師匠の不思議な日常

天の語らい地の学び 香る神々との対話 天界、龍神界の物忌み(巫女)師匠こと天卜占と弟子で審神者(さにわ)である臣の日々

こころのささくれ

2010年07月26日 | 天意の実践

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これを読んでいて、信じられぬと思いつつ読む進むなら

それこそ、自身が自身の障りそのもの。

シンジラレナイとつぶやく訓練となる。

そう、おもうなら、立ち去りなさい。

わからないことへとつきすすむこころでないなら、

それはマー酔い 迷うものとなる。

もし、わからないなら、道をたずねなさい。

あなたにわかることばのある道を求め、道案内を乞いなさい。

それは、本であろう、実在する誰かであろう。

あなたのレベルで感じられる誰かを、どこまでも、探しに行く

こころが、勇気が、さだまっているなら旅立ちなさい。

ここではないと、いつも、つぶやくなら、

ここではないのだ。

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自身を信ずるに足るに至るまで、あなたの旅はある。

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創造の一瞬

2010年07月25日 | 神さま通信

こう、言われて、あなたたちは、奇異に思うかもしれない。

神さまですら、話すとー。

そう、選択するもいいだろう。

それによって、何かが、生み出されている。

そうやって、あなたたちには、あなたたちの自主性にまかせ、

わたしたちは、直接的には、介入ということはしない。

あなたたちは、選択をする。

けれども、選択とは、創造することだ。

それがどのようなことであれ、

あなたたちは、常に創造をし続けている。

あなたの一部は、わたしの部分であり、創造に力をあたえている。

が、しかし、この世界にあるすべては、あなたたちが作り出した。

今の世界はあなたたちの創造の産物だ。

そして、今、この瞬間も創造され続けている。

あなたの選択により、その選択によって必要となる部分が、

あなたの自覚のあるなしに関わらず、産み出されている。

無自覚にあらゆるものが、際限なく、産み出されている。

このことに気づき、知っていてほしい。

あなたたちも、この世界を創造しているのだと。

それがどのようになっていくのかも、あなたたちの創造による。

この呼びかけに応えられる、既に何度もあたらしいことに

挑戦し続けてきた勇気ある魂たちが、また、ここから、

あらたな地を踏み出すのだ。

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選ぶことばも、あなたを裏切るな

2010年07月24日 | 天意の実践

今という時代は、あまりにもことばがあふれ、蔓延し、

誰もがしゃべることをやめない。

何かをしている時でさえ、実際、あなたのアタマの中は、

しゃべり続けている。

見てもいないテレビやラジオ、パソコンからは、さまざまな音が、

声が流れ

どこにいても、喧騒の中。

たとえ、群衆の中にいても、ぶつぶつと、ひとりでしゃべり続けている

老人。

メールを打っては、おしゃべりをしている学生。

トイレの中でまで、携帯電話で話している若い女性や親子づれ。

そうして、この世界は、思考により、作りだされ、ばらまかれた想念に

あふれている。

使われることばは、乱れ、トとのえられることなく、流されている。

いきおい、あなたは、ひとのことばに相槌をうち、

つい、うっかりと同調する。

気がつけば、してもいないことも、自分がしたような気分になる。

そうなると、そんなもんだ、ではすまされなくなる。

そんなものだと思って、気がつけば、

自分のまわりは、自分の望むこととはかけ離れた、

ずいぶんと遠いものになって、気がつく。

こんなはずではなかったと。

では、どんなはずだったのか。

あなたの未来は、どんなものだったのか。

あなたの望みは、どんな望みだったのか。

思い出せ。

あなたが口にしたことばを。

あなたから発せられた思いを。

輝けるものにしたいなら、今、ここから、宣言するのだ。

これからは、自分の望むことのみを口にする。

と。

望まないことを口にすれば、望まないことがおこる。

だから、ことばを選び、時には沈黙していよう。

想念のおおきなうねりに巻き込まれたくないなら、

他者の想念からの無意識の誘いに乗りたくないのであるなら。

なにより、自分が大事だと思うなら、自分を守り、自分の周囲をも

守ろう。

自分で自分を卑下したりせず、

自分のことを誰かに守ってもらおうなんて考えなければ、

それこそが、最強の守護となる。

自分で、自分を守っていれば、最強の守りは自然と訪れる。

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産まれる山にて

2010年07月23日 | 神社紀行

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石の祠の中から水神さまがお守りをされている、その前では

豊かにあふれだす、生命の源。

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あちらこちらで産声をあげる、この惑星(ほし)の慈愛。

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ささやくようにさしこむやわらかな光

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いそがない

2010年07月22日 | 天意の実践

不安を撒き散らしそうになっているときは、

既に、不安に自分の場を明け渡し、個体ー塊と化している。

自分であることを放棄し、不安や問題という幻にその判断を

任せているのだ。

だが、不安は不安でしかなく。

問題は、問題なのであって、解決策ではない。

もとめるならば、解決策だ。

しかし、それすらも、問題ばかりをあげつらい、その事象の本質に

気づいていないのだ。

本質の事象。

それは、何度もいうように、正常に機能することだ。

不安や問題に囚われている時点で、

すでに正常に機能しているとは言えない。

自分の望む状態とはなんなのかすら、危ぶまれる。

なぜなら、正常に機能することをまず、選んでいないからだ。

それは、さとりや明確な意識。真理や真実とはあまりにも

遠い場所だ。

すべてのことには、順位があり、低位は高位へと登るように

なっている。

この順位も、こつこつと、一歩一歩登るよりほかはない。

自分のこころの庭に雑草を生やしているから、

こころが定まらない。

この生い茂る雑草を抜くのは、誰でもない。

自分自身だ。

自分自身のこころの手で一本、一本抜くのだ。

自分自身のこころの手で一本抜くたびに、

「アリガトウ」とつぶやいてみることだ。

あなたのこころは、雑草が生えようと、庭が荒れ放題になろうとも

常に一緒なのだ。

あなたがあなたのお手入れを放棄しようとも、

その庭は、確実に存在し、あなた自身を映し出している。

部屋に溜まったごみを捨てるのは簡単だが、

それを捨てる行為は

あなたが決めなけれれば、誰も代わりにはやってはくれない。

あなたの人生だ。

あなたの部屋も、庭も、ほかのひとのやり方や

ほかのひとに気を取られて怠れば、怠るほど、

荒れるに任せることとなる。

こんなときほど、

まず、

イソガナイ

じっと、荒れるままの状態でいる。

ばたばたと、捨てても、こころが定まっていなければ、

また、同じことを繰り返す。

行く先はみな同じ。

いつか行くどこかがあるのは、みな同じ。

けれども、今の荒れた自分でいたくないのなら、

自分の荒れ狂う嵐をしずめることだ。

これは、あなた自身がしなければならない。

誰にもたよれはしない。

いつだって、自分の行く方向は、

それが気分や、誰かの誘いに乗ってであろうとも、

そのことを自分に決めて、

自分で決めて、

今があるのだ。

そして、

あなたがするのはこころに命令すること。

ダマリナサイ。

だまりなさい。

黙りなさい。

     

     

     

    

≪下の「イソガナイ アワテナイ へ続く≫

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