さよなら三角 また来て四角...日本編☆第二章☆

オーストラリアから10年ぶりに帰国。特別支援教育に携わりながら
市民農園・家庭菜園に励んでいます。

誕生日 その3

2017年11月06日 19時58分03秒 | Web log
(昨日の続き)

もう、いい加減疲れてきた。

11月になって日が暮れるのもだんだん早くなってきた。
一日小銭集めに走り回り、もう嫌になってきた。
明日に持ち越そうかと思ったけれど、でももうなんとか終わらせたい。

わたしの誕生日だけど、自分で特別なことをする気にもなれなかったので、
普段通りに子供たちの好きな唐揚げを料理。

ジョナサンに 「わたし今日バースデーガールなんだけど!」と嫌味を言ったら、

「 Congratulations! One step closer to death 」おめでとう、死にまた一歩近づいたね!と
ブラックユーモアで切り替えしてきた。ま、そういう子です。

そして 「僕が料理作ってもいいけどさ、つくったらまずい料理になるけどそれでもいいの?」
と言われた。

嫌だ。

それに自分のバースデーなんて、内心どうでもいい。年を取るのもうれしくない。

とりあえず、鶏肉をたれにつけこんで、待っている間、電気料金を払うために、
近所のスーパーに向かう。

小銭集めの続き..........なんとか500円玉を5枚手にしなければ。

そこのレジは最新のキャッシュレジスターを使っているので、レジで両替はしてもらえない。
サービスカウンターで電気料金を払い、お釣りを500円玉でもらう作戦を立てた。

3000円分のお釣りを500円玉でくださいと言ったら、なんの問題もなく500円玉6枚を出してくれた。

はー、疲れた。

これで100円玉100枚、500円玉20枚、1000円札10枚全てそろった。

もう二度とこんな目に遭いたくない。

自分のあほさを尻ぬぐいして終わった一日だった。

色んな意味で、本当に忘れられない誕生日となった。

誕生日 その2

2017年11月05日 19時57分01秒 | Web log
(昨日の続き)

もう、とても晴れやかな秋晴れの祝日&バースデーだというのに....
犯罪者のような気持で私は一体をやっとるんじゃー。

昨日までたっぷり小銭をもっていたのに.....
銀行にも行ったのに...
小銭を準備しなかったアホな自分を呪った。

その後もあちこちお店を回り、安いものを購入し、1000円出してお釣りゲットを繰り返し、
自分が持っていた500円玉も加えて、なんとか500円は15枚までそろえた。
100円玉も100枚にだんだん近づいていた。

そして最後のコインランドリーへ。

ここで100円玉をゲットして100枚としたかった。

中をのぞくと、お客さんがいた。

どーしようと思ったけれど、お客さんがいるところで堂々と両替機だけ使って帰るほど
わたしは心臓に毛が生えていない。

しばらく待ったけど、お客さんが途切れる気配もなかったので帰ることに。

駐車場からでようとして出口で信号が変わるのを待っていると

突然、ガシャンという音がした。

通り過ぎる人が気の毒そうな顔でわたしに苦笑いを投げかけてくる。

車をぶつけられた.....

なんという日。最後の最後にこんなことになろうとは。

でも、その時点で怒るパワーすら失せていた。

相手は初老の女性で、後ろに私がいることに気づかず、リバースしたとのこと。

ま、わたしも似たようなことをしたこともあるし、怒る気力もなく穏やかに対応していたら、
いい人で良かったわーとお褒めの言葉を頂いた。

ま、幸い誰もけがをしなかったし、突っ込んできた人もわざとしたわけでもないし…
仕方ないとしか言いようがありませんね。

警察呼んで、相手方の保険屋さんも駆けつけてくれ、事故が起こった経緯を説明したり
現場検証をしてもらったりして、時間が経過した。

ま、私はただ止まっていただけだし、相手に100%責任があるということですぐ決着が
ついた。

最後に

「実は私、今日誕生日なんですけど、忘れられない誕生日となりました。(中略)
災い転じて福来るという言葉もありますから。ま、わたしは大丈夫です。
動揺してらっしゃるかもしれませんけど、気を付けてお帰りください」と挨拶したら
相手が恐縮して、どこかから買ってきただろうパンの詰め合わせをお詫びとお誕生日のお祝いにと
下さった。

