今週も色々とあった週だった。
そして考えさせられる事柄も多くあった。
30日
この日は前もって有休を申請済み。
大事な行事だから晴れて欲しかった。
午前中はこちらへ…。報告は後日。
午後はこちらへ。こちらも報告は後日(笑)
31日
前日休むに当たって日曜日のときに上司に製品手直しのことを伝えておいた。
多分やってないだろうな~と思って出勤したら予想を裏切らずやってなかったのだった。
でも、朝からやれば夕方までには終わる…と思っていたが他の製品の手直しやら何やらでやりたいことはやれず。
ようやく手が付けれるようになったのは19時過ぎだった。
「メガ」サイズを牛皿にしてもらった。具は普通の3倍、ご飯は大なんだ。
前回の経験から手直しに1個2分ほどかかる。
240個あるから、休憩含め10時間はかかるだろう。
出荷するのは午前7時頃という。
それは自分が徹夜しなければできないことを意味する。
やってやるやぜ、コンチクショー!
11月1日
というわけで徹夜。
このところ月に1度はやってるかな。
製品を送り出し、とっとと家に帰…らず。
ちょっと気分転換に行ってきました。これもまた後日報告で。
3日
2日の朝に8月末からホスピスに入っていた叔母が亡くなったと連絡が入る。
葬儀の日取りが決まり、通夜、葬式両方ともに出ることができそうで安心した。
3日夜に通夜となったので15時までは通常業務となった。
その通常業務で小牧のお得意様の所へ行く。
あっさりと用事を済ませいつもの休憩場所へ。
10:46 JA30DA MU-300 DAS 微小重力の実験をしたりする機体。
10:53 JA08AR AS365N3 名古屋市消防局「ひでよし」 お仕事帰りかな?
10:54 JA08ARと共に降りてきたJA07FJを追っていて気が付いた。目の前の機体…。
いつの間にかステッカーが変わっていたよ。
10:57 松本よりは遠いけどパイロットのお手振りはうれしい。行ってらっしゃい!
機首L1ドア横にも。機体後部の物にさらに一文が追加されている。
これにて撤収。
今日は世間は三連休。
行きの小牧東-小牧間ですら渋滞していたのだ。
名古屋市内方面から長野県方面へ紅葉狩りに出かける人は多い。
そしてこういう結果となる…。
恵那まで続くこの渋滞…。
下道に出てもそちらも車が多く抜け道が使えない。
それなら流れに身を任せて行った方が少しは速いかも。
結局、会社には13時前に到着。いつもの倍の時間がかかったよ。
12:57 JA889D C208B 共立航空撮影 コンビニ弁当でお昼ご飯中に。
13:18 JA889J C208B 協立航空撮影 秋晴れのこの時期は航測日和だ。
15時に早退してすぐに身支度。
ジジババを乗せて葬儀場へ向かう。
今回はヨメと子供達はお留守番だ。
18時からの通夜だったがちょっと早く到着。
しかしすでに受付の人がいたのだった。
式場前に花が並ぶ。ホールの中じゃないんだ。
通夜式が済み、親族控えの間でしばらく話す。
久しぶりに会う親戚もいるから話が弾む。
しかし明日のこともあるからちょっと名残惜しいが帰ることに。
出された助六だけでは足りなかったので屏風山PAにて。吉野家のローストビーフ丼、結構いけた。
4日
葬式当日。
曇りの予報だったが雨が降る。
亡くなった叔母の息子さんが「30%の確立を引きやがって…」と笑う。
自分より5つ上の息子さんは自分にとっては兄的存在。その発言も頷けた。
式場入り口には家族から叔母へのメッセージボードが掲げられていた。
叔母は今年5月頃に骨の痛みを訴えて病院へ行った。
そこで告げられた病名は末期の肝臓がん。
余命3か月と宣告された。
ここで叔母は治療は望まず痛み止めのみの選択をした。
悪あがきはせず、潔くと考えたのだろう。
その後の叔母の行動は早かった。
遺影を撮り、葬儀場も決めた。
自分が最期に会ったのは8月中旬だった。
