さよなら三角 また来て四角...日本編☆第二章☆

オーストラリアから10年ぶりに帰国。特別支援教育に携わりながら
市民農園・家庭菜園に励んでいます。

Joeのお葬式

2015年08月07日 20時17分00秒 | Web log
今日はご近所さんと一緒に先日亡くなったJoeのお葬式に行ってきました。

会場につくと満面の笑顔のJoeの写真がモニターに映し出されていました。

ここへ引っ越してきて12月で3年になりますが、Joeと知り合ったのは
ここ1年くらい。町内会のようなものも存在しないので、自分から積極的に
働きかけるか、あるいは誰かが積極的に話しかけるかしてくれない限り
親しくなるチャンスはほとんどありません。

以前はもっと親密なご近所づきあいのようなものがあったようですが、時の
移り変わりと共にだんだん疎遠になり、また人の出入りが比較的頻繁なので、
特に借家住まいの私たちのような家族には敢えてちかづかないという
感じなのかもしれません。

結局いずれは引っ越していくのだろうから...という思いがあるからでしょう。

でも、Joeはそんなこと全く関係なく、わたしに声をかけてくれて
色んなお話をしてくれました。

本当に人好きな素敵なおじいさんでした。

お葬式ではJoeの一生が語られ、Joeの写真が次々と映し出されました。

家計を助けるために15歳から働きはじめ、17歳で結婚し借家を探すのにも苦労し、
小さい子供たち6人を育てながら生活のため、色んな仕事を引き受けとても苦労したそうです。
英国空軍に所属して、第二次世界大戦も経験しました。

そして突然、リバプールからオーストラリアへ移住することを決め、息子二人とダーウィンに
降り立ち、生きるために様々な仕事につき、生活基盤を築いてイギリスに残した家族を
呼び出し家を建て....パースへ移動して定職につき、新しい国で第二の人生をスタート
させました。

Joeはリバプール出身のアイルランド系のイギリス人だったわけですが、多くのアイルランド人が
移民として海を渡ったのは、国の貧しさから生き延びるためだったわけで、渡った先のリバプールでの
生活だって、決して楽なものではなかったことと想像します。

15歳で両親を助けるために働かなければならなかったのも、きっとそういった理由でしょう。

そしてJoeはよりよい生活を求めて、新天地であるオーストラリアへと渡ってきたのだろうと
思われますが、オーストラリアでの生活も最初はさぞ大変だっただろうとは容易に想像できます。

でも、最後にはたくさんの孫、ひ孫に囲まれ、たくさんの人を愛し、そして愛され
旅だっていったJoe。

Joeの一生と共に、私が知る由もない市井の人ひとりひとりのもつ、人生という物語の尊さに
深く思いを馳せたのでした。

署名

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