そんなつもりで言ったんじゃないんだけれど....ね。

保険屋さんと加害者にさよならして、駐車場を出た。

小銭はまだそろっていない。(続く)

誕生日

2017年11月04日 13時35分16秒 | Web log
昨日、11月3日はわたしの誕生日。

とにかく朝から変な一日だった。

まず前日の話から。

わたしは今年、町内会の会計をやっているのですが、後期の町内会がほぼ集まったので、
その日銀行へ預けにいきました。

単に、何かあると悪いし、自分で持っているのが嫌だという理由。
そのときは、次の日が休日であるということをすっかり忘れていた。も
ちろん自分の誕生日だということも忘れていた。

頭の片隅にあったことは、5日の町内会の芋煮会用としてお釣りを準備しないといけない
ということ。

今考えれば、町内会費一部を釣銭分として確保しておけばよかった.....
しかし、金曜日が祝日だということをすっかり忘れていた私は「翌日、釣銭準備のためにまた銀行へいけばいいや」
と思って、そのまま町内会の口座にお金を全て預けた。

準備しなければいけない釣銭は1000円札10枚、500円硬貨20枚、100円硬貨100枚

そして11月3日。

朝からFBを通じてバースデーメッセージが届いていて、自分の誕生日だということに気づき.........
そして、祝日だということに気づき、そして.....銀行はお休みだということに気づいた。

なにー!!!!!!

釣銭用の小銭が準備できない!!!!! ピンチ!!!!!

犬の散歩をしながら、どこで釣銭を用意できるかを考えた。

まずはパチンコ屋、ゲームセンターそしてスーパー。

最近はレジもハイテク化してきているので、お客様から渡されたお金をそのままキャッシュレジスターに入れると
自動的にお釣りがでてくるようになっている。以前のようにディスプレイに表示されたお釣りをレジの人が数えて出す
というプロセスがなくなりつつある。

ので、レジでの両替をお断りしているところも多い。

まず両替機のあるところ.....ゲームのアーケードそして多分パチンコ屋。
銀行にも一部あるけれど、銀行が休みなんだからそれは無理。
土日祝日に開いている銀行もあるけど、窓口で両替なんてできるのだろうか?

で、近所の関西出身のおじさんに助けを求めたら

「コンビニとかで買い物するしかないんちゃう?」

と言われたので、まず立てた計画は

1)土日祝日に開いている銀行へ行ってみる
2)ゲームアーケードで両替できるかどうか確認して、できたら一部両替する
3)パチンコ屋を覗いてみる
4)あちこちの店を回って、腐らない低額の生活必需品を1,000円札使って購入し、
お釣りで小銭を準備する

ことにした。

で、まず土日祝日に開いている銀行へ行ったが、小銭は置いていないとのことで玉砕。

次に、近くのゲームアーケードに出向く。

両替機、発見。ただし100円硬貨のみ。

とにかく100円硬貨は100枚必要なので、千円札を次々両替していたら、店員さんの視線を
バシバシ感じる。
なんとか4千円まで頑張ったけど、冷たい視線にいたたまれずその場を立ち去る。

そしたら、店員さんが追いかけてきた。

やばい!逃げるしかない!足早に店を出る。もう、犯罪者の気分。

次に向かうはパチンコ屋。

人生で初めての経験。うるさいし、なんだか怖い。
で、ちょうど店員さんがお掃除していたので、両替機を使わせてくれといったら、札のみで
小銭は出ないとのこと。とほほ。

