さよなら三角 また来て四角...日本編☆第二章☆

オーストラリアから10年ぶりに帰国。特別支援教育に携わりながら
市民農園・家庭菜園に励んでいます。

ケルルン、クック..... 草野心平 春のうた

2016年04月02日 23時49分41秒 | Web log
小学生の3/4年生のクラスで草野心平の「春のうた」
を授業でとりあげました。

この詩はわたしが小学生のときに教科書に掲載されていて、
わたしも習いましたね。

春のうた        草野 心平
  かえるは冬のあいだは土の中にいて春になると地上に出てきます。
  そのはじめての日のうた。

ほっ まぶしいな。
ほっ うれしいな。

みずは つるつる。
かぜは そよそよ。
ケルルン クック。
ああいいにおいだ。
ケルルン クック。

ほっ いぬのふぐりがさいている。
ほっ おおきなくもがうごいてくる。

ケルルン クック。
ケルルン クック。

小さい頃は生き物が苦手だったわたし。かえるなんてもってのほか。

よって春のうたも特別感動しなかったのだけれど、ケルルン クックと
イヌノフグリだけはしっかりと覚えておりました。

今改めて読むと、春の喜びが素朴に歌われていて、なんか、田舎の春の
風景がおもいだされる詩だなぁと思います。

冬眠から目覚めたかえるがうたった歌。

ほっ まぶしいな
ほっ うれしいな 

で、何故 ほっ じゃなきゃならないのか?

どうしてかえるは「ほっ」としたのか?

冬眠して冬を越すのは命がけなのだと知る。
一つ間違えると餓死して死んでまう。

春のうた の6ヶ月前に「秋の夜の会話」という作品を書いたそうで
その作品を読むと、なぜ「ほっ」だったのか、がわかる。

秋の夜の会話

さむいね。

ああさむいね。

虫がないてるね。

ああ虫がないてるね。

もうすぐ土の中だね。

土の中はいやだね。

痩せたね。

君もずゐぶん痩せたね。

どこがこんなに切ないんだらうね。

腹だらうかね。

腹とったら死ぬだらうね。

死にたかあないね。

さむいね。

ああ虫がないてるね。

この詩を読むと「かえる」は死の恐怖に怯えながら冬眠を迎えたんだろうと
作者が想像していたということがわかる。

詩人の想像力にただ脱帽。

みんなはこの想像力のすごさをどれだけ感じ取ることができたかな?
わたしはどれだけそのすごさを伝えることができたかな?

女の子たちはとくに「イヌノフグリ」でかなり盛り上っておりました。
もう笑いすぎよ..

そして「どうしてイヌノフグリという名前がついたのか」ということを
説明して、写真もみせたら納得しておりました。

イヌノフグリはオオイヌノフグリという外来種に押されて、なかなか
みつけることができにくくなっているらしいです。

そして、実際のイヌの「フグリ」も去勢手術が常識になっている今、
果たしてどうなっているのでしょう。もちろん小さくなっているんでしょうね?

時代の移り変わりを感じた私なのでした。

春に

2016年03月29日 16時15分16秒 | Web log
仕事で国語や社会の教科書に目を通すことがあるのですが、
日本の教科書は本当によくできているなぁと思います。

国語の教科書に選ばれた作品は本当に珠玉のものばかり。

私が小さいときに習ったものも幾つか残っているということも
すごいですが....

学校で習ったときは味わえなかったことをもう一度味わう
チャンスが与えられ、子供のときとは違った視点で
新たに感動することができるというのはすばらしいなぁ
と思っています。

国語の先生から「学校の先生になれ」と勧められるまま、
とりあえず教職の資格だけはとっておこうと、自分の専門とは
異なる国文学の講義とか中国文学とかに顔をだし、教職の単位を
とったわけですが、思いがけなく役に立つこととなりました。

