うっかりユーザのパソコン奮闘記

パソコンを使っていて感じたあんなこと、こんなこと、気ままに書いていきます。

Windows 8 あるいは優雅なる冷酷

2013年12月02日 | ソフトいろいろ

Windows8 の画面は、眺めて楽しむもののようです。
ファッション性の高い、デザインのお道楽が感じられます。

ときどき、画面の真ん中に超大型のアイコンのような図形がパッと現れます。
道路標識のように、どこかに共通の約束ごとが感じ取れる図形であれば、なにものであるか見当がつくのですが、家の形と稲妻模様の矢印の組み合わせなどを、急に見せられても、それが何かは判別できません。
一二度使えば覚えますから、その次にはよいのですが、初めてのときは面食らいます。

何かの目じるしが出てこなければならないこと自体がよくわかりません。
初の訪問者には、門標の前で立ち止まって案内を請う手続きをさせないと、中を見せないという、お屋敷構えの尊大さが目立ちます。
案内してもらうにも、いったん画面の端に下がって、合図を送らなければなりません。
そっと触れると受付テーブルが見えるようになり、そこでまた紋所を見分けて「ここ」と指差す仕掛けになっています。

陳列されたものに指差しでそのものを取り出させる、宝石や高級装飾品の店で品定めをする人は、それがまた愉いのでしょうが、パソコンのソフトの扱いに、それほどもったいぶることもないだろうと思うのです。
簡単には見せない、触らせない、派手好きなくせにどこかしわんぼうのところが、優雅さとない交ぜになって、あまりしっくりきません。

「チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷」塩野七生の昔の著書を思い出しました。

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