もう一度作戦を練ろうと家に帰ったら、関西のおっちゃんから電話とメッセージが入っていた。

「コインランドリーやったら、両替機必ずあるでー。どこにあるか、わかるかぁ?」

これは天の助け。

近所にあるコインランドリー全てを回るつもりで車でゴー。

「両替機、あった!」

そこもばっちり防犯カメラが作動していた。またもや犯罪者気分。
カメラが気になって余計にカメラを見てしまう小心者。

ゲームアーケードで4000円分の100円硬貨は準備できたけれど、
あと6000円分なんとかしなければ。

で、コインランドリー一軒につき、2000円分づつ両替を試みることにした。

銀行へいけば、両替するのに手数料かかるわけですから、やっぱりね、盗んでいるわけではないけど、
コインランドリーのお客様じゃないのに勝手に使うのはいいことではありません。

でも、仕方がない。

そして2軒回ってなんとか4000円分の100円玉ゲット。

残りは500円玉20枚と100円玉20枚。

これが難しい。で、とりあえずコンビニへ行ってみた。
すると、そのコンビニは幸いにも古い形式のレジを使用していることが分かった。ので、おにぎりと飲物を10000円で買って
お釣りの一部を500円玉でもらうという作戦にでた。

2500円分を500円で5枚。これを同じコンビニで繰り返すのは気が引けるので
少し離れた別の店舗で同じようにトライ。で更に5枚をゲット。

ここで、これで20枚中10枚をゲット。それから他のお店で買い物したりして得たお釣りに含まれていた500円玉等を混ぜると
15枚となった。

そして最後の100円玉をゲットするために、ちょっと離れたコインランドリーへ。

この時点ですでに2時を過ぎていた。(続く)

分かってる

2017年10月02日 13時24分10秒 | Web log
昨日は、スピッツの結成30周年記念のツアーThirty30Fifty50の最終日のコンサートが
あったので、いそいそと出かけてきました。

とにかく混む、帰りが半端ないということだったので、
スムーズに帰宅するために会場2時間前から乗り込んた。

そのために、はなちゃんの午後と夜のお散歩を子供たちに
任せたのだけれど、帰宅したら、案の定

「散歩はしていない」とのこと。

下の子に「散歩行ってきなさい」とお願いしたけど、
はなちゃんも子供たちと一緒だとあまり長く歩かない。

10分くらいで帰ってきた。わたしとは一時間とか平気で歩くのに。

寝る前にもう一度歩かないとだめかなあと思っていたけれど、
わたしもへとへとになって帰ってきたので、
ちょっと遠慮したかった。

はなちゃんは、お散歩に行きたいときは、きちんと意思表示をするので、
もしワンワン鳴くようだったら散歩しようと思っていた。

けれど、はなちゃんはごはんを食べ終わっても、散歩を要求することなく、
二階へ上がっていって、すやすやとおねんね。

朝たっぷりお散歩したから疲れてるのかな?と思って、散歩のおねだりが
なかったことにホッとして、わたしも眠りについた。

そして今朝。

ジョナサンの遠足があるので、お弁当作るのに早く起床。
散歩もとりあえず30分くらいを目途に切り上げようと思ったら、ちょうどいい時間ではなちゃんが
すぅーと家に向かって歩いてくれて、なんの抵抗もなく帰宅。

週末遊び惚けて眠い子供たちを起こして、学校へいく準備をさせてる間も、はなちゃんは
しっかり朝ごはんを食べて、速攻、二階へ。

疲れているのかな???

ちょっと心配になりつつ、子供たちを学校へ連れていって帰宅すると、二階で「ワンワン」と
鳴いているはなちゃん。

そんなこと滅多にないので、「どこか調子でも悪いんだろうか...おかしいなぁ?」と思いつつ
二階へ行くと、どうも興奮しているというか、お外に行きたい様子。

「きっと、もう一度お散歩したいんだ」と思って、再び連れ出すと、1時間半も歩いてくれた。

「わたしの気持ちが分かるんだね.....」

「忙しいから早く家に帰りたい」とか、「今日は疲れているからお散歩したくない」とか
そういう私の気持ちを察しているかのような、はなちゃん。

すべての用事から解放されて、十分にお散歩できる状態になって、始めて
「もっとお散歩連れてって」って要求するところが、
ほんとうにいじらしいというか、かわいくてしょうがない。

はなちゃん、わたしの気持ちが分かるの??