人生何が起こるかわかりませんね。

先日、谷川俊太郎の「春に」という詩を紹介しました。

ここに引用させていただきます。


春に
                谷川俊太郎

        この気もちはなんだろう
        目に見えないエネルギーの流れが
        大地からあしのうらを伝わって
        ぼくの腹へ胸へそうしてのどへ
        声にならないさけびとなってこみあげる
        この気もちはなんだろう
        枝の先のふくらんだ新芽が心をつつく
        よろこびだ しかしかなしみでもある
        いらだちだ しかもやすらぎがある
        あこがれだ そしていかりがかくれている
        心のダムにせきとめられ
        よどみ渦まきせめぎあい
        いまあふれようとする
        この気もちはなんだろう
        あの空の青に手をひたしたい
        まだ会ったことのないすべての人と
        会ってみたい話してみたい
        あしたとあさってが一度にくるといい
        ぼくはもどかしい
        地平線のかなたへと歩きつづけたい
        そのくせこの草の上でじっとしていたい
        大声でだれかを呼びたい
        そのくせひとりで黙っていたい
        この気もちはなんだろう


春ということで紹介したのですが、ま、いわずもがな季節の春と
思春期の春が重なっている詩ですね。

あまりにもストレートすぎるかなぁと思いつつ、問いかけたら
意外にも女の子よりも男の子が「共感できる」と強く反応してくれました。

思春期の心の動きを見事に表現したすばらしい作品。

この作品を心にしっかり刻んでくれたら、そして次は自分の言葉でしっかりと
ありのままの心の有り様を表現できるくらいまでになってくれたら...と思います。

真剣かつ貪欲にどこまでも吸収しようと言わんまでの純粋な眼差し。

わたしが少しでも妥協したらすぐに見透かされるしまいそうです...

真剣勝負でがんばります。

被災地訪問@石巻

2016年03月21日 21時08分12秒 | Web log
石巻へいく用事があったので、その用事を済ませたあと石巻市内にある
復興情報館へ行ってまいりました。

5年前、震災があったその時はパースで仕事をしていた私。

テレビで津波が町を飲み込んでいく映像をみてショックで
ショックで...

今でも映像を見るといたたまれない気持ちになります。

先日、ジョナサンとベンジャミンが通う学校でも追悼集会があって
5人の職員が当時の様子を語ってくださいましたが、ひとりは
当時のことを思い出し、時々声を詰らせながらスピーチをしてください
ました。

あれから5年。

ある程度の復興も進み、まだ仮設にいらっしゃる人もいるようですが

復興住宅が市内のあちこちに建てられて、そこで新しい生活を始めた人も
いらっしゃるようです。

北上川沿いで水に浸かってしまった古い建物は、流されなくても解体を
余儀なくされたようで、コンクリートの土台がむき出しになっているところ
とかがあちこちにみられて、まだ津波の爪あとは残っています。

で、昨晩、たまたまネットでこの記事をみつけた私。

http://www.nippon.com/en/in-depth/a05203/

イギリス人で石巻で被災に遭ったリチャードさん。震災後の福島原発の事故の影響を
懸念したイギリス大使館から避難勧告の通知が届き、迎えにきた大使館職員とともに
仙台まで向かったものの、『友人が一番苦労している時にここを離れたら一生後悔する、
自分で自分を許せなくなるだろうと思った。涙の別れで仙台まで来たものの、
やはり友人とともに石巻を復旧させたいという思いの方が強かった。』と、石巻に
戻る決意をかため、帰還。

この記事をみて、これはもう行くしかない!と思って、リチャードさんに会うために
学校で知り合い、一緒に石巻へ向かったスペイン人の家族とともに情報館へ向かいました。

受付には日本人スタッフがいらして、館長のリチャードさんはもしや非番か!?と
思って声をかけましたら、私たちの後ろで案内をなさっていました!!!!

ラッキー!!

で、わたしが興奮してわわわわわーとまくし立てたら「とりあえず受け付けしてください」
と言われて、我に返った次第です。

で、受付を済ませたあと日本人の職員のかたが「館長は普通、休日はいらっしゃらないの
ですけど、今日はたまたまいらしたんですよ。もし館長がいらっしゃらなかったら、
わたしもどう対応していいかわからなくて、あたふたしていたと思います。
偶然ですがタイミングがうまくかみ合ってよかったです」と話しかけてくださって
わたしも本当にいいタイミングだったなぁと思いました。