あのときですらだいぶ痩せてしまっていた。
それでもベッドから起き上がり話しをしてくれた。
しばらくしてホスピスへ転院し、10月中旬から食事がとれなくなる。
医師からはあと1週間と言われたがそこからが長かった。
もう無理しなくてもいいよ、と周りも思っていただろう。
そんなことを思うと叔父が本当に大変だったとわかる。
出棺前の最期のお別れの時、叔父が叔母の頭をなでて「向こうで待ってろよ」と言う。
そんな叔父も肺がんのため余命1年の宣告を受けている。
このやりとりを見て涙腺は崩壊してしまった。
火葬場へ皆で向かい本当に最後のお別れ。
一緒に生活していた孫たちも泣きじゃくり周りの涙を一層誘う。
お骨拾いまでには時間がある。
その間に会社へ電話して日曜日の段取り等を取る。
その間に精進落とし。
再び皆で火葬場へ行く。
皆の前にお骨がやって来て初めて見る子供達は一瞬身を固めていた。
自分はと言うとこれまでの叔母のケガした所とか聞いていたからそっちへ目が行く。
頸椎を手術した、と聞いていたが首にしっかりとチタンの固定具が入っていたのだった。
その後、セレモニーホールに戻って初七日の法要を行い終わりとなる。
次は俺の番かも、と他の叔父が言う。
確かに、その叔父も82歳でこちらも膀胱がんの宣告を受けている。
歳が歳だけに進行が遅いのが救いなようだ。
自分の親が70過ぎている現実からすれば親戚の誰かがいつ亡くなっても不思議じゃない。
帰り際に本家の兄ちゃんとサムアップ。
明日はよろしくね!
さて、帰りに子供とヨメのお土産でも買っていこうか。
近くにある「モンテール」の製造直売所へ。
いろいろと迷ったけど新商品の詰め合わせを買う。あとその他いくつか。
夕飯後のデザートにふわもちたい焼きを食べる。
不思議な食感だった。
5日
朝早くから某所へ…
思ったより会場が狭かった。これの報告、いつになるやら(笑)
さて、今週は羽が伸ばせるかな?
そして考えさせられる事柄も多くあった。
30日
この日は前もって有休を申請済み。
大事な行事だから晴れて欲しかった。
午前中はこちらへ…。報告は後日。
午後はこちらへ。こちらも報告は後日(笑)
31日
前日休むに当たって日曜日のときに上司に製品手直しのことを伝えておいた。
多分やってないだろうな~と思って出勤したら予想を裏切らずやってなかったのだった。
でも、朝からやれば夕方までには終わる…と思っていたが他の製品の手直しやら何やらでやりたいことはやれず。
ようやく手が付けれるようになったのは19時過ぎだった。
「メガ」サイズを牛皿にしてもらった。具は普通の3倍、ご飯は大なんだ。
前回の経験から手直しに1個2分ほどかかる。
240個あるから、休憩含め10時間はかかるだろう。
出荷するのは午前7時頃という。
それは自分が徹夜しなければできないことを意味する。
やってやるやぜ、コンチクショー!
11月1日
というわけで徹夜。
このところ月に1度はやってるかな。
製品を送り出し、とっとと家に帰…らず。
ちょっと気分転換に行ってきました。これもまた後日報告で。
3日
2日の朝に8月末からホスピスに入っていた叔母が亡くなったと連絡が入る。
葬儀の日取りが決まり、通夜、葬式両方ともに出ることができそうで安心した。
3日夜に通夜となったので15時までは通常業務となった。
その通常業務で小牧のお得意様の所へ行く。
あっさりと用事を済ませいつもの休憩場所へ。
10:46 JA30DA MU-300 DAS 微小重力の実験をしたりする機体。
10:53 JA08AR AS365N3 名古屋市消防局「ひでよし」 お仕事帰りかな?
10:54 JA08ARと共に降りてきたJA07FJを追っていて気が付いた。目の前の機体…。
いつの間にかステッカーが変わっていたよ。
10:57 松本よりは遠いけどパイロットのお手振りはうれしい。行ってらっしゃい!
