書く書くといいながら、気が付けば師走も中旬に差し掛かってきました。
今年のことは今年のうちに!ですから、
相変わらず時間のない中ではありますが
なんとか今年中に仕上げたいと思います。
というわけで、記憶を辿りつつ過去の話をば。
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5月末のこと。
母が発熱しました。
といっても微熱だし、軽い風邪かなと当時は深く考えていなかったです。
微熱ではあるものの、熱が引く様子もなく、かれこれ1週間ほど発熱が続きました。
そろそろ治る頃かと思いきや、私が仕事で帰宅が深夜になった日のことです。
母が高熱でうなされていました。
慌てて、家にあったパルスオキシメーターで酸素濃度を測ってみたところ、
90%を切っていました。
どう考えてもよろしくない。
夜間だったので救急外来受診も考えましたが
母は肝臓の難病と血液の病気があるので、救急を受診しても適切な対応を受けられるかどうか悩ましいので
姉&弟と相談の上、様子を伺いながら隣で寝て朝を待ちました。
(この後、母の横で寝る生活が10月まで続くこととなります。)
翌日、近所の呼吸器内科のクリニックを受診したら、肺炎との診断。
そこまで重症ではないとのことで、内服薬で経過を見ることに。
ところが、内服をしてもよくならず、高熱が続き酸素状態も悪化したので
予定より早くクリニックを受診しました。
Dr.曰く、抗生物質の効果が出るには5日待たないといけない。
途中で受診しても何もできないので、もう2,3日待ってほしいと。
食欲もなく水分もまともに取れず脱水になっていたため
輸液の点滴を受けたら、症状が少しよくなりました。
そして、抗生物質内服5日目に再診。
熱も下がり傾向になり、酸素状態も少し改善。
レントゲンも少しだけよくなっていたので、
このまま治療を続けましょう、ということに。
少し安心していました・・・ところが。
(何回逆接の接続詞を使うねんってぐらい、
この後「ところが」「しかし」が起こり続けるのです・・・)
ところが、また高熱がぶり返し酸素状態が悪化(88%)。
またしても夜に高熱になったので翌朝まで待ち、朝イチにクリニックに行き、
母が肝臓と血液で受診してもらっている病院に紹介状を書いてもらいました。
ちなみに、この受診は最初に家で発熱してから、17日目でした。
酸素量が少ないため、救急外来で対応してもらい、すぐに酸素マスクをつけられました。
それも鼻カニューレでは最大量でも酸素が上がってこなかったので、
酸素マスクをつけられました。
うーん・・・どうみても相当具合悪そう。
そのまま緊急入院となって、精密検査をしたところ、
「ニューモシスチス肺炎」であることがわかりました。
この肺炎に一般的な抗生剤は効かないので、
クリニックでの治療は無意味だったということになりました・・・。
ニューモシスチス肺炎は典型的な日和見感染であり、致死率がかなり高いです。
(免疫力が下がって本来感染しない真菌に感染しているので、
患者自身に抵抗力がないため死に至りやすい)
母は79歳ですし、難病も持っているし、
これは覚悟しておいたほうがいいかなあ。。。とちらっと思いました。
姉とも治ったとしても在宅酸素になる可能性もあるかもね、という話になり、
急遽介護保険の再申請に役所に行ったりしました。
ただ、幸いにも、少しずつ肺炎は回復していき、2週間程が経過し
そろそろ退院できる???と思ったころ
主治医からお話があります、と呼び出しがかかりました。
病院からかかってくる呼び出しはほぼ確実に、良い話ではありません。
姉と覚悟しつつ、母と三人でIC(説明)に臨みました。
血液内科の主治医曰く、
母には肝臓の難病と多発性骨髄腫の二つの病気があるので、
できれば肝臓に掛かる負担を避けるためにも抗がん剤の治療はせずに済ませたかった。
でも、多発性骨髄腫の状態を表すIgGが9000以上となっており、血球の状態も悪化している。
今回、日和見感染を起こしてしまったのは、多発性骨髄腫の悪化があったからで、
ここで多発性骨髄腫の治療をしないと、感染症で命を落とすことになってしまいます。
なので、抗がん剤治療をしたほうがいい、とのことでした。
母は高齢になってからの抗がん剤は無意味だからやりたくないという人でしたし、
私も姉も母が嫌だというのであれば、母の意見を尊重するつもりでした。
ただ、血液の抗がん剤だけはほかのがんとちょっと種類が違うんですよね。
姉は血液内科にいましたし、私も友達が血液のがんで亡くなっているので、
血液内科の抗がん剤事情がよくわかるのですが、確実に延命できるし、
QOLが下がるとも言い切れないのです。
(消化器等のがんだと、80歳近くなったら私は家族には勧めないかな)
Dr.にも「平均寿命までまだありますし、治療して元気になりましょうよ。」
とも言われて、母は抗がん剤をすることとなりました。
抗がん剤をする前に一旦退院し、リフレッシュして、
1週間後に再入院しようということになりました。
姉はこの時、
『先生は母が死ぬと思っているのではないか?』
という思いが脳裏を掠めたそうです。
というのも、このDr.は、死期の近い患者さんを最後に家族と過ごさせるために
よくリフレッシュと称して帰宅させるらしい。
そういえば、私の友達も一時帰宅している間に急変して、その数日後に亡くなりました・・・。
1週間退院している間に、弟と姉が交代で帰ってきてくれましたが、
母は相変わらず食欲はなく、ほぼ寝たきり状態。
なのに仕事は強烈に忙しくて、本当にバタバタと走り回っていました。
そして、明日が診察日という前夜。
母がまた高熱を出しました。
また感染症・・・?
翌日は診察日だったので、また母の横で酸素状態と息を確認しつつ
翌朝を待ちました。
翌日。
朝は微熱に下がっていたので、診察時間までは待てるだろうという判断で、
午後の診察に向かいました。
けれども、待ち時間の間に母が「寒い寒い」と言い出し、
39度台の発熱に。
そうこうしているうちにガタガタ震えて立っていられなくなってしまいました。
急遽、ベッドに寝かしてもらって、電気毛布も入れてもらっても
悪寒が収まらず、嘔吐までし始めました。
この時、母はどんどん意識が遠ざかっていって、
もしかして、私はこのまま死ぬのかなあ・・・と思ったそうです。
当然、そのまま緊急入院となりました。
病名は「グラム陰性菌による敗血症」
普通に死因になる病気ですが、幸いにも病院で具合が悪くなって
すぐに抗生剤を使っていただけたので、翌日には熱も引きました。
Dr.には
「2回連続の日和見感染なので、一刻も早く抗がん剤治療をしなければ命を落としてしまう。」
と言われました。
(まだまだ長いので、次回に続きます。3回ぐらいで完結したい。)