で、一通り英語で説明をしていただきまして。

石巻の地理的こと、津波がどのように石巻を襲ったか、車で避難しようとした人が
どのような状況で津波に巻き込まれてしまったかなど、いろんな説明をしていただきました。

リチャードさんがもちろん津波は大きな被害ではあったけれど、この震災がきっかけで
町が新しく生まれ変わろうとしていること、そして日本国内の別の地域からボランティアで
入ってきてそのまま定住を決めた人たちが街に今までなかったあたらしいものを
もたらしてくれていることは、津波は最悪の事態ではあったけれどもそれがなかったら
こういうことも起きなかっただろうと思うと震災がもたらしたことは悪いことだけではない
とおっしゃっていました。

「石巻の復興のために一度だけでなくまた来てくださいね!その時は事前に予約をいれて
くだされば、対応できるように準備して待ってます」と言って下さいました。

今日は本当にありがとうございました。

浦島太郎状態

2016年03月10日 15時57分09秒 | Web log
やっと落ち着いたかなぁと思いつつも、なんだかんだでまだまだ落ちつかない
私たち.....いや、子供たちはどうもこちらの新しい生活に慣れてきたようで
文句ひとつ言わず、楽しく過ごしています。

むしろ、私だけ「落ちつかない」と思っているのかもしれない。

10年日本を離れていたのでいろんな意味で浦島太郎状態。

わかってはいても、オーストラリアのやり方との違いに???と感じたり
あまりにも安全で人々が無防備なのを勝手に心配したり、疑心暗鬼になったり。

ま、帰国して2ヶ月半だし無理もないですかね。

ということで、タイミングよくある仕事のオファーを受けまして、働くことに
なりました。

それもまた結構チャレンジです。

楽しくできればいいなと思っています。

エクササイズ再開

2016年02月28日 17時47分42秒 | Web log
最後に走ったのはいつだったかな?

引越しが決まって、あれやこれやと忙しくしばらくジョギングから遠ざかっていましたが、
こちらの生活も落ち着いてきたので、ウォーキングから始めてみました。

今日は、家から子供たちが通う学校まで往復。3.5kmほど歩きました。

体を動かすとやっぱり気持ちいいですね。もうちょっとしたらジョギングへと
移行したいものですが、とりあえずウォームアップから。

土曜日はジョナサンもラグビーの練習初参加。

日本でどれだけ頑張れるかな?

日本のラグビーっこたちとも徐々に仲良くなれたらいいなぁとおもうのですが、
さて、どうなることやら。

できればベンジャミンも...キャラ的にラグビーではないのはわかっているのですが、
何かスポーツをやってもらいたい!

体を使って楽しむことを体得して欲しいとおもうのですが、私の子供だから無理か??

ということで、春ももうすぐだし、もうちょっとアクティブになりたいと思う今日この頃
なのでした。


盲導犬訓練センター

2016年02月22日 21時06分31秒 | Web log
今日は、ベンジャミンの遠足にくっついていって....盲導犬センターへ。

純粋に盲導犬センターに行ってみたかった....

かなり前に..たぶん、20年くらい前にもとある盲導犬センターに
マイクと行ったの覚えていますが、そこは閉鎖しちゃったのかなぁ。
もうないみたいです。

でも、近くに別の盲導犬センターがあるとは!

うれしい。

ということで、子供たちに混ざって私も興味深深。

わたしたちを案内してくれたのがGちゃん。2歳の女の子。

すごく人が好きで、人と一緒にいるのが好きな黒のラブラドール。

可愛かった....

盲導犬は

20から30の指示語を覚えて使い分け、主人が行く主要な場所を覚え(スーパー、
郵便局、駅、銀行、病院などの行きつけの場所)、主人が歩くのに妨げとなる障害物を
みつけだし(障害物の幅、高さなども判断し)何が一番安全かを判断して、行動します。

例えば、主人が郵便局にいこうとしていて、その場所を完全に覚えていて、どこで
曲がるか、どこで横切るかをわかっていたとしても、絶対に自分の判断で行動はしません。
必ず十字路などの分岐点では、立ち止まって主人の指示を待ちます。そして指示がでてから
行動します。