機首L1ドア横にも。機体後部の物にさらに一文が追加されている。
これにて撤収。
今日は世間は三連休。
行きの小牧東-小牧間ですら渋滞していたのだ。
名古屋市内方面から長野県方面へ紅葉狩りに出かける人は多い。
そしてこういう結果となる…。
恵那まで続くこの渋滞…。
下道に出てもそちらも車が多く抜け道が使えない。
それなら流れに身を任せて行った方が少しは速いかも。
結局、会社には13時前に到着。いつもの倍の時間がかかったよ。
12:57 JA889D C208B 共立航空撮影 コンビニ弁当でお昼ご飯中に。
13:18 JA889J C208B 協立航空撮影 秋晴れのこの時期は航測日和だ。
15時に早退してすぐに身支度。
ジジババを乗せて葬儀場へ向かう。
今回はヨメと子供達はお留守番だ。
18時からの通夜だったがちょっと早く到着。
しかしすでに受付の人がいたのだった。
式場前に花が並ぶ。ホールの中じゃないんだ。
通夜式が済み、親族控えの間でしばらく話す。
久しぶりに会う親戚もいるから話が弾む。
しかし明日のこともあるからちょっと名残惜しいが帰ることに。
出された助六だけでは足りなかったので屏風山PAにて。吉野家のローストビーフ丼、結構いけた。
4日
葬式当日。
曇りの予報だったが雨が降る。
亡くなった叔母の息子さんが「30%の確立を引きやがって…」と笑う。
自分より5つ上の息子さんは自分にとっては兄的存在。その発言も頷けた。
式場入り口には家族から叔母へのメッセージボードが掲げられていた。
叔母は今年5月頃に骨の痛みを訴えて病院へ行った。
そこで告げられた病名は末期の肝臓がん。
余命3か月と宣告された。
ここで叔母は治療は望まず痛み止めのみの選択をした。
悪あがきはせず、潔くと考えたのだろう。
その後の叔母の行動は早かった。
遺影を撮り、葬儀場も決めた。
自分が最期に会ったのは8月中旬だった。
あのときですらだいぶ痩せてしまっていた。
それでもベッドから起き上がり話しをしてくれた。
しばらくしてホスピスへ転院し、10月中旬から食事がとれなくなる。
医師からはあと1週間と言われたがそこからが長かった。
もう無理しなくてもいいよ、と周りも思っていただろう。
そんなことを思うと叔父が本当に大変だったとわかる。
出棺前の最期のお別れの時、叔父が叔母の頭をなでて「向こうで待ってろよ」と言う。
そんな叔父も肺がんのため余命1年の宣告を受けている。
このやりとりを見て涙腺は崩壊してしまった。
火葬場へ皆で向かい本当に最後のお別れ。
一緒に生活していた孫たちも泣きじゃくり周りの涙を一層誘う。
お骨拾いまでには時間がある。
その間に会社へ電話して日曜日の段取り等を取る。
その間に精進落とし。
再び皆で火葬場へ行く。
皆の前にお骨がやって来て初めて見る子供達は一瞬身を固めていた。
自分はと言うとこれまでの叔母のケガした所とか聞いていたからそっちへ目が行く。
頸椎を手術した、と聞いていたが首にしっかりとチタンの固定具が入っていたのだった。
その後、セレモニーホールに戻って初七日の法要を行い終わりとなる。
次は俺の番かも、と他の叔父が言う。
確かに、その叔父も82歳でこちらも膀胱がんの宣告を受けている。
歳が歳だけに進行が遅いのが救いなようだ。
自分の親が70過ぎている現実からすれば親戚の誰かがいつ亡くなっても不思議じゃない。
帰り際に本家の兄ちゃんとサムアップ。
明日はよろしくね!
さて、帰りに子供とヨメのお土産でも買っていこうか。
近くにある「モンテール」の製造直売所へ。
いろいろと迷ったけど新商品の詰め合わせを買う。あとその他いくつか。
夕飯後のデザートにふわもちたい焼きを食べる。
不思議な食感だった。
5日
朝早くから某所へ…
思ったより会場が狭かった。これの報告、いつになるやら(笑)
さて、今週は羽が伸ばせるかな?