原風景

2017年09月29日 11時36分17秒 | Web log
おとといは「9月だというのに、なんだか蒸し暑いですね!」と同僚の先生と話していたと
おもいきや、昨日は一転して、晩秋のような空模様。

午後、人通りの少ない場所をはなちゃんと一緒に散歩していたとき。

雪深い東北の片隅で育ったわたしの晩秋の原風景がふと一瞬だけ
感覚として喚起されたかのような一瞬を感じた。

水墨画のにじみのような空を見上げると、とんびがヒュ―ヒョロヒョロと鳴きながら
いつにないスピードで西に向かってまるでジェット機のように直線に頭上を横切る、

肌に容赦なく吹き付ける風が、無力な木の葉たちを空に舞いあげる。

晩秋の寂寥感に浸る。

冬なんて何度も経験しているのに..... まだまだ先になるだろう冬の到来をかすかに感じて
いるだけなのに、心が身構える。

そう思ったら、なんと北海道の大雪山系黒岳に初冠雪だと言う。

冬は確かに日本に訪れていた。

オーストラリアには冬らしい冬がないので、そんな原風景があったことすら忘れていた。

呼び覚まされた記憶が一瞬にしてわたしを生まれ育った場所へと私をいざなってくれた。

ところで.....

東北出身の詩人の詩を読んでいると、詩人が詠う光景や匂い、皮膚感覚までもが
呼び起されるのは、きっと自分の原風景と詩人のそれとが似通っているからに違いない。

そういった作品に共感している自分を感じながら、わたしも年を重ねてきたんだなぁ....
とふと思う。

矛盾

2017年08月12日 09時31分19秒 | Web log
人って変わりますよね。環境にいろいろと適応しながら、意外な能力を開拓したり、意外な自分を発見したり。性格も変わるだろうし、もちろん色んな経験を経て、考え方とか価値観だって変わっていく。変わんないって人いるんですかね? ま、いるのかな?...いるでしょうね。人それぞれだから。

年を経て味覚の指向も変わったりする。

マイクは「日本人が『このお米おいしい!』とか言うけど、米は米。味は一緒。」と昔、豪語していた。

最近になって「米の味の違いが分かってきた。そばもおいしいそばと、そうでもないそば(十割と二八の違いとか)が分かってきた」と言ってたけど、まずい国代表のイギリス出身で、食に興味がない偏食のマイクですら、少しづつ味覚が開拓されてきたようだ....

偏食のまま育つ子もいるかもしれないけれど、ジョナサンが小さいころは、本当に食べられるものが少なかった。保育園の先生に「どうして子供が楽しめるようなお弁当をつくってあげないのか?」と避難されたことがある。けれど、本当に食べられるものがなくて、食べられるものだけ入れていたら、そうなっちゃったってだけなのに...。非難されてちょっと傷ついた。

でも、いまでは結構いろんなものが食べられるようになった。これからだってそうだろう。

ベンジャミンはひき肉が苦手だったけれど、最近は少しづつだけど食べられるようになったし。

子供の味覚も性格も、それぞれ。育児本みたいにいかないのが現実なんだよ!子育てに悩んでいる皆さん、育児本や他人の意見は参考程度にしときましょうね。
あまりいじめられない様に。

育児本みたいに子供が成長したら、苦労なんてないっちゅーのよ。自分の子供の可能性を信じて、気楽にできるだけ楽しく過ごしたほうがいいのではないでしょうか....

