さよなら三角 また来て四角...日本編☆第二章☆

オーストラリアから10年ぶりに帰国。特別支援教育に携わりながら
市民農園・家庭菜園に励んでいます。

天才児って・・・・

2008年09月21日 21時58分48秒 | Web log
ジョナサンの友達に7月に5歳になったばかりの男の子がいます。

4歳のときに、すでに文字の読み書き、足し算、引き算、掛け算をマスターし、
今では、負の概念(-1とか)を理解。

絵を書かせたらわたしよりうまいし、何ページにも渡ってマンガを描く。

きらきら星をバイオリンで弾き、教えられなくても、上手に転調してみせて、
やることなすこと半端じゃありません。

まるで見たもの、聞いたものを、頭の中に次から次へと吸収していきます。

別に親は教育ママでもなんでもありません。全部自分でやっちゃうのです。

こういうのを天才っていうんだなぁ・・・・

で、酸素と水素となんとかを混ぜると爆弾ができるんだとか、そういうことも知ってて、友達に「面白いでしょ?」って話しちゃうもんだから、友達から気持ち悪がられる。周りにいる5歳児にそんなこと理解できるはずありません。

学校に行くときも、本を手放せないもんだから、お母さんが2歳になる弟と一緒に乳母車に乗せて連れて行く。

普通に考えたら、『変』です。

以前、ジョナサンが通っている学校に来てましたが、うまく回りに適応できず、先生も「問題児」としてレッテルを貼ってしまったため、友達も彼を「先生の言うことを聞けない悪い子と思い、本人も先生や友達の対応に悩み、ストレスで体重がどんどん減っていき、両親が他の学校へ転校させてしまいました。

小さすぎて、先生もその子の能力に気付かなかったのでしょう。今の学校では少し改善されたかのように見えましたが、また「浮き」始めたらしく、お母さんの不安はもう半端じゃありません。

その子にとって普通のことが、周りにとって普通じゃない。
周りが彼の論理についていけない。
友達がどんどん離れていく。

親も子供もかなりのプレッシャーを抱えています。

子供を少しでも賢くさせようと躍起になっている親がいる傍らで、天才児と
その親は苦悩している。

どこへ行っても、抜きん出た個性は排除される。

ほとんどの社会、集団、組織の中で、大多数の人は自分と同じような人に安心感を感じて、仲間意識を持つものなのだなぁと思わされます。

個性的でありたいとか、個性を尊重しましょうというのは、『似たもの同士に安心感を持つ』という共通性に重きを置く人間の本質から考えたら、矛盾した考えなのかもしれない・・・と思うのでありました。

でも、人間の本質に本能的に従うことが必ずしもいいことではありませんからね。
理性的に行動することが大事なことが多い。

個性的でありたければ、時に孤独になるかもしれないことを覚悟しなければならないし、他人の個性を尊重することを選べば、自分と違う部分を理性的に受け入れなければならないし。

あ、話がなんだか難しくなってきた。

ま、そういうことを5歳児に求めるのはとてもタフな話なわけです。

天才だからっていいことばかりじゃないってことですね。

署名

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