように思えず、不安だった。
今日、同じように考えている人がいて、これをチャンスと考えてもいいのかなと、少し思えるようになった。



「復興の手助けがしたかった。でも、人は霞を食べて生きているわけではないので、お金も必要だった。その二つが合わさったのがJENだった。」

「石巻の漁港の若者たちの言葉。『津波がいいものも、悪いものも、全て流してゼロにしてくれた』」

「最近の東京の震災関係の報道は、被災者の笑顔だったり、復興がここまで進みましたというものばかり。実際はまだ全く復興していない。そのギャップが大きい。」

被災地では、まだ「なんとか復興できそうだ」という気持ちすら持てないという。
それだけで、随分報道や僕らの意識とのギャップがあると思う。


(何が今一番必要ですか?と問われ)
「細かなニーズがあり過ぎて集約しきれていない。でも、『被災地の願い』は忘れないでほしい。
そういうこともあったよね、ではなく、現在進行形で考えてほしい」





中越地震で被災され、その後限界集落だった地元をJENとともに脱限界集落に成功した方の言葉。

「外からボランティアが入ってきて、まず最初に考えるのは、『この人たちはいつまでいてくれるんだろう』ということ」




JENの理事の言葉。

「海外でも国内でも共通していることは、ボランティアに入るときに、現地のしきたりに従ってあいさつ回りをすること。
外から見れば『サポートをしてあげる』だが、中から見ると『欲しくもないものを受け入れる』わけだから、きちんと仁義は切る」




このイベントが始まる前、ワークショップに出席してくれる人数が定員を大幅に下回り会が成り立たないんじゃないかという心配があった。
しかし、ふたを開けてみれば本当にたくさんの人が集まり、そして上記の言葉を含め、いろんな意見を交わしあうことができた。
みんなが真剣に東北の復興について考え、意見を出し合い、耳を傾けた。
大成功だと思う。


平日の夜遅くまで連日準備のためにがんばっていた夕夏が作り上げたイベント。
大きな大きな意味のあるものになった。
ありがとうと、お疲れ様。

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