2ヶ月から1才まではパピーウォーカーの元で生活して、人間との生活に慣れさせ、
1才になったら訓練に入ります。大抵一年くらいかかるそうです。

飼い主になる人との性格や生活環境、そして盲導犬の性格、得意不得意を考慮して
双方にとってベストなマッチングをするように訓練士は様々な方向から、できる
限りの可能性を考慮し、飼い主と盲導犬を知り尽くします。

そしてマッチングしてから、一ヶ月訓練センターで実生活を共にしてデビューと
なるわけです。

本当に根気のいるプロセスですね。

現在、3000人の盲導犬が必要な視覚障害者がいるらしいですけれど、実際には
984頭しか日本国内には盲導犬がおりません。

全てが全て盲導犬になれるわけでもなく、マッチングが上手くいかなかったり
せっかく育てても犬にアレルギーがあったりして、盲導犬不適になったりなど
様々なハードルがあったり、または資金難、犬の絶対数が海外に比べると少ないと
いった文化的なことなど、いろいろあるらしいです。

それから盲導犬を受け入れる店がまだまだ少ない、他のお客さんを考慮して
動物を入店させたがらない、盲導犬に対する認識が広まっていないなど、
社会的な壁もまだまだ厚いようです。

本当にいろいろありますね....

盲導犬が盲導犬として活躍できるのは10歳まで。それ以降は引退。
それだけ盲導犬というのは大きな責任感の中で主人の安全のために
その業務を全うするわけです。すごいですね。そしてけなげですね。

指示語の中で一番最初に教える言葉は「Good」。

これが、盲導犬にとって学習の動機付けになるらしいです。

指示したことを間違いなくしたとき、Goodといって、いっぱい褒めてあげる、
主人が満足していることを表現する→犬が喜ぶ→幸せを感じる→主人のいう事を聞きたいと思う→
さらに覚える、学習の動機付けになる。

こういう流れになるらしいです。

子育てもそうですよね。

やっぱり動機付けが楽しい、うれしいというところからこないと長続きしない。

盲導犬も盲導犬という仕事を喜んでやれる犬であることが大切というか、でないと
飼い主も盲導犬にとってもお互い不幸になるだけだから...と、訓練士が説明
してくださいました。

本当にそうだなぁと思います。

短い見学でしたが、色々勉強になりましたし、Gちゃんにメロメロになって
帰ってきました。

今回はベンジャミンの学年の付き添いで行ってきましたが、犬が好きなジョナサンも
是非連れて行きたいと思います。

ベンジャミンとわたしのスキー遠足

2016年02月20日 10時33分41秒 | Web log
昨日はベンジャミンの学校の行事でスキーに行ってまいりました。

ジョナサンは2月8日~10日の3日間で学校のお泊りスキー教室に参加済み。

楽しかったといっていたので、とりあえず第一関門クリア。

ベンジャミンはどうでるか?

あまり動くのが好きでない彼が「スキー大嫌い」とか言ったら、我が家の冬の
アクティビティの選択肢がなくなるではないですか!

第二関門、クリアできるか??

で、わたしも久しぶりにスキーをしたかったのと、ベンジャミンの学校での様子をちょっと
観察したかったのと、先生や他のご父兄に自己紹介したかったのも含めて、わたしも父兄として
参加を決意。

いやぁ、ジョナサンが生まれてから行ってないと思われる、スキー。15年ぶりくらいかな?

パースは雪が降らなかったしね...

で、バレンタインデーだった日曜日、お花をもって実家へ。そして納屋に眠っていた
スキーをゲット。

98年モデルのシールが貼ってあったから、買ってから18年も経つの??

ウェアもそのときに買ったから....18年ものです。

ワインとかウイスキーだったら、古かったらそれなりに味もでてくるのかもしれないけど

ダサいか???でも、サイズ的にはオッケーだし、一応着れるのでオッケー。

で、スキーとかスキー靴とかストックとかチェックしてみましたが、スキーはやっぱり
エッジがさびていた...

で、ゴーグルとか帽子も必要だったので、スポーツ用品店にお買い物にいったときに
スキーのメンテキットを購入。

さびおとし、古いワックス落しとか買ってきて、前日スキーのメンテをしまして。

これで大丈夫か???スキー滑れる???私、大丈夫???骨折る???とか
いった不安な思いがふつふつと沸きあがってきまして、スキー大好きな人だったら
きっと口笛吹きつつ、わくわくしながらメンテするんだろうけど....