ところで。

わたしははなちゃんのことをこよなく愛しているけれど、小さいときは結構神経質かつ我儘だったので、匂いにとても敏感だったり、毛が嫌だったり、自分がゆっくりしたいのに散歩に行かせられたりするのが嫌で、犬を楽しく飼っていたか?というとそうでもなかった。本当に自分の都合でしか考えられなかったし、わたしが散歩につれていかなかったら、犬は一日繋がれたままで自由がないんだとか、頭では分かっていても散歩に喜んでつれていったか?というとそうでもない。から、子供たちが散歩を嫌がる気持ちはとてもわかる。

でも、今は喜んで散歩に出ていける。はなちゃんが可愛くてしょうがない。もちろん、うんちだって「おえっ」とならずに拾える。健康状態もすかさずチェックする。
昔はとにかく匂いに敏感すぎて「おえっ、おぇっ」って感じだった→ベンジャミンがいまのところそんな感じ。

昆虫も面白いなと思えるようになった。

昆虫に関しては、小さいときに昆虫採集セットとか、解剖セット(おもちゃのやつ)を買ってもらって、手術めいたことをやったり、結構どころか、かなり残酷なことをした記憶もあるけれど、生態に興味があったかというとそうでもない。けど、最近は興味がでてきた。蜘蛛は嫌いだけれど、巣の張り方とか見ていると感動する。とんぼのホバリングなんてすごいなぁと思う。

爬虫類だって意外と面白いなと思えるようになった。蛇だって野生のものじゃなくて、安全な条件であれば触れる。カメレオンとか、結構かわいい顔しているなと思う。

魚だって、鳥だって小さいときはとにかくダメだった。気持ち悪い、げーって感じで触れなかったし、興味もなかった。

でも、最近は見ている分には面白いなと思える。触れないけど。男の子を育てた影響かもしれないな... と思う。

人は変わる、ということに関しては、ほとんどの人が同意してくれるかと思う。

けれど、実際はどうだろう。

実際の話、人は「全てのものは無常だ」ということをどれだけ受け入れている、受け入れることができているのだろうか?

人って変わるよね?そうだよね。と、言うことができることと、実際それを受け入れていることとはかなり違うと思う。

仮にそう言えても、固定観念とか先入観とか偏見とか、その人の今までがどうだったとか、その人が与えてきた影響とか、その他もろもろがあって、固定観念とか先入観に左右される部分が大きかったりする。

例えば

犯罪を犯した人が変わると信じられるか?自分には自信がない。

子供がいずれ成長して、良く変わっていく可能性だってあると信じて待つことができるか?

多くは今の態度に基づいて、否定的にあーだこーだと批判したり、不安になったりすることのほうが多い。人の性格なんてある種一時的なものなのに。

逆に変わっていくことを悲しく思うことはないか? 変わっていくこと、それが当たり前なのに「信じたくない、受け入れたくない」といったようなこと。

人が変わっていくことを認めない人だっているだろう。

こういうことは日常のあちこちにある。

平家物語じゃないけれど、全ては変わっていくもの。

なのに、いいことは変わってほしくないとか、逆に、いやな経験(人)については、変わらないものと思い込んでしまったり。

人が変わってしまったことを裏切りという人もいるかもしれない。

わたしたしは、前例とか過去とか願望とか不安とかいったものに、理屈を超えて本能的に執着していろいろ判断するするものなんだろうね。

というのは、目の前にある事実よりも、信じたいことを、信じたい生き物だから。

でも「信じる」ということだって、その時の「判断」だって、意外と理不尽なものだったり、不確かな情報だったり、過去のわずかな経験だったり、誰かが言っていたことだったり、  教えてもらったことだったり、沁みついた文化的な常識とか考え方とか価値観といった、非常に「あいまいな要素」に依っていることが多いのですけどね。

いろいろあるんだー

2017年08月09日 10時45分15秒 | Web log
Aさんのお手伝いをしようといろいろ情報を集めているのですが、自治体でも野良猫の避妊、去勢への助成金とか出しているんですね。捕獲器とかも貸し出してもらえたりするんですね。
彼らの責任ではないけれど、野良猫は病気を持っている可能性が高い。野良猫を保護しようとしてマダニにかまれてお亡くなりになった人のことを思うと、本当に残念。

