この記事を完成するまでに記事が消えるアクシデントが2回起きた。泣く泣く書き直す、がんばれ自分。
番組はこういうものです
今日のテーマは若者の性。私の意見はB。身体的に性交渉が可能であるのに行為自体を認めないことに反対である。性の快楽や欲求は実に自然で正当なものであるのに、なぜ若者に背徳感を強制しなければならないのか。幸福追求権、人権侵害といいたいくらいだ。教育的見地から青少年に理解させておかなければならないのは、身体的理由を超えて社会的要請として子供を健康に幸せに満足に育てられる見込みがなければ子供を作ってはいけない、ということである。とすれば避妊法をきちんと教えた上で楽しめばよい(これは人間の特権)のである。中教審の見解は、性への無知が美徳のような雰囲気を漂わせているが、これは時代錯誤もいいところであろう。
きっとよく話す友人は「教えても理解できない生徒がほとんどだから上から押さえつけなきゃいけないんだよ」と言うことだろう。想定する青少年像が性善説性悪説のように異なっている。本当に教えても理解できない場面にどう対応したらいいだろう。これに答えなければ上のは理想論になってしまう。うーむ。
教育問題は混迷しやすい。国民全員が義務教育を経験しており独自の教育論をもつ。これの押し付け合いだ。これだけ教育法が淘汰されることなく共存している現状に照らせば、人それぞれ合う合わないがあり、子供が自分に合うやり方をみつけることができるように自由度を高めた環境を整備してやることが第一であると思う。
番組はこういうものです
今日のテーマは若者の性。私の意見はB。身体的に性交渉が可能であるのに行為自体を認めないことに反対である。性の快楽や欲求は実に自然で正当なものであるのに、なぜ若者に背徳感を強制しなければならないのか。幸福追求権、人権侵害といいたいくらいだ。教育的見地から青少年に理解させておかなければならないのは、身体的理由を超えて社会的要請として子供を健康に幸せに満足に育てられる見込みがなければ子供を作ってはいけない、ということである。とすれば避妊法をきちんと教えた上で楽しめばよい(これは人間の特権)のである。中教審の見解は、性への無知が美徳のような雰囲気を漂わせているが、これは時代錯誤もいいところであろう。
きっとよく話す友人は「教えても理解できない生徒がほとんどだから上から押さえつけなきゃいけないんだよ」と言うことだろう。想定する青少年像が性善説性悪説のように異なっている。本当に教えても理解できない場面にどう対応したらいいだろう。これに答えなければ上のは理想論になってしまう。うーむ。
教育問題は混迷しやすい。国民全員が義務教育を経験しており独自の教育論をもつ。これの押し付け合いだ。これだけ教育法が淘汰されることなく共存している現状に照らせば、人それぞれ合う合わないがあり、子供が自分に合うやり方をみつけることができるように自由度を高めた環境を整備してやることが第一であると思う。
教えて!gooというものがある。この企画を発想した人は素晴らしい。wikipediaくらい素晴らしい。各人の知恵を持ち寄るというのは、専門など複雑化した社会にとってはありがたいものである。gooのIDを取得したのもこれに敬意を表する意味もあった。
ここで以前憲法のレポート課題がなんちゃら~という質問に対して回答を書いておいたのだが、質問が規約違反で消されたみたいだ。宿題を他人にやってもらうような質問は禁止されているようだ。この禁止が何のためにあるのか適当に考えてみた。
まず、害される個人を考えると、質問者は利益を受け、私・回答者も答えてあげることで精神的な満足感を得ている。宿題を出した先生は自分で調べて書くという本来の趣旨を潜脱されて害されているように思うが、友人に宿題を相談するくらいは許容範囲であり、ネットもこの延長線上にあるだろう。閲覧する他の人にとっては、質問者の態度は感心しないものの、自分にとっても有益になる可能性は残っている。
ここで害される一番のものはシステムの秩序と管理者の誠意である。知恵を集める場を設定した趣旨に照らすと、このような質問を許容して全体に溢れかえるならば本来の趣旨に反したものになってしまう。宿題を他人にやってもらうけしからんシステムだと批判も受けかねない。不特定多数の人が閲覧する場で質問をするのも公共的意義があり、独りよがりの場ではいけないということだろう。
ということで、このような私的検閲も合理的な面がある。憲法の問題で滅多に違憲にしない私であるから(学生はふつう血気盛んなので国=悪の先入観の下で法が抽象的であるが故に必ず含んでしまう過大包摂の部分を指摘し簡単に違憲にする)。最近はネット社会も成熟してきました。
ここで以前憲法のレポート課題がなんちゃら~という質問に対して回答を書いておいたのだが、質問が規約違反で消されたみたいだ。宿題を他人にやってもらうような質問は禁止されているようだ。この禁止が何のためにあるのか適当に考えてみた。
まず、害される個人を考えると、質問者は利益を受け、私・回答者も答えてあげることで精神的な満足感を得ている。宿題を出した先生は自分で調べて書くという本来の趣旨を潜脱されて害されているように思うが、友人に宿題を相談するくらいは許容範囲であり、ネットもこの延長線上にあるだろう。閲覧する他の人にとっては、質問者の態度は感心しないものの、自分にとっても有益になる可能性は残っている。
ここで害される一番のものはシステムの秩序と管理者の誠意である。知恵を集める場を設定した趣旨に照らすと、このような質問を許容して全体に溢れかえるならば本来の趣旨に反したものになってしまう。宿題を他人にやってもらうけしからんシステムだと批判も受けかねない。不特定多数の人が閲覧する場で質問をするのも公共的意義があり、独りよがりの場ではいけないということだろう。
ということで、このような私的検閲も合理的な面がある。憲法の問題で滅多に違憲にしない私であるから(学生はふつう血気盛んなので国=悪の先入観の下で法が抽象的であるが故に必ず含んでしまう過大包摂の部分を指摘し簡単に違憲にする)。最近はネット社会も成熟してきました。
日付が変わってしまい昨日の記事はナシ、となってしまった(でもPVがいつもと変わらないので驚いた)。このブログで空白は初めてのこと。また、明日明後日と大学のゼミ合宿もあることから更新が一時休止になるのでご了承を。
最初に書いていたゲームの話題が早くも尽きてきて(これしかやってないなら本体買った元が取れてないんじゃないかとも思える)、音楽の話題も半ばを越えてきた。まだマンガという強力なカテゴリを封印しているので大丈夫だろう。法律の勉強にめどがついたら各科目の勉強法とか特集してもいいかもしれない。あと「アクセス」の話題を書いてもいいかもしれない(書いてみた)。
最初に書いていたゲームの話題が早くも尽きてきて(これしかやってないなら本体買った元が取れてないんじゃないかとも思える)、音楽の話題も半ばを越えてきた。まだマンガという強力なカテゴリを封印しているので大丈夫だろう。法律の勉強にめどがついたら各科目の勉強法とか特集してもいいかもしれない。あと「アクセス」の話題を書いてもいいかもしれない(書いてみた)。