ま、正直そんな気分にはなれず、不安に負けたらダメだと自分に言い聞かせ。

とりあえず準備だけはしっかりとして、あとはもうどうにでもなれ!という気持ちに
自分をもっていって、いざ、当日。

ベンジャミンの日本語の先生とクラスメートの先生、小学部の先生にご挨拶して、
クラスメートのお母さんのお隣に座らせてもらって、バスの中でも色々とおしゃべりして
現地到着。

いやぁ、ほんと久しぶり...広瀬香美はさすがに流れていなかった。

さて、午前中はベンジャミンのビギナークラスのお手伝い。

わたしは雪国育ちなので、ま、基本的なことはわかるし、全く滑れない子供たちにも
教えられることも多少あるし、ヘルパーとして、コントロール不能になった子供を下で
キャッチしたり、転んだ子供を助けたりしました。

実際、インストラクターは片言の英語で一生懸命教えてくれたけど、ときどき伝わらなかったり
ヘルパーでついていた学校の先生たちも日本語がわからなかったり、中国語圏からきた
英語のわからない子もいて、ちょっとカオス....

で、わたしが大声であーだこーだと...言う決意をし、学校行事に初めて参加したのに、
態度デカイ。

でも、きっと何していいかわからないという状態が一番子供を不安にさせるんだろうなと
思いまして、もうね、態度デカイとかでしゃばりとか思われてもいいや!と開き直って。

それにしても低学年やキンディのちっちゃい子たちとか...すごく可愛かった。

で、お昼はフィリピン出身のお母さんと色々なことしゃべって、それから一人でリフトに
乗って2時まですべりまくって帰ってきました。

滑れるかどうか、不安でしたが、すべり出すとやっぱり体が覚えているもので、きちんと
滑れましたよ。

で、今日は、体ががちがち....ロボットみたいに動いてます。

わたし全然、若くないですけど....でも、子供たちのお陰でこんな年齢になってもかろうじて
いろんなことさせてもらってます。子供たちの存在がいい刺激になっております!

今度は家族で行けたらいいなぁ....

遅くなりましたが、あけましておめでとうございます。

2016年01月27日 11時19分39秒 | Web log
あけましておめでとうございます。

といっても、来週からは2月ですね。

12月30日に日本に着いて以来、大変忙しい毎日を過ごしておりました。

昨年の8月ごろでしょうか、日本への帰国を決意し、9月くらいまでは
本当に帰国するんだろうか???状態でしたが、9月後半から荷物の整理、
荷造りが始まり、12月まで頭フル回転で後半は寝ても覚めても引越しのことで
頭がいっぱいで、オーストラリアを離れるという感傷に浸る時間はほとんどなく。

ガーデニング、家の明け渡し、掃除、お別れ会等で忙しく、お別れ会のピクニックでは、
トイレで意識が朦朧となり血圧も下がって冷や汗たらたらで座ってもいられず
そのまま帰宅。

さよならもまともに言えませんでした。

最終日には、友達二人が応援に駆けつけて、パニック状態のわたしたちの傍らで
あれよ、あれよと片付けてくれて、もうひとりの友人がお昼ご飯を届けてくれて
空港まで送ってくれました。

飛行機に乗り込んで落ち着いて、あぁ、やっと終わったと一安心。

帰国を決めてから出国まで数ヶ月時間があったこと、わたしも派遣看護師の仕事も
non active 状態にしてもらっていたので、引っ越しの梱包等々全部自分たちで
やりましたけど、業者にお任せで全部やってもらう意味って絶対あるなぁと
実感しました。

時間があったのでやり遂げましたけど...二度としません。

まず日本に送るもの、送れないもの、必要なもの、不要なものを仕分けして、
地元の海上輸送会社と話をとりつけ、日本に送るものは自分たちで梱包し、
それから不用品の処分に帆走し、まだまだ使えるものは友人に引き取ってもらったり
本は地元の図書館、子供たちが通っていた学校に寄付したり、慈善事業団体に寄付したり
売れるものは Gumtree というサイトを使って(日本の「ジモティ」のようなサイト)
必要な人に買ってもらいました。