自治体の制度をうまく利用しながら、子猫ちゃんたちのために自分ができる範囲でなんとかできることをしてあげたい。

調べたら、同じ区内の動物病院が積極的にかかわっているようだ。はなちゃんを譲ってもらった動物保護団体の世話役さんにも電話してみた。

とりあえず私ができる範囲で少しづつ。

いい方向に向いていくといいなと思う。わたしは猫があまり好きなほうではないけど、やっぱり可哀そうだと思う。
特に寒い冬なんか、窓際でにゃーにゃ―されると、たまったもんではない。
でも、家では飼えない。

餌をあげる人たちを批判する人もいる。野良猫を増やす原因にもなるのは確かにそうだと思う。でも、飢え死にさせるのが可哀そうと思うその気持ちもよくわかる。

少なくとも生まれたばかりの子猫ちゃんたちが、Aさんの思いを託して、なんとか幸せになりますように!

近所のAさんと2匹の子猫

2017年08月08日 09時00分00秒 | Web log
町内会の唯一のメリットは、新参者にとって知らなかった人と知り合えること。

特に班長や役員になるとやらなくちゃならないこともあって、大変。それでもなんとか楽しくこなせるのは(わたしの場合)そういう活動を通じてでなければ出会えないだろう人と知り合いになれるからだろうなと思う。好きになれない人もいるけれど、それはさておき。

ご近所に住むAさん。Aさんは、去年、班長だったときに町内パトロールで一緒に活動した人。とても穏やかで礼儀正しくやさしい。

ある日、はなちゃんの散歩をしていたら、Aさんちに子猫ちゃんが2匹。今までDさんが野良猫に餌をあげたりしていたのだけれど、Dさんが引っ越してしまってから、のらちゃんたちは散り散りバラバラになってしまった。そしてその中の一匹が子猫を出産。子猫の首をくわえてうろうろしている姿を何度か見かけたので心配していたのだけれど。

なんとこっそり餌をあげているAさんを頼っているらしい。

Aさんが仕事に出ている間に見知らぬおじさん(きっとご近所)が門から手を入れて子猫ちゃんをなでていた。みんなやっぱり可愛くて気が気じゃないのだと思う。

別な日に、町内会の用事があってAさんちのお隣にいったら、にゃーにゃーと子猫が足元によってきた。お腹がすいているのか、のどが乾いているのか....何もしてあげられないのでほっといたけれど、どうも不健康な感じ。暑いし、親猫が十分な栄養をとれていなければ、子猫も十分なお乳を飲むこともできないだろう。

あまり猫好きではないわたしでも気にはなる。でも行動まで結びつかない。餌をあげたりしているAさんやご近所さんはすごいと思う。

暑い日が続いて、その後もちょっと気になっていたので、ある日Aさんに話しかけた。とてもバツ悪そうに「ご近所さんには餌をやることを無責任と言う人もいるし、それも良くわかる。僕がやっていることはダメだよね.....でも可哀そうでね、困ったね」と言っていた。

子猫ちゃんは目のあたりが赤くなっていて、病気を抱えているようにも見えた。

わたしなんて、何もしないのにとりあえず可哀そうがってばかリで単なる偽善者。責任をAさんに押し付けているような罪悪感もあって、どうしていいか分からない。

わたしができることをやろうと、「はなちゃんを譲ってもらった動物愛護団体に連絡してみますね」とAさんに言ったのだけれど、それから数日後、子猫が消えた。

Aさんのお家にいない。

きつねにでもやられたか、危険を感じて親猫共々どこか安全なところに身を隠したか。

Aさんが優しいことを感じてか、他の野良猫もAさんちをうろつくようになったので、テリトリーを追い出されちゃったのかも。

親猫は時々みかけるけど、見かける頻度はぐっと減った。子猫はだめになったのかもしれない.... と思っていた。

そして再び、はなちゃんの散歩にでたらAさんが車の掃除をしていたので「子猫ちゃんどうしました?」と聞いてみることにした。そしたら、Aさんがなんと保護しているとのこと。