子供たちのものはなかなか捨てられず、保管していたものがたくさんありました。
ジョナサンは幼児期から幼少期そして少年期と成長。
ベンジャミンはオーストラリア生まれなのでそれこそ生まれたときからの色々が
たくさんあって捨てきれず今に至ったわけですが、引越しを機に一掃。

あんなことして遊んだ、こんなことして遊んだ...などと
思い出に浸っているのは私くらいで子供たちは興味も示さず。

3歳の男の子をもつ日本人のお母さんに持っていってもらったり

男の子のお孫さん3人をもつ、オーストラリアに来たときにとてもお世話になった
友人に持っていってもらったり

近所に住む男の子3人のお父さんがGumtreeをきっかけに他のものを
買いにきてくれたときに箱に入ったおもちゃをみて、持っていってもらいました。

子供たちが使っていたものが、他の人の手元でさらに遊んでもらうのは
箱の中にしまわれておくよりは、おもちゃたちもうれしいことでしょう。

ベンジャミンも4年生、ジョナサンも中学生。
乳幼児期、幼少期はもう卒業。ジョナサンは思春期だし、ベンジャミンも
学童期後半に突入したので、いい区切りなんだと思いました。

それでもそのときは捨てられなくて箱に詰め込んで送ったものを、こちらで
開けて「 あれれ? 何でこんなもの送ったんだろう???」なんて思ったり

まぁ、いろいろですね。

そして、こちらに引っ越してきて、子供たちの学校へ行き、まず子供たちの
生活の軸を確保し、新居に必要な家財道具、生活雑貨等の買出し、海上輸送した
荷物の開梱、住民票登録、住所変更手続き等々、やらなくちゃいけないことが
たくさんありました。

そんなこんなで、生活自体は、ようやく落ち着いたところです。

ベンジャミンはインフルエンザにかかってしまい、回復にも時間がかかって
学校お休み中です。

オーストラリアではとってもいいお医者さんに10年お世話になり、わたしの
思い描く理想のお医者さんそのままで、わたしはもちろん、子どもたちも
大変お世話になったのですが、こちらでもいいご縁がありますようにと
願いつつ、日本とは言えわたしにとっては初めて住む土地なので
少しづつ地域に根付いていけらたいいなぁと思っています。

これからもよろしくお願いいたします。




さよなら パース、さよなら オーストラリア

2015年12月28日 22時23分44秒 | Web log
明日パースを離れ、日本へ帰国します。

とても大きな決断でした。

この数ヶ月、帰国に向けて少しづつ頑張ってきました。

やっとの思いで実現したオーストラリアでの看護師の道も
諦めて日本へ帰ります。

とても残念ですが、いま帰国しないと一生後悔すると思いました。

子供たちやマイクのことを考えれば考えるほど、本当にこれで
よかったのかという思いが常に頭をよぎります。

この決断は単なるわたしのわがままなのではないかと
何度も思いました。

願わくば、この決断が私たち家族に素晴らしい結果を
もたらしてくれますように....

さようならパース...そして10年間どうもありがとう




ホリデー後

2015年12月23日 14時47分01秒 | Web log
パースに帰ってきまして、日常生活に戻りました。

クリスマス前は、本当にみんな忙しいです。

クリスマスの25日は休みだし、24日も多くのサービス業は半日で終了。

なので、その前に色々やっておかなければならないこともあって

あたふたしています。

子供たちは大人の都合なんてわからないし.... ま、わからなくてもいいんですけど。

マイクは仕事でいないし、孤軍奮闘って感じ。でも、実際の話、
思いがけないタイミングで色んな人に助けられて、なんとか踏ん張って
しなくちゃいけないことを淡々とこなしています。

年齢を重ね、経験を重ね、強くなりました。

困ったことに、ゆっくり休めればいいのに、前日どんなに疲れて寝ても、
朝は6時にパッチリ起床。いいのか、悪いのか。

年かな???? ハハハ。

昨日はベンジャミンの友達のお母さんに「男の人みたい」と言われました。

エストロジェン減少中??? ハハハ。

あと少し、頑張ります。

署名

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