病気になっているようだったので、獣医に連れて行って2週間くらいお薬あげたら元気になったとのこと。

「生きていたのね!」

どうなるかは分からないけれど、少しでもAさんの負担が減るようにとはなちゃんを助けてくれた動物愛護団体に連絡させてもらった。

これからも何らかの形でこの子猫ちゃんの里親がみつかるように、わたしもAさんにまかせっきりじゃなくなんとか関わっていきたいと思っている。

はなちゃん

2017年08月07日 12時27分36秒 | Web log
はなちゃんが我が家のペットになってもうすぐ一年。

最初は不安でいっぱいだったけど、はなちゃんは本当にかわいい。何でもしてあげたいと思う。子供が大きくなって手がかからなくなってきたから尚更そう感じるのかもしれない。

最初会ったとき、意外と年はいっているかなぁと感じていたのですが、このところはなちゃんの老化を感じるのでとっても悲しい。

だから、なんでもしてあげたい。

はなちゃんはお散歩とトイレ以外ほとんど要求はしない。遠慮して育ったのか、他の人がみても「いい子」なのだけれど、逆にそれがなんだかつらい。もう少しわがままを表現してくれたらいいのにと思う。お世話になっているドッグホテルのオーナーさんが「よく考えて周りの状況をみて行動しているというのが分かるよね」と言ってくれたけど、本当にそうだ。私たちが出かけてホテルに預けられても「とっても手がかからないいい子」なのだそうだ。だから切ない。

ので、お散歩はいっぱいしてあげたい!

本当に本当にかわいい、はなちゃん。

子供たちが散歩につれていこうとすると中々行きたがらなかったり、早々に帰ってきたりするけど、わたしが一緒だと本当に喜んで、雨が降っても一時間ぐらいは平気で近隣をお散歩する。はなちゃんが喜んでくれるので、わたしもとてもうれしいし、はなちゃんと一緒のお散歩はとても清々しい。

道行く人に「かわいい、かわいい」と声をかけられ、車の中からも花ちゃんをみつめてニコニコしてくれる人もいる。はなちゃんは町内でもちょっとした人気者。

なので、わたしもはなちゃんを飼ってから知り合いがぐんと増えてました。

はなちゃんは我が家にいろんなものをもたらしてくれています。なによりも わたしにほっこりとした気持ちをもたらしてくれています。

はなちゃん、本当にありがとう!

原爆のことを知らない子供たち

2017年08月06日 19時57分32秒 | Web log
授業で日本にある世界遺産のことを取り上げた。

そして負の遺産についてちょっと説明した。

原爆ドーム。行ったことないけど、日本は唯一の被爆国なので原爆について後世につたえる義務があるとわたしは思っている。

でも、生徒はあまりよく原爆のことを知らなかった.....そんなものなのかな??

戦争が終わった(原爆が投下された)のは1945年だから 既に72年の歳月が経過している。子供たちにとっての祖父母が生まれた頃の出来事。そう思うと時の流れを実感する。
今の子供たちは平成生まれだし、昭和を知らない世代。原爆が投下されたということも実際の話、実感に欠けるのかもしれない。

わたしが少し原爆のことを話したら「えぇ......」とびっくりしていた。

もっと深く知ったら、どんなことを思い感じるのだろう。

授業で様々な社会問題とかを取り上げても「別に私に関係ない」「なんとも思わない」という子供たちもいたりして、びっくりさせられることもあるのだけれど、感受性も人それぞれだし。

なんとかこういった問題を自分のものとして引き寄せてもらえるように、感じてもらえるように伝えるのもわたしの仕事かなと思う。

さて、わたしは活動家でもなんでもないですが、原爆投下についてアメリカがまだ謝罪していないということについては、ちょっと疑問があります。

間違っていたと認めない=正しかった ってことになりますから、謝罪してもらいたい。でも謝罪イコール保障問題に発展していく可能性もありますので、相手も簡単に否は認めないと考えられますが、正しかったとしてほしくない。

昨年5月にオバマ前大統領が犠牲者追悼のために広島に訪れ、その後安倍総理がハワイを訪れ、双方が哀悼の意を公に表しました。これは歴史的に大きな意味があると思いますが、結局正式な謝罪はしなかった。

あの悲劇を正当化してもらいたくない。そう思います。

署名

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